坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life! -9ページ目

坊さんとして暴走してます。No Buddhism , No Life!

No Bnuddhism , No Lifeをテーマにして面白いことを画策してます。

スキンヘッドです、僕。
宗派の規律とかではなく、自分の勝手で剃ってます。
ですのでうちの宗派ではかなりの少数派です。
でも、若い子を中心に剃るまで行かなくても短い坊主頭(まさに!)にする子が増えてきたような気がしないでもないです。
僕より上の世代はキチッとセットをされている方がおおいです。

さて、この髪型(頭型)ですが、一切に寝癖がつかず、フケも出ないという、理想的な髪型(頭型)なのですが弱点もあります。
暑さ、寒さに弱いです。
厳冬の際に墓前での読経など、大事な動脈が冷えて、意識が遠のきそうになります。
また、夏場には直射日光などで意識が遠のきます。
しかしながら、僕は「自然を敏感に感じている」として、弱点ではなく、スキンヘッドのチャームポイントとして売り出していきたいと思っています。

ま、そんなことはさておき、僕は一日置きぐらいのペースで頭を剃っているのですが、その時に妙に気になるのが眉毛なのです。
いや、もう40年も付き合っている眉毛です。そこにいるのが当たり前なのですが、スキンヘッドなうな時に鏡の中に映った眉毛と私。
気になるのです。
いや、剃ったら、エライ事になるのは確実です。
眉毛を装備している現在でも「人相が悪い」等々の評価をくだされている僕です。
そっから眉毛を外すというのは、ドラゴンボールの登場人物たちが身につけていたオモリをとって強くなったり、エヴァンゲリオンの装甲が防御のためではなく拘束具であったかの如くに「人相の悪さが強化」されるのは想像に容易いのです。

でも、僕の中の「スキンヘッド職人魂」が首から上にある「毛」を気にするのです。
眉毛がどれぐらいの期間で、生えそろうかはわかりませんが、いつか長期の旅行などに出かける際には、スキンヘッド完全体without眉毛に挑戦することがあるかもわからないことであります。
やばいぐらいに趣味が無いのです、私。

スポーツしたり、創作活動したり云々がまったく無いのです。
仕事といいますか、生き方といいますか、坊さん自体が「好きで好きでたまらない事」なので、まぁ日々を趣味の中で生きているようなものなのですが、他のお坊さんの「バンドとかしてます!」とか「こういうアウトドアをしました!」とか見ると、自分の無趣味っぷりを知らされる感じなのです。

とはいっても、それはそれで、私は私だと思っておることなので、たぶんこのまま無趣味人のままでいきそうです。
そんな僕にとっての非番は「飲み歩き」をするか、家で「読書とネットと肴作り」に励むかになるのです。
結局、お酒が絡んでおります。
ちなみに今日は晩御飯をして「おでん」を調理中。
思いっきり「酒飲みが好む味付け」なのは調理者のワガママであります。
そして録画しておいた「吉田類の酒場放浪記」を観ながら、早目の一杯をはじめるのです(`・ω・´)

「吉田類の酒場放浪記」、「女酒場放浪記」の派生作品で「坊主酒場放浪記」の出演依頼が来るのを待ちながらビールでも飲みましょうかね(笑)


ふと気づいて確かめてみたら、来月でブログをやり始めて7年。途中に「書かない期間」が多々あるので、長さは別に凄いことではないのですが……。

昔の記事を懐かしく見てみると……。

酒を飲んでるか、法要してるかという、ほぼ今と変わりのない生活。
若いままだとするか、成長がないとするか……。
父親の山小屋へ法事のために行ってきました。
ある意味、実家のようなものなので色々な懐かしい荷物があふれております。
僕が高校生の時に使っていたマグカップや、幼稚園の時にあったであろうグラスなど……。
そんな中より「百人一首」のセットを発見。
とりあえず、子どもたちと「坊主めくり」で楽しみました。
いや、自分が坊さんになってする坊主めくりはかなり哀しいものがありますね。
「坊主」があまりにも子どもたちから邪険にされまくるので若干、涙目になりました(´・ω・`)


そういえば、僕が大阪の豊中市に住んでいた小学生の時って地域の子ども会を参加単位とした「豊中市のカルタ大会」的なものがありました。
大会のある冬が近づくと近所の公民館で練習しまくっておりました。
今はほとんど記憶の彼方に行ってしまいましたが、一時期は百首をほとんど覚えていたような気がします。
ちなみに、うちの娘の名前も僕の好きな一首からとりました。
まぁ、「恋の先行きの不安さ」を詠んだ歌なので、娘につけるのは如何な感じでしたが(笑)

今、僕がすむお寺のある地域ではそういった「市のカルタ大会」的なものはないようですが、できればどっかでカルタ大会をできればなと思っております。
そういった「競う場、発表する場」があれば、子どもたちも熱心に歌を覚えると思うのです。僕もそうでしたからヽ(^o^)丿

幼い頃より英語に親しみ、流暢にしゃべることが出来る大人になることは国際人として実に素晴らしいことかもしれません。
ただ僕としては国際人になる前に自国の文化的教養を備えた大人へとなって欲しいと、我が子に願っています。
英語を喋られるだけではなく、英語で話す内容をもった人になってほしいのです。

百人一首を覚えたからといって教養があるとは言い難いですが、会話の中で和歌の一首でも出るようになる大人になることは素敵なことだと思っているのであります。

 うかりける 人を初瀬(はつせ)の 山おろしよ
   はげしかれとは 祈らぬものを

           源俊頼朝臣

まぁ、この歌を「うっかり、はげ」として覚えるような僕の戯言でありますが(笑)
落語が好きでちょくちょくと寄席にいったりしておりますことです。
「芝浜」などは有名な落語で寄席でも耳にすることが多いことです。

酒で駄目になってしまう魚屋の熊さんとそれを支える女房の話ですが、「酒で駄目になる」という部分が実に僕の心に響くことであります。

ま、それは置いといてでございます。
紆余曲折ののちに主人公の熊さんが心を入れ替えて一生懸命に真面目に働いたおかげで、行商から立派な店をもって繁盛をさせる所まで行きます。

小商いでも、一生懸命に真面目に働けば報われる。
落語ではよく出てくる状況でもあります。

落語という物語の中のこととはいえ、この「一生懸命に真面目に働けば報われる」という部分が、どうも、この頃は軽んじられているような気がするのです。
世の中には色々な仕事があって、それぞれが、大事な役割を担っているのですが、「一攫千金」的な感じでお金を儲けることの方がもてはやされているような気がしないでもないのです。

「お金さえ儲かれば良いんだ!」的な感じでしょうか……。
ま、お金に執着する坊さんも一杯いるのですが(笑)

物欲をすてろ!とか、お金に囚われるな!とかではなく、もう少し「一生懸命、真面目に働く」といった部分が、大事にされて、評価されるような世の中であればと思うのです。