金平会長vs亀田父・WBA総会バトル! | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

WBA世界フライ級王者デンカオセーン・カオウィチット(タイ)と、前同級王者坂田健史(協栄)選手の3度目の対戦を、タイまで出向き円満にまとめた協栄ジム金平会長が内定と発表したのは10月20日の事だった。

【坂田健史vsデンカオセーン・正式合意!】

先日、タイではデンカオセーン擁するギャラクシージムニワット会長が、「大晦日、日本で坂田の挑戦を受ける」と、発言していた。タイトルマッチの正式書類は、WBAに提出されていると聞く。だが、・・・。

大毅、坂田両陣営がデンカオ再戦訴える(日刊スポーツ)
亀父、大毅の再戦求めWBA総会出席へ(デイリースポーツ)
「亀田父VS金平会長」世界王者挑戦権めぐり激突(スポーツニッポン大阪)

10月6日、デンカオセーン挑戦に失敗した亀田大毅選手のダイレクト再挑戦を望む亀田ジム陣営は、WBAに提訴。WBAがダイレクトリマッチを承認した場合、次の挑戦者は大毅選手になる。

「WBA総会中に何らかの形で決まるでしょう」とは、JBC安河内事務局長。11月16日からコロンビアで開催されるWBA総会は、金平会長&ニワット会長vs亀田ジム五十嵐会長&亀田社長の直接対決の様相。

金平会長は、「正式な書類がありますから、それを確認しにいくだけです」。

五十嵐会長は、「メンドサ会長と直接会った方が話がまとまりやすい」。

★アンケート・亀田大毅の再戦要求は妥当? によると、約85%が妥当でないとの回答を寄せているが、WBAは、どんな裁定を出すのだろうか。

暫定王座決定戦画策→興毅選手指名戦せず→大毅選手が挑戦→再戦要求。

最近では粟生隆寛(帝拳)選手が、WBC世界フェザー級王者オスカル・ラリオス(メキシコ)とダイレクトリマッチに挑み世界王座獲得した例がある。しかし、これは王者側も納得の再戦で、勝者は1位選手と戦う事を条件にWBCから承認された。

「この試合は、魂を揺さぶられました」

こう語ったのはボクシング・ビート誌の前田編集長。この試合とは、1966年8月7日メキシコで行われた世界フェザー級タイトルマッチ。王者ビセンテ・サルディバル(メキシコ)vs同級1位 関 光徳(新和)戦である。


サルディバルvs 関 Ⅰ。  ★携帯ストラップにも使える→【ミニグローブ】!

30勝(24KO)1反則負け。防衛3度。史上屈指の評価を高めつつあった、”メキシコの赤い鷹”。対する関選手は、東洋フェザー級王座9度防衛。世界1位にランクされているとはいえ、サルディバルが王座を奪ったシュガー・ラモス(キューバ)挑戦では、6回TKO負け。予想は全く悲観的であった。

サウスポー同士の対戦。ダイナミックな攻撃で挑戦者に迫る王者。しかし、関選手も負けていない。そして迎えた4回、”名刀正宗”と形容された関選手の左が王者を捕らえた。チャンピオンダウン。

タフで鳴る王者のダウンシーン。5万人の大観衆は悲鳴を上げ、固唾を見守る。なりふり構わぬクリンチで時間を稼ぐ王者は、なんとか4回終了のゴングを聞いた。

5回。行くべきか。コーナーの意見は割れた。しかし、新和拳若松会長の降した判断は、「行くな」。「試合はまだ長い」。

徐々に息を吹き返すチャンピオン。振り返れば5、6回は挑戦者絶好のチャンスであった。そして、すっかり回復した7回サルディバルはダウンを奪い返す。後半戦はペースダウンした挑戦者だったが、決定的ポイントは与えない。激しい打撃戦が15回終了ゴングまで続けられた。

判定は3-0で地元のチャンピオンに上がった。146-138、145-141、145-143。関選手の顔面も腫れたが、王者の左目も全くふさがった。今も語り継がれる稀に見る激闘は、見る者の魂を揺さぶった。


 関 光徳選手。  ★車のルームミラーに→【ミニグローブ】!  

具志堅用高(協栄)選手の指名挑戦者として、2度に渡り激戦を繰り広げたリゴベルト・マルカーノ(ベネズエラ)名をを記憶しているファンも多いと思う。このマルカーノが来日した時、大切そうに持参していたのは、ベネズエラの新聞が伝えたサルディバルvs関戦の新聞記事の切り抜き。

ベネズエラの一少年はこの試合に感化され、プロボクサーになったという。日本で、憧れのファイター 関 光徳選手に出会うことの出来た喜びは、察して余りある。

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関選手には再戦の機会が与えられた。サルディバルも望むところで、5ヵ月後王者はダイレクトでリマッチに挑んでいる。しかし、関選手は7回無念のTKO負けを喫するのである。

エディ・タウンゼント氏が丹精込めて育てた村田英次郎(金子)選手。

1980年6月。WBC世界バンタム級王者ルペ・ピントール(メキシコ)への世界初挑戦は引き分け。ジャッジのスコアは、144-144、142-147、146-144。だが、再戦命令は出ない。

翌81年4月。2度目の世界アタックは、WBAに標的を変え世界バンタム級王者ジェフ・チャンドラー(米)。だが、またしても勝利の女神は村田選手に微笑まず引き分け。146-146、147-146、142-145。スコアはまたしても三者三様。しかし、再戦命令は出なかった。

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WBA世界Lフライ級王者具志堅用高(協栄)選手は、1980年10月「絶対に負けない相手」という事で、ペドロ・フローレス(メキシコ)を挑戦者に選んだ。結果は大苦戦の僅差判定防衛。

フローレスとのダイレクトリマッチを選択し、V14戦に王者のプライドを賭けた具志堅選手だったが、フローレスのエネルギッシュな攻撃の前に兜を脱いでしまう。フローレスの初防衛戦はWBAの指令により1位 金 煥珍が指名された。そして、韓国リングでアッサリ王座を明け渡してしまうのである。

その金から王座を奪取した渡嘉敷勝男(協栄)選手は、宿敵ルペ・マデラ(メキシコ)と4度戦う事になる。初防衛戦は際どい判定防衛。5度目の防衛戦で再び顔を合わせ、今度は引き分ける。

判定に不満のマデラ陣営はWBAに提訴。WBAは再戦を指令する。3ヵ月後、三度目の対戦した両選手であるが、マデラのケガにより試合は4回途中で停止。一度は王者の防衛がアナウンスされたものの、4回までの採点により王座は挑戦者に移動する。


大混乱の渡嘉敷vsマデラⅢ。  ★車のルームミラーに→【ミニグローブ】!

この当時の結果は、TO負け。”後味の悪さ極めつけ”という見出しが飛び交った。前王者陣営は再戦を要求。この時は、JBCも後押しした。3ヵ月後、札幌で決着戦。しかし、渡嘉敷選手王座奪回ならず。

連続3回続いた渡嘉敷vsマデラ戦。さすがにこの時ばかりは、WBA内部も揉めた。しかし、答を出すのは早かった。

なんでもありの現代WBA。正しい裁定に期待します。

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