番組契約収入は64億円=ボクシングのデラホーヤ戦(時事通信)
両選手のファイトマネーもグッと跳ね上がりそうですね。
TV放映中のフィリピンでは、試合放映中は住宅街の人通りが途絶え、マニラ首都圏の犯罪もゼロだったという情報。そして、大臣までも議会をほったらかしてラスベガスへ行っちまった。
フィリピン:論戦より観戦 大臣が議会中渡米、ボクサー応援 「予算同様に重要」(毎日新聞)
予算審議すっぽかして、パッキアオ応援。「パッキャオ選手の応援は予算と同じくらい重要だ」普通の人は怒りますね。(~~)
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それにしても凄いパッキアオ人気。いや、大きな期待。フィリピンの人々は大きな勇気を貰ったろう。かつては日本でも、ボクサーは国民の期待を一心に背負って世界タイトルに挑戦したものである。
矢尾板、ペレスを破る。
昭和34年1月16日。東洋フライ級王者矢尾板貞雄(中村)選手は、無敗の世界王者パスカル・ペレス(亜)をノンタイトル戦で破る。白井義男(カーン)選手から世界タイトルを奪い去っていた憎きペレスに勝った矢尾板選手には、国民の大きな期待が寄せられた。
だが、王者ペレスは次期防衛戦の相手に、ノンタイトル戦で破っている米倉健志(興伸)選手を指名。8月、日本で4年ぶりに行われた世界タイトルマッチは、王者の大差判定勝ち。ペレスは8度目の防衛に成功。
ペレスとコシィ・マネジャー。
ますます高まる”国民の期待”。矢尾板選手の世界挑戦は、11月5日大阪・扇町プールと決定。試合3日前、大阪入りした挑戦者は、初めって乗った飛行機に酔う。到着後のパレード、調印式を終える頃にはすっかり体調を崩してしまった。
33歳のペレス。政治上の問題から故国へ帰る事は許されない身であるが、もう5年間も世界の王座を守っている。しかし、「今度こそ、矢尾板がやってくれる」国民の期待はTV視聴率脅威の92.3%を記録。銭湯の男湯から人影が消えたといわれる。
世界戦調印式。
2回、先制のダウンを奪った挑戦者。2万5千人の大観衆の期待は一気に爆発する。しかし、23歳の挑戦者は冷静さを失う。歓声にのまれた矢尾板選手は一気に勝負に出る。だが、これは老練な王者の思う壺。次第にペースダウンの挑戦者。
終盤。自慢のフットワークは王者のボディ攻めで、いよいよおぼつかなくなる。息をのむ大観衆。「ボディを鍛えるというより、打たせない事を考えていた」という矢尾板選手だが、初めて経験する第13ラウンド、ついにつかまった。
強烈な左ボディ・アッパーを喰らった挑戦者は仰向けにダウン。必死の形相で立ち上がったが、2度目のダウンで万事休す。壮絶なラストシ-ン。婦人と抱き合う勝者。やり場のない観衆は、リング目掛けて座布団を投げ入れる。日本国民は悲嘆にくれた。
翌日、大阪の街には「矢尾板が責任を感じて自殺したらしい」という噂が、まことしやかに流された。あの矢尾板ならやりかねない。マスコミも騒ぎ出したが、これは単なるデマ。それ程、矢尾板選手に対する期待が大きかったという事である。
大観衆の声援にのまれてしまった経験を打破する為、師弟は海外遠征で逞しく成長するが、これは後年の事。憎っきペレスは、次の防衛戦で伏兵ポーン・キングピッチ(タイ)にあっけなく敗れてしまう。強敵相手に戦った後に良くあるパターン。
昭和37年、キングピッチ挑戦の契約を済ませていた世界1位矢尾板選手は、突然の引退を発表する。ピンチヒッターで挑戦したファイティング原田(笹崎)選手は、大番狂わせの世界王座奪取劇を演じ、一躍国民のヒーローとなる。
”国民の期待”は静かにリングを去ったが、その実力は世界王者だった。”国民の期待”を一心に集めるボクサー。今一度、日本に現れてほしいものです。
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