~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -26ページ目

もうけもの

これまで、西に東に仕事の話があれば走っていってました。

11年前は只々必死。

5年ほど前は無鉄砲。

3年ほど前からは「これでいいのか?」と

疑問に思いながらだったと思います。


山陰と大阪を往復しだして、乗った車が4年を前に183500キロの走行を超えました。

年に約48000キロ走っていた計算になります。

地球1周と1/4。

途中、この移動がうらめしく、愚痴こぼしてましたが

こんな僕でも必要としてくれる人、何かわからんけど声をかけてくれる人

そんな事だけでも、ありがたい事だと

はっと気付きました。


ありがたいこと、声かかるだけでも儲けもの。

何故か新たな気分です。



僕の移動手段

先ほど寿命で廃車(泣)


ピンチはチャンスかも

42歳からテコンドーを始め、1年半ほど途中辞めてましたが、足掛け6年やってるわけです。


この間の金曜日、膝を痛めてから、プンセ(テコンドーの型)しか出来ないので道場の隅を移動しながら練習。

過去、無防にもキョルギ(組手)の大会に出て高校生やら大学生やらに混じって戦い、優勝する事も何度かありました。

なのに、未だに「白帯」

つまり、無級。10級以下のままなのです。

笑えるぐらい経歴がポンコツ。

一念発起して

怪我を消極的に捉えず、逆に黒帯を目指すチャンスと思い、一生懸命プンセを練習してました。

この日、ほぼ初めて、川津師範直々にプンセの指導を受け

翌日から全身筋肉痛!

「木下さん、プンセ、しんどいでしょ?」

はい!しんどいです!!

脱力から全力で動く動作、舐めてました。

無酸素運動で息が上がり汗だく。

今日は米子ですが、会社の倉庫でプンセを練習しました。

いや、川津師範、僕より年上なのにあのキレ、あの体軸、めっちゃかっこいい!

憧れますね。


それにしても、何とか黒帯取りたいですね。

僕にできる事

老いてなお諦めない事

無駄なのか、無駄なのか 〜効率と必要〜最終回

無駄なのか、無駄なのか ~効率と必要~③のつづきです。


そんな、全日本コーチのお兄さんとリフトに乗っている時(雪上で一緒にいた唯一の記憶です)

ここからテーマの本題ですが(長くてすみません)

「木下くん、リフト乗ってる時、何見てる?」

「いや、滑ってる上手い人見て勉強してます」

「木下くん、違うよ木下くんはあの上手い子と同じように滑れる?

確かに、あんな技巧派のスラローマーのように滑れるとは思えません。

僕はこの頃、荒行で得意となった、「高速系」一本に絞っていたからです。

「木下くん、あの子、何で転けたと思う?」

「はぁ、重心が後ろだったからだと思います」

「でも、あの子、起き上がってから後ろ重心にも関わらず、ターンしながら下りて行けてるよ。何で?」

「あのこ、あんな棒立ちなのに何で曲がれてんの?」

「あの子は?その向こうのあの子は?」


「え、あの、…」


確かにそう言われれば答えることが出来ない事があります。

「木下くん、上手い人から学ぶことなんて実は無いんだよ。どうして(ダメなんだ)というメカニズムについては下手な人からしか解析できない。だから、リフトに乗っているときは下手な人を見て分析しなさい

そう教えられました。


慢心してました。そうだ、僕は下手なんだ。


ちょっと上達したからと言って調子に乗っているけど、下で転んでいる子達とそれほど変わらない。

だから、その子らの「ダメ」を解析すると、僕の役に立つ。

そう、お兄さんは教えてくれていたのだと分かりました。

全力を出すには途上の心が燃料として必要となります。

今も、建築設計やデザインの仕事をしていて、

独善と言われても、有名なデザイナーの方々の作品には感銘することはあっても、学ぶ事があまりないと思っています。

それはあまのじゃくではなく

「この人のデザイン、何でおかしいのかな?」

「この部分の納まり、何で変なのかな?」

この「ダメ」を解析することで、僕に近しく教えてくれます。



僕が42歳で始めたテコンドー

ここにおいても、初心者や子供達と一緒に練習しながら

僕は沢山のことを学べました。

きっと、上級者の人だけの道場では、僕はとても続けることができなかったかもしれません。


これが、途上の心を常に持ち続けられる燃料なのだと

この事を教えて下さった、野沢温泉 四季の宿「河廣」 当主 河野正徳さん

に感謝しています。


無駄は無駄なのでしょうか?

非効率は悪なのでしょうか?

答えはそれぞれにあるとしても



僕が身を以て知ること

チャンスや才能に遅れても、無駄で非効率であっても

考え、質を上げ、諦めないことで才能に追いつけること

人は効率や無駄で分別できないということ