二人して美味いと評判の店によく研究に行ったという。目黒駅近くにある有名店”とんき” にはよく行ったのだろう。このお店、好きでした先代会長。(~~)
店は繁盛した。人手が足りなくなった。雑用と出前の係りが必要だ。8月に入り、知人の紹介で全く偶然に海老原博幸氏が出前係りの任に就く。休憩時間にボクシングを教えるという条件で。
海老原博幸選手。
金平氏は約束を守った。昼の営業時間が終わると二人して自転車で目黒の野口ジムへ通う。入門3日目、海老原選手に3回のスパーが命じられる。とんかつ屋のマスター金平氏は、恐る恐る野口会長に尋ねた。
「会長、どうですか?」
「ウーン、土方と魚屋のケンカだね」(~~)
大笑いの野口会長。海老原選手は、さしずめ魚屋といったところだったのでしょうか。そして、信じられない言葉が続く。
「お前、新人王に出ろ!」
”ライオン”の一言は、絶大である。金平氏も逆らえない。しかも、新人王戦が始まるまで1ヶ月しか時間がない。それからは毎日スパーリング。入門20日目にプロテスト受験。合格。9月20日にはデビューという信じられないスケジュールをこなした海老原選手。
金平社長は気が気でなかったろう。考え抜いた挙句に選んだとんかつ店は、おおはやりなのである。しかし3戦目、海老原選手は早くもケガに遭遇する。そう、ガラスの左拳。
海老原選手は翌年の新人王戦を勝ち上がり、東日本決勝で原田政彦(笹崎)選手と合間見える。金平会長、山神トレーナー、海老原選手も夢中で戦ったというこの試合で、初めての敗北を喫した金平ジム。しかし、快進撃はここから始まる。
2階道場に飾られる海老原選手世界一の瞬間!
32連勝。中でも、ポーン・キングピッチ(タイ)を電撃的1ラウンドKOに降し、世界フライ級王座を掴んだ星が光る。”ライオン”野口会長の夢、よき兄貴分野口 恭 選手が果たせなかった夢は、1位止まりだった金平会長、海老原選手の手によって実現されたのである。
「お前、新人王に出ろ!」
しかし、この一言がなかったら、”とん金”店主金平氏と、その出前持ち海老原選手の運命は、どのようなものになっていたであろうか。他に選択肢を与えないこの一言が、二人の運命を変えた。
「社長と、コックと出前持ちが、そのまんま、会長、トレーナー、選手になちゃって、世界チャンピオンだからなァ。凄いよ。まるで漫画みたいな話」(~~)
老けた内藤選手こと、山本敏夫先輩(右)。
よくこう伝え聞いていた金平ジム誕生の話。内藤大助選手似の山本先輩に、恵比寿の元”とん金”に連れて行ってもらえたのは光栄でした。(~~)
草創期、天才パンチャー海老原選手のスパー相手は、金平会長と山神トレーナーが交代で務めていた。海老原選手は手加減する。だが、まだ老け込む齢ではない金平会長。
「オイッ、何で打って来ないんだよ!」
カチン。気は長くない海老原先輩に火がついた。とたんにバカスカ強打を振るう。さしもの元日本1位もなす術がない。この日を境に、金平会長はスパー相手を卒業。以後の苦労は、山神トレーナーがしょう事に。ご苦労様でした。(~~)
「新郎のお父さんは、金平ジムの井戸を掘ってくれた。それがあったからこそ、今の大規模な協栄ジムがある」
これは山神会長の御子息の結婚披露宴での金平会長のスピーチである。6畳一間に3人で暮らした時代もある。
「うれしかったねェ。だけど、努力を怠らなかったし、強運も持っていた」
金平会長、海老原選手、山神トレーナー。
恩師・野口 進 会長の月命日(8日)には野口家を訪れ、仏前に手を合わせた。「月命日って言葉は会長から教わったよ」。大竹マネジャーはよく運転手役を仰せつかっていた。
「井戸を掘ってくれた人を忘れちゃいけませんよ」
大事な事ですね。人を大切に。なぜ今あるか、それを忘れちゃいけない。今後も、協栄魂を伝えていかなくては・・・。
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