河原尚子ブログ | sione - Springshow スプリングショウ
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359歩目:「継ぐ」ということ

ものすごく久しぶりの投稿。
京都の秋は、特に考えを思い巡らさせてくれる風景に満ちている。
なんどかこのテーマでブログを書いている気がするのだけど、
久しぶりに。
ーー
 
 
今日は、北野天満宮で、「曲水の宴」を拝見した。
去年1100余年ぶりに再興された文化行事だ。
 
 
この秋、あらためて「継ぐ」ということを考える。
 
継ぐ家業のある家に生まれた私は、
ここまでいろんな面で、何かを「継いでいく」ということに
思い巡らせる日があった。
 
継ぐ立場ではないだけに、
間近で、そしてどこまでも俯瞰的に
そこに繰り広げられる様子を見てきたことが、
おそらく私を造り上げた柱の一つになっている。
 
佳きものも悪しき風習も、
代が長く続くという事は、いろんなものが内包されている。
オブラートに包んでも、そんなに容易く飲み込めるものでは
きっとないのだろう。
 
京都にあるいろんなお家もきっとそうなんだと思う。
これは、私の憶測だけれど。
 
 
ただ、何となく、今私は、この時代に生まれて
「血の繋がり」に拘り続けていくことの
脆さというものを静かに感じている。
 
脆さというと、語弊がある。
そこにある「知恵」というものも、よくよく肌で理解をしている。
京都には日本には、代々血族で続いてきた店も
大きな会社だってある。
 
ただ、一子相伝として何かを継いで行くには
もう情報がグローバルになりすぎているし、
多様化しすぎている。
 
多様化した時代には
それなりの時代の継ぎ方というのがあるように思うし、
「執着」というのは、一番の足かせになると思うからだ。
 
 
もちろん、「文化や時代を継ぐ事」と「家業を継ぐ」ことは
すこし違う。
でも、私は全く違うものだとは、どうしても思えない。
ミクロの世界を考える人は、
同時にマクロな俯瞰視点を持ち合わせていないと、
きっとバランスが悪くなる。
 
これは京都に限らず、日本、世界においても、きっとそう。
 
情緒的にいうと、
ミクロの視点の行き先には
「哀しさ」がにじみ出てしまうような気がする。
 
なにかの法則との矛盾ができてしまうからだろうか。
人は一人では生きられないとか、感謝の気持ちだとか
そんな当たり前なことが、置き去りにされてしまうから
だろうか。
 
 
 
 
何かを続けることは難しい。
人に付随した「能力」が家を造ったのであれば、
それを子といえども、違う人間が継いでいくこと、
それをつなげて行く事は、簡単なわけではない。
 
 
でも、一度途絶えたものを、再興するのは、もっともっと大変で、並大抵の根性ではできないことなんだろうと思う。
 
この曲水の宴もその一つ。
有斐斎弘道館を支える人々、ご縁のある人々が
一丸となって、
よいしょと、この時代にもう一度皆の「見える形」に、
造り上げてくださった。
 
今日、演じられた歌い手の方々や、舞手の方々、
そして事務局やお客様が一緒にこの時代に
この時間を味わった。
 
なんて有難いことなんだと、
時代にふわっと浮いているような感覚を味わった。
 
 
先日、友人からある言葉を贈られた。
 
言葉というものは、世阿弥の『風姿花伝』で
 
「家、家にあらず、次ぐをもて家とす。人、人にあらず、知るをもて人とす」
家は家ではない。後を継いだものを以て家となすべきものである。人は人ではない。道理を知るものを以て人となすべきものである。
 
600年も前に綴られた、世阿弥の継承メソッド。
 
私もいつか、だれかから継承することを
考えないといけない時代になる。
もう既に何かを託されはじめているのかもしれない。
 
そして、それを誰かに託すことも
考える日が来るのだろう。
 
 
それまでは出会った人としっかりと手を取り合って、
この世界にドカンとあるなにか大きなものを
継いでいけるような
一時代を築いていけるような
そんな心持ちでいつもありたいなと思う。
 
 
そしてひたすら、広い視界で。
 
 
目を瞑ると
そんな気持ちでいてくれている仲間が眼裏に映る。
SIONEのスタッフも、弘道館のみなさんも、
展覧会を造り上げたみんなも、もっともっとたくさん。
 
業種とわず、
先日お会いした鍼灸師の中根一先生もきっと同じく。
 
深く感謝だなあと、あたたかい気持ちになる。

358歩目:SIONE銀閣寺本店/ SHOWKO kawahara グランドオープン

2009年より、子供を育てるように 創ってきたSIONE。

6/29に
銀閣寺の地において新たな章をはじめました。

店舗の名前を 「SIONE 京都銀閣寺本店 / SHOWKO KAWAHARA」とし
SIONEの直営店だけでなく
他社さまとさせていただいているプロデュース業務の窓口
また、陶板画作品のショールームとしてオープンいたしました。

また新しく併設するカフェでは特別なメニューを SIONEの器でお楽しみいただけます。

どうぞ新たな章を「読みに」お越しください。

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357歩目:制作スタッフ及び カフェスタッフを募集します

あっ というまに桜の季節になって、
そして葉桜になりました。¥

さて、ひさしぶりのブログですが、今回はSIONEの求人のお話です。

6月に銀閣寺界隈にて、新店舗リニューアルと併設したカフェを オープンすることになりました。 SIONEがこれまで提案してきた 「プロダクトを通して《時間》を売る」 というコンセプトが、やっと空間としての形になる今日このごろで スタッフ一同とても励みにおもう毎日です。 店舗でこれまでご覧になるだけだった器を カフェにて特別のお茶と試していただき 豊かな時間を提供できる店になるよう 準備をすすめています。 SIONEの商品もハレの日でお使いいただく方も多く、 そんな喜びが伝染していくような空間づくりを 目指しています。 そこで、今後、 そんなブランドに興味をもっていただけ、 同じ強い気持ちで、共に作り上げてくださる方を 求めています。 採用情報は以下となります。 自薦他薦、問いませんので ぜひ一緒に未来をつくりあげていきましょう。 どうぞ宜しくお願いいたします。 SIONE/Springshow Co,.ltd 代表取締役  河原尚子 《採用情報》 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1.制作スタッフ 2.店舗運営スタッフ(アルバイト、及び契約社員) ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 1.制作スタッフ 
【雇用形態】アルバイト ※正社員のキャリアパスあり 【仕事内容】
陶磁器の絵付けを中心とした制作業務に携わっていただきます。 PC(illustrator, Photoshop)の基本スキル、広告物作成などができる方優遇します。 【応募資格】 陶磁器絵付け経験者。 優遇スキル:マット金での金彩 上絵技術経験者  PC(illustrator, Photoshop)の広告物デザイン 
【給与】 ご経験、スキル、前職給与をふまえてご相談させて頂きます

 【雇用開始時期】 2016年7月~ごろ希望(スケジュール応相談) 

【勤務地】SIONE銀閣寺本店 京都市左京区浄土寺石橋町29 
【採用予定人数】
1名

 【応募の流れ】
メールアドレス  info(@マーク)sione.jp (*(@マーク)を@に変換の上) お名前、年齢、性別、 簡単な職務経歴、
応募動機をご記載いただきご送信ください。 ↓
 履歴書、職務経歴書をお送りいただき、弊社担当者より面接のご案内
 ↓ 
面接(履あれば自身の絵付けサンプル(ポートフォリオ)をご持参ください) 
↓ 
採用 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 2.店舗運営スタッフ(アルバイト、及び契約社員) 【雇用形態】アルバイト 【仕事内容】 6月にオープンするSIONE銀閣寺本店で 店舗運営業務に関する業務をしていただきます。 ショップ、カフェの運営、レジ、および接客を中心に担当いただきます。 【応募資格】 接客経験者、もしくは接客がお好きな方。 優遇スキル:英会話(英語での簡単な接客~日常会話レベル) 
 【シフト】
 土・日・祝含む週3日程度(シフトは応相談) 

 【給与】
時給850円~ 【雇用開始時期】 2016年5月末~6月 (オープンすこし前より開始できると幸いですがご相談ください。) 

【勤務地】
SIONE銀閣寺本店 京都市左京区浄土寺石橋町29 
 【採用人数】
2名

 【応募の流れ】 メールアドレス  info(@マーク)sione.jp  *(@マーク)を@に変換の上 お名前、年齢、性別、
応募動機ご記載いただき送信ください。 ↓ 
弊社担当者より面接のご案内
 ↓ 
 面接(履歴書、職務経歴書をご持参ください) 
↓ 
 採用 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 
 【雇用形態】ショップ店長候補:契約社員 【仕事内容】 ショップの店長候補を募集します。 基本的には売り上げ管理や広報、 運営のオペレーションすべて含む 業務をお任せできる 責任者を求めています。 「飲食店」もしくは「ショップ店長」の経験者を優遇しますが 仕事に対する熱意があればそちらを優先したいと思います。 【応募資格】 ショップ・カフェ経験者 優遇スキル:ショップ・カフェ店長経験者 調理資格 英会話 【シフト】
 土・日・祝含む週5日程度(シフトは応相談)

 【給与】
スキル・前職のご経験などをふまえ、相談させていただきます。 【雇用開始時期】 タイミングは応相談いたします。


 【勤務地】
SIONE銀閣寺本店 京都市左京区浄土寺石橋町29 
 【採用人数】
1名

 【応募の流れ】 メールアドレス  info(@マーク)sione.jp  *(@マーク)を@に変換の上 お名前、年齢、性別、
応募動機ご記載いただき送信ください。 ↓
 履歴書、職務経歴書をお送りいただき、弊社担当者より面接のご案内
 ↓ 
面接(履歴書、職務経歴書をご持参ください) 
↓ 
 採用 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 尚、応募は決定しだい締め切らせていただきます。 新しい熱いメンバーをお待ちしています。

356歩目:「生かされている」というのがどういうことなのか考えてみた

2016年になった。

この年末年始に 私は次元のことを考えた。


ふと思うことが、わりとあたっていたりするのは
なぜだろうか。
目の前にいる娘が亡くなった祖母が、
いや自分自身が、どこかの次元から飛ばしたメッセージだったとしたら
それほどうれしいことが無いなと。

たとえ自分と同じDNAをもつ自分でも
別の次元で私自身のことを心配してくれている私がいるなんて、
今よりももっともっと、強くなれるのではないかと思った。






2015年は、私にとって準備し決断する年だった。

いろんなことを選択し、
場合分けをして、調整して、決めていった。

今思うと、それも楽しいことだった。
でも渦中にいるときは、決まらないのがしんどかった。
はやく決めたくてうずうずしていた。

変数のおおい時間を、一分でもすくなくしたかった。
だけど、そんなそわそわした雑念のおおい気持ちでは
「ふと思うこと」を拾えないのではないかと、
そんな風におもい、どっしり腹をくくったこともあった。

下駄を人に預けた。
責任を人に預けるわけではなく、自分のアイデアをつたえ
あとは選択を人に預けた。

そうすると磁石のように、
大切なものが集まってきたように思う。


SIONEのモノガタリは、未来な惑星創世記。
私自身もSFが大好きなので、よく一人で妄想するときに
次元のことを考える。

スピリチュアルという言葉は大嫌いだ。
あの世とかこの世とか、そういうのもよくわからない。
あくまでもサイエンスの中で、わからないながらに妄想する。

そんな考えが、実はモノガタリに生きてくることがある。




三次元の自分(リアルな私)があたりまえに知っていることを
二次元にいる自分(たとえば写真の自分)が知らない。

世界が私たちのわからないくらいまで広がっている事や、
ものが空間的につみあげられること。
地球の広さや家のゆがみなどはわからない。


たとえば私の映っている写真を、くしゃくしゃに折り畳んだとして
二次元の私が写真ごとくしゃっとなっていても、
写真の中にいる私もおなじ形でくしゃっと曲がっているから
私は気づかない。
二次元には空間的な広がりはないから
世界ごとくしゃっと曲がっていたもしらない。

三次元も、より高い次元からみると
ありありと解る現象があるのだろうな。
とそんなことを思った。

たとえば「虫の知らせ」とか「超常現象」などは
そんな四次元以上の高次元のものではないかと思う。
今を生きる私たちにはわからないけど、
きっと高次元ではあたりまえなことが
今の三次元の空間を生きる私たちには
とんでもなく「おかしなこと」「異常なこと」として、うつっている。



四次元とかそれ以上の次元ってどういう世界なのだろうか、とおもった。

去年、映画「インターステラー」がそんな次元の話を実写に表現していて
しかも親子愛を、交えてきたから
涙なしには見られなかった。

四次元って、
空間に時間軸がある次元っていうけど、
それはどのような広がりなんだろう。

たとえば、
18年前に亡くなったおばが生きていたら、
私が他の人と結婚していたら、
あの旅行にいっていなければ、
出勤でいつもと違う道を選んでいれば、
違う車を購入していれば、、、、

そんな仮定とそれを選択した際の結果がすべて、
並列にある世界なのではないかと。
それは繋がったり離れたりして、
網の目のようになっているのではないかと考えた。
そしてそこを自由に行き来できるという広がりが
高次元なのではないかと考えた。

そしてそこには
おそらくどれを選んでも
どのバージョンでも同じ結果になることもあるのだ。


だから、
タイムマシーンにのって過去にいき、なにか接触した事で
現在がかわってしまう、、というような
SFのモノガタリにあるタイムパラドックスのようなことは
三次元の考え方であり、実際は
考えられるすべてが未来であり、リアルである。

という世界なのではないかと。


三次元の世界からすると、すごい広がりだ。
すべての選択をした、数億バージョンの自分がいて、それが並列にならんでいる。
そして、想いとか虫の知らせとか超常現象などは
そんな四次元以上の高次元のもの。

誰かの死は、
その周りの家族だけでなく
もっと後々の人にも影響する。
もしかしたら、違う時間軸の人々にも。

もし、この虫のしらせや、選択しようという心の動きは
別次元から大声で伝えてくれている目の前にいる私の娘の言葉だとしたら
もしくは30年も前に亡くなった曽祖父の言葉だったとしたら、
それは、なんて愛のあるメッセージなのかと思った。


どんな偶然も、だれかからのメッセージだと感じると、
その「ふと思うこと」が愛おしくなる。
ふと思うことで、誰かと繋がっているように思う。


そして自分も思う。
誰かをふと思い、愛する。
誰かの選択を讃える、ほめる。

それが、きっと別の次元にいる誰かの人生に
影響を与えている。

人間が「我」があるものだ。
我をもって初めて人間になると言ってもいいくらい、赤ちゃんのときに形成される意思。

だけど、自分が中心にまわっていると思っていたこの世界が、
あくまでも主観的に選択し、決定してきたと思う今の人生が、

遠くの誰かからの、愛情をもってなし得てきたことだとしたら、
ひたすらに嬉しくなる。

網の目状のどこかの一部に自分がぶら下がって必死で生きているとしたら、
それは感謝でしかない。

そして、自分も愛で誰かを救いたい。
救ってまるまる認めて、大切にしてあげたい。

そうおもった。



ふと思う。ふと感じる。
力をぬく。
すると、ポジティブになる。

それは、高次元の疑似体験のようなものなのかもしれない。


355歩目:SIONE新風館店閉店、そして新店舗のご報告





3年に渡り、店舗を構えさせていただきました
新風館ももう残り100日をきりました。



いろんな思いがある場所だったので、センチメンタルな気持ちに
ならずを得られない、そんな気持ちです。


さて、そんな思い出の店を、

新風館閉店よりすこし早い
《1月末日》にて閉店するになりました。


ここまで、お客様にSIONEを育てていただいた事を
本当にありがたく、心から感謝しています。


共同出店のFULLMARKSは、新風館閉館3月末までオープンしています!
これまで一緒にお店作りさせてもらい、本当に嬉しく思いました。



次に新しくオープンします新店舗は、
京都左京区、銀閣寺にちかい場所になります。



よりSIONEの世界観を感じて、ゆっくりしていただける空間にしたいと企画しております。


来春オープン予定をしておりますので、
どうぞ宜しくお願いいたします。



来年は、なんだか、すごいたのしいうれしい年になりそうで、
今からわくわくしています。



いろんなことが終わり、また新しいことがはじまる。

この2015年から2016年は、

続いているようで、まったく続いていない新しい年のような気がしています。


みんなの健康を第一に、感謝を忘れず、

楽しんでがんばってまいります。


どうぞ宜しくお願いいたします。



354歩目:SIONE新シリーズ「GRACE」 発表レセプション





このたびSIONEの新シリーズ「GRACE」の発表に

あたりまして、展示・先行販売会を開催致します。
モノガタリのあるアパレルシリーズ「GRACE」。
第一弾のネックレスは京友禅の手染めの技術で1点1点作
っています。
2WAY仕様でブローチとしてもお使い頂けますので、そ
の日の気分やコーディネートに合わせてアレンジ自在です


当日ご購入・ご予約の方には特典があります。
ホリデーシーズンも近づき、ウキウキするようなラインナ
ップになっていますので、お誘い合わせの上、ぜひお立ち
寄り下さい。

◆日程:12/6(日)
◆時間:13:00~17:00(入場無料、予約不要)
◆場所:ホテルカンラ京都 B1ファンクションルーム
京都市下京区烏丸通六条下る北町185
http://www.hotelkanra.jp/

当日はSIONE×ホテルカンラ京都の会場限定
スペシャルコラボスイーツ&ドリンクのセットをSION
Eの器でお召し上がり頂けます。(チャージ制)
また、ご来場頂いた方にはノベルティをご用意しています

どちらも数に限りがございますので、ぜひお早めにお越し
下さいませ。







353歩目:種をまきしばし待つ

久しぶりのブログです。

仕事に育児に、奮闘してましたら、

今年もあと1ヶ月になりました。


「辞めない」を目標にしているブログは、

目標どおり、辞めてはいません(笑)


この秋は、怒濤のイベントが終わった後、
重要なミーティング以外は
しばしの休暇をいただいていました。


立ち止まることは後退のような気がして
ここまで休めなかったのですが。


攻めば最大の防御なんつって、

ひたすらフル回転でしたが、
このしばらくの心と体の休息で、
すこし次の体制がみえてきた気がしています。



機が熟してきたというか、準備が整いはじめたというか。


必要な休暇だというか。



「誰が選んでくれたのでもない、自分で選んで歩き出した道ですもの、

間違いと知ったら自分で間違いでないようにしなくちゃ」


とは『女の一生』で春子演じる、布引けいの台詞で、

私の母親がとても大切にしている言葉です。


この歳になり、やっとその真意がわかってきた気がします。



ようは、自分の責任で選びそして「やりとげる」ということ。



SIONEの次の店舗の物件探しも、もうひたすらここ1年半
やってきましたが、
ここでも気づきがありました。

「直感で選んだところは、どこでも同じだ。
 そこをやり、そだてていく気概があるか」

それにつきると。





出産も今では女性の生き方を決める選択の一つではありますが、
いいサイクルを見つめ直すと、
そこには、必ず、
プライベートとワークが相互に作用しあう
よりよいアイデアが存在するような気がしています。


周りにも、いい人が集まってきた。


そこを、どんどん活用しあって、
よい人生がSIONEから生まれたらこれほど幸せなことは無いと
そんなことを思います。


もうすこしだけスローでうごきつつ、
年始からはさらにパワーアップしたSIONEをお届けできると
思いますので、どうか宜しくお願いいたします。









352歩目:《極私的育児論その3》the reason why you work

私の実家は、家業を営む家で、ほぼ専業主婦の母に育てられた。
お手伝いさんもいたので、シーツは糊がぱりっとかけられていて、
掃除も行き届いていたし、女たちはよく働いた。
私もよく手伝いをさせられた。



だから社会の目「母親はこうあるべきだ。これは女性がやるべきだ」という視点は
普通に解る。

私自身も整理整頓された暮らしは、大好きだ。 出産して数ヶ月たったころ、 私は社会の目だけでなく、 そういう環境で生まれ育った自分の目にもしばられていた。 自分の中「こうあるべき」があるときは 人のかまびすしい言葉はよく刺さった。 ただでさえ、疲れているのに、 そんなことで体力を使いたくなかった、


だから、すこしだけ 隠遁しようと思った。 いや、普通に仕事もしていたし、「隠遁」していたわけでは無いのだけど なんとなく、いつもバリアをはってしまったのだ。 これほどまでに、ワーキングマザーがマイノリティだと思わなかったし、 母親で社長をしている人が少ないとも思わなかった。 大都会ではちがうのかもしれない。でも京都ではそうだった。

育児も仕事も、愚痴をいうには主体的すぎた。




「人って共感の中で生きている」 そんな事をふと思いついたときに、そうか、と思った。 人は共感したい、つながりたいのだ。 自分の生き方を悩み、それでいいのか考え、だれかに共感してもらう。 違う人がいたら、なんとなく心配しつつ「異論」を唱えてみる 共感が多いほど、正しい気がする。 だからマイノリティは苦しい。 だけど、本当にそうなのか? こんなにも、たくさんの「育児論」が紛糾している。 それは、何にも代え難い希望と可能性を秘めた「命」のことだからだ。

解なんてない、すべてが正しい生命の問題だから、炎上しさえする。

それを伝える事は その人の人生そのものを、否定することになるからだ。 でも、声をあげてそれにまじるのは、違うような気がした。 自分自身という一番の友人が、しっかりと自分とつながっていれば、 そこはどこまでも果てしなく共鳴しているのではないか、と。

ー 先日海外の取引先にいわれた。 the reason why you work hard is definitely a good point for branding. 私が、こんなにもハードに働く理由は 私だけの為ではない。 売り手買い手世間、そして未来の社会や子供たちの為だ。
きっと娘の存在が、私を強くし、私の会社もつよくする。 欲張りでいてもいいと思う。
それは自分の人生を謳歌するということだ。 そう今は信じている。 そして、それを、子供にも教えたい。


そんなことを思い始めたら、
母を謳歌して1年が経っていた。




351歩目:《極私的育児論その2》感謝は腰をいれて言え。

極極、私的な育児論。
論などというには、ほど遠い。
単なるつぶやきである。

なんとなく友人に漏らした事がある。 「少子化は制度の問題ではない。社会的な目線問題だ」 女性が社会に進出したとはいえ、 イクメンという言葉は流行して 男性が育児をしようという風潮になってきたとはいえ、 なんとなく、いつも私は社会的な目線や固定概念にやられていた。 人に評価なんてされなくても、いい。 自分たちがどのように家族をつくっていくか、だ!!
なんてことを家庭では言っていたとしても。


産後、周囲の協力のもと 夫と一緒に家族のルールを1から設計し、 夫と一緒に子供を育てはじめて、家事も分業した。 女性しかできない物理的な仕事は、授乳のみなはず! 精神的なところは今後きっとあるだろうけど、補い合おうと。 そして、1ヶ月半で、会社に復帰した。 会社経営もしているので、そんなには休めないよな、とは思っていたし、 復帰のタイミングは早すぎず遅すぎないくらいではあった。 そこから8ヶ月までは、ほぼ毎日一緒に出社した。 新規のクライアント以外は、娘も一緒に打ち合わせにで、おむつをかえ、 育児の記事をふむふむと読んだり、寝ている隙間に猛烈に仕事をしたりした。 この時に、一緒に成長を見守ってくれたスタッフのみなさんには本当に感謝している。 それと同時にこのころから、なんとなく生きづらさを感じていた。 どこにいっても「旦那さんすごいですね。イクメンですね。」とまずほめられる 「おっおお、、ありがとうございます。」 いいなあー男は。抱っこ紐つけてるだけでほめられて、、、 そんな事を1mmも思わなかったかというとそうではない。 おまけに夫は、SNSなどで娘との写真をよくアップしているので 夫がほぼ育てていると思っている人もいた。 「いつも旦那様が見てられるんですね。」 「ママといなくて大丈夫なんですか?」 ー 「おかげさまで、、、」「いやあ、ほんとに、、、」 「本当に恵まれてますー。」「 一言一言の言葉を、真剣に、そしてにこやかに返していく度に なにかオリのようなものが心に溜っていくのを感じた。

そんなものをためる必要なんてないじゃない。
そう思えば思うほど、なにか言葉にならないものが、のどの奥に引っかかった。
得体の知れないモヤモヤを吹き飛ばそうとした。 感謝すべき事なのだ。だって、こんなにも協力してもらえる人がたくさんいるんだもの。 そしてある日、 ほっと一息、友人と気分良く食事をした後に 支払いの時に店主から「旦那さんがかわいそう。」「赤ちゃんかわいそう」と言われた。 心底疲れてしまった。 そのときに解った。 そうか、これが社会の《目》なのだ、と。 これを、ワーキングマザーは 毎日払いのけて、仕事をする意味を見いだして、社会に出ていかねばならない。 同等の稼ぎを得る人も、そうで無い人も、 子供という存在と寂しくも離れる以上の意義を 社会に求めなければならない。 いや自分でつくり出さねばならない。 それほど、子供の存在は大きかった。 自分の為だけではできない「何か」なのだと思った。
それから、
さらに深く、「働く意味」を考えるようになった。

そして、それが、なぜ「私」がしなくては行けないことなのか。ということも。






350歩目:《極私的育児論その1》何万通りの幸せ

母になって、母という役割を得て、一年経った。
一瞬のことでもあり、
これまでの人生で一番長い一年だった。
私のちいさな胸がボインになり、また再び形を少しかえて戻った。 出産は何よりも動物的な行為で、そのあとまだ動物のうちに無理矢理に人間社会にでて、 動物と人間の頭の切り替えをしながら、 これほどの力が自分の体にあったのか、という一年を経験した。 そのなかで、なにかモヤモヤしていた。 奥歯にものがはさまったような、 それでいて、何も言葉にならないような気がして、書きかけてペンをおいた。 生き方とは、何万という方法と幸せがあり そのどれもが、一つの解ではないことをしっていた。 だから、おむつを替えない男がどうだ、とか イクメンがどうだ、とか、イクメンという名のつけかたはよくなくてそれは「父親」だとか、 またまた戻って男に育児を押し付けるのはよくない、だとか そんな論争にもつかれていた。 子育てのことを書くには、 たくさんの前置きがいる。 「私が恵まれているのはわかっている ケド」とか 「もちろん祖母たちが近くにいてくれているおかげで」だとか 「旦那の理解と協力のもとに、、、」とか いろんな条件の人を想像して受け止め、理解して立場をわきまえる。 言うならば一種の自己防衛をして、
しっかりと感謝をささげ、炎上しそうなところに水をかけてからでしか 本題に入れない。 そこまでで、もう疲れきってしまう。 そんなに長くPCに向き、そのことを世界に発信する事に どれだけ意味があるのだろう。 それなら、この近くにいる子の笑顔に向き合う方が 何千倍も価値があることだろうと、そう思い、一年がすぎた。 一年すぎて、まだまだひ弱な《母2年生》になっても、なかなかモヤモヤが拭えなかった。 なんだろう、と思ったとき、 きっとこういうことで、他にもモヤモヤしている人がいるんじゃないかと そんな事を思った。 それで、すこし気持ちを言葉にしてみようか。 そんな事を思い、筆をとってみた。

少しずつ About meで綴っていこうと思う。


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