ふと、日本にも世界にも、たくさんの引きこもりをする人が増えてきた理由が、心に響いてきた。
ドイツの語学学校で友達になったトルコ人の女の子と、タイ人の女の子と、またデュッセルドルフで会う約束をして。
そのやりとりを見ながら、日本人と外国人の違いを、いろいろ感じたことを思い出しながら。
同時に共通点も理解し始めた。
彼女は27歳、タイ人の女の子も同じくらい。
その世代の若者は、情報化社会のなかで生きてきてる。
私は自分の世代の中では、おそらくかなり早い段階からコンピュータを買い、インターネットと触れた。パソコン通信、SUNワークステーションのインターネットサーバー立ち上げ、など、インターネット黎明期に立ち合ってる。
だから、言語的に世代間のギャップがあまりない、共通言語や思考がある。
彼女たちの世代では、世の中の情報が、全て簡単に手に入る時代に思春期を過ごし、私は思春期を終えた後にインターネット黎明期に立ち合った。
だから、私と彼女らとの違いは、思春期を情報化社会にすごしてはいない、という点。
思春期を情報化社会で過ごした世代では、様々な情報から取捨選択、分析、拡散、などの情報コミュニケーションを、息をするように自然に身につけている。
ある話題について話すときには、個人的主観と、比較分析的客観性とを取り混ぜながら、自然に
●自分の意見や見地が『どのレベルにおいて正当か、
●どのレベルにおいて高く評価されるか、
●どの分野では何が最先端で何が時代遅れか
と、自覚ないまま高度な分析がされた情報についてを吟味して価値付けを行っている。
これは、現代人ならほぼ私の世代以降には、常識的な能力だったりするし、
『他人と比較した自分のあり方』を、強く意識したり、
憧れの対象を盲目的に崇拝したり飽きたりを繰り返しながら、価値観が形造られている。
情報化社会といいつつ、全くネットを使わない、使えない、嫌いな人もいる。
ネットが普及していない国や地域も、ある。
そういう人は、周りについていけない、となっていたり、
あるいは、自分の価値観を信じ、無邪気に驀進していたりする。
分析的でなく主観的に生きられ、自我に目覚める思春期に、自分と比較して悩む相手は、周りの少数の人間だけを見ながら、客観性を身につけていく。
たまに、『意識高い系』なんていう言葉もあるように、『誰からも羨まれ、尊敬される意識を持っているぜ』という自意識で生きている人もいたりする。
でも、私の世代からみたら、若い人は皆、この『意識高い系』に入る

私の世代では、あらゆる情報なんて、簡単に手に入らず、
狭い価値観の中で、無邪気に、他人と比較する機会もなく、どうどうと『ダサい人間』でいられる。
または、ネットや情報から離れている今の世代とは、私の世代との共通点が、たくさん見られる。
彼らは自分が、『どの程度のレベルにいて、どの点はイケてない』なんてことは、考えた事がない。
私の世代もそうだった。
要するに。
自分と比較して悩む対象が、多数ありすぎるのが、今の若い世代。
かなりの人が、深刻なくらい、自己嫌悪感を持つ。
思春期は、そもそも自己嫌悪の時間。
他人と比較する機会も増え、頑張ってみたり、あきらめてみたり、葛藤する時期。
今の若い世代では、膨大な量の比較対象から、自己を客観視できてしまう。
そして、他人の美点を素直に褒めるだけで終わるほど、自己が確立していない。
自己を嫌悪する機会もセットになるのが、思春期。
このストレスは、私の思春期より、確実に辛いと思う。ただし、わずかな期間で、私より数倍、客観視する能力を身につけて自己を確立していく人も多い。
この辺の、客観視ぐあい、を、私の若い友人たちから、見せてもらい、ふと、引きこもりがなぜ増えていくのか、腑に落ちた。