内藤vs山口・批判とヒーロー誕生 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

発表された内藤大助(宮田)vs15位山口真吾(渡嘉敷)のWBC世界フライ級タイトルマッチ。4度の防衛戦中、3人目の日本人挑戦者を選んだ内藤選手陣営に批判が集中。”これでは世界タイトルマッチ”といえないとの声。

伝統ある日本フライ級歴史。昭和27年5月19日、日本人で初めて世界のベルトを巻いた白井義男(カーン)選手のランキングは1位。5度目の防衛戦で無敗の1位パスカル・ペレス(亜)に敗れ王座陥落。フライ級王座は、ペレスからポーン・キングピッチ(タイ)へと移る。白井選手も、ペレスも自らの衰えには勝てなかった。

昭和37年10月10日、日本に二人目の世界フライ級チャンピオンが誕生した。ファイティング原田(笹崎)選手。19才の若武者は、4ヶ月前エドモンド・エスパルサ(メキシコ)にデビュー以来の連勝をストップされたばかり。バンタム級転向を決めていた。

王者ポーンとの世界戦契約を済ませていた世界1位矢尾板貞雄(中村)選手の突然の引退。無理やりランク10位に押し込んだ原田選手がピンッヒッターとなったわけだが、国民の感心は悲観的なもの。王者が勝っても防衛とは認めないという程のタイトルマッチ。しかし、原田選手は勝った。奇跡の勝利=ニューヒーロー誕生である。



昭和42年12月14日、初めての日本人同士の世界戦。Sフェザー級王者沼田義明(極東)選手へ挑戦した小林 弘 (中村)選手のランキングは1位。中村会長は、小林選手のランキングを1位に持っていく事を考えていた。蔵前国技館の観衆は7千人。放映はTBS。

エデル・ジョフレ(ブラジル)に勝ち2階級制覇達成。4度の防衛に成功していたファイティング原田選手は、伏兵19才の6位ライオネル・ローズ(豪)に敗れた。1位選手との指名戦が、急遽下位のローズに変更された。6位は世界戦直前になって上がったものである。ローズは、オーストラリアの英雄となった。

世界王者に敗れて世界挑戦のチャンスを掴んだのは大熊正二(新日本木村)選手。昭和49年10月1日、5ヶ月前の善戦で10位にランクされた挑戦者は、王者ベツリオ・ゴンザレス(ベネズエラ)に判定勝ちし、殊勲の王座奪取。



2度目の王座を獲得した 朴 賛希とは3度対戦した大熊選手だが、大熊vs 朴 の連戦に、それ程の批判は起こっていない。3度が全て好試合だった。大熊選手が韓国で 朴 に挑戦する事が発表された時は、”望みなき挑戦”といわれたものです。

”炎の男”輪島功一(三迫)選手が、その人気を不動のものとしたのは連続6度の防衛期間中ではなく、オスカー・アルバラード(米)、 柳 済斗(韓国)にKO王座転落するも、不可能といわれたダイレクト・リマッチで勝利した事による。アルバラード戦は4位、 柳 戦はランキング9位。

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昭和50年代に入ると、ランク下位、10位の日本人挑戦者が目立つようになる。アルゲリョ、ゴメスらと戦った”KO仕掛け人”ロイヤル小林(国際)選手が、リゴベルト・リアスコ(パナマ)を倒し世界王座を奪った時のランキングは9位。初めてのSバンタム級試合であった。



米国でロッキー・フラット(米)を制し、WBA世界Sウェルター級王座を持ち帰った三原 正 (三迫)選手。初防衛戦の相手デビー・ムーア(米)はプロキャリア僅か8戦、三迫会長がランカー全てのテープを見た上で選んだ挑戦者だったが、三原選手はあっけなく王座を手離す結果に。ムーアは世界10位。



12月23日の世界戦の勝者は、2連続WBCからの義務試合を消化しなければならない。2連続指名試合とは余り聞かないが、日本人対決が続く事に対する影響なのだろうか。どちらが勝っても、強い挑戦者が日本へやって来る。それは楽しみです。

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