娘が昨年の不登校だった時期に、
よく口にした言葉がありました。
「やりがいがない」
頑張っても、頑張っても、
誰も褒めてくれない。
誰も努力を認めてくれない。
完全にやる気をなくし、
家で引きこもる毎日でした。
頑張っても誰も褒めてもらえなかったから、
二度とやらない。
ご褒美が何も無いなら、やらない。
全部誰かに褒めてもらうために、やってるの?
じゃあ、褒めてもらえないなら何もしないの?
一体、何のためにやってるの?
自分のためにやるんじゃないの?
娘にそう言って喧嘩になった事もありました。
そんなに大変なら、私は大人にはならない。
大人になんて、なりたくない。
そう言い放つ娘に、
お前はピーターパンか!と喧嘩した事もありました。
普通であれば年齢とともに自己形成を重ね、
人から「褒められたい」から
人から「認められたい」へと
変わっていく。
自然と、子どもへの接し方も、
「褒める」ことによる単純な動機付けから、
「認める」ことで自己形成を促す
へと変わってくる。
でも、娘の内面は年齢不相応。
まだ、褒めて伸ばす過程の段階にいて、
だれかに認められたいとか、承認欲求まで
全く至っていない印象が強いです。
娘は通常学級から支援学級へと移籍したことで、
学校で先生に「褒めて」 貰える機会は、
圧倒的に増えたと思う。
娘は休みながらでも何とか、
学校に通えるようになりました。
娘に、もう一度絵を習わせたい。
それで単に、上手だねと褒めてもらうのではなく、
人から認めてもらえるようになれば、
少しは変わってくるかもしれない。
娘が認められたいと思う一番身近な人は、
たぶん、お父さんである私。
ランキングに参加しています。