だが、鬼塚選手に継いで92年勇利・アルバチャコフ選手がWBC世界フライ級王座を獲得。93年にはオルズベック・ナザロフ選手がWBAライト級王者に輝き、世界王者が同時に3人の黄金時代を迎えた。
1968年日本人で初めて海外で世界タイトルを奪取した西城正三選手。
-参考記事はこちらです-【亀田兄弟・協栄ジムの歴史Ⅵ】
トーマス・ハーンズVSピピノ・クエバスと同じプログラムで戦い、痛烈なノック・アウト劇を演じ執念の世界タイトル獲得を成し遂げた上原康恒選手。オルズベック・ナザロフ選手は、南アフリカまで出かけて世界王座を強奪した。
-参考記事はこちらです-【協栄ジムの歴史・上原康恒】
先制のダウンを喰らった時、セコンドの大竹マネジャー「やっぱり世界の壁は凄い」と感じたそうだが、ナザロフはダウンを奪い返し判定勝ち。左ボディの勝利といっても過言ではない。ナザロフ、スパーでも一切手抜きはしない。パートナーのパンチが間違って”かすり”でもしようものなら、あの左ボディがやって来た。
「アイツだけは許してくれないからなぁ」「アレはホントに怖いよ」(~~)南アフリカでのトベラとの再戦、ガマチとの指名戦も米国で行なったナザロフは、圧倒的な強さを誇った。日本でもっと人気が出ていたら、もっと長く防衛していたろう。フランスに行ってしまったのは残念。「俺のせいじゃないよ」(~~)「わかってます」(~~)
勇利・アルバチャコフ選手も、ムアンチャイとのリターンマッチはタイだった。タイのおかしな計量は先刻承知の協栄ジムは、フライ級リミット50・8キロと同じ重さの”重石”をタイに持参した。
移動する度にホテルまでの道もわざと遠回り、タイ遠征の経験も豊富な大竹マネジャーは「道が違う。あっちだと指示」運転手が従わないと、「じゃあ、降りる」(~~)ホテルの部屋をチェンジするやり方もなれたものです。
渡嘉敷勝男選手も韓国リングで、世界王座奪回を目指して戦っている。
-参考記事はこちらです-【死闘!韓国の英雄・張正九VS渡嘉敷勝男】
大先輩・海老原博幸選手のポーンとのリターンマッチから始まって、10人の世界王者の内、半数の5人が海外での世界タイトルマッチの経験を持っている。これは大きな強み。
-参考記事はこちらです-【協栄ジムの歴史・海老原博幸】
そして、この時からの経験の積み重ねが伝統として、先輩達から大竹マネジャーに引き継がれている。もっとも、「あれくらいずうずうしくないとダメですよ」と、先代金平正紀会長は褒めておられました。(~~)
「日本でも何回世界戦のリング上がったかわからないけど、海外もたくさんやったなぁ」「いろんな所へ連れて行ってもらい、勉強させてもらった」「どこでやっても同じ、勝ったやつが強いんだよ」大竹&坂田コンビの準備は万端だ!
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