金子繁治・”東洋無敵”世界のチャンスは来ず! | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

”東洋無敵”のOPBFフェザー級王者・金子繁治(笹崎)選手は、ついに世界王座挑戦のチャンスには恵まれなかった。ただ一度、ノンタイトル戦で時の世界フェザー級王者・サンディ・サドラーとグローブを交えた。1955年7月8日、試合は後楽園スタジアムで行なわれた。

ノンタイトル戦でありながら後楽園スタジアム。金子選手がいかに人気があったかが伺い知れる。しかし、サドラーは強かった。フェザー級ながら生涯で100以上のKOを記録してるハード・パンチャー。さしもの”東洋無敵”もかなわなかった。写真はハワイ遠征中の金子選手。



8日の試合を6回でかたずけたサドラーはマニラに飛ぶ。そして20日、金子選手とは4度戦い勝てなかった”フィリピンの英雄”フラッシュ・エロルデと戦ったが、何と10回大差の判定負けを喫してしまう。 サドラーを下す大殊勲の星を挙げたエロルデの次の対戦相手は金子繁治選手。

10月3日東京のリング。金子選手、判定勝ち。だが、次の世界フェザー級タイトル挑戦者はフラッシュ・エロルデであった。56年1月18日のタイトルマッチは、サドラーが13回でエロルデの挑戦を撃退している。

エロルデは1960年3月、世界S・フェザー級チャンピオンになった。10度のタイトル防衛にも成功する名選手になった。後年、具志堅用高選手の世界タイトルに挑戦するティト・アベラのマネジャーとして来日したエロルデ。(写真左金子選手、右笹崎会長。ハワイにて。)



協栄ジムでの公開練習に挑むに際し、若い世界挑戦者に更衣室を使用させず、トイレでの着替えを命じているのを目撃した事がある。従順に従う挑戦者の眼には、尊敬の念が感じ取られた。”フィリピンの英雄”なのである。 そのエロルデに4度も勝っている金子選手。負けても世界王座挑戦のチャンスに恵まれたエロルデ。

ペップ、サドラーの時代だった世界フェザー級。エロルデはまだ若かった。ついには不敗のまま網膜剥離で引退を余儀なくされた金子選手。 イトウ先生の門下生でもある”関西のKOアーチスト、”元日本フェザー級王者・中西清明(AO)選手とも4度対戦し、全てKO勝ち。中西選手、倒すか倒されるかで、ダブルKOの経験もあり人気が高かった。石原慎太郎東京都知事が熱心に応援していた。



「慎太郎、良く観に来たよ。裕次郎にもボクシング教えたのよ」イトウ先生のボクシング歴は懐が深い。(~~)上写真は金子VS中西戦。 金子選手、JBCを代表するレフェリーの一人である福地勇治氏の父君、元OPBFウェルター級王者・福地健治(帝拳)選手とも4度対戦し、戦績は金子選手の2勝1敗1分。

金子ジム開設後は、村田英二郎選手に世界チャンピオンの夢を託した。村田選手は4度の世界バンタム級王座挑戦のチャンスを与えられたが、2戦連続引き分けという記録を残して失敗に終わっている。写真はロスのメインジムでの師弟。-金子ジム・ホームページはこちらです。  



言葉にしたら”不運”と言う事になるのでしょうが、言うに易く、語るには厳しい。これは戦った本人にしかわからない。「(ロイヤル)小林さんもそうだったしなぁ。あんな強いのとばっかりやって」「でもそれは時間がたってからわかった事で、その時はわからないですよねぇ」。

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