瞑想で人生が変わる(スマホ版) | やすみやすみの「色即是空即是色」

やすみやすみの「色即是空即是色」

「仏教の空と 非二元と 岸見アドラー学の現実世界の生き方」の三つを なんとか統合して、真理に近づきたい・語りたいと思って記事を書き始めた。
「色即是空即是色」という造語に、「非二元(空)の視点を持って 二元(色)の現実世界を生きていく」という意味を込めた。

  人は、
  自分自身の人生のすべてを通して
                いかに 生きるべきかを学ぶ
  自分の人生からしか 

                       学ぶことはできないし、
  逃避することなく人生を生きなければ
                          学ぶことはできない

  学ぶためには、
  日常を 瞑想的に過ごすことが有効だ。
  そして 

  瞑想が 人生そのものとなったとき、
        人生は 初めて適切な形に変わる。
  だから 人生が瞑想とならないかぎり、
  人は

   正しい方向へ変わることができない。


  ただし  瞑想を難しく考えることはない

  瞑想の人生とは、 感じる人生ことである。

「考える」より

「感じる」ことを重んじる生き方であり、

  意識の中身を「思考」から「感覚」へ

                        シフトすることである。


考えることは自我の機能であり

感じることは心の座の機能である

心の座」とは

           「本当の自分自身」のことであり、

  人は

  本当の自分に出会うことなしに

  本当の人生を生きることはできない


自我」とは   「偽の自分」のことであり、

  概念を使って
     認知し・比較し・判断する主体である。
  つまり、 「考える主体が自我」 である。

   「偽の自分」を生きているかぎり、
「本当の自分」に出会うことはできない。

人生の主人公
「考える」主体である
            「偽の自分:自我」から
「感じる」主体の
         「本当の自分:座」になったとき
   初めて本当の人生が始まる

瞑想とは、人生の主体を
            「自我」から「心の座」に
      「偽の自分から本当の自分
                  代える(戻すことである。

  子どもの頃の本当の自分自身
                    思いだしてみるといい
  今も自分の中に、子どもの頃と同じ
  歳を取らない自分自身がいるだろう

  わたしは    何をしたかったんだろう
  わたしは どう在りたかったんだろう


  「本当の人生」の適切な形であり 
          正しい方向とは 中道であり、
          not doing but being
             (doing<being)であり、
          not thinking but feeling
        (thinking<feeling)であり、
          自分に正直な、
              愛する人生のことである。

「中道」とは極端に偏らないことであり、
「考える」極にも「感じる」極にも 
                     偏り過ぎないことである。


  では、なにを「感じる」のか?
あるがままリアル自分 感じるのだ!

  自分の中に
「快」を求める欲求があることも 感じる。
  そして それを 「渇愛 に変えないと誓う。

  一方
 「考える」ことを重視し過ぎて囚われると、
                            それは「」に変わる。
  だが、
「取」に囚われていることを「感じる」
                                        こともできる。
  そのことを適切に「感じる」ならば、
                                  修正は容易だろう。

「渇愛」も「取」もサンカーラであり 
                                     苦しみの元だが、
「考える」ことから適度に離れて 
                  それを 適切に感じるなら
  サンカーラに捕まえられることはない


「瞑想」なしで
「本当の自分」に出会うことも可能だ。
  人生の全体を通じて 
      初めから自分自身に出会ったまま、
「考える」ことと「感じる」ことの
  バランスが取れている人もいるだろう。
                そういう人が たしかにいる。

「本当の自分」と その上に塗り重ねた
「偽の(社会的な)自分」との間の
                                  ズレが小さい、
  無理「本当の自分」押し殺していない、
               そういう人が たしかにいる。

  だが、
「感じる」 ことより考えることを重視して
「感じる自分」 と 「考える自分」 の間に 
    大きなミゾができてしまった人もいる。
  そのために 苦しんでしまった人には
         苦しみからの解放されるために
             瞑想という技術がとても有効だ



(最終改訂:2022年1月31日)