東京・新中野・スナック21(ドンピン)。生涯一ボクシングトレーナーとして生きた、故エディ・タウンゼント
氏を陰から支えた、奥様百合子・タウンゼント氏が経営されている。昨夜、大竹マネジャーと共に、お店を訪問。
「開いたよ、開いた」(~~)
「何よ一体。どっかで見た顔だと思ったけど、ビックリしちゃったわよ!」(~~)
「相変わらずお元気そうで」(~~)
「世界との差は、こんなにちっちゃいのヨ」。エディさんが迎え入れてくれるスナック21。
「今年もエディ賞
の季節ですね」
「もう何年?20年?」
「今年は誰になるのかしらねェ」
エディ・タウンゼント賞
。当該年度に活躍した、もしくは長く縁の下の力持ちとしてボクシング界に貢献したトレーナーが受賞の対象となる。
「アマ、プロ問わないんですよね」
「そうなのよ。ちゃんとそういう規約になってますよ」
「そろそろアマから受賞者が出てもいいですよね」
「そうだわよねェ」
「沖縄の金城監督なんか、凄い功労者だと思います」
具志堅用高選手をはじめ、沖縄から多くの素晴らしい選手を排出されて来た金城真吉氏。
「でも、なんか寂しいわねェ~。いなくなっちゃた人もいるし」
鬼籍に入られた方。ボクシング界から遠ざかってしまった方もいる。
「松本(清司)さんも若かったしねェ。よく、ここへも来てくれたのよ」
ボクシング談義に話が咲く。
協栄ジムの第1号王者海老原博幸選手は、世界挑戦を控え無念の引退をされた田辺 清 選手に変わって世界挑戦をする事になった。昭和42年(1967年)8月の事である。金平正紀会長はアルゼンチンで世界に挑む事になった愛弟子海老原選手の為に、タウンゼント氏にコーチを依頼する。
涙の世界王座奪還。ケガで動かぬ左肩をかばいながら戦ったラストファイト。
「エディさん、タオルだけは投げないでね」
タオルを握りしめながら長い15ラウンドを終えた時、タウンゼント氏は「ごくろうさん」と声をかけ、海老原選手を抱きしめた。海老原選手の頬に涙が伝う。
「会長、ごめんね」
タウンゼント氏の涙は止まらなかったという。
「海老原さんの名前も親父の石碑の裏にちゃんと入っているのよ」
「奥さんどうされてるのかしら」
「エッ、すぐ連絡つきますよ」
「本当。話したいわねェ」
早速電話がつながる。うれしそうである。(~~)
「いや~、よかった。今度一緒に会いに行きましょう」
アッというまに話はまとまった。(~~)
「うちの親父も後楽園でスパーなんかやったのよ。そう、笹崎さんと」
「それ、この間取り上げたばかりです」
「それでその時のパンフレット持ってられる方がいて、アッ、これで見れますよ」
小さな携帯画面をくいいるように見つめる。
「懐かしいわねェ」
”第1回チャンピオンカーニバル”(愛すべくすべてのボクサー達へ)
「あんた達も刺されちゃったのよ!親父と同じね」(~~)
20回目を迎えるエディ・タウンゼント賞。どなたでも推薦できます。エディ賞にふさわしいと思う候補者の名前(アマ・プロ問わず)と、その推薦理由をハガキ1点につき1件明記の上、下記の宛先まで送って下さい。
〒164-0012
東京都中野区本町4-48-17 新中野駅上プラザ805号内「エディタウンゼントを偲ぶ会」
締め切りは12月20日到着分まで有効。 寄せられたハガキの中から抽選で20名様に記念品が贈呈される。ふるってご推薦下さい。
「この中にエディさんが使ってたハサミがあったんだけど、隆(白井・具志堅ジム中村先生)が持ってちゃったのよ」(~~)
「あ~、そりゃまずいすぐに返してもらいましょう」(~~)
「先生、大事なものですから、それにふさわしい人が持ってないといけないって事になりまして・・・」(~~)
「お前にそんな事言われたくないね」(~~)
「先生も早くエディ賞貰って下さいよ!」(~~)
話は尽きない。大笑いであります。(~~)
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