1968年4月デビュー。1ヶ月間に3試合に出場し全て初回KO勝ち。47、56、43。これは豊島政直(SB川口)選手が記録したKOタイムである。デビューひと月にして、脅威のスラッガー現ると大騒ぎされたのは無理もない。
”KOプリンス”豊島政直選手。
郷里の秋田から佐々木隆雄氏(現トクホン真闘ジム会長)を頼って上京して来た豊島選手の勢いは止まらず、55秒、16秒と秒殺KO勝利が続く。6戦目は1分11秒でKO。6連続”1分以内KO”はならなかったが、6連続初回KOの記録は世間を驚愕させた。
「最初の30秒作戦がたまたまうまくいっただけです」
豊島選手は連続初回KOのコツをこう語っている。
「こう体を振ってさァ、左フック振るんだよ。ゆっくりやっておいて、いきなり今度は速くするんだよね」。大竹マネジャーが身振り手振りを交えて説明する。
「山本さんは何か作戦があったんですか?」
1979年4月デビュー。緒戦こそ落としたが2戦目からKOの山を築き、豊島選手に並ぶ6連続初回KOの記録を持つ元全日本ライト級新人王山本兼当(かねあつ・楠三好)選手。そんな山本氏にズバリ質問を浴びせてみた。
「そんなの何にもないよォ~」(^-^)/
「相手が”本気”で向かって来るから、やらなきゃしょうがないじゃない。そうすると倒れちゃうんだよねェ」(^-^)/
「それは死んだふりってやつですか」(;^_^A
「そうじゃないけど、本気で打ってこられたらたまんないじゃない」(^-^)/
「みんな本気で来ますよ山本さん・・・」(;^_^A
当日計量の後は青山のステーキハウスで、「いつも1ポンドのステーキ食わせてもらったねェ」。(^-^)/
東日本新人王はMVP。「全日本も1ラウンドでKOすれば最優秀もらえるよって言われてたんだけどね」。
山本選手は大阪で行われた全日本決勝戦も初回KO勝利するがMVPは逃した。最優秀選手賞は後のWBC世界フライ級王者小林光二(角海老)選手を初回で倒した、渡辺二郎(大阪帝拳)選手が獲得している。
それにしてもこの年(昭和55年2月全日本決勝)の新人王は粒ぞろいでしたね。
デビューから13ヵ月後、大きな注目の中で豊島選手は初の6回戦に挑んだ。期待される連続初回KO。しかし、この試合では倒すどころか、初の黒星を喫してしまう。自信と気の緩み。期待が大きかっただけに失望も大きい。
川口ジムの益戸会長は豊島選手をハワイへ送り出した。「気分転換させてやろうと思って」。
日本では6回戦のリングしか上がっていない男が、ハワイ遠征で12勝(10KO)1敗1分。1973年4月26日帰国第1戦時には、日本フェザー級2位にランクされていた。後楽園ホールの観衆は2,800人。ハワイから応援団が付いてきたというから凄い。
陶山猛美(本多)選手相手の10回戦は、2回に右手を痛め倒すことは出来なかったが、リングサイドは好評価。
だが、期待された日本王座挑戦には失敗。失意のKOプリンスは、再び第2の故郷ハワイへ戻っていく。
パンチの強さをまざまざと見せ付けたのは、WBC世界フェザー級王座を獲得する前のダニー・ロペス(米)との一戦。痛烈なダウンを喫したロペスは”ロングカウント”に救われ、豊島選手は第3ラウンド残り1秒を残してKO負け。実に惜しい一戦でした。
山本選手は日韓新人王対抗戦で新記録達成を期待されたが、逆に初回KO負けという挫折を味わう。その後もパンチを活かし、ランキングは日本ライト級3位まで上がったが、「やっぱり舐めちゃってね」。ズルズルと黒星が続くようになった82年12月の試合を最後にリングを去る。
「息子も生まれたからね。もう仕事しようと思ってさ」
「山ちゃん、本当に走ってたの?」('-^*)/
「走ってましたよォ」(;^_^A
「本当?今井さん(房男・元日本Sフェザー級王者)ならわかるけどさァ」(^-^)/
「今井さんは凄かったですよ。練習終わってから1時間くらい走りに行っちゃうんですからね」
「ダメだよ~山ちゃん、それくらいやらなくちゃァ」(^-^)/
「今度、今井さんの店でも行きますか」(^_^)v
「オッ、いいねェ。今井さん、真面目だったもんなァ。山ちゃんと違って」(^-^)/
今、山本氏の子息は協栄ジム練習生。プロボクサー目指して頑張ってます。パンチはありますね。(^O^)/
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