「世界へのステップへ戻したい」
世界タイトル挑戦資格制定を提案している東日本プロボクシング協会の大橋会長の大橋ジムから、18日新しいフェザー級王者細野 悟 選手が誕生した。JBCとどのように連帯し、この王座の権威を上げていくのか。その手腕に期待は集まる。
ボクシング史上最大の黄金期であった1962年(昭和37年)夏、全日本ランキングにスーパークラスはない。東洋には、Sバンタム級、Sフェザー級、Sウェルター級にも王者がいる。NBA認定ランキングは、Sフェザー級、Sウェルター級も発表されていた。
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世界王者ペレスを破る殊勲を上げた矢尾板選手。
6月27日、東洋フライ級王者・世界フライ級1位の矢尾板貞雄(中村)選手が、突然の引退を発表。これは、世間がアッと驚く大事件だった。世界王者ポーン・キングピッチ(タイ)への挑戦は契約済。そのピンチヒッターがファイティング原田(笹崎)選手である。
昭和33年9月、デビュー3年目で東洋フライ級の王座に就いた矢尾板選手は、日本王座も保持しており二冠王達成。その後、日本タイトルの防衛戦も単独で行っている。
ノンタイトルで無敗の世界王者パスカル・ペレス(亜)に初黒星を与えるも、昭和34年11月タイトルマッチでは一敗地にまみれる。この試合のフジTV視聴率は脅威の92.3%を記録。銭湯の男湯から人影がなくなったといわれた。
以後、東洋王座を保持しつつ海外遠征へ出掛ける等、逞しかった矢尾板選手。防衛戦は年1~2回。簡単にタイトルマッチはやらないが、試合数は多い。たまにやる王座防衛戦の価値は高かったろう。
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遠征の帰途ハワイへ立ち寄った矢尾板選手。元世界王者ダド・マリノ氏と。
昭和36年、ベネズエラからブラジルへと遠征した東洋王者は、世界バンタム級王者エデル・ジョフレ(ブラジル)とグローブを交える。「正直、怖かった」が、矢尾板選手は大善戦。最終10回に捕まったが、この試合で大いに自信を付けたという。
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昭和37年正月のビッグカードは、東洋王者同士の対決。フライ級王者矢尾板貞雄vsSバンタム級王者坂本春夫(極東)のカードが組まれた。今では健康管理上の問題で承認されないであろうマッチメーク。
坂本選手は、TBS東洋チャンピオン・スカウトで売り出されて来た人気選手で将来を嘱望されていた。しかし、フライ級王者は坂本選手をワンサイドで攻め、4回KOに切って落とす。中南米遠征で覚えた左フック・カウンターが恐ろしく冴えたのは、体力に任せて坂本選手が前に出て来たからであろう。会心の勝利。
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矢尾板vs坂本。
「一番記憶に残る試合」
大一番に敗れた坂本選手は、以後下降線をたどる。一方の矢尾板選手は、余勢を駆って3月強豪ホセ・メデル(メキシコ)と対戦する。世界フライ級1位と世界バンタム級1位の対戦。東洋王者は逞しすぎる。
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矢尾板vsメデル。
矢尾板選手は惜敗するが、そのランキングは揺るぎもしなかった。強い選手に王座を保持してもらえばタイトルの権威は保たれる。現代では世界挑戦するOPBF王者はタイトルを返上せねばならない。
しかし、 関 光徳(新和)選手、 龍 反町(野口)選手、村田英次郎(金子)選手らは、東洋王座を保持しつつ世界の壁に挑み、いずれも東洋王座二桁防衛の立派な記録を残した。その時代、そのクラスでは、東洋無敵だったのは確かだ。
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