「褒める」と「認める」の違い。 | star☆mayのブログ ~2人の自閉症児とうつ病の妻を抱えたパパの奮闘記~

star☆mayのブログ ~2人の自閉症児とうつ病の妻を抱えたパパの奮闘記~

自閉症と診断された2人の子供。
うつ病と診断された妻。
家族が、家族であるために。
右往左往しながらも、とにかく前を向いて、
一歩づつ、一歩づつ歩んでいます。

娘が昨年の不登校だった時期に、

よく口にした言葉がありました。


「やりがいがない」


頑張っても、頑張っても、

誰も褒めてくれない。

誰も努力を認めてくれない。


完全にやる気をなくし、

家で引きこもる毎日でした。


頑張っても誰も褒めてもらえなかったから、

二度とやらない。

ご褒美が何も無いなら、やらない。



全部誰かに褒めてもらうために、やってるの?

じゃあ、褒めてもらえないなら何もしないの?

一体、何のためにやってるの?

自分のためにやるんじゃないの?


娘にそう言って喧嘩になった事もありました。

そんなに大変なら、私は大人にはならない。


大人になんて、なりたくない。

そう言い放つ娘に、

お前はピーターパンか!と喧嘩した事もありました。


普通であれば年齢とともに自己形成を重ね、

人から「褒められたい」から

人から「認められたい」へと

変わっていく。


自然と、子どもへの接し方も、

「褒める」ことによる単純な動機付けから、

「認める」ことで自己形成を促す

へと変わってくる。


でも、娘の内面は年齢不相応。

まだ、褒めて伸ばす過程の段階にいて、

だれかに認められたいとか、承認欲求まで

全く至っていない印象が強いです。


娘は通常学級から支援学級へと移籍したことで、

学校で先生に「褒めて」 貰える機会は、

圧倒的に増えたと思う。

娘は休みながらでも何とか、

学校に通えるようになりました。



娘に、もう一度絵を習わせたい。

それで単に、上手だねと褒めてもらうのではなく、

人から認めてもらえるようになれば、

少しは変わってくるかもしれない。


娘が認められたいと思う一番身近な人は、

たぶん、お父さんである私。


 

 

 

ランキングに参加しています。

応援して頂けると大変励みになります。
宜しくお願い致します。

にほんブログ村 子育てブログ 自閉症児育児へ 
読者登録してねアメンバー募集中