S・サドラー/W・ペップ・73連勝をKO・時代に恵まれなかった男 | BOXING MASTER first 2006-2023

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輪島功一選手の試合に感動、16歳でプロボクサーを志し、ボクシング一筋45年。ボクシングマスター金元孝男が、最新情報から想い出の名勝負、名選手の軌跡、業界の歴史を伝える。

1948年10月29日、ボクシングの殿堂ニューヨークのM・S・Gで行なわれた世界フェザー級タイトルマッチ。チャンピオン・ウィリー・ペップはデビュー後62連勝を記録。1敗後、今度は73連勝中。42年11月から約6年もの間、世界フェザー級王座に君臨している。戦績135勝(44KO)1敗1分。26才。 対する挑戦者は22才、身長173センチの痩せぎすの黒人ハード・パンチャー、サンディ・サドラー。プロ生活5年で84勝(55KO)6敗2分の戦績。賭け率は5-2でペップ有利。写真左がサドラー。



フェザー級史上屈指の実力者によるライバル対決初戦は、4回サドラーがKO勝ち。世界王座を取って代わった。しかし、翌年2月のリターン・マッチではペップがサドラーを判定に降し、王座に返り咲いている。 そして迎えた3度目の対決は、50年9月8日N・Yヤンキー・スタジアムで行なわれサドラーが勝利。再び世界王座に就く。

51年9月の4度目の対戦もサドラーが制している。このタイトルは56年不敗のまま引退するまで守り続けている。エロルデを破ったのが最後の防衛戦となったサドラーである。 ファイティング・原田選手が3階級制覇を賭けてチャレンジした、シドニーでのジョニー・ファメション戦  での悪評高いスコアリングですっかり有名になってしまったウィリー・ペップ。

59年一度引退するが、65年カムバック。9連勝したが往年の力はなく、無名に敗れリングを去った。 そして”東洋無敵”の金子繁治(笹崎)選手は、50年4月ボクサー生活をスタート。全日本新人王からチャンピオン(OPBF王者)になった初のボクサーとなった。知ってましたか?(~~)

54年1月OPBFフェザー級のタイトルを手にした金子選手であったが、時代が悪すぎた。眼を傷めて引退したサドラーと同時期、金子選手もまた眼を患う。56年までOPBFタイトルを守りながら年間4~5試合は戦ってきた金子選手。

サドラー引退。金子選手にチャンスが来るはずだった。が、56年12月から半年のブランクを余儀なくされ57年はわずか3戦。翌58年にはOPBFタイトルを返上し、複雑な想いでハワイのリングに立った。11月の大滝三郎戦に勝利したのを最後に、”網膜剥離”の為引退。51勝(31KO)10敗1分。



思えばデビューした頃にはすでに、ペップ、サドラー(上写真) の世界フェザー級史上でも屈指の名王者が世界を争っていた。全く時代がかぶってしまった事は不運である。ジョフレの影に隠れたメデルのように・・・。

1981年専門誌によるオールタイム・日本フェザー級ランキングでは”拳聖”ピストン・堀口選手に続いて堂々の2位にランクされている金子繁治選手。世界ランキングは、2位ウィリー・ペップ。5位サンディ・サドラーとなっていた。