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武田亨(たけだとおる)のブログⅡ

多発性骨髄腫で倒れても、24時間オムツをはいていても、正しい政治は語れる。ジャーナリストとしてやり遂げなければならないこと、それは真実を語り、政治の実態を正すことである。

冒頭から余談になるが、投薬の節目である5月9日は「偶然」が続いた一日でもあった。社会福祉協議会から市川市役所へ転職して一生懸命頑張っている嶋添さんと会えたおかげで気力が増したし、浦安市で活躍している税理士の岡部茂さんのブログも見つけた。多発性骨髄腫のことを理解している方なのでびっくりした。


岡部茂さんに託したいことは、「Versus創価学会」の次に予定しているブログテーマ「松崎秀樹浦安市長の真実」<松崎秀樹浦安市長vs順天堂医学部浦安病院②~⑤>でふれたいと思う。


さて、本題へ。


入会するまで、私の創価学会嫌いはかなりのものだった。


岩波書店から発行した対談集『伊従寛編 著作物再販制と消費者』のゲストは、司会と編集委員を担当していた私が決めていたので、当時、日本レコード商業組合理事長の矢島靖夫氏を中心としたレコード業界の錚々たる面々から、特殊指定が認められている新聞業界の再販制度と切り離したうえで「レコード業界と出版業界の再販制度を語れる政治家」として公明党の冬柴鉄三氏(前衆議院議員・現公明党常任顧問)のゲスト参加を打診されていた。


だが、共産党の吉井英勝衆議院議員の秘書からたまたま反対意見がでたこともあり、ゲスト参加の件はレコード業界関係者へ断ることにした。当然のことながら、私は支持母体の創価学会が大嫌いだったので、最初から断るつもりだった。


これは本音だが、その後の共産党の姿勢をみれば、ゲストは冬柴氏のほうが正解だったと思う。最終原稿の確認は各党の議員、消費者団体指導者、法曹関係者、一律同じ日程だったが、吉井英勝事務所だけは当時国会を混乱させていた自民党のせいにして遅延しようとした。たしかニュース番組で海江田万里衆議院議員が議長席に詰め寄って机をひっくり返そうとしているシーンが流れていた頃だと思う。


最終的には秘書をとおさず、本人にクレームを入れて締め切りを遵守してもらったが、そのときに抱いた共産党に対する不信感はいまだに拭いきれていない。


ここ数日、文化放送の聖教新聞ライブラリー池田大作著「新人間革命」は、主人公の山本伸一がパナマの民主革命党オマル・トリホス氏(トリホス将軍)と行った会談にふれているが、私は1981年にトリホス氏が飛行機事故で死去して以降、後継者となったマヌエル・ノリエガ将軍と創価学会の一部の関係(週刊誌が意味深に報じていたノリエガ庭園等)のことしか知らなかった。


社会主義インターナショナルに加盟していたトリホス氏との会談からパナマの政策と学会の関係を知ることと、ノリエガ氏の政策からパナマの政策と学会の関係を知ることには大きな違いがある。


このことは、ジャーナリストやライターの取材方法から見ていくとよくわかる。たとえば、私が創価学会批判の記事ときわめて現実的な記事を週刊誌で書くとする。前者の取材期間は短期、後者の取材期間は長期を要する。


創価学会は、各地域の会館で毎月定期的に通称「本幹」と呼ばれている本部幹部会議の様子を会員向けに衛星放送で流しているが、前者の場合は池田大作名誉会長や幹部会員の発言をボイスコーダーに録音して、前後の話を交えて書かないと読者に誤解されるような発言をあえてアンチ学会の読者向けに重視する。


創価学会とはまったく関係ない一例であるが、以前、フリージャーナリストの上杉隆氏は、平沢勝栄氏が東京国際フォーラム会場で語った「曽我ひとみさんに関する発言の一部」を『週刊新潮』に掲載して平沢勝栄氏を故意に陥れるような記事を書いたが、これは典型的な例である。


この記事は裁判で争われ、前後の話を交えると誰が読んでもお粗末な記事だとわかるような内容であったので、平沢勝栄氏は勝訴するが、自身の著書でプロフィール(訴訟で明らかになったニューヨーク・タイムズの勤務に関連した記述)を歪曲していた上杉隆氏より平沢勝栄氏が受けたマイナス・イメージのほうがはるかに大きかった。


2005年7月10日に最高裁が上告を棄却し、300万円の支払いを命じて新潮社の敗訴が確定したが、政治家にとってその間に受けたはマイナス・イメージは計り知れないものである。


後者の場合は、会館に何度も足を運び、放送内容と後日機関紙である「聖教新聞」に掲載される内容を比較したりして、週刊誌と争っている裁判の結果等も含めて、読者により正確な情報を提供することを重視するが、訴訟結果のみならす池田大作名誉会長の素の性格を垣間見ることができる。


もちろん、人によっては好き嫌いはあると思うが、何度も足を運ばなければ松下幸之助氏と池田大作名誉会長の交流禄などは知ることはできないと思う。


松下グループの基幹企業で長らく社長を務めていた木庭氏という方が映像を使用しながら各会館で当時の思い出を話していたが、それまで池田大作名誉会長と松下幸之助氏の間に交流があったことは知らなかった。


私は入会後も、ジャーナリストの目線を中心に創価学会の会員の活動を見続けてきたが、創価学会にしても、アンチ創価学会にしても、さらに両者と全く関係ない宗教団体にしても、組織をまとめあげていくのは相当な労力を必要とするものだとつくづく思った。


上司とのコミュニケーションのとり方という意味では意見が分かれると思うが、ビジネスマンには馴染みの深い言葉で、報告・連絡・相談の頭をとって「ホウレンソウ」というものがある。


社員を一般会員に幹部を上司に置き換えてみればわかりやすいが、仕事を終えてプライヴェートの時間に一般会員向けに「ホウレンソウ」をやるのは相当な責任感と労力を必要とする。そういう意味では、創価学会の地区割りはよく考えられたものに感じるが、そこまで知りえるためには長期の取材期間を要する。


それと、書くために費やす労力の問題もある。


で「元々私の家は曹洞宗だったが、私自身日蓮宗の関係者(元衆議院議員三塚博氏の相談役でB級戦犯でもあった石巻市山水館の館長)と付き合いがあったのでイスラム経よりも日蓮仏法に興味が沸いてきた。」という記述を加筆しているが、黒字の箇所をもう少し時間をかけて書けば、以下になる。


「元衆議院議員三塚博氏の相談役でB級戦犯でもあった宮城県石巻市の山水館館長は、終戦後に一時大阪の吉本興業にかくまってもらい、身延山へ。そして修行を終えて下山後、山水館でお上人様と呼ばれるようになり、元衆議院議員の三塚博氏の相談役として議員会館に出入りするようになった。」となる。


要するに何でも正確に伝えるためには努力と労力が必要だということ。


ときにはジャーナリストの目線、ときには道州制協議会支部長の目線、ときには一有権者の目線、これらが頭のなかでそれぞれのVersusを彩っているが、ここまでがジャーナリストの目線。


一有権者の目線というよりは一個人の目線になるが、入会して教学に登場する様々な語彙を知りえたのは意義があった。それまでは「開目抄」のことは知らなかったが、それを知ることにより創価学会のHPで深く調べることができるようになったからだ。(ちなみに産経新聞の「産経抄」のほうが読みやすいので好きだが)


そして任用試験や初級試験の後も、池田大作著「人間革命」を学ぶための旭日校などで疑問点をその都度参加している担当幹部に聞いていたが、答えてくれる姿勢は尊敬に値するものであったといっても過言ではない。


当時私は池田県(現在は公明党市議の中で一番仲の良い宮本均市議の家族と同じ戸田県)という地区で参加していたが、どんなに忙しいときでも担当幹部は嫌な顔をせず、満足できる応対をしてくれた。特に多忙な仕事を抱えながら参加していた総県長の宮崎氏の姿勢は言葉で言い表せない程立派だった。


旭日校では毎回何人かが体験発表を行うが、私は紹介人の意向に反して、鎌ヶ谷市の東津曲さんの死亡事故以降、胸のうちで交差していたジャーナリストとしての葛藤とビジネスマンとしての葛藤について発表し、数年がかりでジャーナリストとして一つの区切りをつけることができた。


そういう意味では、入会後まもなく得た功徳、「妙法蓮華経」の五文字、自分自身との闘いでもある毎日の唱題修行は、私自身納得している。


このことについては、Versus公明党ではなくVersus山口組で詳細を書きたいと思う。(おわり)


一を聞き十を知る努力も大切だが、一を

理解するために十を知る努力も大切!


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私が自分の意思で創価学会に入会したのは2007年5月3日。


前回の県議会選挙ではじめて地元で選挙に関わり(それまでは枝野幸男衆議院議員の大宮事務所に正真正銘のボランティアとして顔をだしていただけであった)、当時民主党公認で出馬して1位当選した小泉文人氏(現市川市議会議員)を応援するために動いた後でのことだった。


私はヒンディー語やバングラ語の読み書きが少々できるので南無「阿弥陀仏」の四文字や南無「妙法蓮華経」の五文字の意味を比較的理解しやすかった。したがって日蓮仏法の「妙法蓮華経」の五文字の意味は学会のホームページで独自に検索して少々理解できたし、入会後に教学試験も自分なりに真剣勝負の土俵で闘うことができた。


Versus創価学会を拝読なさる方のなかで、創価学会のことを牛丼の普通盛レベルで嫌っている人、大盛レベルで嫌っている人、しゃくふくの説明を受けた後で特盛レベルで嫌っている人など、嫌っている人も少なくないと思うので、私の宗教観と入会するまでのプロセスを綴ってみることにする。


それと、創価学会に入会した理由とブログテーマ「田中甲氏の公職選挙法違反事件」に記載されている創価学会対策はまったく異なるものだという点、私自身は「産経新聞」の大ファンである点、飲み方の悪い坊主は大嫌いだが、他宗やその他の宗教関係者を否定しない立場を貫いている点(自分の目で確かめて自分で決めることだからである)、右翼寄りの人でも正論を述べている人は大好きである点、 Versus創価学会とVersus公明党は私の中では別物であるという点。


現在は、入会の紹介者の公明党党員としてのスタンスに疑問を抱いているので学会関係者との面会は第三者を通してお断りしている点(退転はしていない)、味覚を失いつつある現時点でも投函移転後の座談会場所で二回食べたカレーライス(たぶん子ども用の味付けだと思う)をもう一度食べたい点。


これらの点をご理解いただ上で拝読して頂ければ幸いである。


私が嫌いな坊さんのタイプは、飲み屋さんでヤクザよりもマナーが悪くて、怖い顔で飲んでいる人。具体的には、貸切じゃなくて同じ料金を払っているだけなのにホステスをほぼ独占して、スケベ心丸出しで踏ん反りかえっている人たち。


若いとき(ファミコン全盛期)にゲームメーカー代表をしていたが、はじめて祇園で飲んだとき坊主頭の集団を発見。最初はヘアースタイルの統制の取れた飲酒マナーの悪い暴力団だと思ったが、あとでホステスさんに聞いたら坊さんの集団だった。


事実と真実の違いは自分の目で確かめる!

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同時期、お世話になっていた著名な漫画家の母上が新しい仏壇を買い替える際に、それまで使っていた仏壇を形見だと思ってもらってくれと言われたのでもらった。というか貰わざるを得ない状況でもあった。その後、錦糸町の寺に連れていかれ、さらにその後、御受戒を受けたが、センスかなんかで頭をペコンと叩かれたので京都の飲み屋さんの件を思い出し、しばらく気分が悪かった。


はじめて任天堂に関する拙著を手がけたとき自分へのご褒美で地元の飲み屋さんで飲んでいたが、荒修行前の下総中山の法華経寺の坊さんたちと遭遇。やはり、貸切じゃなくて同じ料金を払っているだけなのにホステスをほぼ独占して、スケベ心丸出しで踏ん反りかえっている人が多かったので嫌悪感が増加。


2002年、知的財産権の法改正に冠する調査でオーストリアに行く直前、地元の飲み屋さんで飲んでいたが、荒修行前の下総中山の法華経寺の坊さんたちと再び遭遇。③の嫌悪感がさらに増加。


デルマール(株)船橋工場で鎌ヶ谷市から来ていた東津曲さんが死亡した数後日、馬込(東武野田線)で行われた火葬に出席せざるを得ない立場だったが、そのときお経をあげにきた坊さんのリーゼント姿をみて、完璧に「坊主嫌い」に陥った。


その後、日雇い派遣の派遣先の労災状況を調べながら、イスラム経を学ぶか仏教を学ぶかしばらく悩む日々が続いた。


元々私の家は曹洞宗だったが、私自身日蓮宗の関係者(元衆議院議員三塚博氏の相談役でB級戦犯でもあった石巻市山水館の館長)と付き合いがあったのでイスラム経よりも日蓮仏法に興味が沸いてきた。


それからは、多種多様な感性を持っているいろいろな人たちから人伝に話を聞く前に、あちらこちらの地域で「ご自由に御取りください」のポストから機関紙「聖教新聞」をご自由にいただき(日雇い派遣のときは、家賃以外はその仕事のギャランティだけで暮らしていたのでお金があまりなかった)、最終的に日蓮仏法の「妙法蓮華経」の五文字を深く知り得えたくなった。


そして紹介人を通してだが、2007年5月3日に自分の意思で入会した。

閑話 Versus創価学会1/3


先日、地域主権型道州制協議会の仲間である野田理事お勧めの文化放送「吉田輝美のソコダイジナトコ」を聴こうと思って、早起きしたら、聖教新聞ライブラリー池田大作著「新人間革命」が流れてきた。


ラジオのほうが人伝に話をきくよりも分かりやすいかもしれない。


しばらく聴き入っていたら、いろいろなことが頭をよぎった。Versus創価学会、Versus厚生労働省、Versus山口組、Versus公職選挙法違反事件、Versus結婚詐欺グループ、Versus体育教育としての空手・・・etc。


誤解のないように噛み砕いて言えば、主義主張などで対峙する意味でのvsとは違う。自分勝手な私個人の想いみたいなもので、ときにはジャーナリストの目線、ときには道州制協議会支部長の目線、ときには一有権者の目線、これらが頭のなかでそれぞれのVersusを彩っている。


たとえばVersus山口組。


平成12年に政府規制等と競争政策に関する研究会が公表した「デジタルコンテンツと競争政策に関する研究会報告書」に知的財産権の帰属に関連した判例として「山口組5代目襲名事件」が掲載されているが、法廷で争う姿勢は有権者を侮っている政治家よりまともな気がして、Versusで自分の思いを吐き出したくなる。書くとしたら、まちがいなく宅見勝氏(故人)や弘道会の高山誠賢氏が切り口になるだろう。


閑話第1弾は、聖教新聞ライブラリー池田大作著「新人間革命」を聴いていたときにVersusが頭の中をよぎってきたわけだから、この記事を含めて3回にわけて、Versus創価学会から書いていこうと思う。


まずは、救急車で運ばれてから現在までの私の状況。


転院前に、C型肝炎ウイルス、胃の腫瘍摘出、多発性骨髄腫による骨折などいろいろあったが、転院後すぐ右大肢部の骨折箇所を手術してもらった。


それまでは3日に1回交換する小さいシール状のモルヒネを貼っていたが、約3週間近く折れたままだったので激痛との闘いが日課でもあった。それが解消できただけでも精神的にずいぶん楽になった。


多発性骨髄腫については、ベネケードという薬を使用したが、残念ながら効き目がなく、腸骨から採取する骨髄腫検査は、骨髄腫細胞増加という最悪の結果だった。そして医療チームと相談して、昨秋日本で解禁になった新薬「レナリドマイド」を使用することになった。


1サイクル21回(3週間)5カプセル&1週間の休薬期間というプログラムだったが、最初の頃は連日熱が40度を超え、10日目頃から唇上下や舌上下、口の中すべてが血だらけになり、2週間で中止になった。その間、苦しむ姿を心配してくれた看護師さんが自殺を防止するために果物ナイフやフォークなどを取り上げてくれた。


投薬前から湿疹がきわめて悪化し、その治療も同時に行っていたので、血液内科医、呼吸器内科医、整形外科医、麻酔科医、皮膚科医、メンタルクリニック担当医、リハビリテーション科専門医・理学療法士、薬剤師、看護師の医療スタッフのチームワークには心から感謝している。


その後、サリドマイドに切り替えたが効果がおもわしくなく、1回の分量を少なくして再度レナリドマイドを使用することになった。


そして、明日はじめて2サイクル目に入る。


このような状況だが、他のブログテーマと並行してVersusは必ず仕上げたいと思う。



人の感性は千差万別、いろいろな人がいる!


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