前回の続きってことで書いていきます。
あの本を読み終わった私は、
そういう感じの本を他にも持っていたということを思い出したのです。
そして次に読めるなら読んでいこうと思った本がコレでした。
これも何年か前に新発売な告知が出されていた頃に買った記憶がある物で、
そしてほぼ全く読まずに本棚にしまわれていたからまだ綺麗なままの本の一つです。
まぁね、
中身を見なくても表紙だけでも
なかなか読みづらそう
と感じさせるような物だと思います。
うん、
でも当時迷わず買ったんですよ。
ナチュラルスピリットさんだから内容も信頼できる&気付いたらある日廃刊されてるかもしれないよなって思ったから(笑)
結論から言ってあの本……前回の記事まで扱ってた LIVE YOUR HAPPY(原題)
↑この本はかなり読みやすかった。
確かに。
離婚も流産(体外受精による)も経験して、
どうやったらそれでも幸せに生きられるんですか?
って私も思った。
……そして個人的に一番意識に焼き付いたこととして、
やっぱり“コース”的なミラクルがあったからって病気や手術を免れることはできるもんじゃない避ける必要もなくなるって意識になるんだなぁ。。。
みたいなことを、
私は強く思ったのですよ。
(あ、うん、フランセスの話とかもあってやっぱり気になるじゃん?もしそういう話を扱うとしてもそれはもっと先だろうけど⏳️)
手術とか痛そう、怖い。
とか思ってるような私としては、
そこが一番意識に残ったのです(*´ Δ`)
肉体の痛みと精神の痛みって色々と違う物だと思うし、この人生的には肉体の痛みみたいなのはあまり知らないから痛いのは普通に怖く思うのです👻
後は、エゴ的な分離意識なリアリティーに根付いたあらゆる思考や感覚を
エゴの寝言
って表現してたりしたのは面白いしわかりやすいなって思いました😃✨
確かに、
いかな“悪夢”と呼べど、
それはただの夢。
その言葉の意味が掴めるようになったならわざわざその寝言に耳を傾ける必要も無いと理解可能になるわけで。
それが選べるだけの経験と“信頼”を得られたのなら何も難しくない選択なんだろうなって感じるのです。
ここに書いてあるやつですよね。
っていう“テキスト”の言葉が紹介されてたんだけど、本当にその通りだなって!
実際に私は↑に書いてあるような、
“正気”と“狂気”の話が非常に強く意識に残っていたので、その2つを自分の中で闘わせるというようなこともしていたのですよ、
特に5~6年前の時点では🍀
まぁしかしアレですよね、
それはいつものやつです(笑)
スピリチュアルとスピリチュアリティをvsさせていたように、
上手く理解できない“正気”と“狂気”を闘わせていたわけですよ┐(´∀`)┌
なぜそれら2つを闘わせるかと言えば、
果てしなく闘わせる(見極める)ということを繰り返していくとやがてニセモノであったものが消え去る瞬間が必ず訪れるからです。
まぁ実際はどっちも消えちゃうようなものだからどちらもニセモノみたいなものなんですけどね
しかしその2つしか認識できない以上はそれら使える道具を使って第3の選択肢を呼び覚ましたり出現させたり復活させるために手を尽くすしかないのですよ。
それはあまり上手いやり方ではないのは間違いないのですが、まぁ避けては通れない通過儀礼のような物だからたとえそこに本当の答えは存在しないと勘づいていたとしても闘わせるわけです。
他の物が見えないんだから仕方ない。
見えてる物が望むものじゃないってことだけがわかってるんだから先にそれをなんとかして消滅させなきゃならないんだから上手くやれないのは無視して進むしかないのです。
霊的な道でも若い頃の苦労と恥はかきすてってやつです。今やるか後でやるかくらいの違いしかないんだから┐(´∀`)┌
マスターキーの本のほうにも、
やっぱり書いてありましたよ!!
たぶん、私は
そういう感覚や表現が大好きなんだと思うのですよ。
別の表現で言うなら
すごく安心する。
という感じ。
そして私は、そういう強い感覚を持っていることこそがいわゆるスピリチュアリティの高い資質を持っていることの証明なんじゃないかと感じているのですよ。
自分の意志や力を越えた大きな力や流れや計画という物が既に存在していて自らもそれに乗り包まれ守られているのだ
みたいな感覚ですね!!
内なる神とか聖性の実感と言ってもいいのかもしれません。
そんな感じで、2022年の春頃に購入だけしていたマスターキーの本を2年ほど経った現在読めるようになったっぽいのです。
全部読めるかはわかんないけどね?😆
そしてやっぱり私は思うのです。
私は霊的な道の実践者としても、
地上の(この場合分離の幻想的な)感覚を生きる人間としても、
非常~に中途半端な半端者
だと感じているのですが、
しかしそこにこそ妙味や妙技となる物が存在しているように思うのですよ。
一つの道に絞らないからこそ都合よくいいとこ取りができるというか。邪道と正道は紙一重というか。
聖なる意図を持って進まれた邪道は自ずから聖なる邪道術にでもなるというか。
今のところ
話の本筋じゃない気もするんだけど、
ディバインマジックって言葉を既に見たことがあったのだと思い出したのですね💡
っていうか予期せぬ所で見かけたのです。
HIMMELという言葉がドイツ語で空とか天国って意味なのだと葬送のフリーレンを見てるタイミングで全く別の所で知ったように❇️
うん、確かに知ってるけど忘れてたし、
この話と私が思うディバインマジックという概念を結び付けたことは一度も無かった。
……直接的には関係ないよね???
っていう感じですかね、
今の進捗としては。
色んなものや情報に触れても、一気には理解できないのですねやっぱり。それは種として降りたって芽吹くまでには時間がかかるように↑の話のように、
機がタイミングが熟した時に初めてそのことを思い出すように理解するのです。
それも時間を使ったトリックみたいな物なのでしょう。
そもそも時間というのは本来そうやって使うものだ
みたいな感覚もあるんですけどね。
そしてもしかしたらそういう見方をした場合には時間の上での世界や体験とか感覚ってのはとてもマジカルで楽しいのかもしれないなって。
魔法が使えるような 世界が広がる
みたいな感じですよね。
(↓シャイニングスターの2番聴いてどうぞ。
それもまだ拾ってない部分の話🌠)
こういうのが私という人間に示される具体的な導きなんだよ。つまりこれが私の聖なる道でありミラクルの中にある道ってこと。
これは実にディバインマジック。
そういうことなのかもしれないなって、
理解するより先にそう感じてる。