歩む日々を生きながら。(雑記/自分史も少し含めての日記。)今回のみの記録記事。 | はるブログ「私の時間.書き綴り場所」

歩む日々を生きながら。(雑記/自分史も少し含めての日記。)今回のみの記録記事。

〇今回の記事を綴ろうと思った
【理由】



*今回の記事を"簡単な自分史の記録として"
綴ろうと思った"キッカケは"


部屋の片付けをしていた最中に偶然に
*生前の母からの
"私宛への手紙を発見したコトが

(生前の母からの手紙内容は私の胸に
"そっと"しまっておきます。)


その事や経緯も、
私自身の中で、

"1つの振り返りながらのポイントと、"

"今を歩み最中と途中の中にある私自身の1つの"


"記録の部分も少しかねてみながら、"

*今回の記事を綴ろうと思った
キッカケへと繋がりました。"



1970グラム
36センチ

低体出生児として誕生した
私の"少し綴りの自分史と,"

この記事を書く"キッカケとなった"
他界した母からの生前に書かれてた
手紙を、

部屋の片付けをしていた時に
偶然に,目の前に
その手紙が出てきたので、

"そのキッカケもあり、"

1つ
"何かしらの自分史を記録の一部として、"



人生を独り歩んでいく
私自身の為に、

今後、
何処かの場面や出来事で
躓いて凹んだり
時に心折れかかりそうな時
時に自己嫌悪に陥り詰まってしまう時に

この記事を読み返しながら


"再び"
"私自身の人生を"
"私らしい歩みで生きる"

その為の1つの

"私の原点として、"
書いた記事内容です。







*"ショート動画"での"
自分史記録"作成も考えてはみたのですが
*私には,まだ
作成に関しての色々な足らない不足な
部分がありますので

*"自分史記録"作成に際して
幾つか数枚ほど写真を選び

*そこから,
"簡単な流れから記事の流れを開始して"
自分史に近付けるようにと

☆今回のみの"自分史記録"ですが
作成してみました。





母が他界してからの日々は、
父が他界してからの日々は、


私自身の中の時の針は
何処かでか、
時を刻む音が止まったままになっていました。


母が居ない日々が目の前から過ぎては
流れ去り、


あれから色々な様々な出来事や場面場面に
出会う中で、


"私自身の気持ちや心模様にも"

"1つの変化がアラワレ始めました。"




・(2024年3月追記記載)

"スパッ"と、
前へと1つ1つ前進する
私自身の日々の原動力の糧として


私の歩み途中の

そんな最中の

イチページとして

"1つの作品として"

今は。

そのまま保存アーカイブで
残して置くコトにしました。

どうぞ宜しくお願いします。



優しかった懐かしきへ
ありがとう感謝。


また、
1つずつ前へと
"前進あるのみ"で、


私らしく、
頑張ります。





 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄



(亡き両親と幼い頃の私
何気ない日々の)
昔むかしの、
"当時の親子の記念写真。"

【*ブログ管理人:
"私"の大切な記念写真。】







今回のみの
〇【(雑記/ 自分史も少し含めての日記。)
簡単な"自分史記録"的なモノを作成してみた
記事内容です。



読み物的なようなモノです。









〇「歩む日々を生きながら。」





書きたい"何かを"



ただ

ただ


"その想いを
今感じる「日々の何かを。」"


書き連ねながら。








"歩む日々を生きながら。"



ー始まりは
"また始まる。"



夜明けとともに。


ーまだ出逢わぬ
知らぬ"世があける。"ー






どのように
どう生きたいのか

自分自身の心と頭で
考え模索しながら。



無言に歩む日々を生きながら
"日々、自問自答を繰り返す。"


歩む日々を生きながら

今までと
今もなお"変わらない"
"変化の中を"
生きている。"



自分自身の歩む日々。
毎日,平坦ばかりではないが,



"平坦でないからこそ気付く事もある。"




歩む日々の中で




"歩む日々も"

もう,カレコレ



どのくらいの

"道のりと"

"自分史になるのだろうか。"




5月15日が
私の誕生予定だったそうなのですが、



4月17日に
低出生体重児として


(1970グラム)
(36センチ)

産声をあげて
この世に誕生。






【低出生体重児として誕生した後
しばらくの間、
保育器の中で色々なケアや体調管理
黄疸の治療も(3日間)少し様子をみながら
様々なサポートの中,
誕生して直ぐ保育器の中で保ちいたそうです。

もし黄疸の症状が変わらなければ
"そのまま大学病院へと紹介状を"という
説明を受けた後、

黄疸の症状が引き始めたので、

大学病院へは移らずに

そのまま誕生した病院の保育器の中で
退院出来る標準の体重になるまでの間

安静に治療を受けながら
保育器の中で約1ヶ月あまり
過ごしていたそうです。


母から聞かされてた、
その当時の話では、

やっと、
1ヶ月後に退院が出来た時の、

その当時の担当のお医者さんからの
説明で、



"1年間は
風邪をひかさないように
気をつけてくださいね。"

"これから先
成長する場面ごとに、

同年代の同級生の子供達と
周りと比べずに、

1年は少し成長に伴う発達が
遅いと感じる場面や部分も
出てくるかもしれないけれど、

心配は要らないことなので、

成長も発達も
後から追い付いて
"同年代の同級生と同じように"
成長して発達もしていくので、

安心して子育てをして
お母さんも
体調には気をつけてくださいね"


という説明を受けた話しや、


私が小さく誕生した時は、

とても心配で、
色々な事1つ1つを、
この先の将来の成長や、
この先の
子育ての不安がよぎったりもしたけれど、


そんな心配も不安も
"吹き飛ばしてくれるくらい"
元気な姿と産声に励まされて

とても小さく生まれたけれど
とても元気に産声をあげて

保育器の中でも手足をバタバタと、
動かして、
元気いっぱいに泣いていたそうです。
夜泣きが酷く、
たくさんの看護士さんにあやされながら
保育器の中で過ごしてたと、
その、当時の頃の話しを聞かされてました。


母方の
祖父母から聞かされてた話し内容は、

赤ちゃんがグーの手で生まれてくるのは,
"たくさんの幸せを握りながら"

"元気と健やかな
その子だけの幸せを持って
この世に産声をあげて誕生するんだよ。"

"だから、
自分の幸せも大事に。"

"そして、
誰かに、
互いに、
"幸せを分け合う気持ちを大切にね。"


と、
そんな内容の話しを聞かされてました。



写真は、
私の生まれた当時の
1ヶ月後の、
保育器から退院した時の当時の写真です。】









この世に生まれて





"一歩目"

歩き出し始め





*(幼少期の頃,当時は
母方の農家を営んでいた祖父母の
家に預けられてたコトが多かったです。

両親は,共働きで居なかったので

誰も居ない広めの食卓で

農作業をしていた母方の祖父母の
姿をボケーッと眺めながら

この写真に写っている頃の
幼少期の私は

写真に写っている姿のように
1人で用意されてた食事を
ブラウン管テレビに背を向けて
いただいていました。


*洋服や履き物も
全て親戚からの御下がりを
着ていて。
そういう時代の中で幼少期を過ごしていました。)

*(まだスマホも,
リサイクルSHOPも無い時代。

ゆっくりと時が流れてた時代。

*預けられてた母方の
大正生まれの農家を営んでいた
祖父母の家には
黒電話と柱時計と
昔式の足踏みの黒いミシンがあり

雨戸式のドアで
蚊帳の中で,よく
夏になると飛んでいた
ヒカリ放つ蛍を見ていました。

なんかよく分からないまま
ラジオをボケーッと聴き流したり

御下がりの
童謡の歌や話し付きの
カセットテープを
再生→巻き戻し→再生→早送り
操作を覚えて聴いていました。)






それから



おぼつかないながらにも



"一歩目"

"二歩目"




*(親戚からの御下がり洋服から
写真館の記念用の衣装に一瞬だけの
早変わり。

幼少期の私は
内弁慶で引っ込み思案で
人見知りが激しい
とてもよく泣く泣き虫な
手のかかる部分が多かったので

写真館のオーナーさんが
私が安心してくれるようにと、

記念撮影用の
ぬいぐるみを一緒に持たせてくれた
その当時の記念写真です。

撮影後は再び
御下がりの衣装から
ジャージへと変わり
撮影用のぬいぐるみも
返しました。)




"練習なんて無いまま"



"生きる~生き方を"



自分自身の人生と日々、
"新しい毎日が、
私にとっての"生きる道と、"


そして、
日々の色々な景色と経過の中、

その1つ1つが、
"ぶっつけ本番"



"確実な道のりなんてアルのかな?"

"確実でなくとも、"



"着実な今の道のりと歩みながら"
"寄り添い生きていくのも、"
"案外,悪くはない。"


だって…、



"この世に生まれてきただけでも、"



"それだけでも、"



スゴく、
"素敵な事で、"


"優しい光りを持って生まれてきたのだから。"





だからね、




"たくさん分からなくて当然で、"
"はじめて見聞きすることで知ることも"


これからね、


たくさんの道のりの中で、


"たくさんの新しい景色達が、"


私さんに会える事を楽しみに待っているよ。



小さく誕生して生まれてきた分
スタートラインに到達するまでの間

小さくても
どっしりと構えて

約1ヶ月あまりの保育器での日々、
たくさん頑張った私さんだから、


今は、
今の大人として歩んでいる、

その続きを歩んでいる、

私さんらしい



"生き方と歩み方で良いんだよ。"






足早な日々の中で
瞬時な"時代の流れの中で"






"今という名の舞台"

歩む日々を生きながら




もう,
いい年齢の大人なんだけれども



その
"今という名の舞台を歩きながら"


"転ぶ連続で。"



その度に"ハッと"気が付かされるのが、

"今は亡き両親と過ごした時の幼き頃の思い出と"
遠く別々に離れて暮らしてるキョウダイとの
(弟や妹との懐かしい)
懐かしい幼き頃の日々の景色と。





幼い頃

自転車を初めて乗り始める練習で
父が,後方を掴んでくれているものだと思い
スッカリ安心しきってた私は


風を感じ
自転車をこげた喜びで

あまりに嬉しくなり

"振り返った。"




でも、
その振り返った瞬間の時の中で

私と
父と途中まて歩んできた
その"道程の"間には

"1つの景色という道程と
時間の流れが
いつの間にか長く遠く跡にありました。"

後方を掴んでくれていた
父の姿は無く
その父の姿は遠くにありました。


(例えを
分かりやすいようにと思い
書く表現の1つになるのかなぁーと、
思い、
"自転車の練習で,"例え書き増した、)



その後、
様々な理由が重なり
"家族"として、
"親子"として、
"キョウダイ"として、


その暮らしも日々の景色も、
大きな別路に別れ、

そういう"色々と様々な季節の日々と、"
そういう"色々と様々な景色の流れが、"


目の前から流れては
過ぎ去ってゆき、


"変わるガワルの"

色々な道のりを
テクテクと、
独り歩みながら、



「あの日からの応援を感じながら。」【再投稿綴り日記と 読み物的なようなモノとして】 (日記・記録



時は瞬く間に経ち

季節の移り変わりも
足早と



時から
ー時へー


もう,あの当時の頃から


だいぶ遠く長く道のりの後が出来て



手から手へ

"家族と(両親とキョウダイと)過ごした日々から"



気がつけば,いつの間にか
だいぶ遠くなってしまった。



私の歩む道のりの中の1つの
"景色"へと変わっていった。


再投稿・記録日記として。 (創作作品/文字/写真含む)



生前,両親が元気だった頃も
母の介護や
母と離婚した父との数十年経ってからの
懐かしい再会もあった。

12月31日後の心模様。(綴り日記として。)【自分時間の中で想う綴りと色々と】







(親戚の御祝いの席での
三人キョウダイの
この時が最後の記念写真。)



2つ下の弟も
1990年生まれの歳の離れた妹も

"元気で過ごせていてくれてたら。
幸せに生きてくれてたら。"

私の願いも想いも。
"それだけです。"




その後も幾多と
幾度も紆余曲折を繰り返しながら。


きっと…,
この先の道のりの中で

時に折れかかったり、

幾つかの枝分かれの分岐点を
目の前にして
"迷うことだって当然あるのかも知れません。"

"何もかもを見失いそうにもなる。"
そういう場面や
時の中にあったりするのかも知れません。

独り歩む日々の道のりの中で

この先の"私の歩む道のりの景色も時間も、
どう変化するのかなんて、
神様でもないので,分かりませんが、"


どう変化する先々が
この先待っていようとも、

きっと、
"私さんらしい道のりを選び"
"私さんらしい生き方を模索し続けながら、"

まだ見ぬ知らぬ道のりを、
歩む日々が続くのだろうと思います。

それは、
独り歩む日々の道のりと
日々と一緒になのかも知れません。


もしかしたら、
この先出逢う縁と寄り添いながら、
一緒に歩みゆく道のりを
歩んでるのかも知れません。


今は、
ただ、

この先の、
歩む日々の中で,


目の前のザツザツな道のりが
"真っ直ぐもあれば"


左右対称バラバラな道のりや
枝分かれの道程を目の前にして、
"迷う日々も時も
きっと,
この先だってあるだろうと、
それを思いながら。"


"出来る事は
まだまだ沢山あるし、"

その出来る事の先には
"繋がる未来が待っている。"

歩む道の中で(明日と未来を)
探し模索する。"

そして、
"今の私自身を優しく信じる。"


もし、
この先の道のりの中で

頑張って歩む日々の中で
"その"
道のりが
もう限られていても
数少なくなり
どこを見渡しても

それら全てが無くとも

やはり
心の何処かでか

私は…,
きっと
"諦めきれず。"


また,"別の歩む道を信じ"


目の前のザツザツな
"その道のりを
きっと歩むのだろう。"

今は、
そんな風に思いながら、

そして、

きっと…この先も、

何処かでか、


そんな風な
"相も変わらずな意地っ張りで、"
"相も変わらず少々頑固者な、"

素直になれていない
"素直と正直な自分自身の心に蓋をしてしまう"

そんな私が今もいる事は、
確かなのですが、

"自分自身の気持ちと心"
素直な部分を増やす課題とともに。


ナンダ~カンダ

ブツクサと心の中で
独り呟きながら



変わらないようで
変わり続ける



青く眩しい空模様に
早々と吹く風模様に


今は、


そんな
"私の心模様を見透かされてるようで"


ー色々模様も様々模様も経ながらー



そんな日々と季節。


"まだ出逢ってもない"
知らぬ道のりがアルことを
気付かせてくれた。

"少しずつ前を向いて
空を見上げる。"


そして,


再び
"歩む日々を生きながら。"




深く息を吸い上げて

"空を見上げる。"



あの日見上げた,道のない"空に"

今という時を

道のない空に例えるならば



"道なくとも歩き続けることで"



そこから,また、

新たな"道へ"




何かしらの"道へと繋がると信じる




信じて歩む。

"あの頃と"
"あの日の"

【原点を忘れず。】



歩む日々と生きながら。









・【過去の記事リンク記載】

【追記文も含め。】 →(以前の, ブログプロフ内容控え書き留め。)綴り