私は幼い頃からピアノが大好きで、
小学校に入る頃からずっと変わらずピアノの先生になることが夢でした。
と言いつつ、宿題の曲は退屈でサボッてばかりいて、
弾くのは自分が弾いてみたいかっこいい難しい曲で、
そんな曲ばかり毎日何時間でも弾いていました。
中学生になる前に、当時のピアノの先生に
音大に行きたいと言ったら、
今からでは間に合わないから諦めなさいと言われました。
当時小学校内では一番上手?なくらいでしたが、
我流で弾いてきたので基礎がきちんと出来ていない状態で、
小6の終わりからではとても無理だと言われました。
(自分が先生になってわかりますが、確かにあれでは厳しいですね。)
ですが無知な私は、無理でもいいから弾きたい、挑戦したいと、
先生に無理矢理頼み込み、
その日から音大を目指して地道な基礎練習を一から徹底的にやり、
結局幼い頃から憧れていた音大に行くことができました。
おかげで私の中学高校の青春時代はピアノづけだったのですが、
音大に行けるかどうかや、ピアノが弾けるようになってどうするのかなどを
全く気にすることなく、
ひたすら夢中で弾いていました。
大学時代や卒業後もピアノを一番の軸に置きつつ、
恋愛や仕事と両立してきました。
今振り返ると、よくまああんなに何年も脇目も振らず弾いたなと思います。
そうしてピアノと向き合った日々は、
ただ好きだという情熱のパワーがどんなものかを
今の私に教えてくれます。
30代前半くらいまでは色々な演奏会にも出させていただきましたが、
でもいつも思っていたのは、
私程度に弾ける人はいっぱいいる、ということでした。
私はコンクールで日本一になったわけでもない、
ただの音大卒のピアノ弾きで、
そんな人はたくさんいます。
なんでもそうですが、何年も情熱を注ぎ積み重ねてきたことが、
何らかの形になればいいですが、
ならなかった場合、なかなか切ないものがあります。
例えば、野球が好きでずっとがんばってきたけれど、
甲子園に出られなかったとか、
一生懸命勉強してきたけれど、どうしても東大にに入れなかったとか、
高校の3年間がんばっただけ、とかではなく、
昔からの夢で、ずっとやり通してきて、
それ以外のことは友達と遊んだり、恋をすることも手放し、
青春のすべてかけてやったのに形にならなかった、という経験は、
苦い想いとしてくすぶることが多いようです。
私は全く形にならなかったわけではないですし、
また特に形にしたいという意識もなかったのですが、
今考えると、ささやかでもはっきりと
形に残せているのはうらやましいなと思います。
これは青春時代の話だけではなく、
大人になってからも同じで、
仕事の合間にやる休日の趣味レベルのことではなく、
人生のメインをそこに置き、仕事や家庭など他のすべてを手放す覚悟で
何年も毎日情熱を注ぎこむ好きなこともそうです。
もちろんそれが仕事の場合もありますね。
例えば、売れないお笑い芸人や画家、小説家、歌手…。
がんばってきたことが形にならなかった現実は、やはり苦いものです。
その辛さが見えるから、本当は本気でやってみたいけれど
全力で挑戦することをためらう人や、
趣味で満足する人もたくさんいます。
ですが、そんな臆病さより挑戦することを選ぶ勇者には、
がんばってきたことが結果につながらなくても
やった人にしか手に入れられない特別な何かが残ります。
そんなことはわかっていても、
それでも形にしたいのが人間ですし、
私にもよくわかりますが、
形のない、他の方法では手に入らないものがあり、
それがどれだけスペシャルなものかは、
生き続けるほどにわかります。
すごい!と言われたいからがんばったわけじゃない、
ただただ好きで情熱を注いだ時間の結晶は、
それをやったことがない人にはわからない
特別なものとして残ります。
逆に形に残せた人でも、たいした情熱も注がずに形にしてしまうと、
それは手に入りません。
この体で体得したことは、この肉体を離れたら消えるかもしれませんが、
消えない何かがあり、
誰もそれを認めてくれなくても、
誰もそれに気づき目をとめてくれなくても確かにあり、
それはその人だけの宝物になります。
そしてそれは目指した世界から遠く離れて生きていても、
自分の中で輝き続け、
外から見ると何かわからない、けれど強く光る芯になります。
それは瞳を見ればわかるもので、
ふとした時の瞳の輝きと強さに出ます。
形に残せた喜びは素晴らしいものですが、
形自体は肉体が死ぬ時に置いていくものです。
でも、情熱をかけて積み重ねた結晶から生まれたものは、
魂に刻まれていて来世までも持っていけるものです。
例え形にならなくても、
がんばってきたことは決して無駄にはならないのです。
形にならなくても、本気で人生をかけて情熱を注ぎ続けた10年20年を
正面から受け止めた人は、
どんな肩書きより尊敬に値します。
昔はわかりませんでしたが、人生は瞳に出ます。
ウソはつけませんし、誤魔化したり立派に見せることもできません。
どんな人に会っても変わらず真っ直ぐ見つめ返す
芯のある深く輝く瞳は、
逃げないで生きる人だけが持つものです。
肩書きや形もいいですが、
人と知り合ったらそこを見てみましょう。
信頼できる人か、愛のある人かなど、すべてがわかります。
もちろん自分の瞳にも出ていて、相手に見えているでしょう。
よく見せようと立派なフリをするでもなく、
未熟だと卑屈になるでもなく、
そのままを、これが私ですと言えるように、
生きていきたいですね。
10年20年と考えると大きすぎで難しく感じますが、
今ある毎日をただ一生懸命できるだけのことをして生きることの延長に、
10年があります。
今日の一日を大切に、情熱を注ぎたいものに注ぎ、
生きていきたいですね。
そして、何歳になっても逃げないで挑戦する
勇者でいたいなと思います。
……………………………………
年に数回瞑想セミナーを開催しています。
瞑想に興味のあるかたへ。過去の記事のおすすめです。
↓2つのブログランキングに参加しています

ランキングが上がると、
より多くのかたに読んでいただける機会が増えますし、
励みになるので、
励みになるので、
お手数ですが、
ぜひよろしくお願いいたします

………………………………………
プロフィール
北山裕子
北山裕子
瞑想歴20年。和歌山市在住。
摂食障害を治すため、藁にも縋る思いではじめた瞑想で潜在意識とつながり、
自分の奥底に眠っていた本当の自分(潜在意識)と会話ができるようになる。
その後も続けていくうちに、宇宙とつながり、
次元を超越した体験や不思議な体験を重ねる。
………………………………………

次回は未定ですが、秋~冬に。
詳細が決まり次第このブログでご案内いたします。
………………………………………

やり方やコツを書いています。
瞑想を楽しむ
(軽めのお話です。)
私が瞑想を始めたきっかけはこちら。
初めて瞑想ができた時のお話です。
↓ ↓
………………………………………