火のエレメントから水の時代に移行する頃合いにやがて愛となり祝福となる黄金のガラクタを純粋に愛する | 取り戻すべき本当の自分と真の世界の可能性を求めて~最果ての聖なるストーリーを私に~

取り戻すべき本当の自分と真の世界の可能性を求めて~最果ての聖なるストーリーを私に~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂に引きずられ内なるビジョンの顕現者となり聖性までをも呼び覚ましあるべき未来へ逆走してゆく形而上学的な修練や内なる闘いであり聖なるストーリーの記録だったもの。今ではすっかり玄人向け★

もし私が個人的にわかって欲しい共感してほしいと思う物があるとしたらそれは前回のような話や生き様……私が見てきた世界の色や質ということになるんだろうなって。


前回の記事↓



人それぞれに個性があり、

それぞれに個別の正解や神性という物があると考えたなら、


やっぱり最終的に理解できるのは同類だけってことになるでしょう?(笑)





それに、そう、、、


確かにもう既に、

私たちが体験してきた血反吐を吐くような思いを味わいそれを越えるようなリアリティーを必要とする時代ってのは終わってしまったのかもしれないなって。

(゜Δ ゜)



あぁ、確かにそうなのかもなぁって

私もそう感じているらしい。




それがいわゆる“先駆者として生きる”とか呼ばれていたようなそんな時代のことだったのかもしれないなって。



なんだっけ?

火のエレメント的な話が出てきたのはアレ↑と同じ記事なんだっけ???


……あの記事、時間差で編集された後で公開されてるから私自身としては異なる2つの時期のタイミングな意識や質が混ざってるから上手く連続的な物(?)とか1つの話として認識できてない気がするんだよ💫




そう、例えば……

そうだなぁ、


仮に10年前だとかに霊性に覚醒してゆくようなプロセスとかがあったとしたら、


それはさぞや人格や人生に負荷の大きい壮絶な変容のプロセス……死と再生のイニシエーションとか呼ばれるに相応しい物だったに違いないけれど、



ここ数年でそういう必要は無くなったのかもしれないなって。



コロナ

パンデミック???


なんかそれによって大きく社会構造も地球の人々の意識も変化した~


っていうようなことがアランコーエンなあの本↓でも語られていたんだけれど、





しかし、

私個人的な体感としては、

ほぼ何も変わってない。



私は既に世捨て人みたいな隠者としての生活を通しての霊的な学びが染み付いていたような時期だったし、


本当に私個人としてはその前でも後でも大した変化なんて無かったと思ってる。


うちの家……私の家族ではリモートワークするような働き方の人間も居なかったし今も居ないし。



そんなにコロナカとかで変わったんですか???



そう思っているのは私だけじゃないんじゃないかと密かに思っているわけです🍀




でも確かに、

時代は変わった。


私が(ウソかホントか)


今の時代ではどうにもならない。。。



そう感じていた時(たとえば2016年頃)とは今の世の中は大きく違うというのは間違いないのだし、その直接的なきっかけとしてコロナカは確かに確実な影響を与えたいわゆるグレートリセット的な動きに近い物はあったように思う。





だからそう……きっと、、、



違うんだよ!!

真に霊的な自己意識に目覚め覚醒し受け入れてゆくプロセスってのはもっと壮絶で自我の死と復活を繰り返すような!!!!!!





とかっていう考え方ややり方ってのは、

言ってみれば、


もう時代遅れの不要な産物




みたいなものになってしまったのかもしれないなぁって。



どうやら私はそのような可能性に気付き始めたらしい。





それが、


もう今の時代は以前みたいに無駄に苦しまなくても霊的な学びと変容のプロセスは比較的穏やかに辿れるようになったのかもしれない。



というような感覚なんだろうなって。



……そしてそう思う人間てのは、


いわゆる自称先駆者として世の中が変化するよりも前からそういう道を切り開き突き進もうとしていたりそのような必要性に迫られていた人間という意味で、


私たちが生きた時代とはもう違うのかもしれないなって。




もうそんなやり方しなくていいのかもなって。

なんかそんなことを思ったり感じたりしてる気がするんだよ(*´ Δ`*)🍵



それは少しだけ残念なような、

でもきっと良いこと……良い時代なんだろうなって思えるような、


自分の若い頃や自分の人生の中でも特に必死に生きた時代=時期を思い出したりして懐かしむような急に年寄りになったような気持ちになったりしてるわけです。



そういうのを“時代の洗礼”とでも呼ぶんでしょうかね。





もっと癒しとか霊的な学びとか身近になって手軽に届くような時代が来るのかもしれないし、

たぶん既に始まってるんだろうなって。





なんかそういう感慨深さみたいな物を味わえるのも自称先駆者として生きた者の喜びや楽しみ……いわゆるご褒美の1つみたいな物なのかもなって(笑)



もっと壮絶で自我の死と復活を繰り返すような!!!!!!





……ってのが必要ではない時代……


そういう時代が始まるのは構わないけど、

きっと私は同じような時代を生きた人間の方が良いな自分と同じで安心するなって感じるんだろうなって。


そんなことを思っているらしいのです🌸



……それは逆に言うのなら、



もうそんな経験は望んでも簡単には

できない時代になった


という意味でもあるわけで。




……それを知っていた私たちは、

“試練の時代”になるべく多くの学びを糧となる貴重な体験を得ようと躍起になって積極的に闇を集めて回っていたような、


そんな風にも思えるんだねぇ(*´ Δ`*)🍵




たぶん同じ感覚のある人間はいっぱい居ると思う。

その当時、渦中にあってその真実性に気付けていた人間は決して多くないと思うけど無意識レベルで突き動かされ生き急いでいたような人間はいっぱいいると思う。


いわゆる1つの時代の変わり目ってやつだったのかもしれない。




とかそんな感じで、

あの火のエレメントな話を書き終わった後にあづささんのリーディング動画↓のAを見たらそこでも火のエレメントの使い方とか注意点っぽい話がされてて超シンクロでした🌟


興味ある人はこの動画の41分くらいからの数分見るといいと思います。



なんか予期せぬエラーとかで動画張り付けできなかったのでリンクで。





ヒントはコレ


テイクノーオフェンスってそういう意味らしいです。
攻撃するな! って意味かと思ってた😁





あぁ、まぁね~?


私もなんだかんだでさ、

競わせること、

(意志の炎を)闘わせること


すごく好きなんだろうなって思うし!!😆💥




特に同業者とは闘いたがる節が強いように感じてる。

上のやつ↑もそうなんだろうしニヤリ



まぁそれは男性性のなせるわざというか男としての業みたいな物だと思うんだけど👍️✨



ほら?

別の言葉で表現するならアレよ、



男として生まれたんだもの、

どうせなら頂点を目指さなくてはね!



みたいな感覚です(笑)

やっぱりそういう競わせて雌雄を決してやろうとさせる力の働きみたいなのって無意識レベルであると思うの。

どちらかと言えば肉体由来っぽさそうな原始的な感覚というか。





私も前回書いたような理由(なんだっけ?)とかがあって火のエレメント的な性質や意識を多用してきた自覚があるんだけど、


男たるもの、

かくあらねばならん!!




みたいな、

そういう1つの“時代”の意識なのかもしれないなって感じるんだね。



なんだろう、

精神マインド領域での男性らしさのイメージというか。





う~ん、そう、何て言うか……


なよなよしてるよりはキリッとバリッとしてる方が男らしくていいでしょ?



→そっちの方が“有能”そうでしょ?

→そっちの方が“有用”そうでしょ?




とか私は思ってる気がする😃

私の潜在意識はそのような構造になっているという意味。

そう思いたいかどうかは別である🙅




っていうような意志をよく表してるのがあの記事の自分だけの“すごい”何かが欲しかったというような話なんだなって💡




そう、


確かに私は抜きん出たかった。

凡人ではなく優秀なだけの人間でもなく、

私は唯一無二で至高の一角(?)になりたかった!!

(変な言葉かもしれないけど。)



この世界に存在する唯一無二で至高の領域に達したような人間の一人

になりたいと感じていたのです。




だってそう感じるんだから仕方ない。


普通も平凡もいらない。

至高の1つになりたかった。



人間は自分よりも誰かの方が優れているという考え方は絶対に許せないし認められないものなのです。


しかし、

自分と同じく素晴らしい


という考え方なら問題ないのです。

なぜならそれこそが真実だから。



だから私は


至高の一角”


になりたいと願ったのです。

自分の方が偉いとか他者の方が凄いとかそんな比較対象で優劣とか二元的な意識の呪縛から抜け出せるほどの高みに達したかったから。



だから私は自らにのみそれを求めた。



……何やらあまり多くの人間はそこまでを望まないらしいのだと私はやがて理解するようになったからだ。





私には、わからない。

優劣や上下や辛苦のすべてから抜け出したいと願うことを一番にせずに居られる人間とはどのようになっているのか?


きっと究極的に私はそれは理解できないんだろうし理解する必要も無い。




だから私はそれを他者には望まず、

自らにのみ求めた。



……きっと私と同じ立場にあったなら誰でもそうすると思う。



究極的にはそれこそが正解だとわかるのだとしてそれがもし仮に本当だったとしてもそれを他者に理解させることは不可能であり不必要なことだということも同時にわかるから。



強いて言うなら、

そういう私の意識の置き方……人間としてのマインド&スピリットのバランス感や基本スタンスのことを預言者ポジションとでも呼んでいるんだと思う。





自分にとってそれは正解であり、

それと同時に

相手にとっては不正解だとわかる。





……そんなことがわかる立ち位置になってしまったとしたら、きっと誰でもそうする。


“理解してもらう”ということはできない。

なぜならそれは明確に不要だから。

不要と知る物を望むことはできない。


それは有りもしない偽りの意志を抱える偽りの苦しみの選択でしかないのだから。



……そんな中でできることは唯一、


自分の中でバランスを保ち

答えを見つけ出すことだけ。




多くの場合、

それを語ることも“許されない”

ことの方が多いと思う。


なぜならそれは不要だから。





どうして“不要”なの?

どうして私にはそれが“できない”の???



……そんな現実を体験した者は必ずそれに対する納得できる答えを求めるようになる。



だってそうだろう?

私たちが真に答えを望む時なんて、



どうして私はこんな体験をするのか?

どうして私がこのような体験をしなくてはならないのか?



そんな想いを見過ごすことができなくなった時だけなんだから。





そしてこういうのはきっと例外なく、

私の言う預言者ポジションな資質や役割を持つ人間にとってはとっても身近で馴染み深くておまけに他者に非常に理解されにくい上に語り示す機会も与えられない自分の内側だけでの闘いの記録みたいな物だろうから🔒️




私はまだそういう意味で同じ世界観を生きる人間てのと出会ったことはないんだと思ってるんだけど、

たぶんコレは私の勘違いじゃないと思う。



私の言う“預言者ポジション”みたいなリアリティーってのはあると思うし、一定の割合でそういう質の人生を体験してる人間てのは確かに存在してると思う……そんな確信が私にはあるんだよ。



それは何かって?

前回の記事を活用するなら


クレアコグニザンス

ってやつなんだろうね👌✨



その知識さえあれば、

私の言う“預言者ポジション”という知識さえあるのなら、


確かに割合は少なくても

自分と同じような役回りの人間は一定数存在している



っていうことがわかればさ、

安心 するでしょ?

安心できるでしょう?





元々理解されにくいグループの上に、

更に輪をかけて理解されにくくなるような属性や役回りが追加されるわけだから、



それならもう、

同じような役回りの人間しかわかってくれる者は居ない

同じように預言者ポジションな生き方を体験してきた人間だけが理解し共感できる



というのは事実だと思う。



そういう“秘められた”性質が強いのも間違いないだろうからこの場合はそういう表現とか感覚を認めるのが正しいんだと思うの。





だって私こそがそう感じてるんだから。

違うならそれでも構わない。


でも、もしかしたら本当にそうなのかもしれない。



その想いを捨て去ることは私たちには決してできないでしょう?

そういうことなんだよ。





“もう少しわかってもらえる人間”ならそういう見方は必要ないと思う。


ただ……わかった上で理解されないような自分とかを自ら選択するその意味を受け入れて進むような同族があるってんならさ、


なんかこう救いとか慰めみたいなのも欲しいなって思ったりするじゃない???

傷の舐め合いはキライだけど、

お互いの勇姿を讃え合うというか😊🌸


尽きぬ灯火?

ほんの一筋のあかり?


なんかそういうのもやっぱり見慣れたもんだろうからさ(笑)





私はそういうのも欲しいんだなって。



ほん~の少しの人間だけにしか意味を成さないのは確かなんだけど、


そういう仲間と思える人間だけにこそ意味を持ち価値を持つような自己の存在感とかってのも有ったら嬉しいし楽しいのかもなって☆



それは人間としての私にとっての慰めや救いでもあるもの。




たぶん私はずっと自分のそういう部分が上手く受け入れられなかったんだと思う。



それは言ってしまえばスピリチュアルエゴと同じなのかもしれない。自分が“すごい”何かしら特別な人間で、だからこそすごい何か特別な想いを持っていて、

それは限られた“同じような人間”だけが理解できる何かとても価値ある特別性の輝きのようなものを愛する気持ち………………。





もちろん、わかってる。

霊的な真実性においてそれはまやかしでしかないんだって。


でもそういうことじゃないんだよ。

そういうことじゃないはずなんだよ。




これまでの私はそれを禁じてきた。

言ってみればそれは戒律に反するから、


“偶像崇拝を禁ず”という教えに明らかに反する物だと気付いていたから。





でも私はソレも欲しくなったらしい(笑)

そしてそれをしても必ずしも戒律に反するわけではないのだと

理解できたような気がしているからというような理由もある😌





まぁたぶん赦しの理解ってことよね。




今までは若くて未熟な自分だったから時期段階的に“わからないままに戒律に従う”ことが正解だったんだけど、


その意味が理解できたなら、



やりたきゃやればいい。



くらいの温度感だったのかもしれないなって感じるようになったというか💡





なんかね、アレなんよ、


右か左しか見えない段階では

どっちも不正解です。


としか言えないし、

それしか理解できないんだけど。



どうしてどっちも不正解なのか、

じゃあ何が正解なのか?



それがわかったならさ、

そもそも最初から迷う余地さえ無かったと気付くというか。



なんかそんな感じなんだなって😃☀️





だから特別性を愛しているように見える振る舞い

という物を選択しても別に問題ない状態になった気がしてるのですよ。



自分がどうやって何を選択しているのかが理解できたなら

やりたいようにやればいい。




ということなんですね。

たぶん、最初からずっとそう言われていたんだろうけど、


わかんないもんはわかんないんだからしかたない

┐(´∀`)┌





たぶんそれがかつて私の言った

“聖なる幻想を愛する”



みたいな感覚なんだろうな~って。



幻想を愛すれば必ず裏切られ喪失を味わうことになる。

それは避けられない。




……しかし?

幻想それ自体を愛さずにその向こう側に見える神聖性のみを愛することができたのだとしたら全くしてることは違うんだし、

実際には全く幻想性を愛さずに実在性のみを愛していることになるわけで。




その違いさえ掴めたなら、

一見して同じように非実在性を愛しているようにしか見えないのは同じでも

実際の結果は全く違うものになる!!






……すごくわかりにくい話だって?



“預言者ポジション”に

“聖なる”って言葉が付加されたようなもんだから無理ないね。

わかりにくいのは仕様なんだよニヤリ



だから私の立ち位置は更により一層わかりにくい物に仕上がってるんだって。




もうね、ここまで来ると面白いよ(笑)




わかりにくいのは本当だけど、

決して理解できないものではない。



少なくとも私には理解できるから。

だから別に、


その時々で理解すべきことだけわかればそれでいいんじゃないの? 



って私は答えればいいんだなってわかる。

だって事実だし私自身そう思うし。





いやそもそもさ、

ほとんどの人間は理解する必要もないことなんだし。


ならわかんなくても問題ないでしょ?😃




そもそも私はず~っと勘違いしてたんだと思うの。



私は真に理解させる必要がある時には言外な力やニュアンスを使ってでも理解させる自信というか確信はあるし、


そうじゃない時は“確率で理解させる”くらいなもんでいいんだなって(笑)





そもそも特に理解させる気はない。



という前提を正しく理解してたなら、

私の話が理解されなくてもむしろ自然なことだと言えるわけです🙆





時期やタイミングを

待たずに知る。



それはそういうことなんだよ。



だから時間が流れ、

時代が移り変わり、

自らも経験を積み重ねるほどに、


機は熟しタイミングが、

正しい理解の瞬間が訪れやすくなる。





……自分が理解されない?



なるほど。それは困ったね?

……しかし、しかしだよ?


私自身の経験と理解から思うに、

実は別に理解される必要なんてない

とか自分の中で思ってたりしないかい?



もしそうなら全く話は違うだろ?

むしろそれで計画通りだと思って大満足かもしれないだろう?



実在性の法則(そんな物は無い)が示しているように不満感や不足感は実際にはすべて錯覚でしかないんだから、

たぶんそのうちそうなんだって気付くことになるだろうよ。


だから特に問題ないです、

ただの勘違いゆえの苦しみです。



今すぐそれをどうにかしたいってんなら一生懸命に必死になって選び直しなさい。

それが嫌なら完全に気が済むまで悶え苦しめばいいよ(笑)





なんかそういうことなんだよね。


機をタイミングを待たず自ら積極的に時間を省いてまで理解しようと

望んでいるわけじゃない人間が理解できないのは自然のこと。





だから、

そうしないと理解できない話なんだよ。



私はそれをわかってなかった!!

私はそれが理解できてなかった!!

私はそれを知らなかった!!



だから無駄に苦しんだというだけのこと。

それを自然に理解できる者なら、

それを後押しするような時代がやって来るというのなら、


霊的な目覚めと覚醒による変容のプロセスは以前より穏やかな物になるのもまたとても自然なこと。




ふ~んだ!!

俺らなんてそんな穏やかな時代になる前からそうなっちまうと知ってて自ら必死になって悶え苦しんでその変容の死と再生のイニシエーションなプロセスを経験したんだもんねー!!


俺らの方が

“すごい”んだもんね~!!





とかなんかそんなことを内心で思って自己満足してればいいと思うの(笑)


それは自己満足すべき物だから、

わざわざ要もなく他者に語り出したりしたらただの迷惑な人だろうけど、



自ら望んで得たなにかならそれは比類ない輝きを放つ宝物に違いないでしょう?



そういうことなんだよ。

幻想を求めれば必ず喪失を体験することになるのは事実だし避けられない。だからそれは間違いなくしんどい体験になる。


でもそんな一時の挑戦を全身全霊で生き抜いた記憶ってのは得難く貴重で、若い頃の無理や苦労だらけでしんどかったけど振り返ってみたらすごく良い思い出になった

1つの時代を彩る記憶になるんだよ。



何て言うの?

コレクターアイテムみたいな感じかな?



きっと私たちが欲しかったのはそれ。

だから私もこうして“黄金のガラクタ”と呼んでいる


やがていつしか愛となり祝福となるすべて


そう信じた葛藤や迷いや恐れをかけがえのない何かとして大切にしたり積極的に集め回ってるんだよ。





だから私たちは、言ってやればいい。




む、貴様!

時間を待たずに私の本質を理解するとはなかなかできるやつだな!!!


とか


お~、すごいね~!!

わかってくれるなんて嬉しいじゃな~い☆





みたいなことをノリノリで😁✨





自分の特別性を……唯一無二の神性と呼べる個性を純粋に愛することはできるよ。



でもそれは簡単なことではない。

時間的なズレや隔たりがあるほどにそれを正確に捉えるためには意図的にそれを強く望み続ける必要がある。




私もそういうことだね。

時間が経って実際に年齢が上がってゆくなかで多くの人生経験を積み重ねるほどに神聖性と呼べる物が浸透してきて馴染んで無理なくわかりやすくなってゆく。



でもそういう意味で言うなら私はまだまだそういう時期段階に達してはいない。


それは時間の中での制約とも言える。



それは基本的にどうにもならない

┐(´∀`)┌





……そんな中でも真実性を願い望むってんなら私たちと同じ道を選べばいいし、


そこまでしなくても生きられる人間なら別に好きにすればいい。



私は圧倒的に前者に共感し共鳴することによって理解し理解されやすくなるけど、

まぁ別に時間の問題だってんなら好きなだけ放っておいてもいいとも思う👻




というわけで今回の学びのシンボルはコレ



あなただけの個性を敬う



このカードを出すのは2回目かな。

以前万能ノコギリ(?)の話の時に使った記憶があるんですね。



そう、つまり私の個性とはこのようなものなのである。



……やたらわかりにくいでしょう?(笑)

だから私の作品があるんよ。


中身は同じなんだぜニヤリ



ここら辺の属性が全部乗ると思われる


私としてはどちらで理解してくれても構わないと思うよ。別に私一個人のことを理解してもらいたいとはほぼ思ってないしそれは全く側面の異なる話😃


私が望むのは共感と分かち合い。

そういう意味で私は隠者だけど積極的に外側に向かう意識も併せ持つ

そういうことです。





そもそも私の存在感や表現が万人向けであるわけがないのである。特定の存在にのみ作用するようになっていて私の作品も私の精神性やスピリチュアル的な性質としてのスピリチュアリティを引き継いでいるのは当然。



私はそういう自分らしいやり方で祝福な表現がしたい!!



そこまでわかるようになったんだね~

(原点回帰のプロセスとして継続中だよ↓)




私だけの祝福!!

から、


私たちへの祝福

に進化してく感じかな。





そう、

その過程で自分の特別性や神聖な個性って感じのユニークさを認め受け入れる必要があったのです。そしてそのためには水のエレメントな肯定し見守り育むような癒しと自己受容の力が不足していた~



みたいな流れなんだろうなって💡😃




風の時代???

そんなのは聞いたことが無いなぁ?


どちらかと言えば(そっち側は既に深く浸透している)私たちの場合は火の時代から水の時代に移行すると考えた方が近いんじゃないだろうか?





とか言い出すには私の立ち位置ってのはすごくピッタリで便利なんだね☆




(……なるほど、だから私はこの記事の初めの方で何の流れかわからないままにアンチ風の時代的な考えを述べ始めていたのですね)



……ちなみにあの言葉↓


相手を守るため懇願する時も、

相手を安心させるための言葉でも、


誰よりも信じて欲しいと望む相手とは、

信じることが必要なのは

自分自身に違いない





そしてその理由と説明こそがビジョンを持つ者ってことなんだと私は思ってるよ。



本当に自分に最善の未来が見えるのだとしたら多少の無理は強いてでも自らのビジョンに協力してもらうことこそが相手のためにもなるのは間違いのないことでしょう?



後はその可能性を自分がどうするか。






……実はこのポジションは自分が物語の中心にして起点であることを非常に実感しやすくてヒロイックで味わい深い体験ができるという利点があることに気付いた。


これ割と時代に沿ってるんじゃないの?

少し前までは先取りだったんだろうけど🌠





(あれこの話これで終わった気がしない。)