STAND UP TAKE ACTIONオフィシャルブログ -29ページ目

石巻から発信しよう「人と人とのつながり」

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石巻商店街「かめ七」呉服店さんで開催した、石巻国際まつりの基調講演は、鎌田實さんでした。お忙しいところ、石巻まで駆けつけてくださり、イラクやチェルノブイリでされている数多くの活動について、少しずつ語ってくださりました。


「本当の意味での『あたたかい日本』を作ろう」と石巻国際まつりに集まったみなさんへ、メッセージを送ってくださった鎌田さん。「大切なのは、人と人とのつながり『きずな』なんです」そのあと、フロイトの言葉を引用して「人間には、働く場所と愛する人が必要だ」と。


鎌田さんのメッセージを聞こうと集まった石巻のみなさんは、大きくうなづき、そのあとのママ・ローズさんやバサンタカラさん、イブラヒームさんの話も親身に聞いておられました。


まつりはそのあと、地元伝統の獅子ふりへと移り、太鼓と笛の音に合わせて獅子が舞いました。参加者のそれぞれの頭をガブっ。これには、バサンタカラさんとママ・ローズはびっくり。でもこれ、無病息災を祝うのだそう。


笛と太鼓演奏には、若い人たちもたくさん参加。「石巻も復興に向かって、こんな若いのもがんばっていると日本中のみなさんに伝えたい」と団員の代表は言っていました。


司会も、民謡も、獅子ふりも、会場も、みんな石巻のみなさんによる、石巻のみなさんのためまつりでした。楽しんでいただけたと思いますが、復興に向けていろいろお忙しいところ、お邪魔して大変だったことと思います。最後には、ママ・ローズさんの掛け声で、「Stand Up! Stand Up Now! Not Tomorrow」とみんなで立ち上がって記念撮影。


大きな拍手がおこりました。

「スタンドアップ なう」と言いながら、こぶしを振り上げて夜道を歩く数人の石巻市民のみなさんを発見。みんなの心に残るイベントになったのなら、とても満足。


お互いに、「つながること」から復興や貧困からの脱出のために協力しあっていけたらいいですね。

「あなたは ひとりじゃない」と気づくこと、誰かに言ってもらえることって、とても大切だと思います。


鎌田さんをはじめ、海外からの3人は、それぞれ違う言葉ではあるけど、同じメッセージを伝えてくれたとおもいました。


まつりを逃した方へ、

ぜひ、UST中継のアーカイブをご覧ください。

www.ustream.tv/channel/standupishinomaki


今日は石巻から6時間近い運転で帰京。目が開けていられない~。

スタンドアップ@石巻

昨日、石巻国際まつりを終えた途端に、起きていられなくなり、記録を書かずに寝てしまったので・・・。今は、昨日の打ち上げパーティーの残り物(揚げ物とか焼き鳥とか枝豆)を朝食にしたので、やっと体力・気力復活。


石巻国際まつりは大成功でした!!・・・とどこのイベントでも言いますが、口だけじゃなく、ほんとに成功だった。


国際色豊かだったのは、まず衣装。

スリランカからのヴァサンタカラさんは、朝、ちょっと着るのに時間がかかるサリー。一度「スタンドアップ」のTシャツを着て出てしまったママ・ローズには、宿舎に戻ってきてもらって、ズールー族の刺繍いっぱいドレスに着替えて~と頼み。石巻市内の会場「かめ七」呉服店さんに行ったら、司会の元バスガイド・兼子さんは、しっかりピンクの着物でいらしていました。帯もお太鼓でなく、ちょっと凝った結び方。

三人が集まったら、突然のフォトセッション。まるで記者会見のようにフラッシュがパシパシァっと。心に残る記念撮影でした。


ヴァサンタカラさんは、帯に魅入ってました。後ろ、前、横からとすべての角度から写真撮影。国に帰ってからみんなに見せるのかしら・・・それとも作ってみるのかしら・・・


国際まつりは、スタッフの努力とかめ七さんのご厚意で、とても雰囲気のいい会場でできました。


イベントオープンはまず、地元民謡歌手の小野くみこさん。宮城の方言ばりばりで、半分くらいしか理解できなかった・・・それでも、ラジオで勉強したという英語力で民謡を英語で歌ってくれました。通訳で行ったんだけど、これも半分くらいしかわからなかった。英語が宮城なまりというのは初めて聞いたような。とても神秘的な音でした。


しかし、小野さんの人気はすごい。会場内は年配の、特に女性でいっぱい。小野さんの「岸壁の母」などは涙を流している方もいました。


・・・全部書き終えようと思ったのに、これから涌谷町研修所を出て、設営スタッフと合流。東京へ戻らなければいけないので、また続きはあとで~。

三反走仮設住宅での「エイエイオー!明日があるさ」イベント

今日はスタンドアップのチームで、三反走(さんだんばしり)仮設住宅にでお邪魔しました。仮設住宅のみなさん30名くらい集まったところで、まずは近所にお住いの尺八の先生による尺八の演奏。地元宮城県の民謡のうち、まずは、稲刈りの季節にちなんで「米節」。やっぱりみなさん歌をご存じで、音楽がはじまると同時に合唱。そして嫁入りの歌「長持ち」(だったと思った・・・)、そして「秋の山形」。どの歌も、手拍子と合唱で盛り上がりました。




一曲目から、仮設の歌自慢の方がのどを鳴らし、拍手喝采。津軽じょんから節が得意だというので、エア三味線とともに歌い続ける方もいました。




やっぱり高齢の方が多いこの仮設では、民謡なんだなと。最高齢は100歳のお母さんでした。津波のときは、偶然家にいなかったので、被害にはあわなかったけれど、帰ってきて自宅が流されたことに驚いたと話していました。仮設は不便なところにあり、どこへ行くにも誰かに頼まなければいけないと嘆いておられました。以前だったら、近所の人たちとよく歩いていたそうです。




そのあと、イラクから来日したイブラヒームさんが、バスラの子ども病院での活動紹介。アラビア語と算数などを教えているということ。イブラヒームさんは、2007年に日本に初来日したとき、友人からならった「明日があるさ」を日本語で歌えるんです。病院の子どもたちにも教えたので、子どもたちもよく歌いますと話してくれました。




南アフリカからスタンドアップのために来日した、ローズ・タマエさんは、60年間の人生で3度もレイプの被害にあったことから話し、オレンジ・ファームで同じようにレイプの被害にあった女性たちや、孤児、HIV陽性者の支援をしている活動も紹介してくれました。




「私の経験話は、きっと胸のつまるような話だと思います。でも、私はみんなに同情から泣いてほしいのではなく、その辛い経験を乗り越えて立ち上がった私を見てほしい」ローズさんがそういうと、参加してくれた30人ほどのうち大半を占めていた女性たちが、大きくうなづいていました。




「厳しい生活の原因は違うかもしれないけれど、私たちが忘れてならないのは、また明日がくる。それでも生きていかざるをえないんです。」




ローズさんは、三回目にレイプされたときにHIVに感染したことを知り、自分の命を絶つつもりで実家を出て、オレンジファームに行ったそうです。そこで、自分と同じようなレイプ被害者やHIV陽性者に会い、「自分はひとりじゃないんだ」と思ったことから、団体を立ち上げ、生きる意義を見出したと話していました。




原因は違うにせよ、津波の被害にあった住民のみなさんと、自分は住む場所を変えなければいけない状況を強いられた。そこで生活せざるを得ない状況に立たされたことは同じです、と話していました。




「私はレイプ被害にあい、HIVに感染したけれども、生き延びています。みなさんも津波を生き延びました。私たちはサバイバーです。辛い経験をしても、そこでふんばって、なんとか生きていきましょう」と言うローズさんは、津波のサバイバーたちに「みなさんは勇敢な人たちだと言いたい」と伝えました。




スリランカから来日したヴァサンタカラさんは、25歳のときにあったスマトラ沖地震・津波の経験を共有してくれました。ヴァサンタカラさんはスリランカ北部出身のタミル族で、タミルの女性たちの多くが津波で亡くなったことの理由として、普段女性たちが一人で歩くことが許されないため、逃げ道がわからなかったこと。タミルの女性たちは髪が長く、長いドレスを着ていることも津波を逃げ切れなかった理由だと言っていました。




そのあとみんなでスタンドアップ。高齢の方で足やひざが悪い方が多かったので、立ったまま。そして聞き慣れない「スタンドアップ」よりも「エイエイオー!」の掛け声で、意思表示しました。




終わってからもみなさん、ローズさんやイブラヒームさん、ヴァサンタカラさんと言葉を交わし「国際交流」を楽しんでおられました。最初は、通訳を通した聞き慣れない3か国語に戸惑ったようなかんじでしたが、「いい話を聞きました」「胸がいっぱいになった」「私は一人で生活しているんです」など、それぞれの思いを話しておられました。




ちょうど夕飯の時間だったのですが、仮設にお住まいのカミヤマさんがお宅に招待してくれたので、ローズさんとお邪魔。家族11人全員生き延びたけれど、今、住まいはバラバラ。




いなかの家で、11人世帯だったので、「大きい家だった」そうです。4畳半二間の仮設は狭くて「最初は息が詰まった」とお母さん。80歳になる夫は、家が流されたことがショックで病院に入院してしまい、今は会いに行ってもあまりわからなくなってしまったと寂しそうでした。




それなのに、大きな声で話し、よく笑うカミヤマさんに「どうしてそんなに明るくなれたんですか」と聞いたところ、実は、津波直後はショックでふせってしまい、ずっとうつ状態だったそうです。




「これまでの人生で何があっても耐えてきたけど、今回だけはダメだった」と目に涙を浮かべていたカミヤマさんが、困難をふっきり立ち上がれたのは「大家族を支えなきぃけないのに、自分がこんなことじゃいけない」と思ったから。家族が大勢いること、自分が世話しなければいけない家族がいることなどを考え、また立ち上がらなければと思いきれたそうです。




カミヤマさんの辛さや思いが伝わってきて、肩を抱き合って台所で一緒に泣きました。




今朝採れたばかりだという「アオ」という魚を夕飯用にさばいたばかりだったカミヤマさんは、親切にも「うちは刺身は食べないから」と私たちにごちそうしてくれました。新鮮なアオはおいしかった~!4人で一皿たいらげてしまいました~。ごちそうさまでした。本当は、さばいたばかりの塩漬けした臓をおみやげに持たせてくれようとしたのですが、料理ができないので残念でした。




日本を離陸する前に一度は刺身が食べたいと言っていたローズさん。はじめての生魚に挑戦!「おいしい」と言いつつ顔はしかめていたけど、二切れも食べました。




意外に大丈夫なんだ、と思っていたら、あとで「ノドを通すのに精いっぱいだった」と。・・・せっかくごちそうしてもらったので、無理して食べたのかもしれない・・・あとでお腹がくだらないといいけど。




でも、カミヤマさんはこれをとても喜んで、「また遊びにきて」とローズさんと抱き合ってさようならを言っていました。




明日はいよいよ「石巻国際まつり」です!!鎌田實さんを交えてトークセッションに加え、獅子ふりや民謡のステージあり。たくさん集まってくれることを願います。その前にまず準備準備。