タイ選手の安易な試合規制へ=プロモーター処分も-JBC(時事通信)
無気力タイ人ボクサー規制を検討(スポーツニッポン)
「(タイ選手が)わざと倒れるケースや体重超過、無気力試合が目立ち、あまりにもひどい。これ以上、野放しにできない」JBC安河内事務局長。
2005年・12勝179敗1分
2006年・ 9勝266敗5分
2007年・10勝105敗4分(7月18日まで)
今まで気にした事ありませんでしたが、こんなにタイ選手が来日しているとは思いもしませんでした。凄い人数です。(~~)
中には頑張るタイ選手もいて、そんな選手を応援してくれるのがホールのボクシングファンであります。
タイ選手が過去に起こした、超が付くほどの大番狂わせ2試合。たまたまセコンド付いてましたが、ビックリしましたねェ。(~~)
02年2月、名護明彦(全日本P)選手のカムバック第1戦。名護選手は、徳山選手を一度は倒しながら、2度目の世界挑戦も失敗。心気一転ジム移籍しての試合。
トーンジャルン・オースワナシンは、特にパンチのある選手ではなかった。
しかし、第1ラウンド何気に放ったタイ選手の右ストレートで名護選手は痛烈なダウン。この回2度倒され、2回にもまた倒れた。
佐藤VSホーリン戦のセミでしたが、有明コロシアムは一瞬凍りついた後、大きな悲鳴に包まれた。KO負けにされても文句言えなかったですね、あの時は。(~~)
3回以降は毎回ポイント取り返しましたが、8回戦では足りずで判定負け。
以後、トーンジャルンは名護に勝ったタイ選手と言う事で、日本リングで活躍する事になる。(~~)
これより前の01年6月、デビュー以来9連続KOを続ける”KOセンセーション”真鍋圭太選手が、ホールでタイ選手と対戦した。
1年前、フェザー級の洲鎌栄一選手にKO負けしているピンニミット・シットアランが相手。この時はタイ選手のセコンドを手伝った。
ノリノリで強打を振り回してくる真鍋選手。まさにビシッ、バシッと打ち込んで来る。
特別やる気あるわけではなく、さりとて無いと言う訳でも無い様に感じたタイ選手。
舐めて体調いまひとつだったのか、前半で仕留めきれない真鍋選手。それでもタイ選手は、パンチで両目上を切り裂かれた。
タイの薬品を使って、普通に真面目に止血。出血、止まっちゃいました。(~~)
この頃から真鍋選手、ガス欠の兆候を見せ始め、タイ選手のパンチが当たり出す。ホールは大きく沸く。
何か勝てそうな展開に、チーフセコンドは力が入り、選手も頑張りモードに入った。
そして6回、真鍋選手は沈んだ。
その昔、日本選手はボクシング隆盛の韓国へよく出かけた。”噛ませ”として・・・。
年間2勝とか3勝の年もあったように思います。日本選手が勝つ度に凍りついた韓国リング。
ライト級のハードパンチャー高橋 仁 選手は韓国で2KO勝ちの記録が残る。
日本王座挑戦のチャンスがなかなか巡って来なかったスパーダー根本選手もよく出かけた。昭和50年はホールで2試合のみ、3度の韓国遠征で2勝1敗と勝ち越し、逞しい。
バトルホーク風間選手もよく出かけました。世界ランカーと引き分けたりしてます。実質勝ちでしょうね。

写真は、世界挑戦権を賭けて戦った小林VS根本戦。日本と東洋の王者同士の好カードでした。小林選手、最後は韓国でOPBF王座を失った。ウ~ン、世界王座も韓国で手放してます。
昭和53年(1978年)、来日した外国人ボクサ-は45人(世界戦出場者含)。世界戦以外で、17勝(4分)を挙げている。
JBCが昨年9勝266敗のタイ人を抑制へ(日刊スポーツ)
そんなタイ選手ばかりと年2回だけ戦い、ランキングを上げている日本選手もいる。もう5年以上もタイ選手専門。日本選手との対戦はない。こういうのも規制してほしいですねェ。(~~)
異国で戦うと言う事。やっぱり気持ちも大きいし、生活環境も違い、条件は厳しい。

だが、やる気のある選手にとっては絶対にいい経験になる。ガッツ石松選手は、僅か1ヶ月の間にハワイとオーストラリアのリングで戦った経験がある。逞しかった。
ファンあってのプロボクシング。いい方向へ向かうことを願うばかりです。
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