年のせいか、希望より気がかりなことが多くなりました。その一つに「いいね!」に対する信頼があります。「いいね!」はインスタやフェイスブックに限らず、ネットに於ける「共感」を表す表現として定着しています。同じくツイッターなどの「フォロアー」は、そのツイート(つぶやき)に共感してフォロー(跡を追う)して行きます、という意思表示です。


 そのこと自体は何の問題もありません。でもその数が多いほど価値があるという風潮が気になります。再生回数何万回というのもあり、これは数が「稼ぎ」につながっています。そんなこともあり、全て数が多いほど価値があると言う流れに違和感を覚えるのです。
 

 もちろん、大きな数の意味は、それだけ多くの人が共感・賛同しているのですから、その情報には意義があるのでしょう。再生回数の多い動画は、ヤッパリ面白い!


 でも、少し冷静になって考えたら、見た人の数やその情報に接した人の量は計れるけれども、その情報そのものの価値や厚みを表している訳ではないことに気が付きます。数の弊害は、数を稼ぐために、大げさになったり、過激に表現したり、あげくはフェイクに手を染めるという、個人も集団でもエスカレートしてゆくことです。


 どうしても数の多さや声の大きさに注目してしまうことを、昔から戒めて「小事は大事」や「神は細部に宿る」「ヒヤリハット」などと、小さなこと、少数なこと、弱いもの、に注意を向けることの大切さを喚起してきました。(*1)そして、日本人は微細に価値を見いだす「繊細さ」を文化として持っています。それが失われるのではとの懸念は、杞憂でしょうか?


 かつてサイレントマジョリティーと言われた層が、クリック・マジョリティーとなって、様々な意見の中から、自分の代弁者にクリックをし続けています。それが、意見の多様性に接することにつながり、少数に耳を傾け、路傍の石にも気が付く若者を育てていることを祈ってやみません。


 俯瞰した物いいの「祈り」という言葉の結びとは、またあの世に一歩近づいたのかなぁ~。


*1:「小事は大事」:些細な事が大事を引き起こす例は少なくない。 小事だからといって物事をおろそかにしてはいけないという戒め。「神は細部に宿る」:細部にこだわり抜いてこそ、全体の完成度が上がる。「ヒヤリハット」:1件の重大な事故・災害の背後には、29件の軽微な事故・災害があり、その背景には300件の異常がある。ハインリッヒの法則(1:29:300)


その他にも、「ちりも積もれば山となる」「千里の道も一歩から」「凡事徹底」なども些細なことを疎かにしない戒めのことわざでしょう。