”無冠の帝王”ジョー・ メデル 日本人に愛された男 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

元世界バンタム級1位ジョー・メデル(メキシコ)。これほど日本人に愛され、また、日本を愛したメキシコ人ボクサーは、他にいないといっても過言なかろう。1938年3月生まれ。55年3月19日、17歳の誕生日のデビュー戦は3回KO負け。しかし、実戦のキャリアを積むにつれ、メデルの才能は活かされていった。


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毎月、いや一月に2試合はザラという新人時代を通りこし、メデルはトップグループに進出。そこに立ちはだかったのは、2歳年長のジョー・ベセラ(メキシコ)。3度戦い、メデルは一度も勝てなかった。59年7月、ベセラは世界バンタム級チャンピオンとなる。

来日したベセラは米倉健司(興伸)選手相手に初防衛戦。判定は論議を呼んだがベセラに上がり、初防衛に成功。しかしその3ヵ月後、世界王者はノンタイトル戦でエロイ・サンチェス(メキシコ)によもやの8回KO負け。ベセラはベルトを返上し引退。

黄金のバンタム級王座 最初の挑戦者米倉健志

60年11月、空位の王座はサンチェスとエデル・ジョフレ(ブラジル)の間で争われ、ジョフレが6回KO勝ちで新王座に就く。時にジョフレ24歳。38戦無敗(3分)。

時代の流れは複雑だ。60年8月18日、世界王座挑戦者決定戦(ロサンゼルス)でメデルはジョフレに10回KOに退けられていたが、それより前の7月23日、サンチェスに勝ちメキシコ王座を獲得していた。ベセラがサンチェスに敗れるのは8月30日のこと。

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ジョフレ初戦の後、22歳のメデルは念願の世界挑戦へ向け白星を並べる。そして61年初来日。8月31日、世界フライ級王座挑戦に破れバンタム級に上がってきた 関 光徳(新和)選手と対戦。

ロープを背に防戦に忙しいメデル。観衆はいつ関選手のフィニッシュブローが炸裂するのかと固唾を呑んで見守る。体を入れ替え、メデルがリング中央へ出た時、キャンバスに沈んでいたのは関選手だった。鮮やかなカウンターブローで5回KO勝ち。

来日初戦で強烈な印象を残したメデルは続く第2戦でも、東洋Sバンタム級王者坂本春夫(極東)選手を破り帰国。62年3月再来日したメデルは、世界フライ級1位矢尾板貞夫(中村)選手との世界1位対決に挑む。

矢尾板選手もジョフレとのノンタイトル戦に敗れてから連勝を続け絶好調。世界王座獲得は絶対視されていた日本のトップ選手だったが、メデルの牙城は崩せなかった。24歳のメデルに、いよいよ世界初挑戦の時が来る。


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62年9月11日ブラジル・サンパウロ。王者ジョフレの地元に乗り込んだメデルは、キャリアの全盛にあった。だが、”黄金のバンタム”も強敵を迎え万全の体勢。ピンポイントを打ち合う打撃戦は、6回KOでジョフレが勝つ。メデルはアゴの骨を砕かれていた。

ジョフレは強かった傷心の帰国をしたメデルは、再び国内強豪との戦いに明け暮れる。そんな中、日本からのオファーが舞い込む。世界フライ級王座を失い、バンタム級へ転向し2階級制覇を狙うファイティング原田(笹崎)選手から声がかかったのだ。

世界3位メデルvs4位原田。原田選手はメデルを喰ってこそ、世界王座挑戦へと駒を進められる。いかに人気選手といえども世論の後押しがなければ、世界挑戦など出来なかった時代である。




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63年9月、20歳の原田選手は得意のラッシュ戦法でメデルをロープ際に押し込む。第5ラウンドが終了した時点で、3差が二人に2差が一人。圧倒的原田ペースである。しかし第6ラウンド、原田選手は前に出ながら3度キャンバスへ崩れる。

”ロープ際の魔術師”メデルの右カウンターの怖さは、2年前の関選手との一戦同様、恐ろしいほどの切れ味を見せた。

メデル戦での敗北で、「バンタム級の怖さを知りました」という原田選手は、これをよい勉強とし再出発、65年5月、いよいよジョフレに挑む機会が与えられた。この要因の一つに、「無敵ジョフレが敗れるとすれば、原田のようなタイプしかいない」という、ロスの大親分パーナサス・プロモーターの好奇心があった。

50戦無敗"ジョフレ"だって人間vsF・原田

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家族同伴、余裕の来日は、”黄金のバンタム”の威厳を十分に保つものだった。だが試合は威厳だけでは勝てない。”根性の男”原田選手は執拗なラッシュ攻撃で、ジョフレのボクシングを破壊。ついに世界バンタム級王座を奪取。

世界中が驚いたジョフレ敗れるの報。これはメデルに取っても同じだったろう。自分がKOした男が世界王者になった。2度の防衛を果たした原田選手は、世界1位メデルを挑戦者に選ぶ。

67年1月。間もなく30歳を迎える挑戦者と、24歳のチャンピオン。原田選手は「大きく成長していた」(メデル)と、二人の力は逆転していた。原田選手の狂った風車を止めるほどのカウンターブローが、ようやく決まったのは最終回も残り1分も切ったところ。

大きく身体を泳がせながら若き王者は耐え切った。留めの一発をさせなかったメデルに、そのリングキャリアがオーバーラップされた。ジョフレ、原田。その全盛時代に自らのキャリアもピークにあった。世界王座が一つしかない時代である。

最後のチャンスを逃したメデルのリングレコードは、ここから下降線を辿る。大木重良、金沢和良選手らに胸を貸した後も静かなリング生活を続けていた。そんなメデルがラストファイトの地に選んだのは東京。

ミュンヘン五輪代表から鳴り物入りでプロ転向。”KO仕掛け人”として脚光を浴びる、ロイヤル小林(国際)選手との対戦は、74年6月9日後楽園ホール。9戦全勝8連続KOを続けるホープ相手に、36歳の老雄は大いなる意地を見せる。  = 続 く =

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