もしかしたら有るかもしれない可能性に賭けてみる。/“誰か”のために生きるという幻の可能性を求めて | ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私のストーリーの続き~魂の休息期間中

ついにノンデュアリティの恩恵や救いを得た私のストーリーの続き~魂の休息期間中

14歳頃に霊性に目覚めた私がマスターの魂と内なるビジョンに引きずられあるべき未来へ逆走してゆく聖なるストーリーを開くための記録だったものの続き。今ではすっかり玄人向けでノンデュアリティスピリチュアリティ要素や前提知識超多め注意★

前回の記事の続き



みたいな話なんですかね?

(疑問系)






ややあって、

(たぶん今月のブログ記事として書かれてきたような理解とか気付きとか意識の変化とか)




私は久しぶりに自らホーリースピリットに心を開く機会を得たのでした。




というわけで今はこの本を途中まで読んでいた所なのですが。




この本は確か5年ほど前の時期に入手した物だったように思うし、実際に発行日を確認したら2019年の1月だったのですね。



……つまり何が言いたいかと言えば、



私は5年ぶりにこの本の存在を思い出したのだしきっと初めてこの本を読めるようになったのでしょうね。





私もこの本の著者が語っているように例に漏れず、



自分のやり方が通用しなくなって限界を迎えて降参した時



に、

少しず~つ少しずつ、

ホーリースピリットを頼り心を開き許しとか赦しとか救いを受け入れているのです。



そして今回もやっぱりそうなのです。



今回の私は、



誰かのために生きるって一体どういうことなの?


それはどうやったら可能になることなの?

私にもそれは可能なの???





というような理由や意図から、

最後の切り札のようなホーリースピリットを頼り明け渡すというようなことを選択したのです。





私は色々なもの……概念や観念を片っ端から幻想として消し去ることを望んできたのです。



誰かのために生きる

という観念も例外ではありません。



……というより、

誰しも究極的に“自分”のために生きることだけが可能である



という“知識”が既に自分の中にあるので、


私の中では既に誰かのために生きるという考え方やその現実感という物は失われてしまっているようなものなのです。


言い換えるなら、



そんなものは存在しない。



という感じなのですね、

ただの言葉遊びだと言われたとしても。






しかし私は、思ったのです。



もしかしたら今の私は求めた“救い”という物を見つけ出して知っていて、既に救われなければならないような状態ではなくなっているのかもしれない。

……それなら、私の苦悩や葛藤とは必ず他者との関係性の中にあるに違いないし、



自分のせいで誰かを悲しませたりがっかりさせたりする



という現実感を私はどうすることができるだろうか?



……それはもはや私の手には負えない物だということはわかっているし、元々そんなものは必要もなければ有りもしない錯覚のようにも感じられるのに今の私はそのことが理解できずに苦しんでいるのは紛れもない事実。



自分や他者の抱える不必要な苦しみをどうすれば取り除くことができるのだろうか???




きっと私はそれが知りたくなった。



今まではそんなことには興味がなかったのかもしれないし、



自らの苦しみや弱さとは自らでケリを、落とし前をつけるべきものだ!!



そう固く信じていたからかもしれない。





しかし、恐らく私は勘づいてる。

それは本当にただの無意識レベルでの直感みたいな物なのかもしれないけれど、


私が真に願い望む可能性を得るにはミラクルで奇跡の上にある道を辿ること以外にはきっとどうやっても不可能なのだろうと。






それに、


前回だったかに書いた



嘘かホントか、

自分の運命が変わった



という話。




その結果としての必然にも思える。




私が意図した物は、真に望んだ物は、

最果ての可能性というもの。



そしてそのためにホーリースピリットの介入を受け入れ自ら介在させミラクルを選択し時間を省くというやり方はそれを得るためにとても相応しいし、

たぶんそれ以外では辿り着かない。





最近は全く書いてないけれど、


私の経験したこの人生が真価を発揮したりそれが理解できるようになるのは、はるか未来の自己意識や転生回数がカンストするくらいに経験を積み重ねたような時間の果てにある進歩した自分の意識の中にある時だけなのだと感じる。



そうでなければこの人生は失敗であり、

そんな計画を組んだ時点で間違いであり、

だから私は救われない。

なぜなら最初から間違っているから。



そう思えてしまうから。



物事は思い通りにならないのは変なことじゃないからいいとしても、


自分自身のことが全く思い通りにならない人生


なんてのは、

失敗以外の何物でもないだろう?




……もし仮にそこに隠された深い深い意図があったとしても、それに気付くことができなければただの失敗作の自分でしかない。






それに気付いてる私は、



コレはもう自分の力じゃどうにもならねぇ!!


そう実感したのであれば、

自らの意志や判断を手放すという選択をすること自体は決して難しいことじゃない。




……まぁ実際にはマインドとかエゴとかそこら辺の自己意識が拒絶反応を起こして場合によっては一時的な狂気状態に陥るくらいの衝撃や抵抗感があるんだけど!



うん、

今回は久しぶりにそれを経験したよ。



だから逆にある意味では、

本当に深い癒しや変容が起こったというのは間違いのない事実だってわかる(笑)



だって私の意識や思考は、



(どいつもこいつも)死ねばいいのに……

(どいつもこいつも)消えればいいのに……



ってゆ~、

かな~り久しぶりにそういう殺意を感じるような超強烈な破滅願望みたいな思考に遭遇したり埋め尽くされたりしたわけで。



ちなみに死んでほしい=消え去って欲しいと思ってる対象は自分を苛立たせる誰かや何かではなくて、そんな感覚を呼び起こす原因であるものに向かっての怒りなのです。



今回はもうダメかもしれないと思ったし、


たぶん実際ダメになったんだと思う。

そうやって怨嗟で呪詛な思考を眺め続けた結果として、



そういう自己意識であり人格である私



は、くたばっていきました✝️



なんかすごい久しぶりに見たなって。

自我意識みたいなのが限界を迎えて死んでゆくやつ!!




というわけで今の私は5代目か6代目か7代目くらいですかね?😃



とりあえず確かに5回くらいは死んでると思うの。限界を迎えたら死んでゆくんだよ。

次の自分に想いを託して……。




そうだね、

くたばっていった前の私の人格……彼は、


私がエヴァンジル=祝福の人になる手前まで連れてくる役割の人格だったのだと思うのですよ。



私の人生観?としては、

今の人格(記憶や意識のパターン)だと


そこまでしか行けない


ということが起こるのですよ、

人生のステージが上がるとか大きく変化するとかなんかそこら辺のタイミングで。




だから、

なんかこう、



その悪夢な記憶や意識を実際に経験してきたと信じている自己意識

では絶対に不可能な生き方ややり方



をするために、

それらのリアリティーが飛ぶ、消え去るというようなことが起こるのです。



なんかアレですよ、

奇跡のコースとかに親しみがあったり実践者の人であればわかるはずの、赦しが起こって過去の問題が霧のように消え去り起こってなかった自分や人生に変容する


みたいなやつ!!



なんかそういうのが久しぶりに起こったっぽいのですよ。



なのでたぶん想いを託された“次”の人格である今の私は、



エヴァンジルできるのですよ、

たぶん(笑)




しかしそのためには、


純粋な、

誰かのためを想っての祝福




みたいなのが不可欠なのです。




……そしてそれは私の世界では決して存在し得ない

文字通り幻のリアリティー

なのですね👻





でも私は純粋な祝福という物を知りたいと望んでいる……



ならどうするか???



もはや“奇跡”しかない!!

もはやミラクルするしかない!!

ミラキュライズするしかない!!






……という考えに至ったのです私は(*´ Δ`* )





で、


転生したような気持ちになった私は

それらしいアイテムを作ったのです💡


2021年に一度作成……+1回再び作ってはみたものの上手くできなかったやつの2024年版ですね😃✨




これが“セルフエヴァンジル

自己祝福みたいな概念のシンボルです。





実際に私はコレを、


見る者触れる者の心を癒し解き放つ自己祝福のシンボルであり赦しを開くカギ


となることを意図して作成したのだし、

つまりそれは、



純粋に誰かを喜ばせ祝福を感じてもらうことを意図して作成したということなのです。






……しかし困ったことに、




誰かのために




ということは“私”にはできない。

なぜなら私はそのような資質というよりそのような概念を本質的に持っていないから!!



できることは“自分”のためだけ。

その中身は同じだったとしても、


誰かのためじゃなくて

自分のため。







なのであのアイテム、

”には扱えないんですね😂



それを作れるのは“”であり、

それはそのような物を作ろう表現しようと考える理由や動機を持つに至るような経験をしてきた人間的なエゴ的な私なのです。


しかしそれでは純粋な祝福にはならない!



“私”は自らのためにのみ何かを成すことが可能だと、

自分だけが存在し得ると知ってしまっているし忘れることもできないから!!




これは諸刃の剣のような物で、

その私の持つ神聖性というのは邪悪さや罪業性の証明でもある。






┐(´∀`)┌


正直、どんな面倒なロジック=潜在意識的な無茶苦茶な思考回路が組まれてそうなっているのかは正確にはわからないし知る必要性も感じてないんだけど(笑)





今のままの私じゃ扱えない。


どうやれば純粋に誰かのための意思という物が成立するのかが理解できてないから。



それらしく言うと、



本来私は持ち得ないはずの資質である

純粋に誰かを想う



というような資質を、

なんかこうミラクルなパワーによって成立させ

獲得したのと同じ状態にする!


ことができる!!





そう感じるわけですよ。


いやそんなわざわざ回りくどいしかも無理矢理でギリギリなロジックを展開しなくてもできるのかもしれんのですが、


私にはその“奇妙さ”が理解できてしまうわけですよ。




飽くまで、



同じ状態にする


だけなので、

本質的には違うのです🙅



そういう個別な真実がいっぱいあるような認識レベルの話をするなら、

原理は全く違うけど

同じ結果を成立させる


ことができるのですよ。







…………………………蛇の道は蛇というように、


私はそういう搦め手というか、

ロジックの抜け道というか、


形だけはそれらしくなる理論とか、



なんか本当にそういうスピリチュアルとも呼べないような概念ばっかり理解したり身に付いてゆく人間らしいのですよ。



だって、

そうでもしないと無理なんだもん。



過程や方法論はどうであれ、

望んだ結果を実際に作り出す方程式(?)




私の持ち得る資質やリアリティーの中でそれらしく埋め合わせたり代用していくとそういう物だらけになるのですよ。



それも私がディバインなマジックとか言い出すような理由なのかもしれません(笑)





まぁ、仕方ないよね。


正攻法が使えないなら搦め手でも邪道そうに見えたり多分に卑怯そうなやり方を使うとしても、それで割と丸く収まるような結果が得られるのだとしたら決して悪いことじゃないでしょう???



……ただ問題なのは、

そういう“無理矢理”なロジックや概念を自分の中で展開するために歪みや捻れを自分の中に取り込むことは避けられないから、


自分の中だけでは歪みや捻れが消化されずに延々と積もっていくという点…………。








で、


その不可避の捻れや歪みが取り除けるのだとしたら、


ある種の手品みたいに割と無理矢理にだけど実際に調和してるような現実感とかを構築する能力だけが残るわけで。



そのために私には法則外の原初の力……奇跡でありミラクルであるホーリースピリットの助けが必要なんだよ。




この、とにかくそれらしいロジックを展開してリアリティー(実現感?)を組み上げるって所が私の類稀な資質だし術士的な才能だと思うんだよ。



○○すれば✕✕になるはず

→実際にそれらしくなる



ってのが魔術の基本形だと思うんだよ。



どんなやり方でもいいから

意図した結果を再現できたならそれは正しい式ってことになる。

……それを成立させるために自らに負荷や闇を強いることは避けられないって部分が魔術が神聖な術じゃなくて魔のものであるゆえんなんだろうなって。





聖なるお導きと力を受けた上で、

そうやって割と無理矢理だけどそれらしく組まれた理論でリアリティーが再現できるのだとしたら、

それは実質何のペナルティーも無いのに魔術的なことができるわけで、



それはもう神聖魔術とでも呼ぶしかないんじゃないだろうか???





……私は正攻法だけじゃ生きられなかった邪道な人間でもあるから、

その邪道さゆえの“毒”に対処する術も相応に心得てるってことになる。


……結局、一番手っ取り早いのが最後の切り札であるホーリースピリットという神聖性を頼るということなのである。




エヴァンジルするには捻れも歪みもない自己である必要がある。しかしそれは私にはどうすることもできず不可能と言える。



そんな時どうするか?



もしかしたら有るかもしれない可能性に賭けてみる。



それが最果ての可能性を選ぶということ。


有る物は有るんだし、

無いものは無い。


そしてそれに必ず納得できるのなら、

それが最良で最善に違いない。



やがて理解するようになるのだろう。

本当にそれが最善だったのだと。





自分の目的を達成するために、

自らの意志ややり方を手放す!


……そういう一見矛盾してるかのように思えるようなやり方にだけ可能性があるんだよ。



それでも無かったら仕方ない。

スッパリ諦めてもらいましょう!!



そんなものは最初から存在し得なかったと理解してもらうしかない。





勘違いの願いが苦しみの原因なら、

その間違った願いごと消し去る!!





それが辛くてしんどくて耐え難い苦痛や喪失を味わう物だと信じている私には、全くそんなことは過去にも未来にも有り得ないのだとわからせてやればいいというだけのこと。



それを何かすごく特別なことだと信じてる私にはこのくらい長い前置きや説明が必要になるんだね┐(´∀`)┌



なんだそんなことは一度も起こってなかったから今の私がそんなことを悩む必要もないしそんなことは有り得ないことだったんだ!!



って理解とか赦しの実感にまで持っていくことができたなら過去のどんなアレコレなんてのもただの残像なんだから、


私の言うミツドガー&レンドガーを達成することができたら速やかに赦しを望んで浄化し解毒してもらえば素晴らしい神性魔術の産物ができあがるってことなんだろうよ。




そう、

きっと私はスピリチュアルな探求と自分が思う最高のスピリチュアリティの実践という試みを終わらせることができたから、

また少しホーリースピリットの助けを受け入れて最果てのリアリティーへと近づくことができたんだろうなって思ったのでした😃





……しかし5年ぶりか。

著者は6年くらいしてからようやく再びそっちに意識が向いて買っておいた本が読めるようになったって書いてあったけれど、


……振り返ると私も実に様々な学びな体験があったわけで。やっぱり段飛ばしとかできないんだよこの道は。




私の人生は既に私の手に負えないから、

もはや何でも手放し預けるしかない。


……それで何か違う可能性が見られるってんなら十分に割に合った賭けだと思う。

たとえ全部を預けるのだとしても、だ。




そんな超打算的な考えで、

しかしながらそれゆえに真剣に私はまた少しだけホーリースピリットの助けと介入を受け入れたのだった。





控え目に言って詰んでるんだぜ。

もはや正攻法なんて存在しないんだぜ!



そうだ、

むしろホーリースピリットを頼り介入させて恐れの夢から愛に戻して

それを分かち合うことこそが私にできる祝福なんだ!!






っていう意識になるまでにはまだ時間がかかりそうですね🌠