さて、今の私は“原点回帰”という方向で導かれたりしながら進んでいるのですが
わかりやすいシンボルとか道しるべはコレ↓
たとえば、
人生にエレメントの魔法をかける
という言葉が書いてあるけど、
私はその言葉の意味がなんとなくわかってきてるような気がしてる。
例えば、
きっと私の人生や生き方とか意志?
みたいな物には水のエレメントと呼んでいい気がする物が欠如していたように思う。
水のエレメント
という言葉を聞いて私がまず思い浮かぶ物としては、
癒しの力 とか
感情的な性質や心の繋がり とか
なんかそういうのなんだけど、
計らずも私はそのどちらもを無意識レベルにでも拒んでいたり嫌がっていたように思う。
逆に火のエレメントとでも呼ぶべき方向性の力や意志のような物ばかりを好んで使っていたように思う。
そんな私が“癒しの力”という物を上手く扱えなかったりそういう方向に自分を使うことを無意識に強く避けようとするのは無理もないことだとわかるし、
そういう意味で言うと、
私は水のエレメントの適正が低い
あるいは、
水のエレメントが使われずあまり鍛えられていないから“癒しの力”を習得したり上手く扱えるようになるほど水のエレメント値みたいなのが育ってなかった
みたいな状態だったと思うんだよ、
ゲーム(脳)的に理解すると😃💡
私自身が思うには、
仮にエレメントを代表的な4つとすると、
火、土、風、
その3つは十分に習得して扱うことができていたけれど🙆
水のエレメントだけは例外で、
確かに基本的に自分のことをそういう使い方をしてこなかったと思ってる🙅
……なぜそうなのかって言うと、
割と簡単に説明できる気がする。
私が自らに必要とし求めたのは、
現状を変革する力とか
ビジョンを具現化する力だから。
そういう意味では水のエレメントな領域の性質や力ってのはかなり遠かったり目指すものとは逆の方向の可能性さえあるわけで。
それに、
私はもう忘れていたけれど、
私が“癒し手”として自分を積極的に扱わない極めて明確な理由というか判断基準みたいな物があるんだよ。
それは、
癒されてるヒーラー
と
癒されてないヒーラー
みたいな物だったんだな~って、
最近お世話になってるマスターキーの本にも書いてあったのをチラっと見て思い出したりしたんだよ👁️
……もちろんその2つの言葉が示す物をまだ今の私は正確には理解できてないと思うんだけどね?
“傷ついたヒーラー”ってここでは表現されてるようですね。
……しかしアレですね、
今さら気付いた気がするけど、
この癒しのマスター・キーの本って物凄い専門書みたいな物なんだなって……(*´ Δ`* )
私はこれでも“霊性の教師の質とか才”があるのでこのことは結構前の段階でも認識できているのですが、
そこまでを求めてない人間……ヒーラーとしてやっているスピリチュアル界隈の人間も多いんだろうな~とか思ったりするわけですよ、
今となってはこの本に記されてることをすぐにではなくても受け入れ理解できるようになったのは事実だろうけど、10年前の私でも5年前の私でも2年前の私でも拒否反応を起こすような“厳しい”内容がすごく多いように思うのですよ⚡
厳しいってのはアレです、
その情報や可能性を知ってしまうと、
それまでの自己像や世界観が崩壊するとまではいかなくても内面に深刻なエラーをきたす可能性があるというか、
そんな感じの意味です。
つまりそれを知る時期タイミングによっては明らかに薬というよりは“毒”になるような内容でもあると思っているということですね💡
お前(自分)にはまだ早い。
というようなサインや導きとか直感を受けることは私個人としては頻繁にあるのですがそんな感じというか。
まぁそんな感じで、
自称:霊性の教師である私 としては、
(可能な限り)“癒されたヒーラー”となるまでは自らの力を癒しのため特に他者に向けて行使することは避けるのが賢明だ
という感覚があるのです。
それはどちらかと言えば“知識”と言ってもいいかもしれない。
いわゆるKnowledgeなやつね。
それはなぜなのかと言えば、
その原理を正確に説明することは今の私にはまだ不可能(であり不要)なのですが、
やったところで、
“真の癒し”にはならない。
そう直感しているからなのですね。
そしてたぶんそれは正しいのです。
……なるほど。
それもあって私は自らの扱える癒しに類する結果を起こす術や方法論をまとめて神聖魔術とか呼んでいるのでしょう。
それは何て言うんでしょうか、
“真の癒しの方法”というより、
私の“趣味的な癒しの術”
とでも言えば正確かなって(笑)
そうそうそんな感じ。
ヒーリングのワークをするのが好き=趣味だとか、
ヒーリングのワークやエネルギーを開発(?)するのが好き=趣味とか、
なんかそういう人と同じような感覚かと🙆
実際、おそらく
癒しの意味を正しく理解するのなら、
人間的な練度とか経験値とかスピリチュアルな適性とか訓練度合いとかそういった物は特に関係ないのですね。
癒しが起こることを自らに選択してそれを正しく許可することさえできたら癒しは起こるものです。
だから霊的な探求とか学びってのは蛇足……というわけではないにしても、癒しを得るために必要な物ではないと思うのですよ。
……それなら何なのかって?
そりゃ“楽しみ”であり“趣味”のような物だと私は思うのですよ👌✨
そっちの視点から考えるなら、
そういうことを望んだ自分の願いを叶え体験させてもらうために
自分に“癒させてくれる誰か”というものが存在しているということになるのですね❇️
だからそれは趣味であり喜びの体験だ、
と考えることができるのですね。
あらゆるこの世界的な体験が“自分”のためにそれぞれのために互いに(?)協力し合い用意されているのだとしたら。
そういう意味で、
もし私に対して癒しやそれに類するものを求めてくる誰かに遭遇した時にはそういうものなんだろうなって感じるのです。
私が思う“霊性の教師の資質”みたいな物があるとすればそういうものだと思うのです。
何て言うんですかね、ソレ。
ワンネスってほどワンネスって感じでもない気がするし(笑)
分離の幻想の闇……
絶望のヴェールみたいな物がはがれた時に見える一瞬の世界というか。
どちらかと言えば本当はこの世界ってのはそういういわゆる愛とか善意とか互いの協力や愛な神聖な関係性によって形作られているとでもいうか。
あ~、うん、
それをワンネスと呼ぶのなら非分離意識である時に思い出される真実性や実在性の光とか愛に満ちた世界観てそういう物だと思うのですよ。
私は別に“良い人間”ってわけじゃないし、
良いとか悪いとかじゃなくてさ、
自分にとって真実の道を辿ることこそが何よりも重要で価値があるだろう?
とか思ってる人間なんだけど、
だからその尺度、かなりキライです🙅
私は綺麗事……というより
嘘っぽいとわかりながらとりあえず見た目だけ綺麗にしただけの考えとか雑な仕事みたいなのがすごくキライなのですが、
(特大ブーメランかもしれないけど💥😂)
……なのですが?????
果たしてその言葉に続くはずの物とは一体なんだったのか………………
うん、そう、
だから私は基本的に仕事っぽい感じのやり方をしたくないと思ってるらしいんだよ。
それはただの認識の違いなのかもしれないんだけど、
究極の二択……仮にそれを虚構性と実在性とした場合にその2つから私が実在性を選ぶためにはそういう考え方……思考プロセス?みたいなのが必要らしいんだよ。
だから私は意図的なのか無意識なのかはわからないけど、
プロの素人
みたいなやり方……存在感?
みたいなのを好んでる気がするんだよ。
そうすることで
“仕事にしなくていい”
というか、
仕事という前提や認識で物事を取り扱わなくてよくなるというか。
うん、なんか私にはそういう考え方や解釈ってのが必要で正解らしいんだよ。
何て言うか……そう、
例えばアレ↓
前回の記事でその詳しい背景?みたいな物が書かれてた気がするけど↓
この“再生と祝福の光”という物を私が初めて認識したのは2015年のことなんだけど、
それが今になって……2024年の春になってようやく意味を成し輪郭を結び始めているような状態なわけだよ。
つまりそれは単純計算で考えても、
9年ほど経ってようやく“再生と祝福の光”というインスピレーションとか内なるビジョンとして曖昧ながら認識していたような物が現実味を帯びてきたり具現化されるタイミングを迎えたということなんだ。
……私の思う“仕事”ってのはそういうものなんだよ。
それが認識されたり思い付いてから具現化されるまでには長い長い時間や思考プロセスを必要とする練りに練り上げ鍛えられた果てにようやく形になる=仕事として成立するような状態になるようなものなんだよ。
そういう意味で私は基本的に
“仕事”として扱いたくない
と考えるのは、
無理もないことだと思うんだね┐(´∀`)┌
いわゆるそれが私にとっての“本業”ってやつなのかもしれない。
もし仮に予めそれを思い付いてから完成させることができるまでのタイミング……
“仕事”として実際に取り組むことになる期間
なんて物がわかったとしてもさ?
……9年かかるってわかったら、
それはそれでイヤでしょう?
……出来心で考えたりただインスピレーションとして思い浮かんだだけなのに
なんでそんなに長い時間かけて完成させなきゃいけないんですか?
それならもっと別のことするよ!!
って、思っちゃうでしょ?
私はそう思います!!
そういうことなんよ。
私が飽くまで“仕事”と呼ぶのは“本業”だけなんだよ。
それ以外はすべて“ごっこ”なんだよ。
それは安く見てるって意味じゃなくて、
そう考えた方が上手くいくから
という理由なんだよ。
……本業ってのは大変なもんさ。
それがしんどいとか苦しいとかいうのとは別であったとしてもだよ?
生涯や人生の中のある程度長い時間をかけて少しずつ進めていくようなライフワークみたいな物だから、
少なくとも“簡単ではない”んだよ。
楽しくても簡単ではないし、
楽しくなくても簡単じゃないんだよ(笑)
どうやら私という人間……あるいは存在としての認識では“仕事”ってのはそういう概念になっているらしい。
だから私は本業……自らそれこそが本業であるのだと認めざるを得ない宿縁の業みたいなお勤め以外は“ごっこ”にしておくんだよ。
そうすると気が楽になるだろう?(笑)
それにこれはとても重要な考え方だよ。
いわゆる
“エネルギーを分散させない”
みたいな意味としても。
そして私は気付いたらしい(?)
私がやりたいのって本当はコッチ↓なんじゃないかなって。
コレ↑とコレ↓は似て非なるもの。
見た目は確かにすごく似てる、
というかほとんど同じである。
でも私の中での扱いはすごく違う。
今までの私は“本業”に物凄くこだわっていたし、
それは“執着”していたと言ってもいいのかもしれないなって思う┐(´∀`)┌
なんでって???
そんなの簡単、
そっちの方が“すごい”から。
エライんじゃなくてすごい🙅
私は“すごい”ものを形にして表現したいと望んでいた。
なぜかと言えば私が受け取ったインスピレーションや内なるビジョンは確かに“すごい”と呼べるような物だと感じられたから(笑)
それは難易度が高く、練度が高く、
並大抵では及ばず、
たとえ自らにそれを達成できるだけの恵まれた才能があったとしても一朝一夕では及ぶはずもなく何年も継続した取り組みがあってようやく実現可能になるような…………
そんな“自分だけの何か”が欲しかったから。
確かにその過程では似たものも見かけるし真似する者も現れることもあるだろう。しかしその道をひたすら進み続ける中で似せただけの物とは全く異なる“中身”を見出だしてゆくのだから事実それは全く別物になる。
……それに、もし仮に私と同じような物を作り上げる誰かがあったとしてもそのためには最低限の努力や割と果てしない修練が下積みとして存在するのだし、
逆にそこまで来たなら似てるものは見た目だけで中身は全く別物として仕上がるのだからそれはそれで素晴らしい“仕事”だと心から祝福し尊敬することは容易い。
……そもそも、
極めに極め絞りに絞った一撃!!!!!!!
みたいな物が大多数の者にとって役立つものとなるわけもなく、それはごく一部の人間というよりも特定の人物にのみ神器として機能するようなイベントアイテムや
確かにすごいけどその他扱いの
使用不可能な代物になってしまう可能性の方が高い⚡
……それはあまり“祝福”には相応しくないということでもある。
神聖魔術の極みたる神器
みたいな物を私が自らの内なる求めに答えるために仕上げるのなら正解だと言える。
でもそれはとても“扱いにくい”ということは間違いないと思うんだよ、うん。
……それは今までの私には“神器”しか目指せなかったということだし、
誰かに必要とされたり喜ばせたりすることが目的なんじゃない、
私にのみ成せる至高の一つ
こそが目的だったんだから。
まぁ、それは望んだ通り順調に進んでいるということなんだね。
そして“祝福”の表現として自分を使うことができる私は“ごっこ”を楽しんで行えるような自分に違いない。
それはきっと……生産的な“仕事”を果たそうと考えるよりも自分に与えられた可能性やセンスを楽しみながらそういう意味で自分と人生のすべてを愛し歓迎し喜んで受け入れている幸せな夢の世界の住人のような私に違いないのだろう。
そのような自分へと戻ることを原点回帰と呼ぶのなら、
なるほど、あのカードが示す道しるべはこの上なく正確だとわかるし、私がホーリースピリットに与えられた私のための独特な導きもまたこの上なく今の私が真に必要とするものだと気付くことができる。
そう、
その視点と自己認識にまで持ってくることができたのなら、
なんだ、
じゃあどちらも並列してやればいいだけじゃないか?
当然そのように思うわけで。
そう、今までの私にはそれができなかったんだよ。
私は“すごくあること”こそが素晴らしいのだと信じていたんだろうから(笑)
そしてそれ自体を目的としなくても、それを望んだ今までの私が努力を惜しまずひたすらに積み重ねてきた物があるから、
私は絶大な労力を必要としなくてもかつての自分が願った“すごくあること”が十分に可能だとわかる。
まぁ他者の判断基準で私が“すごい”のかどうかはわからんけど、実際それは私が私にだけ求めていたすごさみたいな物だからそれは全く関係ないわけで👻
そうして私は“本業”以外の“ごっこ”や趣味や楽しみのために自らの力を使うことを許すことができるようになったのだった……。
強いて言うならそれが下積みだったんだろうなって思う。
他のこと考える暇があるならとにかく自らの力を高めて目的を達成するだけの実力を得るんだ!!
他の話はそれからだ!!
っていう修練と下積みの時代の人間だったんですね、私も。
なるほど、
どうりでしんどいわけだよ(゜Δ ゜)
“自分で決める自由もない”わけだし!!
……これが“素人のプロ”ってやつか。。。
そしてアレなんですね、
その“実力”さえ得られたなら、
それを得てゆくに相応しい人格の私
ってのは、
もう用済みなわけで(笑)
そんな固くて苦しくてガチガチな修練者みたいな自分である必要は無いのです。目的を達成したのですから。
……そう、そこで出てくるのが例の、
異なるパラレルの自己と可能性を選択することで生まれ変わるように生き直す
という荒業!!
そうして私は考え、理解するのです。
……もし仮にそれがいわゆる波動的なフィーリング的な方法論によって同調することでアクセスし引き寄せシフトし同一化するという意味であるのなら、
そのためにいわゆる求める自己と現実感に相応しい波動的リアリティー……座標やアドレスみたいな物を見つけ出し特定することが必要になるわけで。
……私が作ってたディバインでマジックなクリスタルなアイテムってそういう特定の波動的リアリティーな自分の持つ可能性や現実感を開くためのカギとなるアイテムだったのでは
……そうか、なら、
ディバインマジックキークリスタル !
~神聖魔術のカギたる結晶物
というのが本来の名前ってことになる。
(どちらかと言えば、クリスタルオブ~って言葉なんだろうけど。)
たぶん私は“カギ”として高い資質を持つ者だろうから本来それはすごく得意だと思うし。
……あれ?
ここまで来れたら実は急にめちゃくちゃ簡単になるとかそういうことも有りそうかも???
もしかしてコレが“絶望のヴェール”を撃ち抜いて砕くということなのでは???
うん、
絶望のヴェールを粉砕するワーク(ヒーリングでも可)
とかなら喜んでやりそう(笑)
それなら(私が)楽しいでしょう???
まぁそういうワーク(仮)みたいなことも密かに思い付いては行ってるわけです。使う機会があったら披露してやりたいもんです👌✨
……もし本当に“絶望のヴェール”なんて物を撃ち抜いて粉砕することができるんだとしたらそれは素晴らしい仕事になるだろうからね☆
なんかそういうのを認識したんだよ。
しかも何枚かありそうなんだよね。それを外すごとに“すごい”力なリアリティーが認識できるようになりそうな感じの。
分類としてはオーラの深層(?)をいじる系のやつの仲間だと思う。
ヴェールって言っておきながら私のイメージでは闇のバリアみたいやつなんだけどね。
それも“コース”の中でそういう興味深い概念が語られてたからね~。
真実の世界に満ちる神の愛と光から
自分を守るための闇のバリア!!
みたいな感じの。
ね?
絶望のヴェールっぽいでしょ?
まぁそんな感じで?試しに私は今朝方、
朝目を覚まして起きることが心身ともに苦痛ではないリアリティーを持つ自分
!
みたいな物にさっそくパラレルシフトを試みたりしたわけですよ!!
この
絶妙にしょーもない
けど超実用的な感じ、
やっぱり手軽に使えたり試せる魔法みたいなのはこうでなくちゃね😆
実用性って大事でしょ?
それこそが地のエレメントの最たる発想だと思うんだよ👍️✨