~資地計築~ 建築デザイン 木下 稔 -27ページ目

無駄なのか、無駄なのか 〜効率と必要〜③

無駄なのか、無駄なのか  ~効率と必要~②のつづきです。


全日本コーチのお兄さんに


1  (わからなくても)必ずスキーを毎日チューンナップすること

2  どんなに夜遅くなってもプロペラターン(その場でスキーを左右にプロペラのように振る)を1時間やること

3  長い距離を滑る事

4  長い距離の中、どんどんターンの数を減らして行くこと

5  できればパラダイスからチャレンジもしくはシュナイダーコースをノンストップで3ターンで下りてくること

6  それが出来たら、2~5を片足で滑ること

を練習することを命じられ

これが何とかできるようになりました。


あっちこっちの関節が亜脱臼。

どういう訳か、転倒後、スキーのブーツまで脱げて30m以上落下なんて日もありました。

ボロボロの身体には何の最新技術も教えられておらず

ただただ恐怖のコブ斜面を、ほとんど直滑降しているようなバカが1日40本滑っている

それが現実でした。

それでも僕は「お兄さん!片足で滑れるようになりましたよ!」

意気揚々と報告!

しかし、お兄さんの答えは、僕が期待していたものとは全く正反対の言葉でした。

「何?木下くん、ホントにあの練習やったの?馬鹿だなー、あんなのやる人いないってワハハ」

ショックで言葉も出ません。


平均斜度27度はスキー場ではほぼガケです。

そこを速度60kmぐらいで滑ってたんですから文字通り


「死ぬ気」で滑っていた訳です。


口をパクパクさせて、相当バカ面だった僕に、

急にくわっとまじめな顔になったお兄さん

「でもね、木下くん、こんなバカなことを本当にやる。この事が大切なんだよ」

そう言われました。


お兄さん曰く

優秀な選手は優秀な能力ではなく「たとえ気が違ったような要求」をしても

それを遂行しようとするコーチへの信頼

これが無いことには、どんな選手も自分の限界を突破できないと言われました。

そして、素人の僕自身に絶対的に足りないもの、その滑走日数という「物理的」なハンデを埋めるだけの練習「密度」


そして、過酷な状況の中で「絶対にあきらめない」という「対応力」

等等でした。



細かいことは置いておいて、ここからは自分で言うのも何ですが、メキメキと強くなって行きます。

それは、「上手くなった」のではなく


「諦めなくなった」からです。




~つづく~





無駄なのか、無駄なのか 〜効率と必要〜②

無駄なのか、無駄なのか ~効率と必要~のつづきです

大怪我で1年遅れた僕に残された時間は約2年。

競技大会日から考えれば2年どころか1年半しかない訳です。

今回のテーマ「効率と必要」

ここだけに絞っていきます。

それは、経験もなければ素質も無い

時間もなければ出遅れた


そんな人は「やるだけ無駄」なのか?

効率という言葉と時間の狭間で

僕は「無駄」なのか?

くだけ散っても欠片だけでも、向こうに辿り着きたい僕の

「全力」の原点がこの頃の経験にあったのを思い出し書いています。

話は戻り、大学2年生

何とか身体は雪山に堪えうるくらいには回復しました。

いや、フリをしていました。

顔は50針縫ってズタズタ

貧血ですぐ疲れる

そんな僕に残された雪山ごもりの先(いそうろう)の募集が、野沢温泉しかありませんでした。

残されてた理由、単純に過酷で厳しい

それしかありません。

一緒に行く仲間もおらず、スキーに関しては独学しかありません。

しかしながら、たまたま行った、いそうろう先のご長男が時の全日本女子アルペンのコーチ。

恥も外聞もなく、こんな素人に毛のはえた僕は、この兄さんにつきまとい

実際のコーチングは協会規定に反するので、雑談としての練習方法や選手として重要なこと、精神を教えてもらいました。

当時、これまでのターン技術から全く新しいターン技術に切り替わる黎明期でした。

そんな最新技術について

「こんな初心者の僕がそんな最新技術聞いて意味あるんですか?」


「ばかだな木下くん、何の先入観もない人間こそ意味あるんじゃない」

僕の中で滑走日数や経験値という言葉が逆に足かせになること

それは、スタートラインが僕に近づくことをはっきり感じさせました。

「ただね、木下くん。これからやる練習メニューを僕が遠征から帰るまで必ずやること」

そう言われ
1  (わからなくても)必ずスキーを毎日チューンナップすること
2  どんなに夜遅くなってもプロペラターン(その場でスキーを左右にプロペラのように振る)を1時間やること
3  長い距離を滑る事
4  長い距離の中、どんどんターンの数を減らして行くこと
5  できればパラダイスからチャレンジもしくはシュナイダーコースをノンストップで3ターンで下りてくること
6  それが出来たら、2~5を片足で滑ること
を練習することを命じられました。

パラダイスからチャレンジは平均斜度27度最大斜度45度距離3.2kmのダウンヒルの試合コース。
普段はえげつない名物コブ斜面です。

ここを「たった3ターン」で下りてくる

ターンは次のターンとつながって初めてターンなので

巨大なコブ斜面を一つのターンで滑る続けるということです。

途中端折りますますが、2ヶ月間、これをやりつづけました。

結果、一生身体に残る怪我となる程の間接の損傷をしながら

片足で3ターンで下りて来れるようになりました。

そして、全日本コーチのお兄さんが帰ってきた日

この事を報告しました。

~次回につづく~









無駄なのか、無駄なのか 〜効率と必要〜

大学生の頃、競技スキーのクラブでタイムを競うスポーツをしていました。



しかし、大学1年生の夏、このクラブの夏合宿に行く途中、高速道路で大事故。

ビートたけしや、千原ジュニアと同じ顔面骨折と50針を越える裂傷

19才の夏は暗黒に陥りました。

PTSDや慢性的な貧血、後遺症に悩まされ

スキーのクラブに入ったのに、その年、スキーはできませんでした。

元々、スキーなんか貧乏人の小倅はやったことがなく

たまたま、高校の同級生のお兄さんがこのクラブの部長。

ただそれだけの理由で入っただけでした。

ご存知無い方も多いと思いますが、スキーは「感覚」のスポーツで、それに関わった時間が反映されるというもの。

つまり、滑走時間が長いほど有利といわれます。

実際、幼少期よりスキーをしていた方たちからは

スタートライン自体、とてつもなく後ろからの出発でした。

そんな中、大怪我で1年(1シーズン)を棒に振った僕は

長期間のいそうろう(宿での住み込み山ごもり)から帰ってきた同級生から大きく水をあけられていました。

大怪我による顔面麻痺と体調不良と貧血。

厭世的になっていく自分が、何とか取り戻したいもの

それは「僕はやれる(=健康だったのかもしれません)

ということでした。

その年、体調不良でわずか数日参加した冬の合宿で

「風を切る」

こんな僕でも風を切れたという感覚が

こんな厭世的な世界から唯一救い出してくれるものに感じました。

大学部活で引退は3年生。

つまり1年棒に振った上、滑走日数に劣る僕に残された時間は約2年ということ。

結果から言うと

猫も杓子もスキーというバブル時代

250人から出場し、後ろから何番目からスタートした大回転で9位(スタート後ろほど不利)

数百人が集まる西日本学生大会スーパー大回転は4位でした。

こんなゴミくずみたいな僕でも

「一矢報いる」

そんな想いで過ごした青春時代がありました。

何年も、十何年も僕より先にスキーを滑ってきた人たちに

何故一矢報いることができたのか?

次回に書いてみたいと思います。


僕にできたこと

人にはイマジネーションでねじ曲げれる、時空間があるいうこと