サンドイッチお弁当写真投稿と"何かと"挟まれてた"何かを"マイペースに書いてみた。 | はるブログ「私の時間.書き綴り場所」

サンドイッチお弁当写真投稿と"何かと"挟まれてた"何かを"マイペースに書いてみた。

・(今回の写真内容。)

お弁当にと作った時のサンドイッチの写真です。








今回の記事内容、

・【マイペースな
"ただ何か1つ思い出してみた時の書き綴りと"
読みモノ的なようなモノにも近い綴り。】です。





"とくにキッカケがあって
今回を記事を書こうと思ったのではなくて、"



"1つ思い出してみながら、"


"ホンの少しは、
自分自身の心や気持ちに優しくなれたのかな?"



色々な過去の中で
様々に感じてた幼き頃のコトを
"ホンの少し"
ほんわかと優しく包み思い出してあげながら。


"過去と今と未来が"
"様々な具材で層を重ね
挟まれてるようにも感じた"


"何かと,"
"挟まれてた"何かを"

お弁当にと作ったサンドイッチの写真を
眺めながらマイペースに書いてみました。









私が幼かった当時の話しです。




幼稚園に登園する年齢になる頃に、


先生や友人の弾くピアノのリズムに合わせて、

一番乗りで、
先頭に走り
楽しく歌っていた思い出があります。


幼稚園での縄跳び大会があり、
隣の友人と私が最後まで残り
競っていたのですが…


99回目に差しかかった頃、


"ふと"隣の友人の様子をみながら
跳び…


理由は無かったのですが。



もう、
99回目まで跳べたから


"100回目じゃなくても…"

特別に優勝したいワケでもなかった
幼い頃の幼稚園時代の私は、



このまま、
"100"越して跳び続けて

"なにが残るのかな?"

と、

"ふと"
そんな小さな疑問を
幼稚園時代の頃の私は


恒例行事の義務を
窮屈に感じながらも、


変に期待以上の事も期待せずに
幼い年齢だった割には、
夢もなく、

幼稚園の頃のお誕生日会の時は、
"大人になったら何になりたい?
どんな夢があるのかな?"と、
当時の幼稚園の頃の担任の先生に
クラスのみんなの前で訊ねられて、

"正直に答えなければ。"

そう思い怖々と勇気を振り絞り

先生に向けられたマイクに向かい、

"今は夢は特にありません。"
"先生答えられなくて、"
"ごめんなさい。"と答えてしまい、

当時の幼稚園の頃の
担任の先生を困らせてしまいました。

大人目線で周りの環境を見ていた
子供らしくない子供でした。

なんとなく、
何処か冷めてた幼少期の私と、
諦めグセのあった幼少期の私がありました。


"ふと"
その思いが頭をよぎり、

99回目で縄跳びをとめて


小学生の頃にあった
"童話のお話大会でも"

完璧に物語のストーリーや内容は
記憶して覚えていたのですが、


"ふと"
特別な理由は無かったのですが。


自ら後ろ側に足が1つ下がり
怖がり屋の私へと変身してしまい、


そんな臆病な一面と怖がりな部分のあった
当時の幼き頃の私でした。



自分自身の素直な部分の
イチバン大事な部分に

自分自身で蓋をして

自分自身の心と想いと気持ちを
"誤魔化して"



何処かでが、
無意識に、


また、
自分自身の"素直な部分に蓋をして、"

幼き頃だった
当時の自分自身の、

"本音の部分を隠して"

物事を斜め角度から捉え見つめる
私の短所なクセで、

短所の,その狭い感覚で、
小さな世界を、

ただ見つめては、
見てることだけしか出来なくて、



でも、
"それは、

"ただ単に守られてきたからであり"


誰のせいでもなく、

私が1人の人として
人格の部分で成長してなかっただけでした。


義務教育というシステムと
子供の権利や義務教育というルールのもとで"守られてきたから出来た抗いであって。"


当時の私は、
とても風変わりとえば少し変わってた
子供時代の私だったのかもしれません。


短所な部分が前面に出てた
小学校と中学校時代の、


当時、
反抗期な中にあった
斜め角度から世の中を見てた私。


仲間の中に居ても
友人達に囲まれてても


何処か寂しさも感じながら
それでも何とか輪の中に入らなきゃ
輪の中に居なきゃ

と、


つまらなく退屈に窮屈にも感じてた
そのヒトトキ。


色々ぶち当たる度に
その"何かに"
疑問を抱きながら、

淡々としてた当時の日々。


当時は、
子供ながらにも、
"義務教育というルールを、"
不思議な想いで見つめ考えてました。

悩むような考え方とかではなくて、

不思議を知りたかった。
そんな気持ちの方が強かったと記憶しています。


その、
知らない誰かがつくったレールを

窮屈な思いをしながら、

狭い枠組の中で
予め用意されてる
狭い選択肢の中から
決められてる学校へと通学する。


いつも、
通学/通園する際に、

景色の中の1つにあった
当時の思い出の中に、
アメリカンスクールの通学バスを待ってた
同い年くらいのアメリカンスクール子供達と、


かたや、
通学道をテクテクと歩いている
そんな自分自身の環境を見つめながら、


(隣の芝生はあおい)と同じように
当時の幼い頃の私には
"自分自身のいる立ち位置とラインとを、"
比べて眺めてただけの
"単なる臆病者であったのだと、"
臆病者だったのだと、
そう思います。



もしかしたら!?
まだ道程の途中の通過点であることも、
気が付かずにいたのかも知れません。

ただ単純に"知らなさ過ぎる事に気が付いていなかっただけの幼少期の頃の私だったのかも知れません。"


義務教育という枠の中で、
誰かが敷いた義務のレールを
"何処かで"
強いられてるようにも感じながら
歩かされてるように感じながら通学してる自分自身よりも、


なんだか、
広く輝いて自由に見えて、
とともキラキラ楽しそうにうつり見えてたのを当時の頃の記憶にはありますが、
光り輝いてうつって見えてた景色を
ホンワカな思いで眺めていたのを
今でも懐かしく覚えています。


当時、
幼い頃の私は、
自分自身の置かれてる立ち位置や
環境という1つの場所を
それなりに"なんとなーく、"
考え感じながら
テクテクと歩きながら
小さな小道を歩いていました。

"どうにもならない事もアル"
"自分自身の意思とは別に、"

"この世界では、
時として
自分自身の意思と関係なく、"

"ままならな事もあるのだと、"



幼稚園~中学生の頃まで、
そんな、
どうにもならない答えもない
"疑問を抱きながら"



そういう景色の中と
そういう思いと
そういう自分自身と一緒に
テクテクと小さな歩幅で歩いていました。


でも、
それは、

"義務教育というシステムとルールのもとに
"その教育の保証と約束と権利が守られてきたから出来たことで、"


その学年修了と同時に自動的に進級する
システムと同じくらいに、


その教科が理解出来ても出来ていなくても
皆と横一列にではなく、



どこら辺の課題から躓いたのか、

どの教科の,どの部分から引っ掛かり

理解できなくなったのか、
分からなくなったのか、

知りたくても知る方法が見つからず分からなくなったのか、


"自らの力で出来る部分と"
"それに合わせて繋いで導く
自分自身に合う優しいステップ段階と、"

"それを足跡に結果として成長しながら
進める力を育む成果と、"

守られるだけのルールとシステムと

守られるだけではなく自らの力を育むシステムとルールと


両車輪が回り出すと、
また,1つ違った
"自らの力を育む
優しい道標の1つと過程になるのかな?と、思ってみたり、"


"守られてきた中で
ただ,抗うのではなく"

1つ外へ
世界へ羽ばたき飛び出す
その,一歩手前の段階で、


"義務教育という名のもとだけに守られる
システムとルール以外にも、"


高校進学から
社会へ巣立つ一歩手前の段階で、

守られる側から
今度は、
守る側へと


時代の背景に適した
もう1つの、
"優しいシステムとルールと、
新しい育み方と、
その先を生きていく明日と未来への
準備段階のようなシステムが整う時が
いつか訪れると良いなぁ。"

と、
そう思いながら、


その当時、

夕日をバックにして、
小道をテクテク歩きながら

いつの頃の当時の話しだったかは
少し忘れてしまいましたが、

そんな事を,
おぼろげに考えてみてたなぁー、

と、
懐かしく思い出しました。


独り目立つポジションが
とても苦手だった
幼少期から
小学~中学の頃の
その当時の私がいて、


いつも、
人前で目立つようなコトや行動は避けて


なるべく目立たぬように、

いつも友人や仲間達の後ろに隠れていた


私らしさや
自分らしさを隠しながら過ごしていた

幼稚園時代
小学生時代
中学生時代でした。




その
"自分らしさ"や
"私らしさ"を隠しながらの


"人前で目立たぬようにの"
ワケの分からない
"勝手な私の思い込みの"
呪文が解かれたのは、


義務教育の終わりと同時に


自分自身の意思で決めて、
はじめて選択して選びとった



"高校への入学からの新しい場所での
始まりと1つ1つがキッカケとなり
動きが回り始めたのが、

"新しい始まりとの日々と
新しい自分自身との出逢いでした。""


"周りの目を気にせずとも
自由に伸び伸びと
高校生生活を
当時の新しい環境や
新しい仲間達や
新しい友人達との出逢いによって、
大きく変化して変わり始めていきました。"


その後の私の
モノの捉え方や
様々な角度や視点からの見方や

今まで"勝手に固めてた思い込んでいた部分の捉え方を"


"新しい気付きの出逢いが沢山あった"
自ら選んで進んだ
"その通過点の道程途中だった私のコトを。"

1人の"人格を持ってる人として、"
"学生ではあるけれど、"
"1人の大人として
接して向き合ってくれた時の場所に、"

心素直になれた瞬間の
当時の私の姿がありました。


学ぶ場所は1つとは限りませんが、

"気付かせてくれる場所との縁は
そうそうなく、
自分自身にとっての心の成長に繋がり変化まで
辿り着ける事も、
当事者が,気が付かない限りは、
そうそうになくて、"


"その時"
"その時の縁や、"

道途中の通過点での間で
スレ違う"一期一会"も、


全てが当たり前に用意されてるモノではなく、

だからこそ、
その時の瞬間の
"縁を大切に"
"一期一会を大切に"
大事に出来るようにしたいと、

その当時も、
大人になった今も、
そう思っています。


あの当時の頃に感じた、
嬉しいと思えた
心素直な想いや気持ちと、

"自由に大きな澄みわたるような
曇り無い環境と周りとの
新しい出逢いの始まりとともに、"



"少し和らぎ解れていったコトを"


今でも懐かしく覚えています。


変に遠慮するクセも
気をつかい過ぎるクセも
…今でも若干ですが、
そういう部分の名残りや
クセも残ってる部分はありますが、



それでも、

"ホンの少しは、
自分自身の心や気持ちに優しくなれたのかな?"


と、
今の私は、
そう思っています。



"過去と今と未来が挟まれてるようにも感じた"
サンドイッチのお弁当写真。


サンドイッチのお弁当写真投稿と
マイペースな"ただの書き綴りと。"




今回の記事は
この辺で。














・【関連記事ではないけれど、
置いておきます。】




懐かしきかなサンドイッチ。(届いてた振り返り記事投稿編)




ホワイトチョコで、 バレンタインのチョコを作ってみた。)




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