前回の話の続き
になると思います今回も🌠
あの本読み終わりましたよ!!
ちなみにかなり最後らへんに書いてあったのですが、
この本の原題は
LIVE YOUR HAPPY
(あなたの幸せを生きる)
なんだそうです。
……………………え?
本の表紙に書いてあるって???(゜Δ ゜)
……うん、そうみたい。
私は本当にたった今、それに気付いた!
いや、さすがに、
○○すれば△△できる
~すれば幸せになれる
なんていうふざけたタイトルの本ではないだろうとは思っていたけれど、
おいおい、ホーリースピリットだとか奇跡のコース的なスピリチュアリティの内容を扱っている本のはずなのに、
まるでその意図とは真逆のようなタイトルを付けたのは罠か何かか?
というような考えで頭の中がいっぱいになってしまっていたからだと思います!!😆💥
見事に罠にはまっていたわけですよ
(少なくとも5年前の)私は。
これこそが罠!!
“コース”の中で見る用語的に表現するならこれこそが“誘惑”なのだとわかりますね(笑)
もうほんとうずうずしちゃう。
釣り針大きいですよ。
って感じ、
……それでも釣られちゃいたくなっちゃう感覚こそまさに誘惑なのだと、
今の私にはわかるわけです(*´ Δ` )💫
そうですね~、
なんか本当に懐かしい気持ちになったような気がします。
私がそんなに真っ直ぐにホーリースピリットだとか“コース”的な方向に意識を向けていたのは2019年くらいまでのことなのです。
確かにあの頃の私には何もなかったし、
しかし
状況がそれを許さない!!
というような理由もあってか、
ほとんど“平和”とか“愛”に戻るとか、
そんなことさえ認識できないような状態でいることの方が多く、
今よりも何倍も難しい人生状況に置かれていたのは間違いないのですが。
あ~、うん、
それから5年経って、
色々とすごくよくわかるようになっていたり手に取るように理解できる状態に変化していた部分がいっぱあるとあの本を読んでいて感じたのです。
例えばコレとか、
……私は訳もわからないままに、藁にも縋るような想いで“コース”のテキストを必死に読み始めていったような者だったので、
一番最初に記されている“奇跡”の意味すらほとんど理解してないような状態で、それでも何とか聖霊をホーリースピリットに頼りながらその道を進んでいったようなやっぱり中途半端な感じの人間なのです。
必死だったんですよ。
もうそれしか道は無い!!
ということだけが理解できたのです。
強いて言うなら、
奇跡でもなんでもいいから私を今の状態から助けてください!
と願えるようになった意識というのが、
↑に書いてあるような
こころにミラクルの準備ができた状態
だったんだろうなって。
経験してきた人間として思うのは、
なんでもいいから助けてくれ!!
って思えるようになるのは、
もう最後の手段とか、
できることならこれだけは使いたくなかったけど他に手もないから仕方ない。
というやり方を選ぶ時には決死の覚悟みたいなのが固まってるもんなのです。
なんてったって最後の手段☆
なわけで(笑)
……もうしょうがないんだよ。だって他に方法なんてないんだから。どうなったって仕方ないんだし、そういう意味で後悔はしない。
っていうアレ。
私はそのくらいまで行かないと人間=エゴ持つわたしたちは聖霊の助けなんて絶対に望まない受け入れないものだって知ってる。
……みたいなことを延々と語り出してしまうのは私の悪いところ、もしくは素晴らしい所なのかもしれないけど。
今の私は理解できるようになった。
地獄か、天国か。
それを今この瞬間に選択する。
できることはそれだけ。
そういう、
究極の二択
とか呼ばれる選択肢ってのが理解できるようになったし選べるようになった!!
私もついにそこまで辿り着いたんだなってわかるんだよ。
今この瞬間に地獄なのか、
今この瞬間に天国なのか、
そのどちらを望むのか?
その選択肢が見えるようになった!
みたいな感じかな。
確かに、
ちょっと地獄とかちょっとだけ天国とか、
そういう物は存在しないらしい。
以前の私はわからなかったけど、
愛で幸せで感謝で完全な状態であることってのは本来自然なもので、
そう感じられない状態というのは全く普通でなくて完全に異常なのだと。
私はその言葉の意味が理解できるようになっていた。
だから、かつて私が思っていたような、
こんなキリがなく終わりがなく果てしない選択を何度繰り返せばいい!?
という問いに答えるなら、
必要なだけ何度でも。
というのが答えなのだと
😁
いやだってそういうことなんだよ、
だとしても私は!!
こんなもの望まない!!
っていう意識が、
“こんなもの”が見え続ける限りは、
何度でも何度でも何百回でも何千回でも、
1日に一回でも一時間に一回でも10分に一回でも一秒に一回でも、
望まない物を望むことをやめる
みたいなのができるようになるまで、
何度だってそれを選び直すことが確かに必要だから。
……そんなの、一朝一夕でできるわけない。
少なくとも、私にはできなかったし、
状況がそれを許さない!!
という厳しいタイミングなんかだと、
ほんの一瞬だけそれを思い出すことを繰り返すので手一杯。
だって、
“見過ごす”ことはできるけど、
それを“変える”ことはできないから。
だから、ほとんど不可能なんだよ。
もちろんそれは5年前の私も知っていたし、
まさにそういう不可避の苦難感に何とか折り合いをつけるべく必死で日々を捌いていたという表現が正しいだろう。
できることはそれだけ。
ほんの一瞬だけ蘇り完全性な記憶や自己意識を取り戻して……それを内なる灯火として終わりが無さそうな果てのない悪夢の出口を探す旅へと……時間の世界へと戻ってゆく。
できることは、それだけ。
外側の世界は正しさを証明せず、
自らがどれだけ罪深いのかを確認し続けるような時間がほとんど。
そんな中で、できることは、それだけ。
っていうわけで、
今の私は既によっぽど楽である。
でもそういう苦しさの“程度”を無視してコースの考え方に沿うなら、
私はようやく地獄と天国の二択の瞬間に気付くことができるようになったのだし、
同時に今の自分自身には時間の中での学びや経験が不足しているから絶対に理解できない部分があると明確にわかる。
物事には……自然とそれらを理解し身に付いてゆくまでには、たとえ意図的に訓練したとしても時間がかかる。
だから私はそれらを忘れて、
時間の中での経験を積み重ねる。
それがこの4年間だったようにも思う。
もちろん、細かく考えるなら、
それなりに何度か“コース”とかホーリースピリットに意識が向くタイミングというものは確かにあった。
しかし今の自分が望む方向性
としてそのような霊性で聖性の実践に集中した意識が戻ってくるのは、やっぱり5年ぶりくらいのことだと感じる。
私はそんなものより、
もっと成果や力や実績が欲しいと望んでいたから。
それこそが私の意志であり天の意思で、
私を真に満たし幸せにする物だと信じられていたから。
そしてたぶんそれは間違ってない。
今の私には全然そのことを上手く言葉にできる気がしないんだけど、
その紆余曲折は必然だったし、
実際にそのようなスピリチュアリティにのみ集中していたわけではない回り道にも思えるような体験があればこそ、
5年前の私には理解できなかった部分が当然のように理解できたり身に付いていたりするのだとわかる。
以前の私には特に、
神の“平和”を選ぶ
みたいな物は理解できなかった。
だってそんな物は何の役にも立たないし、
一瞬の救い以上の何かを与えてはくれなかったんだから!!
それに私はそれを純粋に望むことはできなかったんだと思うし、それは必然という意味で正しかったとも思うから。
……こういうのを表現するってのは野暮なことなのかもしれないし、
私は必ずそのように思う人間なのかもしれないし、
その上でそのような表現をとても価値あるものに感じる人間なのかもしれない(笑)
それに、私がこうしてホーリースピリットの介入を受け入れたのには明確な理由っていう物がやっぱりある。
それは私には手に負えない
ということを完全に理解したから、
だから何かしら今の自分には見えない可能性を見ることを求めたから。
だから、
やっぱり私はなんでもかんでも例外を作らずにホーリースピリットに捧げるとは限らないよなぁ~って思ってたりする(笑)
そしてそれが間違ってるわけじゃないんだって確信もある。。。
だからきっとそれらを理解した上で私は、
ある程度意図的に自らを邪道な人間として扱うんだと思うんだよ。
なんだろうね~、説明しにくいんだけど、
そうすることで初めて得られる可能性
みたいなのがあるんだよ、確かに。
これは後々になるほどわかりやすくなる。そしてわたしたちはそれを意図的に育ててゆくということをする。
それは何なのか???
……って部分は正確にはわからなくても、
答えってのは簡単にわかる(笑)
望むならそれを見ればいいんだし、
見えないならそれを望んでいない。
っていうそれだけのこと。
断片でも時間でもない非分離的なものってのはものすごく簡単にわかる。
……すぐ忘れるけど(笑)
今の私に重要な選択肢ってのは一つだけ。
今この瞬間に私は天国を望んでいるのか地獄を望んでいるのか。
それさえわかってれば、
何度でも選び直せるし、
今の私でも十分に信頼の感覚は育っているからそれは決して難しくない。5年前よりもずっと簡単だし、闘わなくてもそれを選び直すことができる。
まずはそんな感じ。
この話が展開されたり深まってゆくのかはわからない。
でも、
何かに追われたり追いかけなきゃいけないような地獄の感覚で存在してるわけじゃないのならそうやって先が予想できないって感覚はとても楽しいとも思える。
そうそう、
それが天国の感覚なんだよなって。
それがやがて思い出す自然で普通な状態なんだよなって。
今の私は時間の中でそのくらい進歩したんだなぁ。