私は小さい時からピアノを弾くことが大好きで、
これさえあれば一生退屈せずに楽しんで生きられると思っていました。
そうして弾き続けているうちに、ただ鍵盤を間違えずに順に押し、
難しい曲をきれいに弾くだけではない、
ピアノ(音楽)の持つ意味を感じるようになりました。
それは言葉という枠にはめられないことを伝えられる、ということです。
これはピアノに限らず、楽器や踊り、絵など、
言葉を介さない様々なことで表現できます。
ですが、それをしない人たちもたくさんいて、
小学生の頃からずっと不思議に感じていました。
言葉の制限、限界を超えたものを伝えたい時、
ピアノを弾かない人(や他の方法を持たない人)は
どうやって伝えるのだろう?とよく思いました。
伝えないまま、表現しないままでいるということが、
私には無理だと思いましたし、理解しがたかったのです。
言葉って、例えば何時何分にどこで待ち合わせ、などを伝える時は
とても便利ですが、
もっと曖昧な感情や感覚をリアリティを持って伝えたい時は
とても不便です。
それを無理矢理言葉にすると、
なんとも言えない気持ち、色々と複雑、などになるのでしょうが、
それをそのまま表現するには、音楽や踊りはとても便利なツールです。
そんな音楽とずっと共に生きてきたので、
論理的なことは言葉で、
感覚的なことはピアノでと、
両方を使うことでいつも自由に気持ちを表現してこられたなと思います。
表現しようとする時は、色合いや温かさ、重さ軽さ、などを
感覚でそのまま伝えようとしますし、
また、自分が伝えるだけではなく聴く側にもなり、
人の伝えたいことも感じとろうとしますから、
その能力も磨かれます。
そのおかげで、感情や感覚があるのに出せないままで眠らせ続け、
感じたりただ味わったりする能力が
弱くなってしまわずにすんだなと思います。
そんなベースがあるおかげか、
言葉の枠を超えた感覚的なことを
そのまま感覚で理解することに抵抗がないようで、
スピリチュアルなことや、宇宙のこと、次元のこと、パラレルのことなども、
まずは感覚で捉え、
頭と感覚の両方を使いわけて
理解が進んでいるようです。
例えば、スピリチュアルの本などを読んで、
こういう時(A)はこう(B)の可能性がありますよ、と聞いた時、
言葉の枠の中で生きてきた人は、
(左脳系とも言えますね。)
AならほぼBなのか、と思ってしまうことが多いようです。
具体的には、エンジェルナンバーで777を見たからこうだとか、
夢にライオンが出てきたからこうだとか、
本に書かれていることをそのまま自分に当てはめてしまう人もいます。
エンジェルナンバーは私も楽しみますし、
(ゾロ目を見るとやっぱりなんだかうれしいですよね~♪)
夢は私たちを導くメッセージが込められていることも多いのですが、
単純に、思い込みから見ることもありますし、
必ずいつも答えが本の通りだけとは限りません。
答えは「AだからB」と単純にはいかないことも多いのです。
そんな例外や思い込みを見分けたり、
人とは違う自分独自の意味を読みとくには、
感覚が大切になります。
ではどうやってその感覚を磨くかですが、
なんとなく、なんだか◯◯のような気がする、
というような自分の勘や、
ふと思いついたことを見逃さないで捉え、注目していくと、
だんだんと思い込みなのか、メッセージなのかの
見分けがつくようになってきます。
また、そうしてこれはメッセージじゃないかな?!と思ったことを、
頭を使って検証します。
始めは感覚で受けて、頭で検証するのが
コツをつかみやすいように思います。
それで、勘違いだったのか、確かに勘が当たっていたのかを
全体的な流れから考え、
どんな感覚できたものがメッセージかを
自分なりに捉えて覚えていきます。
そんな勘や感覚は誰にでも備わっているもので、
気長に磨けば誰で身につけることができます。
実際、私も無自覚でなんとなくいた時は、
自分の勘を信用できませんでしたし、
勘と思い込みの違いなどわかりませんでした。
でも意識をして、都度これはどちらかな?!と見ていると、
区別がつくようになりました。
ちなみに、私がこれはメッセージだ、サインだ、と思う時は、
ハッキリ目に飛び込んできたり、
その言葉だけ立体的に浮かび上がるように見えたり聞こえたりします。
また、見せられた、聞かされた、という感覚があったり、
それにエネルギーを感じたり、
さりげないたった一言でハッとするような感覚があり、
メッセージに疑いや不信感は湧きません。
そんな風にして感覚を使うことに慣れていくと、
スピリチュアルや宇宙、次元、パラレルなども、
やってくる感覚のまま頭で変換せずに
そのまま理解することができます。
これらのことは、言葉に変換すると置き換えきれず、
ズレておかしくなってしまうことが多いです。
よく、スピリチュアルや宇宙などの話で、
人によって違うとか、辻褄が合わないのは、
そんなことが原因の時もあります。
頭で考えて理解して感じる、という使い方ではなく、
逆です。
直感や感覚で捉えそのまま理解し、
必要があれば検証するのがいいように思います。
そんな感覚を磨くのは日常の小さなことからできます。
お気に入りの場所の波動と、落ち着かない場所の波動を味わい比べたり、
コンビニのパンと手作りパン屋さんのパンを並べて置き、
違いを感じたりしてみるのもいいですね。
慣れてきたら、毎朝夢を書き留めたり思い出したりして、
その中の何がメッセージか、メッセージはあるのかを
感覚の違いで見分ける練習をしてみるのもおもしろいです。
また、メッセージを読み解く練習とは違いますが、
ピアノや楽器で、理解を越えて感じることに没頭するのも
頭を使わずにただ味わうにはピッタリですね。
そうして感覚を磨き、自分の直感やひらめきを信頼できると、
人に惑わされなくなり、生きやすくなりますよ。
というわけで、今日は感覚を大切に使っていきましょうというお話でした。
感覚は磨けば必ず伸びるものですから、
ぜひ気長に日々使ってみてくださいね。(*^.^*)
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プロフィール
北山裕子
北山裕子
瞑想歴20年。和歌山市在住。
摂食障害を治すため、藁にも縋る思いではじめた瞑想で潜在意識とつながり、
自分の奥底に眠っていた本当の自分(潜在意識)と会話ができるようになる。
その後も続けていくうちに、宇宙とつながり、
次元を超越した体験や不思議な体験を重ねる。
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