皆さん「じゃりン子チエ」という漫画をご存じでしょうか!
多分、ご存じですよね。1981 年にアニメ化された漫画になります。
ちなみに、私は11 歳でした・・・。
今、再放送をしています。
ほとんどテレビを見ない毎日ですが、今、じゃりン子チエ と イギリスのソーイング番組
この2 つは録画して見ています。


このじゃりン子チエ、かなりコテコテの大阪?!
大阪を舞台にしたお話、今タイムリーに流したらもしかして
色々規制がかかったりするのかな・・。なんて思います。
 

でも、私だけでは無かった・・・。
私の友達もこの再放送を見ているというのです。
確かに、チエちゃんの家庭環境や取り巻く人々のアクの強さ。
でも何故かほっとするそんなお話です。


先日友人とじゃりン子チエのお話に
友人は男性で、近所で飲食店を開いています。
今はこのコロナでとっても経営難。
私も仕事が終わるのが遅いので行ってあげる事もできません。
すみません、話がそれました。


彼ももれなくじゃりン子チエのファンだそうで、
突然「俺、子供のころチエちゃんと結婚したかった・・・。」
と言うのです。
私もチエちゃんは好きだし、たぶん皆んな好きだと思うのですが、
結婚したかったという意見は初めてでした。
結構かわいいし、ホルモンを毎日焼いてるからきっと料理も上手そう。
何より真っ直ぐな性格が素敵です。


勿論架空の人物ではありますが、
もし、本当にチエちゃんが存在していたら、
結構苦労している少女です。
でも、そんな女の子が居てたら・・・。
イケメンが結婚したかったなんて言ったら、
きっと喜ぶだろうなと思いました。


今、私たちの時代よりはるかにアニメブームの気がします。
きっと私の友人のように、今の子供たち、大人たちも
自分がこのお話の中の主人公と出会ったら・・・。
なんて想像しながら楽しんでいるはず。
それはいつの時代も変わらず
良い思い出となってよみがえるのかな~・・・。
と友人の話を聞いて感じたのでした。


私は、ネコの 小鉄が大好きでした・・・。

 

 年のせいか、希望より気がかりなことが多くなりました。その一つに「いいね!」に対する信頼があります。「いいね!」はインスタやフェイスブックに限らず、ネットに於ける「共感」を表す表現として定着しています。同じくツイッターなどの「フォロアー」は、そのツイート(つぶやき)に共感してフォロー(跡を追う)して行きます、という意思表示です。


 そのこと自体は何の問題もありません。でもその数が多いほど価値があるという風潮が気になります。再生回数何万回というのもあり、これは数が「稼ぎ」につながっています。そんなこともあり、全て数が多いほど価値があると言う流れに違和感を覚えるのです。
 

 もちろん、大きな数の意味は、それだけ多くの人が共感・賛同しているのですから、その情報には意義があるのでしょう。再生回数の多い動画は、ヤッパリ面白い!


 でも、少し冷静になって考えたら、見た人の数やその情報に接した人の量は計れるけれども、その情報そのものの価値や厚みを表している訳ではないことに気が付きます。数の弊害は、数を稼ぐために、大げさになったり、過激に表現したり、あげくはフェイクに手を染めるという、個人も集団でもエスカレートしてゆくことです。


 どうしても数の多さや声の大きさに注目してしまうことを、昔から戒めて「小事は大事」や「神は細部に宿る」「ヒヤリハット」などと、小さなこと、少数なこと、弱いもの、に注意を向けることの大切さを喚起してきました。(*1)そして、日本人は微細に価値を見いだす「繊細さ」を文化として持っています。それが失われるのではとの懸念は、杞憂でしょうか?


 かつてサイレントマジョリティーと言われた層が、クリック・マジョリティーとなって、様々な意見の中から、自分の代弁者にクリックをし続けています。それが、意見の多様性に接することにつながり、少数に耳を傾け、路傍の石にも気が付く若者を育てていることを祈ってやみません。


 俯瞰した物いいの「祈り」という言葉の結びとは、またあの世に一歩近づいたのかなぁ~。


*1:「小事は大事」:些細な事が大事を引き起こす例は少なくない。 小事だからといって物事をおろそかにしてはいけないという戒め。「神は細部に宿る」:細部にこだわり抜いてこそ、全体の完成度が上がる。「ヒヤリハット」:1件の重大な事故・災害の背後には、29件の軽微な事故・災害があり、その背景には300件の異常がある。ハインリッヒの法則(1:29:300)


その他にも、「ちりも積もれば山となる」「千里の道も一歩から」「凡事徹底」なども些細なことを疎かにしない戒めのことわざでしょう。

 

1、Aの調味料を混ぜておく。

2、ごま油で豚肉を炒め色がついたら厚揚げも焼き色をつけるまで炒める

3、大豆、Aを加え更に中火で炒め馴染ませて出来上がり!

 

        

 

 今回は「老化 」を考えてみます。残念ながらそんな記事や話題に、つい引き込まれる年となりました。


 雑誌の一節に、心身は衰える一方だという従来の考え方ではなく、加齢も発達の一環である。すなわち、衰退ではなく変化であるという考えが、現代の老年心理学の考え方だという、紹介がありました。現代の老齢心理学の主流は「生涯発達」という概念だそうです。(*1)


 建築物も同じく、部品の劣化は変化である、と歴史を感じさせる建物や家具は教えてくれます。今後は全体のメンテナンスの、やりやすさを重要視しなければなりません。


 建築物では、使ってある部品や素材の劣化の進行具合がそれぞれ異なっています。従って、一番耐久年数のある部品に、できるだけ他の部品の性能を合わせるか、取り替えて行くことで耐久年度を合わせるか、そのバランスが必要です。


 例えば、高価で50年持つ淡路瓦と、安価なセメント瓦、どちらを選ぶかは、考え方の期間により、そのスパン間の総費用が逆転します。結局私たちは、その費用対効果を考え、判断して頂ける情報の提供が重要だと考えています。


 さて、人間に戻しましょう。「生涯発達」してゆくのは、判断力のようです。それは、理解力と洞察力などを含みます。でもそんな発達の条件が、近づく死との向き合い方にあるのです。
 

 悪かったこと、良かったこともすべて合わせて「自分の人生」だと統合し肯定する必要があるということです。統合に失敗すると、もうやり直す時間がない、と絶望に陥ってしまうといいます。
 

 どうも、肉体の衰えに対しても、出来なくなったことを嘆くのではなく、まだこんな方法でできるよ、と肯定したら「老い」が楽になるように思います。まあ、今できることから始めれば、周りから改めて与えていただく新たなプライドとなりそうです。

         甘いかな?  

  ※1:Newton 2021年4月号「老いの教科書」より