あじさい


せっかく柴草玲について書いたので、アルバムも一枚紹介しておきたい。
今後も、いろいろ無名どころを中心に紹介していくつもりである。
どちらかというと、歌詞より曲を聴くことが多いので、他の人の印象とは異なっているかもしれない。
基本的に古い音源の紹介が多くなると思うので、アマゾンですら入手できないものが多くなると思われる。
ただ、今回の「あじさい/柴草玲」は普通に入手できるようだ。
ちなみに、写真のジャケットは本人のデザインらしい。


アルバムというよりはミニアルバムに近く、収録は5曲。
そのうち、印象深いのは1・3・4曲目である。


1曲目は表題曲の「あじさい」。
スローでゆったり柔らかく入ったかと思うと、accel.が入り急テンポに切り替わる。
この速度の揺れが、歌詞のせつなさと相俟って、感情のデリケートな変化を表現するのに成功している。
曲がひとつの生き物のように、聴くたびに異なった表情を見せる。
速度が上がると流れるように聴こえるピアノの調べも、背景の映像として印象付ける。
もちろん、歌の世界はあじさいの花の主景である。
詩的にも音楽的にも飽きを感じさせにくい構成になっている。
この曲が表題曲、なおかつ1曲目になっているのは、いろいろな意味で納得がいく。


3曲目の「金魚」。
個人的には、柴草玲で一番好きな曲である。
この曲はまるで派手さはない。
テンポもスローなままで、ゆったりとした歩みの重みすら感じさせる。
だが、歌詞で作り出した世界に引き込むそのパワーの強さは抜きん出ている。
「やっと来たタクシーを別の人に拾われてしまう」ところは秀逸。
二人の心情とその場の映像、雨音や空気の湿度まで鮮明に聴き手に世界を与える。
いや、その世界に知らずのうちに引き込まれ、置き去られてしまうといった方が正しいかもしれない。
最後は、霞に映像が消えていく印象で、聴き終えたときに一本の映画を見終えたかのような残響が響き続ける。
次の「ローランド・カークが聴こえる」は第一印象のよい曲である。

だが、「金魚」は聴き続けることによってだんだんよさが実感できる曲であると言える。


4曲目の「ローランド・カークが聴こえる」。
アルバムではそこまでではないが、生でこのピアノの弾き語りを聴くと目が覚めるような衝撃を受ける。
クラシックとジャズの技巧のよいとこ取りのピアノを軽々と、軽やかな歌声とともに聴かせられるためである。
歌詞の中身は「後悔先に立たず」といった内容で、ちっぽけな夢のために捨てた男が幸せになっているといったものである。
第一印象が鮮烈な分だけ、「聴けば聴くほど」といった曲ではない。
だが、「金魚」ははじめて聴くと眠たくなる可能性があるので、取っ掛かりの曲としては最適であろう。
ちなみに、ローランド・カークは著名なジャズフルーティストである。
肉声をフルートの音に被せて演奏するなどの技巧を用いるようだが、まだ聴いたことはない。


一応、他の2曲も。


2曲目の「井戸の夢」。

スピードもダイナミックレンジも振幅が大きかった1曲目から、急に振幅が消える。
旋律も高低の浮き沈みの少ない曲である。
それだけに、高音で切なく歌い上げるその歌詞が、直接大脳に染み渡ってくる。
冒頭の「あじさい」は引き込む力を持っている曲だと言える。
それに対し、「井戸の夢」は引き込まれた人をそこに佇ませる力を持った曲といえる。
世界を壊すことなく、1曲目から3曲目に緩やかなグラデーションを描きながら橋渡しすることに成功している。
単体で聴いて悪い曲ではないが、前後の曲が印象深く、少々損な役回りをこのアルバムでは果たしている。


5曲目は「おやすみ」。
タイトル的には、最後の曲で問題はないのだが、曲の体温がむしろ朝っぽく感じられる。
朝食のトーストと淹れたてのコーヒーの香りのような雰囲気である。
もちろん、歌詞では「お休みなさい」ときちんと述べている。
だが、体には少し体力的な余裕を感じる。
夜だとすれば、山荘の早い夕食の後、暖炉でひと時のくつろぎを取っている瞬間の体温であろうか。
個人的には2曲目にこれをもってきて、5曲目が「金魚」の方が構成的には好きではある。
だが、このアルバムを聴き終えた聴衆に軽やかな余韻を残したいという作り手の配慮であったのかもしれない。
この曲を最後に持ってくることにより、脱催眠的な役割を与えているとも言える。
1曲目の暗示から、2・3曲目で深い世界に落とし、脱催眠が完全に行われた状態が5曲目といったところか。
その意味では、このアルバムの最後で「おやすみ」というタイトルが付与されたことは、逆説的とも言える。
まったく関係ないが、「おやすみ」というタイトルは原マスミにも谷山浩子にもある。
どちらもシングルレコードB面(CDで言うところのカップリング)の曲であったと記憶している。
シングルもミニアルバムも、作り手のこしらえる一つの世界だとして構成した場合、
「おやすみ」というパーツは、クロージングを意識されるのかもしれない。
個人的には、「おやすみ」を口切にして世界が広がっていくのも面白いとは思うが。


ミニアルバムではあるが、余計な曲や聴きたくない曲が一つもない、調和の取れた作品である。
初期の作品集になってしまうのかもしれないが、渾身の力が傾けられていることを感じる。


なお、アルバムを再度聴きなおして明らかな誤りがあったら修正したい。

KURAGE TRAVOLTA 2008 シノブサン、ジュウナナサイノ遊園地 2008年09年10日 下北沢440


朗読(17歳)
琵琶湖周遊の歌(?)
昭和枯れススキ
ホテル荻窪
ナタ男
ながぐっちゃん!!
拍手喝采
朗読(グランドミルクチョコレート)


ブルーアイズ
I don't determine,I don't know.(決めないの、知らないの)
航海日誌
回れ糸車
お経
徘徊ロック#5
耐久しりとりロックンロール
高尾山
ヘルスメーター組曲
さげまん
ブルースを捧ぐ
愚かな日々
朗読(笑う夜の遊園地)




下北沢の440に並ぶ人の数は柳原陽一郎の単独ライブより遥かに少ない。
37人だったかの先着プレゼントにも入り、後は中に入るのみである。
入口でポストカードとチロルチョコが渡される。
チロルチョコはそのライブのために用意された包み紙が用意されていた。


かわいしのぶは昔、柳原陽一郎が南青山マンダラでライブパレード(月一ライブ)をしていた頃によく見た。
当時、柳原は2~3人の小編成でライブを行うことが多かった。
女声でコーラスを入れられ、ベースを弾けた訳だから、さぞかし重宝したであろうと思われる。


柴草玲も、昔マンダラ2でワタナベイビーを交え、柳原と競演している。
蜃気楼中央線という柳原陽一郎が企画する対バン形式のライブであったが、最近は開かれていない。
水谷浩章という名ベーシストとの競演から始まったもの、終わったものは少なくない。
柴草玲のそのときの印象は、ピアノが凄まじく巧いこと、真面目な歌い方でふざけた歌詞も歌えること、落ち着いた声、5分ぐらい前にあったものを感傷的に描写できる詩の世界。
アルバムもそのときに一枚買った。
完成度が高く、「これ以上のものはできないのではないか」と思い、いまだに他のアルバムを聴いていない。


これに外山明を加えた4人で「帰宅部」というセッションが組まれ、一度マンダラ2で披露された。
高校生がバンドを組んだという設定に不釣合いな曲目が並び、楽しむことができた。
今回のメンバーはそのときの再演であり、期待を胸に下北沢に足を運んだ。


何処かで聞いたような引用を含む「17歳」の詩の朗読から始まった。
無伴奏で「命短し、恋せよ乙女」という歌詞で、曲は「琵琶湖周遊の歌」を歌った。
もしかすると元ネタの曲があるのかもしれない。
柴草玲がアコーディオンでハッピーバースディを演奏して登場。
前回は帰国子女の上品な高校生だったが、今回はよくいそうな高校生に扮していた。
「新島」「ABC」など、時代を感じさせるトークが続く。
「昭和枯れススキ」の後に、「ホテルおぎくぼ」が続く。
これが何処かの喫茶店を描いた歌だったら、普通のメランコリックな思い出ソングであった。
だが、潰れてしまったのが古びたラブホテルであったがために、制服とアンバランスな印象を醸し出していた。
残念なのは、柳原の語りが今回は入らなかったことである。
柳原陽一郎と柴草玲はポーカーフェイスで役に入りきれる共通点がある。
「何もしない」「こう見えても真面目」と、たんたんとホテルに誘う台詞を語るバージョンを次回は聴きたい。
「ナタ男」も穏やかではない曲であった。
現在続く狂気の事件、その現場に居合せた疑似体験の歌だが、映像にリアリティがあり印象深い。
「ながぐっちゃん!!」は「おかあさんといっしょ」の曲である。
「私の曲でないのでいい曲です」との言葉どおり、小さな子にも安心して聴かせられる曲である。
「ピピポ」のところからの擬音語の旋律がコーラスも相俟って印象深く、口ずさみたくなる一曲である。
柴草玲退場後、チュルコ登場。
エレキギターでさまざまなノイズを出し、ベースとセッション。
五分毎に拍手を、曲の展開に関係なく入れるという企画であった。
「グランドミルクチョコレート」という詩の朗読で前半終了。
この詩と最後の詩は、比較的よくできていると感じる。
柴草玲に曲でもつけてもらえばよいのに、とも思う。


後半、柳原陽一郎登場。
アトピーズ以外で一緒に競るのは6年ぶりとのこと。
ライブパレード時代もよく演奏された「ブルーアイズ」。
個人的にはCD収録バージョンの「ズ」が強く出ない歌い方のほうが好みではある。
だが、長年弾き込んだピアノの遊ばせ方は、いつ聴いても気持ちがよい。
最近の曲を挟み、名曲「航海日誌」。
「回れ糸車」は最新アルバムの曲であり、予想外に聴かせる系の歌が続く。
「お経」は初期の曲で、前奏も含めて似たタイプの曲は非常に少ない。
「ねこばば」バージョンの歌詞が好みだが、どのバージョンも楽しめる。
「徘徊ロック#5」でいったん退場。
外山明とかわいしのぶで「耐久しりとりロックンロール」の演奏。
再度、柳原陽一郎と柴草玲登場。
お色直しも終わり、高校生の柳原少年になって、「帰宅部」モードに切り替わる。
「高尾山」は、前回「帰宅部」ライブでも口切の曲だった。
ただ、この人のベースは予想もしない音程が出てくることが時たまある。
明らかに外した音を聞くと、水谷浩章とは違うとやはり感じてしまう。
「ヘルスメーター組曲」は前半が柴草玲の「ヘルスメーター」。
柳原に駄目出しされたと、ぶつくさつぶやいていた。
後半が柳原陽一郎の「妄想ヘルスメーター」。
両者共通していたのが、ヘルスメーターのメモリー機能であった。
世界は「二人のメモリー」「知らない男のメモリー」などである。
メモリー機能という一点から、逆ピラミッド型に世界を膨らませていく技術は見事といえよう。
二人の即興での対話の部分は今回も楽しめた。
前回も今回も一番の山場となる曲、「さげまんのタンゴ」。
アコーディオンを見事に操り声を張り上げる柴草玲は、吸い込まれそうなかっこよさがあった。
今回のワンコーラス目はアコーディオンを弾かずに振り付けに徹していた。
だが、難しいパッセージを軽々とこなしながら歌う前回のほうが、さらに魅力的であった。
この曲は音楽的にも大曲であり、インストでも十分に通じる展開を持っている。
チュルコを再び交え「ブルースを捧ぐ」、「さげまん」の件がアドリブで出てくるところは、さすがである。
「愚かな日々」で「帰宅部」終了。
最後は「笑う夜の遊園地」の詩の朗読で終了。
アンコールはなし。


総括として、ステージ全体を盛り沢山にしようとしたため、「帰宅部」ステージがコンパクトになってしまった感があった。
前回は、柳原と柴草のボーカル、語りの役割分担があまりにもはまっていた。
前回共演者のイーヨ・イデオットが、自分の出演の準備を忘れて見入ってしまうぐらい印象は強烈であった。
今回は「妄想ヘルスメーター」以外に二人の掛け合いが見られなかったため、次回は多く曲目を割いてほしいと感じた。
次回も、この組み合わせのセッションに期待したい。






原マスミ&近藤達郎 教室コンサート 昼の教室 2008年9月7日(日) 芸能花伝舎


1.教室
2.悲しい夢
3.ずっと君が好きだった
4.イナフ
5.ウイミン
6.約束の満月
7.人間の秘密
8.もいちど
9.千年に一人
10.からたちの花
11.光の日にち
12.朗読
13.海のふた
14.ブレーメン(アンコール)


原マスミ+近藤達郎の組み合わせの教室ライブ。
一昨年、昨年に引き続き、この企画では三回目のライブである(他にこの組み合わせでは目黒美術館で一回)。
近藤達郎は原マスミのバンドライブのときに鍵盤系を弾いている。
LoveJoyなどのバンドでもキーボードをこなし、大変細やかな音作りをする。
リゲインのテーマの作曲者も彼である。
個人的には、小編成ではこの組み合わせが一番素晴らしいと感じているので、無理して出かけることにした。
昨年、一昨年は昼の部に「支度」を演ったので、昼の部に行くことにした。


二人が登場し、スローテンポの「教室」でスタート。
高音主体のピアノの音が心地よい。
すぐに近藤達郎が下がり、ソロとなる。
昼の部は昼の歌を探したが、全くなかったとのこと。
「日傘が昼っぽい」とのことで、「悲しい夢」の演奏となる。
数曲経って、「ウイミン」、ウクレレ一本だが、凝ったアレンジでシンプルな感じがない。
「約束の満月」からは、また近藤との共演となる。
完成されたバンドアレンジほどではないが、やはり楽器が増えるとよい。
ギター一本の場合、満月の像のみが浮かび上がってくる。
だが、ピアノが加わるとその周りの雲の流れ、冷ややかな風の流れが映像として浮かび上がってくる。
近藤の流れるピアノの旋律が、原マスミの世界を補完しているからであろう。
「人間の秘密」、この曲は「空」「悲しいのはいやだ」などとともにバンドライブでは後半に置かれることが多かった印象がある。
これらの曲は、原マスミの人生観が非常に反映された曲で、最初の頃は聴き終わるとしばし呆然としていたものである。
「もいちど」は、バンドに服部夏樹が在籍していた頃のアレンジに近かった。
エスニカルな流れる高速アルペジオが印象的なギターであったが、そのギターを再現したような印象を受けた。
バンドも、この曲だけはその頃のアレンジのほうが面白かった。
「からたちの花」は教室ライブの定番だが、近藤のキーボードがあると命が吹き込まれるようである。
「光の日にち」は、この日最高の出来であった。
この曲は、弾き語りでは5カポ、バンドでは7カポのことが多い。
だが、この日は(おそらく)5カポで、キーボードが入った。
そのためか、落ち着いたトーンのまま幻想的な歌詞が浮かび上がり、最後まで世界を壊すことなく幕を閉じた。
何度聴いてもよい曲だと思う。


朗読はやはり圧巻であった。
宮澤童話の中から『毒もみ好きな署長さん』の前半。
以前のときは、朗読に涙する聴衆もいたが、今回も息をつかせぬものがあった。
近藤の即興的にも感じるピアノも素晴らしいのは間違いない。
だが、原マスミの朗読は絵画、音楽と比較しても群を抜いて隙がない緻密さがある。
台詞と場面朗読の間の間の取り方。
抑揚を自然につけ、表情を与える技術。
生で聴くと、完成度の高さが分かる。
昔あった「幻燈音楽会」がまたあるようなら、朗読も取り入れてほしいものである。


「海のふた」でプロプラム終了。アンコールは「ブレーメン」。
いつもの思い出話のMCはほとんどなかったが、他では聴けないライブであることは間違いなかった。



ここからは今回のライブとは関係のない内容である。


以前、原マスミは「夜の音楽」を演奏しているものだと思っていた。
だが、それは誤りであった。


昨年5月の目黒美術館での一連の講演でのことである。
あがた森魚が「闇の中で見る幻」といった言葉を口にした。
「幻」でなく「夢」だったかもしれない。
またその前日か翌日か忘れたが、原マスミ絵画の「アイキャッチのない瞳」について触れられていた。
つまりどこも見ていない、実際にはありえない描写であるといった内容だったように記憶している。


昔、原マスミの「夢の四倍」のアルバムが発売された頃、自分は電気を全て消し、目張りをして聴いた。
全く光のない状態で、闇の中から浮かび上がる幻の世界を楽しんでいた。
正直、今でもライブで「闇の中でこの音楽を聴きたい」と思うことがある。


昨年の講演を聞いて、やはりそうだったのかと感じた。
原マスミは「夜の音楽」ではなく、「闇の中に浮かび上がる幻想」を音楽に(または絵画に)していたのである。
曲調は初期と後期でだいぶ違うが、「海のふた」も「光の日にち」も基本的にはその流れは変わっていない。

本日は「昼の教室」であったが、その世界は昼も夜も関係ない、闇の中から引張り出した幻想なのである。

寺山修二は「闇」を「光のない状態」という引き算した世界ではなく、「全ての創造的なものを作り出す源泉」とした。
「闇」を積極的なプラスの存在としたこの見方は面白いと当時感じたが、原マスミを聴くたびそれが正しいことを実感する。


今日はこのぐらいにしておきたい。

EeePC4G+EmobileD02HWをヨドバシで100円で買って1ヶ月経った。
使い勝手について感じたことがいくつかある。


・大きさや重さは大変コンパクトで軽く助かる。


昔々ラップトップのパソコンを持ち運んでいたころは、毎日米袋を運搬している感があった。
A4サイズのノートも決して軽くはなかったが、ここまで軽くなれば片手で持って入力することもできる。



・意外に電源の消耗が激しい。


3時間はとても持たない。
これはPCのせいではなく、Emobileの接続がバッテリーを消耗しているらしい。
ワイヤレスゲートの無線LANも契約したが、電源が取れるファーストフードでしか試していないので、比較はできないが。
後続の新製品のほうが8時間持つので(CPUが省電力)、資金に余裕があればそちらのほうが便利である。
もっとも、100円だから購入することができたのだから文句は言えない。



・画面が狭い。


大丈夫だろうと鷹をくくっていたら、いろいろ不自由が出てきた。
JAVAを入れて、将棋倶楽部24という将棋サイトで将棋を指した。
途中まで問題がないと思っていたが、投了するときに投了ボタンが下に隠れて押すことができない。
反則負けをするしか自分で終了できない。
よい方法があるのかもしれないが、まだ見つかっていない。
東風荘というネット麻雀もインストールした。
小さいサイズだと目が疲れる。
中サイズでやっているが、チャットはできない。
少し上にずらさないとポンやロンができない。
こちらは我慢できないレベルではない。



・地下が弱い。


これは自分の環境での印象。
総武快速の東京駅地下とか地下鉄などで接続ができなかったことが多い。
車内接続をするのであれば、地下では駅に停車中もつながらないと覚悟したほうがよい。



AVAST(セキュリティ)とcatmemonote12(エディタ)をあとはインストールしている。
ドライブがやかましく回らないので、静かなところは気に入っている。
デフォルトのWindowsLiveは使っていない。
Gmailに転送をかけ、Webでメールは確認している(rimnetユーザーはみんなやっているかもしれないが)。
また思うところがあれば、何か追記したい。


2年ぐらい前、ランチタイムに足を延ばせるところで働いていたので、銀座のデリーによく行った。
祝日でない月曜日が一番の楽しみで、当時の限定メニューはスーパーカシミールカレーであった。
記憶が飛んで思い出せないが、確か20~30人で品切れであったと思う。
遅れていくと、当然限定数に達してしまっていることもあった。
月曜日は大変祝日が多く、正月なども出てこないので、一年でこのカレーを食せるのは1編成の地下鉄の乗客の数よりも少ないかもしれない。


カシミールカレーには激辛のラベルが強く貼られてしまっているが、このスーパーカシミールカレーには別のラベルも貼られていた。
ルクルーゼの上品な壷の蓋を開けると、新鮮なスパイスの香りが飛び込んでくる。
口に入れても「辛い」ではなく「美味しい」という思いと、口の中に広がるスパイス感だけがじわじわ広がっていくだけだった。
鶏肉も新鮮で柔らかい肉を厳選しているようで、生でも食べられるのではないかというフレッシュ感が味わえた。
ランチタイム終了時刻すれすれでたまたま口にできたときには、少し辛く感じることもあったが、おおむね充実したランチタイムに貢献していた。


職場が少し遠くなったが、今年久々に仕事に休みを入れて銀座のデリーに向かった。スパイスの蒸気が上がるあの壷が出されるのを心待ちにしながら。
ところが、待っていたのは大きく変わってしまった献立表であった。
当時裏メニューであったはずのバターチキンか何かが代わりに入っていて、スーパーカシミールカレーは昔あったことさえ思い出させない消えっぷりであった。


傷心の中、店員に献立の有無を尋ねると、昨年いっぱいで終了した旨の返答があった。
普通のカシミールカレーを食するが、何かが違う。
これはこれで美味しいのだけれども。

雰囲気的には、上野のデリーのほうがカレー屋っぽくてよい。
横浜のカレーミュージアムにも珍しい小サイズの献立があった。
だが、ここまでよい素材でスパイシーなカレーを、二度と味わうことができないのかと考えると寂しくなる。
値段は多少張ってもよいので、夜か予約専用かの献立で構わないので復活させてほしい。

以前にこのブログの登録をしたものの、なかなか書き込む機会がなかった。
ライブに行ったので、そのレポートを初回の書き込みとすることにする。
本当は、たまや柳原陽一郎のライブも行ったのだが、次の機会にする。


原マスミ真夏の夜の弾き語り(2008・08・16南青山マンダラ)

1.ムー
2.悲しい夢
3.stereo
4.血と皿
5.人間の秘密
6.千年に一人
7.ずっと君が好きだった
8.五月のバラ
9.教室

10.海で暮らす
11.砂山
12.光の日にち
13.夜の幸
14.ブレーメン
15.フトンメイキン(一番のみ)
16.イナフ
17.海のふた

18.アイスアイスアイス

19.夜行


聞き馴染みのない前奏から始まる。比較的似たセットリストの多いライブであるが、今日は期待ができると感じた。
始まったのは「ムー」。何年か前に同じ場所で一度聴いたことがある。何でも、この曲があったということ自体を忘れていたとのことである。3rdアルバムの中では、個人的にこの曲が一番好きなのだが、大変もったいない。
前奏と後奏がとても長く本編がやたら短い「悲しい夢」に続く。原マスミギターテクニックの集大成とも言える曲で、耳コピが一番困難な曲である。だが、クラシックギターを長年引き続けた人間には、あの後奏のハーモニクスの使い方は大変魅力的に感じる。時間のあるときにでも研究してみたい。
「stereo」もソロで演奏することは少ない曲である。バンドのときの楠均のドラムが入るバージョンの派手な印象とは違い、「飛龍頭」のソロバージョンと近い印象を受ける。
その後数曲、馴染みの曲が続く。
思うところはあるが、またの機会に改めることにする。
5月のバラは稲生座かどこかで聴いたことがある気がする。Emで収束するところをEで収束させているところに上品さを感じさせる。
教室はソロのほうが間奏のギターテクを味わえ、お勧めである。原マスミのギターの聴かせどころは、間合いの取り方ではなく、間合いを詰めて流れていくような連続性を感じさせるところであると思う。バッハのフーガや津軽三味線のような、息を継ぐ間も与えないような張り詰めた緊張感がこの間奏にはある。

「海で暮らす」も比較的演奏機会の少ない曲。稲生座では亡きマスターが必ずアンコールをしていたが。「海のふた」を作ってから、海で被るのでやる機会が減ったとのこと。7対6も引っかかるらしい。
「光の日にち」は幻想的な歌詞と曲調がマッチしており、音源化されていない曲の中では一番気に入っている。
「フトンメイキン」は原マスミを知り、のめり込むきっかけとなった曲である。バンドで昔のままのアレンジで聴けるのは嬉しいが、まさか、ソロでワンコーラス聞けるとは思わなかった。ソロライブの楽しみが一つ増えた。

全体として、意欲的なセットリストで、夏の一夜の中で充実した時間を過ごすことができた。
思うことはまだまだあるが、とりあえず初回はこれぐらいにしておくことにする。