やがて愛となり祝福となるすべてを今この瞬間に生きるために“相応しい報い”を得るためのすべてを超え | 取り戻すべき本当の自分と真の世界の可能性を求めて~最果ての聖なるストーリーを私に~

取り戻すべき本当の自分と真の世界の可能性を求めて~最果ての聖なるストーリーを私に~

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂に引きずられ内なるビジョンの顕現者となり聖性までをも呼び覚ましあるべき未来へ逆走してゆく形而上学的な修練や内なる闘いであり聖なるストーリーの記録だったもの。今ではすっかり玄人向け★

原点回帰のプロセスは継続中。



道しるべはこれ↓




セルフケアメッセージの部分に取り組むことでそのプロセスが進んだ現在、


今は↑に書いてあるのを参考にするなら


・人生にエレメント(元素)の魔法をかける

・魔女になったつもりで遊んでみる

・自分はこうあるべきという考えを手放す

・素の自分になる



らへんに取り組んでる感じだって実感とか手応えを得てる感じです👌✨



前回の記事↓ では、


エレメントっぽい話が出てきたけど、せっかくだからその流れを引き継ぐとしたら、



私は4つの元素で言うなら一番“風”の性質に近いと感じてる。本来的には、ね。

“光”とか“無”とか“天”とかが選べるなら間違いなくそっちを自称するだろうけど(笑)




私はそう、

たぶん“超然”とした人間なのですよ。


何かを悟ってるような達観してるような


とか表現されるようなニヤリ



“今までの私”であれば、

その性質を表現するには


乾坤一擲 とか、

蛇の道は蛇 とか、

毒を食らわば皿まで とか、



なんかそういう感じの要素というか性質が強く出てたり必要とされてたんだけど、



本来的にはかなりそういう感じじゃない。

それは間違いないと思うの😌



……若い頃の私はそれなりに色々あって人間らしくバリバリガリガリと懸命に生きていたもんだよ(笑)



みたいな感じかなって思ってる。




確かに必要なんだよ、若い頃の努力や苦労ってのは。何しろ最初から“すごい”能力とかを引き継いで扱える状態で生まれてくるわけじゃない上にむしろリセットされてるような要素の方が多いから┐(´∀`)┌



その持って生まれた才能でさえまともに扱えるようになるまでには自ら努力して育て上げる必要があるんだし、

それをほぼ完全に忘れてしまった状態から始めるってんだから相応の時間がかかる……だいたいそれで“若い頃”ってのは終わってしまう可能性の方が高いわけで。

(まぁそれは飽くまで潜在的な資質とか使命だとかに直結する能力値的な話なんだけど。)





まぁ蛇の道は蛇ってのは、

不必要に悪意的な解釈をしなければただその道に精通してる専門家ってくらいの意味でもあるし。

その場合は“餅は餅屋”って言葉の方がフラットで響きは良い気もするからそのうちそっちを使うようになるかもしれない😃



まぁ……若い頃ってのは(私みたいなのは)不必要に悪ぶりたくなることもあるような気もするし、それが自分を守る方法とか処世術として役に立ったりするような気もするし。




私としては、

泰然自若とかそういう物を自分の属性に加えたいというか、


なんかそういう方向に少しずつでもいいからシフトとかスライドしていきたいと思ってたりするのです。



……いやだって、

いつまでもガリガリバリバリやってるなんて疲れちゃう

でしょ?


そういうのは“若い人間”の特権みたいな物でもあるんだよ。経験を積み重ねるほどに良くも悪くも並大抵のことじゃ動じなくなるのも確かだし。


そういう意味では未熟だとしても感性が柔らかいような時代に色々な経験をしていくことは心理的には厳しくても豊かな人生のためには必須科目なんじゃないかなって、

今になって思う気がしてる(笑)



後々生きてくる……ある時を境に黄金に変わる可能性を持つ宝物なガラクタ(仮)を一生懸命集めて回るというか👍️✨



若い頃にはそれがわからない……

というよりは、


いっぱいいっぱいなんだろうね。

予め知ってたとしてもそれを理解した上で自らに写し出せるほどの経験はまだ得てない状態なんだから。むしろそんなこと気付いてるとその理想と現実の落差やズレみたいな物でひたすら精神が軋むことになるわけで……

私みたいにねっ!!



未熟ながらに一生懸命に生きるだけで時間は過ぎてくって感じだね。





私も例に漏れず、だね。

20歳の頃から霊的な探求者として心を固めて持てる全身全霊でやってきたものの、


今では気付いたら(ようやく?)34歳。


その間を全く無駄にした覚えはないけど、

目の前の喜びや幸福を噛みしめるような想いになれる時ってのはあんまり無かったよなぁって思うし、



なんかこう、

“仕事”に意識が埋め尽くされてて楽しいことや喜ばしいことを選べてなかったよなぁって思ったりするわけで。



確かに霊的な探求や自己の内なる練磨錬成みたいな物は深く心を満たす物ではあるけど、


無条件に当然のように楽しいと感じられるものではない。





全く楽しくないとは言わない。

でもそれは今すぐに楽しめるような物ではなくて時間をかけて育て上げ鍛え上げていくよろこびみたいなものだから。



私は“力”を求めていたから、

人生や自分を楽しむことよりも圧倒的に自らの潜在能力や資質を引き出すに相応しい選択ばかりをしてきた。。。



それは虚しい人生とは思わないけど、



なんかこうもっとさ、

他にいいやり方とかなかったわけ?



みたいなことを心の底で思ったりしていたということに気付いたらしい┐(´∀`)┌



……まぁその問いに答えるなら、



そんなものは無い。

これが最善にして至高である。

少なくともその可能性を繋ぎ開く可能性を生み出すには相応しいものだった。




って私は答えるってわかるんだけど(笑)



グッジョブって言うか、

ナイスファイトという感じ👍️✨




まぁ、

終わったらそんなやり方しなくてよくなるのは確かだろうから、一時的な苦労とも言えるのかもしれないし、

それを完全に過ぎ去って振り返った時にはそれも貴重なかけがえのない素晴らしい人生の中の一つの思い出になるんだろうし🌠





まぁそういう感じのをエレメントの話とするならそっちは順調なんだろうね。


前回も書いたように、

私が火のエレメントばかりを愛用していたりしたのは私が求める内なるビジョンや聖なる計画とかの具現化を非常に強く望んでいたから。


それを阻むあらゆる内外の障害を粉砕して滅却したその上に具現化してゆく必要があるわけだから先に超火力みたいな内なる力を求めるのは必然。


それがしんどいのも無理難題を自他に強いるような状態もある程度は不可抗力。そういう一時の恐れや迷いも振り払って貫いてゆくような突破力みたいな物も同時に必要になるんだから火のエレメントで意志の炎を燃やし続けていくことになるのも必然。


たぶんそういう励起した状態みたいなのを労せずに実現したり維持できるようになるまではひたすらにしんどいんだと思う。



ただの慣れの問題


とか言われそうな感じのやつかも(笑)



イメージとしてはアレよ、

自分が扱うべき炎のエレメントな力で自らも焼き付くされるように感じてる内は全然扱えてないんだから仕方ないし、

それに慣れるまでしんどいのは自然なこと。



とか師に言われる感じ。

火のエレメントを扱えるようになるためのイニシエーションてやつなのでしょう。




それに、アレよ。


それは間違ってる

と信じてるから不必要に苦しいわけで、



苦しいのは自然なこと

だから何も間違ってない。



それがわかったなら、

意図的に耐える”とか

不必要な迷いによる苦しみ抜きで目的のために持ちこたえることはできる。



忍耐の価値だよねぇ。

そういう理由で火のエレメントを扱うには同時に土のエレメントも必要なんじゃないかなって思うよ。



……私はもともと忍耐強い人間なんかじゃなかったから逆にその価値がよくわかる😁

得難い資質ってやつだね❇️



ってわけで私が知る火のエレメントの力は


浄化とか純化とか

具現化とか障害の排除とか


なんかそこら辺てことになる。



つまりパワーである。

4つにしか割り振れないのなら

私は火のエレメントにはそういう意味を置いてるということだね🔯






・魔女になったつもりで遊んでみる

については、


魔女ってのは仮にここでは“魔法使い”とでもしよう。

“魔女”って聞くと契約して宇宙の燃料化する方を想像しちゃうし(笑)





そうだなぁ、

それに当てはまるかはわからんけど、


最近思ったんだよ。



エネルギーワークとかしたり強いエネルギーが流れるなりして好転反応的な状態になった時の厳しい心身の不調感て、

割とオーラフィールドの状態を把握できたり調整するだけの能力があれば実はそういうのを意図して軽減したり変化のプロセスを自ら早めたりすることができるのでは???



というようなことに気付いた!

気がするのですよ😃💡



何て言うんですかね、

私の内なる力の練度や霊的な学びの習熟度合いを考えればそれは既に十分可能であると考えるのが妥当なのだと気付いたというか。



……どちらかと言えば前回の記事で書いたような“水のエレメント”の資質が解放されたことによって癒しの力とか既に修得していた術が

使用可能になったというか🌟



なんかそういうことなんだろうなと。



時期タイミング的な話をするなら、

実際に私は癒しの術……ヒーリング的なことは既に30代を迎えた頃くらいには最低限のレベルで使用可能になっていたと思うけど、


意図的に癒しの力を術やワークとして使うということが可能になったのは2年前くらいのことだと思ってて。


ちょうどそのくらいの時期から少しずつただエネルギーを流すという初歩的な癒しの技だけじゃなくて、オーラフィールドに直接働きかけるとか癒しや調整を必要とする場所?みたいなのを見極めピンポイントで効率的に癒しを行うとか


そういうことができるようになっていったのですよ。



それはまさにレベルアップした時に新しく技を覚えて使えるようになるような感覚で閃いたりある瞬間に可能になったことがわかったりするのですね💡



そして現在はそういうのを積極的に活用しているのですよ。


“アセンション症候群”とか、

癒しが起こった後の好転反応的だから自分には手が出せない厄介な一時的な不調感


と思っていた物にも効く技があるのだとしたらどんどん使って理解して修得してマスターしたいじゃないですか!!


もし本当にそうなら画期的なことです!

自分自身のためにもその不可避の不調感と信じていた物を何とか素早く解消する術をずっと探し求めてきたのですから!!!



あれ?

つまりコレってただの私の力量不足だったってこと???




だからそう思った私は認識したのです。


……それらも一つの概念化して理解することができたらスピリチュアル的なアプローチでヒーリング的なことをして解放したりすることができるものなんじゃないかと!!



前回はその代表として出てきたのが

絶望のヴェール”でしたね。



それは、あると思います。

二元性の悪夢にとりつかれてしまってるかつての私のような人間は漏れなく食らってるんじゃないかなって思います😆💥



果たしてそんな物を概念化することに私以外の者にとってどれほどの意味や価値があるのかはわからんのですが、



私は思うのですよ。

既に取り組み終えてマスターした霊的な学びという物は自分の中で一つの概念として理解されることになるのでそれに相応しい名前をつけたり“そういうもの”として一つの形あるものとして捉え扱うことができるようになる のだと。



それは癒しのテクニックとか方向的に考えるのなら


ビジュアライゼーション


という技法なのでしょう。




まぁ“みえる”ものは見えるということなのかもしれないのですが(笑)


私みたいにそういう先天的なクレアボヤンスな高い霊的な能力を持ってない人間でもそういう方法論でビジュアライゼーションの力を身に付けることは十分に可能だと思うのですよ、

本当に望むなら★



私の言うところのディバインマスタリーの考え方ですね。

(……もうその言葉さえ忘れてたけど⚡)



ちなみに


クレアボヤンス? だっけ???



そう思った私は少し調べたのですが📝



有名なクレア○○という言葉の霊的なセンスみたいな物は4つあるようで、



どうやら私はその中では

クレアコグニザンス(?)


に特に当てはまるようです🙆



私の言う所の“預言者ポジション”って感じのやつですね✨


あることに関して面白いくらいにインスピレーションやビジョンが“みえる”とか既に知っているという確信があって実際にその通りになるとか


なんかそんな感じのやつ。



クレアボヤンス(霊視)とか

クレアオーディエンス(霊聴?)とか


そっちの方がいかにも霊能力っぽくてわかりやすいしかなり有名な気がします




私はそういう“能力的な”スピリチュアルはあまり深く学んでいない生粋の実践者みたいな所があるのでクレアコグニザンスという物があることも今回初めて認識したり理解したということになります。

(たぶん何度も見たことはある。ただ自分には霊能力みたいなのは関係ないと思ってたから意識に入らなかったんだと思う🔒️)





……そうか、それも立派な霊的な力=センスだったのか。

なるほど……だからそういう出所の情報とか感覚ってのは基本的に理解されなかったり共感されないことが多いのか……φ(..)


そういうことだったのか😃💡

それなら仕方ないし無理もない。





……なるほどね~。

そうと知ってれば語るところと語るべきでない所は明確に切り分けたものを。



私のビジョンや“霊知”も導きと同じくらい独特だからなぁ。それを他者に理解させる必要は別に基本的に無いと思うし。

変な誤解されるとわかってたら語らんよ。





うん、

そういう感じで自分が知らない……


自分が出会えてなかったり

認識できていなかっただけ



で実際には既に存在する概念てすごくいっぱいあると思うんだよ。



それに私は意図的に(隠された意図含む)そういう外側の誰かが語り示した知識とかってのよりも先に内側から同質の内なる知恵として知ってゆくことをとても好んだり必要としている人間なんだろうし❇️



私はそうやって内なる叡知として理解することによって先に修得してからその理解を答え合わせしてゆくように後から知る方が好きだし性に合ってると感じてるんだけど、

もしかしたらそれこそがクレアコグニザンスの感覚なのかもなって少し思う。


だってそうすることで練度と密度を、


答えは外側にあるのではなく内側にある


ってのが深く実感できるし、

そういう意味で“本当に自分の物にする”ことができると感じられるから👌✨



だから私は、

割とバカっぽい愚者っぽい効率的じゃなさそうなやり方もするんだけど、


正確にはそれは“順路”なんだよ。

それはもしかしたらクレアコグニザンスなセンスを強く持つ人間にとっては当然の知識なのかもしれないね😊



ほら、既に正解ってわかっちゃってて、

しかもそれが本当に正解だって実感があるとしたらさ?


そうじゃない道なんて選べるわけないでしょう?



そういう意味でまばゆちゃん、
というか、そういう概念やリアリティーがよくわかってる話やそういうセンスを持つ登場人物な物語を見てると安心するんだよ。

そう、
やっぱりそうだよね!!


わかってくれて嬉しい!!
みたいな感じで😌♥️



(……そして庇って潔く死ぬと。
これは惚れる。まさに漢(?)である。)


最後に残るのはこの言葉。



もしも本当に“辿るべき未来”を予め知る能力があったのだとしたら、最後はどれだけそれを周りの人間になるべく快く受け入れさせることができるかがとなるに違いないだろうから。

そのポジションの異質さゆえに非常に信頼されにくいというのにそれが最も必要な能力だという。
……身につまされる話ですね(´ Δ`)
筆舌に尽くしがたいってやつ。


……しかし私、このくだり好きよね。

一周目……初見のこのシーンの衝撃は凄まじかったのでしょう。覚悟を決めて自ら死の結果を呼び寄せる選択をする人の生き様や物語を見るのってたぶん私にとっては深い癒しになってるんだと思うの✝️

慰めっていうか救いって言うかさ?



そうだよね、

それで、いいんだよね……。

それしかなかったんだよね。。。

そう思えて、安心するから。



ちなみに予知で先に知る→体験の話なのでストーリー演出的にはプレイヤーはこのシーンをほぼ続けて二回見せられるのである。
とっても斬新。なんかもう感動した!
愛生まばゆは二度死ぬ。




あ~、うん、

運命の分岐とか岐路とか(同じ?)


だからそういうのが割と普通にわかるんじゃないかなって思うんだよ私は、

クレアコグニザンス民であれば。



これは文字通り、

持つか持たないかのセンス


だと思うんだよ。

だって持ってたら全く違う世界のリアリティーを生きることになるんだから。


運命の分岐の瞬間みたいなのとかにはっきりと気付いちゃうとしたら、



それを知ってしまった自分の心に折り合いってのをつけなくちゃならなくなる。



一度知ってしまったことを知らなかったことにはできない。


……それなら私は、

どうするだろうか???



未来を、変えられるのだとしたら???

それを変えないのが正解としたら???


……それなら私は、そうと知っていて捨て去ったもう1つの可能性を悔いることなく受け入れることができるのだろうか???



どちらもは選べない。

なら、決断しなきゃならない。


“先に可能性を知ってしまった”ことによってそういう内面的な重圧にケリをつけなきゃならなくなる。


“余計なこと”さえ知らなければそんなに悩むこともなかったかもしれないんだけどね。





そんな感覚のある私としては、


予め知ってしまった可能性を前に、

懸命に考え思い悩み葛藤しながらも答えを出して信じた道を突き進んでゆくような登場人物やそういう物語ってのは、


心の慰めや癒しや励みになるんだよ。



可能性を先に知る者ゆえの悩み……みたいな物ってことになるかな?




……なぜこの人たちには“未来”が見えてないんだ!!




って思うことは人間なら大なり小なり誰でも有ることなのか?


それとも本当にそれは限られた人間だけが持つセンスなのかは正直私にはわからない物だと思う┐(´∀`)┌



きっとそれは鏡の向こう側の話。

私の立ち位置からは絶対に見えないもの。





そんな感じで私は“周回”の概念のあるものだとかいわゆるループ物とか好きなんだろうなって思うし、


現代社会の構造ゆえの人間が見てる世界観や枠組みの枷から外れた世界観とかフィーリングってのは本当に気が楽になる。



それはとても安心するんだよ。



そう、

やっぱりそうだよね!!


って。





私は一応、


もし自分がその人間として生まれ同じように育ち経験を重ねたなら同じ意志を持ち同じ選択をすることになるのだろうと思える程度には自分の立ち位置を絶対的な物にはしていないんだけれど、


やっぱり人間には立ち位置っていうのがどうしてもあるから、本当の意味では自分が持ち得ない可能性は理解できないって知ってる。





そう、

だから“同じ”ような人間の存在感にとても安心するし嬉しくなる。

きっとそれは誰でも同じなんだと思う。





知れば知るほど選択肢……というよりは無数の可能性があるように思えて、

特に選べるのだとしたら

選んだ方が良いと思える可能性

というリアリティーに思い悩むことになる。



それを実際に選べるかどうか……

“存在する可能性”かどうかは別としてもね。







そうそう、

他者に共感されるかどうか理解されるかどうか役に立つかどうか?



という考えを無視するなら、

私はこのような話やリアリティーが自分にとってとても馴染みが深いし上記のような理由で思い入れがすごく強いから、


こういう話が好きなんだよ。



それは自分の世界の色だから。

それは自分の世界においては呼吸をするように当然で普通で自然なことだから。




これを私の感覚で表現するなら、


ただ時間の輪に囚われ閉ざされただけの世界観なんてダメ。そんなのつまらないし面白くないし深みも味わいも足りないし

密度も感動も何もかもが足りないんだよっ!!




って感じ。




他人に合わせなくていいんだよ



という考えを受け入れるなら、

私の世界はそういう色なんだよ。



普通に生きてるだけでは体験し得ない何倍もの時間と密度を生きて多くの体験と感動を集められるような、

そんな世界観がいいんだよ。



それがしんどいのだとしても、

求める感動の1つでもあるんだから、


そのすべてを精一杯生きること。

それがきっと……やがて愛となり祝福となるすべてを今この瞬間に生きる喜び。


それを実感できるのは完成を迎えたその瞬間になってからなのかもしれないけど、



私はそれがいいんだよ!!




きっとこれは幸せな人生の答えの1つとしてはこの上なく素晴らしい物だと思う。


まったく簡単じゃないけど楽しい。





……もしかしたら今の私はその想いを自分だけの物にしておきたいと思っているのかもしれないけれど、

別にそれでいいと思う。


きっとそれは誰だって同じことなんだし、



だからこそ自分だけの物にしても何も不都合なんてないんだよ。

みんながみんな自分だけの想いで心を満たし輝かせることができたなら他者に自分を満たしてもらわなくたってよくなるんだから☆


それは結果的に想いを分かち合われることと同じことになるだろうから。



仮に答えは1つだったとしても、

やり方は1つじゃない。


そういうことなんだね🌠



そんな神聖な意思を持つ私が自分の持ち得た可能性のすべてを解放することができる者になったとしても何も不自然なことじゃない。



そう、

それは不自然なことじゃないんだよ。

とても自然なことなんだよ。





実は内なる=心の力を使うためには何よりもそういう超自然な意識を自分の中に成立させることがカギだったりするかもしれない。



超自然なら何が起こったっていいだろう?






→この記事はまだ公開したくないので保留されました🌠




→→2日後くらいに追記編集して公開されました🙆

この記事は“お茶でも濁しとけ”な感じのサムネが採用されています↓

(たぶん時期尚早だから)




私は結構個人的に“福音”て言葉が好きらしいんだけど、

ようやく相応しい報いを与えられる


っていうようなイメージを感じるんだよ。

私はきっと心から報われたいんだろうね。