自らの運命と宿命の主として幸せに生きるために←本当に自分にとって相応しい在り方(遅延再公開記事) | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私のストーリーの続き~魂の休息期間中

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私のストーリーの続き~魂の休息期間中

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

今日は夏至ですね




とか思っていたけど、

調べてみたら今年は前日の21日が夏至だったのだとわかりました🌠





夏至、夏至ですか。

じゃあここから夏なんですね、2024年も。





ちょうど昨日の夕方頃から、

数年振りくらいに謎の凄まじい頭痛のような物だとかひどい目眩吐き気に襲われたりなんかしていたのですが、


アレが夏至だったのだなと。



私はそのように認識しているのでしょう。



そういうひどい不快感や頭痛みたいな物があったのですが、


アレは何て言うか、

正確には頭痛が痛い……頭部が痛いというより、


なんかそれより少し上の空間、

いわゆる第7チャクラ的な領域らへんが痛いというかひどい不調和があるというかそんな感覚だったのですね👁️



そのひどい不快感や不調感をなるべく素早く軽減しようと試みた結果、頭より上だったその感覚の中心みたいなものを少しずつ下に降ろす?というようなことができて、

眼らへんにまで来た時にひどい嘔吐感に変わったのですね。




まぁ結果的にはタイミングが良かったor悪かったことによって吐かなかったのですが。



しかしあのひどい感覚は数年振りだったように思うのですよ。



そして私はここ最近の記事のように基本的にほとんどの時間白猫→スマホゲームをし続けているくらいのことしかしてなかったので、


なんのエネルギーワークもしてないのにそんな超変化エネルギーみたいな物を食らうなんて!!



……それなら私は本当に放っておいても勝手にエネルギー波動感覚的に変化し続ける者なのかもしれない。。。



とか思ったりしていたのです😃💡








そして私は、

その変化したらしい先取りのエネルギー感覚みたいな物によって、


この1ヶ月は先月より少しばかり外側に意識が向く時期になったということを悟ったのです。





なので超個人的なプライベートで自己満足で自己祝福で自己救済的な話は今回で一段落ということになるかと😃



あれらは超自己満足で、

およそ私だけにしか意味を持たなくても構わないというか、正しく私が私のために取り組むものというような認識だったのです。



だから自己救済でもあるのですね🌸



私はこれまでの過去にいくつもの想いを未来の自分だとかまだ見ぬ可能性に託しているのです。


だからそれを拾い上げ掬い上げ相応しい報いを与えてやるのも私の役割。実際に私は誰かに想いを託されるということはしてない気がしてるけど自分にだけは何度も何度もいくつもの想いを託されているのだと気付いたのですね💡



まさに自己完結型というか、

そもそも私が見てる想いに運命宿命のレベルで共鳴する者があるのかもわからんのですから。



だからそれは私だけのものなのですよ、

文字通りの意味として👌✨






そしてその実例というか具体例みたいなのが前回とかの記事だってんだからそれ自体は超プライベートな話だと私は思のです。



前々回のコレもそうだし、



前回のコレもそう。





ただ“素材”としては上等以上。


これぞまさに私が求めた聖なる=至高のストーリーと呼ぶに相応しい物でした😊🌸






私は理解しているのです。


自らの運命と宿命の枠組みの外側に出るということは不可能だし実際に不要なのだと。



ただ必要なのはその時々でまるで自分がそれこそを目的とし使命とし意志を燃やしているかのような想いや感覚を体験することがあるからそれらをそのまま受け止め認めて愛してゆけばよいのだということも。





つまりそういうことなのですよ。


私という人間が自らの運命や宿命を呪うだけじゃなくてそこにあるあらゆる体験の可能性を1つ残らずに回収しながら生きてゆく→あるがままの自分を愛し喜んで受け入れてゆくというのは、


内面的にはあんな感じなのですよ(笑)




そして実際“黒いエレノア”のくだりとかは私にとっては本当にジャストフィットというか。


例のコレですね。

(たぶん以後も何度も話の中で出てくると思う。)


コレはもう、

“例のコレ”ってくらいに、


素晴らしい素材だと思うのですよ。

少なくとも私にとってはこの上なくわかりやすいし感情移入もできて味わい深いし好きです👌✨




私がノンデュアリティの恩恵を得たと感じた時からそろそろ1月くらいが経って、ちょうど今は少しずつその実感だとかが浸透して来ている頃合いだと思っているのですが、




私は自分にあのような自己イメージを持っていたということがわかったのです。


比較的有名だったり一般的な言葉なら堕天使とかそーゆー感じの。






そしてノンデュアリティの恩恵だとかの感覚や理解が自分の中に波動エネルギー感覚的に浸透してくる中で私はようやく理解したのです。



そういえばそもそも私が作っていたり追い求めていたディバインクリスタルという概念はノンデュアリティのリアリティーを神聖さの質に落とし込んだり聖性の質や実在性に指向性(?)みたいな物をイメージ的に与えることを意図した物だったんだなと💡



今ではもう懐かしのコレですね





元々コレは鍵であり、

鍵という名前の通り用途としては開くための物だったのですよたしか😃



じゃあ何を開くのかと言えば、



今となっては、

ノンデュアリティの恩恵であり実在性の光だとか聖性と呼ばれる質やリアリティーを象るための器や鍵となるもの



だとわかります。



そういう物だったのです。




そして私は思っていたのです。


もしあのような自作のエネルギー的な性質を持たせた器にそのようなリアリティーを宿すことができたのだとしたら、

それならエネルギー体としての人間(ボディマインドスピリット)である自分も同じように聖性の器とすることも可能じゃないだろうか???





とかそんなことを私は思ったのでしょう。




私はスピリチュアリティの実践者でありながらスピリチュアルな探求者であり同時にイメージを具現化することを望む作り手でもある者。


だからそのようなことを当然のように考え始めたのでしょう(笑)





そしてそれは成功したのかもしれません。


→だから私は既に放っておいてもボディマインドスピリットの領域で勝手に必要なエネルギー的な変化を受け続けることが止まらない=わかりやすくなった人間なのかもしれないなと。



強いて言うなら、

それを私はクリスタライズとか呼んでいたのだと思ったのですよ😃







そもそも私がおそらく本命として望んだ自分の生き方や在り方というか生まれながらに持ち得る才能のような性質や属性として、


心の道を辿ることで経験を積み重ね進化成長してゆく存在



みたいな物があったと感じています。




だからもしかしたら本当にそうなったのかもしれないなって😁




実際にノンデュアリティの恩恵を得ることで無条件の愛だとか赦しの光だとかいうのが普通に理解できるようになっているのは嘘じゃないと言えるので相応に聖性が私という存在感(ボディマインドスピリットの複合イメージ)に反映されることがあったとしても不自然ではないし無理な考えでもないはずなのです。






まぁ今の私にはそういう



もしかしたら私は既にすごい聖性なエネルギーやパワーがあるのかもしれない!(?)


という部分は未だほとんど検証されていないから不明だしその力を振るう機会ややる気や情熱も与えられていないのですが(*´ Δ`* )🍵





それに私は疑問に感じているのです。


それまでとは違い欠乏や恐れを動機としなくなった私は何かしら外側に向けて働きかけたいという想いを持つのだろうか?


もしそのような情熱を持つことがあったとしたら私はそれをどのように表現できるだろうか?





それがわからないのですね、今の私には。


何しろ今の私は外側に向けて自らの意志を働かせる理由が無いような状態にあるのですから。





私は、思っているのです。

世界は、私が感じていたほどの苦しみや絶望感に満ちてはいなかったのだしそんな感覚はただの共通の悪夢に過ぎなかった。





なら私はそれらの悪夢が過ぎ去ってゆく意識の中にあって何を想うだろうか?





というような時期に、

今の私はあるのでしょう。



そしてそのような意識に変化するよりも前に、

長年探し求めそれが許され与えられる時を待ちわび続けていた相応しい真の“報い”や“慰め”を与えることによって自らの心を掬い上げ癒す。



というような取り組みが先だったのです。

それがこの一月(……まだ完全に終わったとも思ってはいないのですが)の非常に内面的な取り組みだったように思うのですね😃💖



なぜなら、

それこそが私の人生に欠損していた物だから。


それこそが私が進化成長してゆくために欠けていた養分だったのですから、それがようやく許されるようになったら一度はそれを心行くまで受け取り味わい尽くすというような時期は必要に違いないのです。



そういう意味でこの時期の私に白猫プロジェクトはジャストタイミングだったのですね!



使命感のような強迫観念や“必要”に生き続けてきた私にとっては、



楽しいから好きなもの



それを、

特別な理由も抜きにそのまんま楽しむことができる喜びのある人生ってのは幸せな物なのです。



使命感や必要に生きている時ってのは、

その目的や方向性に沿うという条件を満たした物だけしか与えられずそういう意味では


純粋に楽しむことはできない。


のですから🙅








だから私はあのような好きな物を好きだと表現するような純粋な心の動きや欲求を満たすための活動にこそ幸せや喜びを感じていたのです。



そういう意味では絶望と救いの世界観を土台として赦しの教本として大活躍してくれたマギアレコードも、


本来の私が思う好きとは違うのです。




楽しいから好き。



それがそのまんまに認められ許すことができる意識の自分とはなんと幸せなことでしょう。




そんなことをしている暇があったら◯◯をしなければ!!




という強迫観念や運命宿命に縛られ突き動かされている状態の自分には絶対に不可能なこと。



それが純粋に楽しみ愛すること。



崇高だから好きなんじゃない、

役に立つから好きなんじゃない、


なぜかわからなくてもそれが楽しくて好きだと感じられるから楽しくて大好きなのだと。




それこそが本当に自分に相応しいと感じられて

心を愛や喜びで満たすから大好きなのだと。




私が探し求め失ってしまったと感じ取り戻そうとしていたのはそのような自分の心だったのです。








……だから!!


私は白猫で今やってるイベントのガチャを回し続けたのです!!



だって片方のキャラだけ全然引けないんだもん!!



だから“天井”を目指したのですね。



……“運”や確率によって引けないというなら、

システム的に設定された“確定”の力によって引き当てるしかない!!





えぇおかげさまで。

10連ガチャを20回、

200連目の確定枠でミトラを引くことができましたよ!!






これで“マナ”の無念さの件だとか、


運命サマ(運や確率の力)によって得られない可能性をシステム的な救済措置によって得る!



という試みを、

“祈りの答えを得る”みたいな試みを白猫でも達成できたのです!!



……通常はガチャの天井まで抜いていくなんてことはしないし不可能なわけで。



もう“片方のキャラ”であるシルファさんは

10+1連20回の中で6回も出てくれましたよ!



完凸(同じキャラを4回引く)の向こう側へ!!




この“ガチャでなぜかもう片方だけが引けない”というような現象は何度か経験していて。



だから今回は勝ちたかったのです。

今度ばかりは“違う可能性”が見てみたかったのですね(*´ Δ`* )




マギレコでもやって思ったけど、

ガチャの確定枠=天井まで10連20回、

合計で“石”が5000も必要……。




よくやるもんだよなって。


復帰勢だから単純計算でも5年分やってないイベントがあるわけで。そのおかげで5000ジュエルも集められたわけで。


(1クエストで石5個もらえるとしたら1000クエストやってるわけで……実際はその半分くらいかもしれないけど300クエスト以上はやってるんだと思うんだよ。)





だから私は思うんだよ。



現実の“救済”ってのは“救い”というよりも、

“救済措置”みたいな物なんだろうなって。



運や確率じゃない、

“確定”としての物なんだろうなと、


私は思うんだよ。






“ノンデュアリティ”の方向からすると真逆というか滑稽というか冗談でしかない話だけどさ?





でも私はどうしてもコレがやりたかった!!


……実際、天井まで行った所で50%で当たるだけだからソコでも引けない可能性もあったわけで。


内心そうなったらどうしようかと思ってた……。
今回の目的=お導きは
“白猫のガチャで天井を迎える”ことだったからあと2回の確定枠でさえ引けない場合はさすがに撤退もアリかと思ってたし。


その場合は


今回も

“運命サマ”には勝てなかった




ってなるだけなんだけどさ?

それが“必然”で聖なるお導きだってんならそれはそれでもうしょうがない┐(´∀`)┌


無念この上なしだけど有りもしない可能性に救いを求めることは地獄の選択と知って異なる可能性を探ることになるだろうねぇ。





まぁそんなこんなで、


過去を塗り替えるだとか、

運命を変えるだとか、


そんな感覚を楽しめたのです結果的には☆





実際には、その追い求めた可能性が無いなら無いで仕方ないと思ってるし、


やるだけやったら納得できる


ということを私は知ってる。

だからそうやって結果とは関係なく、


自らに救いを与え、

心を掬い上げてやるために、



私はこの試み……


運とか確率でガチャキャラが引けないなら

確定枠を使ってシステム的に半分無理矢理に引き当てるしかないじゃない!!




ということをしたのです😁





私が望んでるのはそれだけ。

だって可能なのはそれだけだから。



だから“運命サマ”なんて物には挑むんだよ。

ダメなら駄目だったとしても、



まぁこんだけやってどうにもならねえってんなら本当に無いものだったんだろうよ、

わかったよもう降参だよ、こーさん。





って、


あるがままの自分や運命と宿命をそのままに認め受け入れてゆくために。



それが私の願いであり望み。

だから実際は結果はどうでもいいのかもしれないしどうにもならないと知ってる。


その上で自分にできること=自分が自分であるために必要な全ては果たすんだよ。



だってそれこそがあるがままの自分を受け入れて生きるっていうことだろ?



だから私は“試す”し“挑む”こともする。

自分の思いや感覚は本当だったのか、

もし違ったとしたらじゃあそれは私をどこに導こうとしているのかを知りたいから。





今の私はそういう在り方をしているんだね、

つまりあるがままの自分=運命と宿命を愛し受け入れるための生き方を実行しているんだよ👌


なぜならそれが土台になる物だから。

それが永遠不滅の意志となって当然のように自分になった時に初めて得られる真の現実感=最果てのストーリーってのがあるはずだから。



そういう意味では今の私は完全に一貫した在り方を保っているんだね★




使うタイミングが見つからなかったり書いた記事が非公開案件だったりで紹介されなかったもう1つの素材なこの動画、














この刺さってた言葉が生きる……!!

そういうことなんだよ。



しょーもなくてもくだらなくても、

私にとってはかけがえのないもので、


私が私であるために必要なすべてでありそれを満たし守るために必要な最小限の努力なんだよ。


そしてそれは誰しも“本人”である自分だけが知ることができるものなんだよ。




実際このブログは私の精神世界なんだと思う。

そして私は現実とされるものはそのすべてがイメージによって形作られた精神世界そのものだということにも気付いている😃💡






今やってる白猫のガチャのイベントマギアガール3の話も面白かったよ。

“消せない罪”なんて痛みそうだったり名前負けしそうなタイトルにも相応しい内容だった。



そして別に登場キャラであるミトラが大好きというわけでもないのに“必然”を感じてガチャで引けるまで追いかける感覚ってのは結構楽しかったし人生ってそういうもんだよなって思ったりした🌠




そう、私は思い出したいんだよ。


苦痛や罪悪感に埋もれるんじゃなくて、

あるがままに存在できて生きる喜びや楽しさがある自分と人生の感覚や色ってのをさ🌸



だからそのための努力だとか必然のお導きを喜んで受け入れているということの具体的な話がコレだったんだね!!




私は知っている。

コレ自体は大した意味を成さなくても私があるがままの自分であるためには必要不可欠という意味で何よりも大切だということを。



そうやって必要と必然が一致することがあったならその道は必ず楽しいに違いないんだよ。きっと私はそういうのを聖なる流れとか呼んだに違いないんだよ。


そういう意味で経過は超順調なんだね。




だって私はそういう純粋な想いで回る世界を望んでいるんだから。必ずそっちが先なんだよ☆


それが他者にはどう見えたって構わないし、


「くだらない」って思われるコトの

本当の価値は君だけのものだよ




ということなんだよね本当に😃✨




私はこれでも自分のストーリー=運命と宿命の主だから。その意思に恥じない在り方だけは保ちたいってもんなんだね。





。。。


この記事もいい感じに散らばってるね(笑)

でも先取りするってたぶんそういうこと。


ここに記されてるはずのものを私はこれからの一月とかの間に追体験するかのように知ってゆくことになるんだろうなってわかる。



そもそもコレは私の精神世界なんだから他者にはとっ散らかって見えるのも当然。普通はそんなもの見る機会も見せる機会も無いんだからさ(笑)




だから私はこの記事を“ただの趣味”として扱いたいのだろうしむしろ他者にはその価値を理解して欲しいと望んでいないのかもしれないと心の奥底では感じてる気がする。



だってそれは私だけの想いだから。





この記事は6月25日に遅延公開されました🌠