今回のブログでは札幌村字元村の烈々布地区(大字札幌村烈々布)と札幌村字丘珠(大字丘珠村)の境界を深掘りしたいと思う。
なお、札幌村元村地区と丘珠村の境界および札幌村の元村地区と烈々布地区の境界も興味があれば見て欲しい。
結論から言うと、札幌村の烈々布地区(以下、札幌烈々布)と丘珠村の境界は丘珠空港内を流れていた川である。
しかし、その川は昭和になって流路が変えられており、元々の流路は名前もハッキリしてない。
川の元々の流路を歴史的経緯からレツレップ川と仮称し、そこから札幌烈々布と丘珠村の境界を探っていきたいと思う。
<図1 今昔マップより札幌市東区>
中央を流れるレツレップ川の西側が札幌烈々布で東側が丘珠村である。
ご覧のとおり流路のうち丘珠空港が作られた部分は現在存在しないが、境界となったレツレップ川をまたぐ形で丘珠空港が作られたため、丘珠空港は現在の住所で栄町(かつての札幌烈々布)と丘珠町にまたがることになった。
その後、この流れは東20丁目通に平行する形で整備され、丘珠川という名が付けられている。
もっとも、東20丁目通はかつてのレツレップ川の西側、つまり札幌烈々布のエリアにあり、ここを流れる川が丘珠川なのは少しばかり面白い。
さて、続いてレツレップ川の南側について見ていきたいと思う。
<図2 今昔マップより札幌市東区>
一見してわかるとおり、レツレップ川は1935年から1950年代にかけて流路が変更されてるように見える。
ところがこの地図は完璧ではない。
<図3 地理院地図より1974~1978年の札幌市東区の航空写真(出典)国土地理院>
1970年代の航空写真には元の流路のレツレップ川が写っている。
この後、1984~1986年の航空写真では直線化された流路(丘珠5号川)のみが写っていた。
レツレップ川は地図から早い段階で消えていたが、実際は1974~1986年の間に流路が消失し、丘珠空港東側の丘珠5号川に注ぐよう変更されたようである。
さて、1980年前後まで流れていたレツレップ川を後の地図に重ねてみる。
<図5 今昔マップの1916年と1995~98年を重ねたもの>
(古地図は厳密な正確さに欠けるうえ、それらの画像を手動で重ねた図であることに留意する必要がある)
まず図4について、レツレップ川を境に東側は丘珠団地が造成されている。
一方、西側の栄町(札幌烈々布)エリアは東20丁目以東ほとんど開発されていなかった。
つづいて図5、1990年代ともなるとレツレップ川も消失しこのあたりの宅地化は進んでいるが、レツレップ川をもとにした境界の両側では区画の角度が異なっており、境界の名残りが確認できる。
特に栄ヶ丘会館や栄ヶ丘公園のあたりは道路がいびつで複雑に混じっており、通る分にはやや注意が必要だが地図を見る分には面白い。
消失したレツレップ川の両岸は連合町内会も異なっておりかつての行政区分が現在も残っているものの、丘珠空港通に面するごく一部だけ札幌烈々布だった区画が丘珠連合町内会の栄ヶ丘町内会に含まれている。
ほぼ丘珠側で構成されてる町内会が栄ヶ丘と栄町(もとの札幌烈々布)をイメージする名称になっていることは面白いが、栄ヶ丘町内会に接する栄町側でもアパートや治療院、学習塾で栄ヶ丘という名称が使われており、栄ヶ丘の地理的概念は栄町と丘珠にまたがるように広がっていて興味深い。
住宅街に埋もれた札幌烈々布と丘珠村の境界を流れる川は水性植物に埋もれている。
最後は旧河道のあたりに建てられた栄ヶ丘会館の碑文。
川の名は「オクカイタムチヤラパ」らしいがレツレップ川との関係については未確認…
(引用元)国土地理院