縄文家族|天竜楽市 -4ページ目

縄文家族|天竜楽市

天竜川流域に岩宿、縄文の昔から連綿と続く山暮らし。

大祖先から受け継いだ五万年持続する森と共生するサスティナブルライフを未来の子供たちへ伝えましょう‼️



大正15(1926)年に出版された「契丹古伝」

著者の浜名寛祐氏が日露戦争中に満州で入手した古文書を元に北東アジアに展開した民族(東夷族)について検証していった書籍で、一般的には偽書とされてきたものです。

(˶˙º̬˙˶)*॰

然し、当時は存在すら知られていなかった遼河文明について次第に明らかになり、

遼河文明とアルタイ語族の関係、

東日本の縄文人と遼河文明圏の交流、

など、

環日本海地域に黄河文明に先行し、強い影響を与えていた「東夷社会」に関心が高まってきました。





( ・ิϖ・ิ)っ

「中華文明は東夷族が作った」

「漢字を最初に使った殷は東夷族の国家である」

中国の研究者で、そうした見解を本気で疑う人は最早いないでしょう。

(´-ω-`)

日本列島から大陸へ進出した縄文人が中華文明を築いたのです。

( ・ิϖ・ิ)っ

この事実が最早否定出来ないと悟った中国研究者は、

縄文時代草創期の土器に先行する22000年前の土器を喧伝し、

Y-O1b2が16500年前に長江琉球から日本列島に渡って縄文人になった‼

という中国人が縄文人の祖先‼説を持ち出してきました(笑)(≧▽≦)

( ・ิϖ・ิ)っ

本州には38000年前から現世人類が住んでいて、

長江流域は25000年前から‼

当時の海岸線を見れば本州から東シナ平原、長江流域へと渡って行くのは造作もないこと。


( ・ิϖ・ิ)っ

さて、どっちが先でしょう❓

(˶˙º̬˙˶)*॰

42000年前の田園洞人に遡れば北京が先とも言えますが…

(´-ω-`)

縄文人が海洋交易民であり、しばしば中国大陸へ出掛けていたという最新の考古学的知見に基づいて

契丹古伝を読むと、

これは到底、100年前の考古学的知見で捏造出来るシロモノではないことが明らかです。

(˶˙º̬˙˶)*॰
とりあえず触りの部分…

曰若稽諸。
傳有之曰。
神者耀體。
無以能名焉。
維鑑能象。
故稱鑑曰日神體。
讀如戞珂旻。

曰若【ここ】に諸【これ】を稽【かんが】ふるに。
伝にこれ有りて曰く。
神なる者の体は耀【かかや】き。
以て能【よ】く名づくる無し。
維【これ】鑑能く象【かたど】る。
故に鑑を称して日神体と曰ふ。
読んで戞珂旻【かかみ】の如し。

恭惟。
日祖名阿乃沄翅報云戞靈明。
澡乎辰云珥素佐煩奈。
淸悠氣所凝。
日孫内生。

恭【うやうや】しく惟【おもん】みるに。
日祖、名は阿乃沄翅報云戞霊明【あのうしふうかるめ】。
清悠の気の凝【こご】る所、辰云珥素佐煩奈【しうにすさほな】に澡【きよ】す。
日孫、内に生る。

日孫名阿珉美辰沄繾翅報順瑳檀彌固。
日祖乳之。
命高天使鷄。
載而降臻。
是爲神祖。
蓋日孫讀如戞勃。
高天使鷄讀如胡馬可兮。
辰沄繾翅報。
其義猶言東大國皇也。

日孫の名は
阿珉美【あめみ】
辰沄繾翅報【しうくしふ】
順瑳檀彌固【すさなみこ】。
日祖、之に乳し。
高天使鶏に命じ、
載せて而して降り臻【いた】らしむ。
是を神祖と為す。

蓋【けだ】し日孫読んで戞勃【かも】の如く。
高天使鶏読んで胡馬可兮【こまかけ】の如し。
辰沄繾翅報は其の義、猶【なお】東大国皇と言ふがごとき也。

( ・ิϖ・ิ)っ

日祖
アノウシフウカルメが、

清らかな場所で禊をして、

三人の日孫が生まれます。

そのうちの一人がスサナミコ

スサノオと解釈するのが一般的で、

ここから契丹王家の祖先(神祖)に繋がっていくと書かれ、

神祖の子(神子)が炎帝と記しています。

(´-ω-`)

スサの王=スサノオ=牛頭天王=炎帝神農氏

その他、よくよく読んでいくと、非常に興味深いことが書かれています。

渤海、契丹…東夷族

そこに日本神話の謎を解く鍵があるのは間違いありません。

神の中の神、アラハバキノ大神威様は天之甕主神(天之御中主神アメノミカヌシノカミ)と同一神であるとされる一方、「まつろわぬ神」として天津甕星(アマツミカボシ=天香香背男アメノカガセオ、金星神)と同一神とされ、瀬織津姫(水神、祓神、瀧神、川神、熊野権現)、市杵嶋姫、天鈿女神とも関連があり、その信仰は観音信仰、弁天信仰へ受継がれていったと云われます。

 イシュタル、ヴィーナス、アプロディーテー、アスタルト、イシス(orアナト)などの女神との関連も唱えられていますが、金星の神格を持つ神は豊穣、愛を司ると共に戦の神、荒神、祟り神などの一面を持ち、あまりに強い信仰の対象であったために、後世になると敵視されるケースも目立っています。
 アラハバキノ大神威様はアイヌ、蝦夷、出雲族など日本古来からの最高神であると共に、天孫族からは「まつろわぬ神」として表向きの信仰は消されつつ、征服された民を慰撫するために形を変えて祭祀が許された神であったと考えられています。



「我らの理想郷であるこの平地を占領している敵、我らのきずいた豊かな村や町を奪っている畜生めらを何年かかっても襲え、神々は我らをお守りくださっているぞ」

浜松市浜北区堀谷大日本荒鎺本社から天竜川を遡った浜松市天竜区水窪町水窪遺跡から出土した水窪石には、古代フェニキア文字、アラム文字または豊国系文字と推定される古代文字が刻まれています。

水窪町(みさくぼ)、隣の佐久間町(さくま)、同じ天竜区にある佐久(さく)、浜北区堀谷の南、宮口(みやぐち)は何れも縄文神ミシャグチに由来する地名。

(˶˙º̬˙˶)*॰

ミシャグチ、ミカヌシ、ミカボシは同一神であり、

ミシャグチ=諏訪神

天竜川(天の中川)の主
=アメノ「ミナカ」ヌシ
=タケ「ミナカ」タ

( ・ิϖ・ิ)っ

アメノミナカヌシは日本の最高神で、スサノオと共に天孫族の祖先であるのは間違いがないのですが、

アメノミナカヌシを祀る縄文の民の一部、

スサノオを祀る出雲系の民の一部が、

炎帝(彦火火出見=炎尊)の直径を標榜する邪馬壹(ヤマト)朝と

対立したために、

ミナカ神は、最高神と敗者という二面性を持つようになりました。


大日本荒鎺本社の南東にある浜北区根堅遺跡からは、本州最古、旧石器時代人骨「浜北人」が発見されていますが、

遺跡付近は縄文海進時に海であったとの伝承があり(二俣町鹿島より南は磐田之海、鹿島付近は袖ケ浦と呼ばれた)、

海底にある死者の逝く国、根之堅洲国の洞窟から本州最古の人骨が発見されたのは、大祖先からの強烈なメッセージと考えてよいでしょう。

(´-ω-`)

イザナミは死者を司る根国、黄泉の女王。


根堅の西が宮口で、

宮口から

高根神社(多賀様)のある尾野を経て、

森の中の堀谷大日本荒鎺本社に至ります。

そして、そのまま進むと


アラハバキノ大神威様の配偶神である

二俣神クナトノ大神威様、

八衢姫(ヤチマタヒメ)を祀る

地上最強のパワースポット

杉神社を経て、

柳田國男『石神問答』の最終解答である

浜松市天竜区石神

に至ります。


石神社偶地神社

主祭神はもちろん

ミシャグチ‼

(˶˙º̬˙˶)*॰

アラハバキ→クナト→ミシャグチと、

縄文神オールスターが揃います。

( ・ิϖ・ิ)っ

石神社偶地神社の裏山は、

鍾乳洞や奇岩連なる、まさに磐座の御神体山です。

そこは黄泉です。

根堅遺跡(根之堅洲国)と黄泉は当然ながら地底で繋がっていますが、

その地上に

百々原(どどわら)という地名があります。

百々原=ももわら=桃源(郷)
=トウゲン=藤原

百々原の麓で天の中川(天竜川)に阿多古川が合流し、石神地区を含む地域は古くから阿多古という地名で呼ばれており、

阿多古=愛宕、カグツチです。

秋葉山本宮秋葉神社では、地元の火の神としてカグツチを主祭神としています。

カグツチが生まれ、ホトを焼かれたイザナミは黄泉の女神となります。

イザナギはイザナミに逢いに冥界に往きますが、

黄泉から還る(ヨミガエル)と、大きな川で禊をします。

右の目から月読が生まれ、
鼻からスサノオ(洲砂の王、須賀神)が生まれ、
左の目から天照(日神)が生まれましたが、

天竜川左岸に

伊砂(いすか、古名は伊須賀)
日明(ひあり、太陽の光を意味する)

並ぶ三つの村の地名として残りました。

(˶˙º̬˙˶)*॰

月の対岸が

気多郷相津村
二俣郷山中村

月と相津の間の船明ダム湖は、

高校漕艇の聖地

相津マリーナ

(˶˙º̬˙˶)*॰

邪馬壹(ヤマト)国の官であった

イクメ(のちに大王、垂仁天皇)

の子が

ホムツワケ

イクメは言葉を失ったホムツワケ皇子のために、

尾張(遠淡海國が設置されたのは景行天皇期であるので、当時の相津、二俣は尾張國に属していた)の相津の二俣杉で二俣舟を作った。

ホムツワケの子が

若野毛二俣王

その子孫が継体天皇。





本日は縄文講座にお集まり頂きありがとうございます。

講座の後はいつものように
海鮮縄文鍋と
山葡萄酒を飲みながら歓談していますฅ( ̳• ·̫ • ̳ฅ)


そして、

縄文時代を遡る

岩宿時代(後期旧石器時代)初頭の野尻湖遺跡でも食べられていたというオニグルミの試食会。

(˶˙º̬˙˶)*॰



水に浸けること約三時間。



中火で殻に亀裂が出来るまで炒って、



殻をドライバーでこじ開けて



殻にしっかりくい込んだ果肉をほじくり出して食べますΨ( 'ч' ☆)

油分が多くてなかなかクリーミィ(•ө•)♡



( ・ิϖ・ิ)っ

縄文時代のタイムスケールがわかりやすいように、年表をアップデートしました。

(˶˙º̬˙˶)*॰

と、思ってよく見たら間違ってるじゃん。

さぁどこでしょう(笑)(*´∀`*)❓

( ・ิϖ・ิ)っ

ところで、

局部磨製石斧が主に岩宿時代前半期、
ナイフ形石器が主に岩宿時代後半期を代表する石器かと認識していますが、

後期旧石器時代は縄文時代以上に研究者によって見解の相違があるようです。

実際、局部磨製石斧とナイフ形石器が共に出土した遺跡もあります。

そもそも後期旧石器時代にこれだ‼という一般的な説はない(教科書に載っていない=大半の日本人が知らない)のですが…

(´-ω-`)

やはり、石器時代から順を追って説明した方が皆さん日本の歴史が理解しやすいのかなと思います。

そこで、理解しやすいように独自の年代(竹佐中原時代、浜北時代など)も設定しました。

資料や地図は参加された皆様のご意見を参考にしながら順次アップデートしていきます。

みんなで作る「五万年の日本史」
という感じで(˶˙º̬˙˶)*॰

日本通史の大部分を占める後期旧石器時代は、

世界と大いに交流していた時代‼




グローバル化が進む現代、
環境問題に揺れる現代、

必ず石器時代に学ぶところがあります‼

(ㆁᴗㆁ✿)
歴史を学ぶ、

のではなく、

歴史から学んだことを未来に活かす

のが、私達の目的です。

(˶˙º̬˙˶)*॰

次回のつくば縄文講座は12月11日開催です。

( ・ิϖ・ิ)っ

当日、ご都合つかない方、

海鮮や辰海にいらして頂けましたら、いつでもお話し致しますよ(o^∀^o)



アムール川下流域(河口部までは含まないとされる)に北東アジア(大陸側)最古の土器を出現させる

オシポフカ文化

があります。

(´-ω-`)

かつてはオシポフカから土器文化が南下して日本列島の縄文文化となったと考えられていましたが…

( ・ิϖ・ิ)っ

このような

何でもかんでも大陸起源説

は、現代では通用しません(´-ω-`)

(˶˙º̬˙˶)*॰

然し、
世界最古級の土器、
世界最古の農耕

の可能性が指摘される長江流域で、

文化

と呼べるまとまった遺跡の出現は、

9000年前に始まる彭頭山文化を待たなければなりません。

(˶˙º̬˙˶)*॰

後期旧石器文化(現代人による活動)の開始は

日本列島38000年前

中国華北
29000年前

中国華南
25000年前

(˶˙º̬˙˶)*॰

中国で土器が普及するのは
日本列島の縄文早期中葉以降(9000BP~)ですから、

日本列島で土器が普及する
縄文時代草創期(15000BP~)

大量の土器が生産される
縄文時代早期
(11700BP~)

と比較して明らかに

遅い‼

のです。

(´-ω-`)

黄河中・下流域の文化に関しては、

中国の研究者ですら内心は

( •́ㅿ•̀。 )日本列島から来た縄文人が始めたんじゃないか?

と、考える時代です。



(˶˙º̬˙˶)*॰

いわゆる、
環日本海地域に15000年前に成立したと想定される

東夷社会
狩猟採集交易ネットワーク文化圏

に対して、

中国華北華南文化の黎明は明らかに遅れていました。

(´-ω-`)

東夷社会は、

のちの中華文化圏、単純農耕社会に対し、

少なくとも6000年のアドバンテージを持っていました。

(´-ω-`)

この考古学的事実を理解していないと、

縄文どころか

弥生も、
邪馬壹国も、
三韓征伐も、
倭の五王も、
遣隋使も、
壬申革命も、

とんでもない事実誤認の解釈しか出来ません。

(´-ω-`)

もともと6000年のアドバンテージがあったわけですから、

卑弥呼の時代になっても、

日本列島の技術が中国華北に対して大きく遅れていたわけではないのです。

( ・ิϖ・ิ)っ

少なくとも、卑弥呼の時代から元寇まで

日本列島の
海洋航海技術は

中国を上回っていました。

建築や工業生産技術も大差はありません。

(´-ω-`)

日本人は新しもの好き、舶来品が大好きですから、

中国から来た日本にない技術は喜んで取り入れましたが、

もともと日本列島に優れた生産技術があったからこそ、

難なく舶来技術を取り入れることが出来たのです。

( ・ิϖ・ิ)っ

オシポフカ文化は、大陸において、中華文明に先行する新石器文化です。

(´-ω-`)

そして。

土器の出現は、日本の本州が1000年ほどオシポフカ文化に先行しています。

(。ì _ í。)

オシポフカ文化のグロマトゥーハでは、

新潟県壬遺跡の円孔文土器に酷似した土器が出土しています。

(´-ω-`)

日本の縄文文化が大陸側に影響を及ぼしていたことがわかります。

( ・ิϖ・ิ)っ

と、言うよりも…

オシポフカ文化とは、

縄文文化圏内の大陸文化なのです。



( ・ิϖ・ิ)っ

のちの遼河文明の時代になっても、遼河と日本列島縄文人の交流は継続しています。

北九州と山東龍山文化の交流も然りです。

(´-ω-`)

縄文文化を日本列島内だけで考えようとすると、

のちの時代も含め、

日本史も東洋史も理解できません。

東夷社会→トゥラーン民族が世界史に与えた大きな影響を考えれば、

世界の歴史も

現代の地政学も

全く理解出来ません。

(´-ω-`)

この事実を知らなければ、
グローバル化が進む現代において、
致命的なのです。

(˶˙º̬˙˶)*॰

東夷社会は
中国に対して、
6000年‼
西ユーラシアに対しては
7000年以上の
アドバンテージがある‼

この事実を理解して下さい。

(´-ω-`)

オシポフカ文化は、大陸の縄文文化である。

オシポフカ文化に始まり遼河文明、殷王朝に至る歴史の流れが世界にとって非常に重要なのです‼

(˶˙º̬˙˶)*॰

オシポフカ文化
=大陸の縄文文化

(•ө•)♡
頭に入れて下さいね💕



縄文講座、皆様のご参加お待ちしていますฅ( ̳• ·̫ • ̳ฅ)♡