札幌村元村地区と丘珠村の境界 | さっぽこのウェブログ

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今回は『札幌市東区の元町と札幌村の元村地区』で取り上げた境界のうち、札幌村字元村の元村地区と字丘珠の境界について深掘りしたいと思う。

(こちらも同時公開札幌村烈々布地区と丘珠村の境界札幌村の元村地区と烈々布地区の境界


まずは以前のブログの内容をもう一度確認する。


「さて、最後に北側の境界。

北側境界の東部は北上して琴似川に流れ込むレツレップ川(丘珠川)が伏古川から分流する部分のやや北側にあたる。

元村と丘珠の境界にはかつて庚申塚が置かれており、この塚は移設されホームラン公園に現存するが、このあたりが境界とみていい。

北側境界の中央はレツレップ川に沿っており、現在の元町中学校から札幌新道の地域にあたる。」



<図1 Googlemapにレツレップ川の推定流路(水色)、レツレップ川に沿わない部分の推定境界(黄色)、現在の庚申塚(マーク)>


当ブログでレツレップ川と呼んでいるこの川、現在は上流が消失し、中流の一部は丘珠5号川と呼ばれており、下流は丘珠空港の西側に流路を変えられ丘珠川と呼称されている。

札幌市のHPにレツレップ古川と書かれているものもあるが、正式な名称として「レツレップ川(古川)」と書かれているものは確認できていない。(*1)

しかし、この「レツレップ川」を囲むように札幌烈々布、丘珠烈々布、篠路烈々布地区が存在しており、また過去の正式な名称も史料や地図で確認できないので、ここでは仮称としてレツレップ川という名称を用いたいと思う。

ただし、東16丁目を流れている烈々布排水川と混同しないよう注意が必要である。

(*1~『新札幌市史』によると昭和4年に「烈々布古川添」農事実行組合が札幌村で結成されており、レツレップ古川の存在はその名称とともに意識されていたようである。)


レツレップ川については現在と開拓初期とでは流路が変更されているため、過去の流路を確認してみたい。



<図2 今昔マップ 札幌市東区丘珠川付近の変遷>


見てのとおり、1950~52年の流路と1975~76年の流路とでは少し変化している。

70年代の流路は途中で東に折れたあと、地図では確認しにくいが西に折れ道路(札幌新道)に沿って進み、札幌新道を越えて昔の流路につながる。

ただし、今回のブログの目的は札幌村内部の境界を深掘りすることなので、1955年(昭和30年)に札幌村が札幌市に編入合併される前、50年代までの地図を見ればよい。



<図3 今昔マップ 札幌村1950年代>



<図4 『札幌歴史地図 明治編』明治29年札幌地形図>


参考までに1935年以前、1896年(明治29年)の図を見てみると、伏古川から分流する部分が描かれていることを除きおおむね1950年代までの流路と変化はない。

画像加工アプリで1896年と1950年代の地図を重ねてみても大きな変化は無かった。

このことから字元村と字丘珠の境界であったレツレップ川は明治期から1950年代まで流路に大きな変化がなく、境界についても大きな変化が無かったと考えていいだろう。

そこで1950年代の地図と1990年代の地図を重ね、当時の境界が現在のどこに当たるのか探ってみる。



<図5 今昔マップ 札幌村1950年代と札幌市東区1990年代を重ねたもの>

(古地図は厳密な正確さに欠けるうえ、それらの画像を手動で重ねた図であることに留意する必要がある)


前回のブログにおける「北側境界の中央はレツレップ川に沿っており、現在の元町中学校から札幌新道の地域にあたる」場所は図5のとおりである。


さて、次は庚申塚のあった境界部分。



<図6 図5の今昔マップに図4の地形地図を重ねたもの>


元村街道の屈曲部付近にある境界の点線は90年代の地図では屈曲部から西に延びる道路とほぼ重なっている。

70年代の地図を見ると札幌新道の北側に丘珠団地が造成されており、住宅地が一部新道の南側にも作られているのがわかる。



<図7 札幌市地図情報サービス>


<図8 札幌市地図情報サービス>


札幌市の道路情報で確認すると札幌新道の南側にも丘珠団地の名称を持つ道路が作られていた。

この道路のあたりまで字丘珠(丘珠村)だったと考えていいだろう。


「北側境界の東部は北上して琴似川に流れ込むレツレップ川(丘珠川)が伏古川から分流する部分のやや北側にあたる。

元村と丘珠の境界にはかつて庚申塚が置かれており、この塚は移設されホームラン公園に現存するが、このあたりが境界とみていい。」

前回のブログでは境界を庚申塚の置かれているホームラン公園に接する道路付近と推測したが、もう少し北側だったと結論付けたい。


ちなみに現在の自治会のエリアはこうなっている。




<図9、10 東区連合町内会連絡協議会HPより>


図6の境界と現在の自治会のエリアはほぼ一致しており、札幌村字元村の元村地区と字丘珠の境界は現在まで生きているのがわかる。



最後に、境界とみられる道路を元村街道方面から。






<2020/10/24 追加>

レツレップ古川について内容を追加。