徒然なるままに⑧閑話versus創価学会2/3 | 武田亨(たけだとおる)のブログⅡ

武田亨(たけだとおる)のブログⅡ

多発性骨髄腫で倒れても、24時間オムツをはいていても、正しい政治は語れる。ジャーナリストとしてやり遂げなければならないこと、それは真実を語り、政治の実態を正すことである。

私が自分の意思で創価学会に入会したのは2007年5月3日。


前回の県議会選挙ではじめて地元で選挙に関わり(それまでは枝野幸男衆議院議員の大宮事務所に正真正銘のボランティアとして顔をだしていただけであった)、当時民主党公認で出馬して1位当選した小泉文人氏(現市川市議会議員)を応援するために動いた後でのことだった。


私はヒンディー語やバングラ語の読み書きが少々できるので南無「阿弥陀仏」の四文字や南無「妙法蓮華経」の五文字の意味を比較的理解しやすかった。したがって日蓮仏法の「妙法蓮華経」の五文字の意味は学会のホームページで独自に検索して少々理解できたし、入会後に教学試験も自分なりに真剣勝負の土俵で闘うことができた。


Versus創価学会を拝読なさる方のなかで、創価学会のことを牛丼の普通盛レベルで嫌っている人、大盛レベルで嫌っている人、しゃくふくの説明を受けた後で特盛レベルで嫌っている人など、嫌っている人も少なくないと思うので、私の宗教観と入会するまでのプロセスを綴ってみることにする。


それと、創価学会に入会した理由とブログテーマ「田中甲氏の公職選挙法違反事件」に記載されている創価学会対策はまったく異なるものだという点、私自身は「産経新聞」の大ファンである点、飲み方の悪い坊主は大嫌いだが、他宗やその他の宗教関係者を否定しない立場を貫いている点(自分の目で確かめて自分で決めることだからである)、右翼寄りの人でも正論を述べている人は大好きである点、 Versus創価学会とVersus公明党は私の中では別物であるという点。


現在は、入会の紹介者の公明党党員としてのスタンスに疑問を抱いているので学会関係者との面会は第三者を通してお断りしている点(退転はしていない)、味覚を失いつつある現時点でも投函移転後の座談会場所で二回食べたカレーライス(たぶん子ども用の味付けだと思う)をもう一度食べたい点。


これらの点をご理解いただ上で拝読して頂ければ幸いである。


私が嫌いな坊さんのタイプは、飲み屋さんでヤクザよりもマナーが悪くて、怖い顔で飲んでいる人。具体的には、貸切じゃなくて同じ料金を払っているだけなのにホステスをほぼ独占して、スケベ心丸出しで踏ん反りかえっている人たち。


若いとき(ファミコン全盛期)にゲームメーカー代表をしていたが、はじめて祇園で飲んだとき坊主頭の集団を発見。最初はヘアースタイルの統制の取れた飲酒マナーの悪い暴力団だと思ったが、あとでホステスさんに聞いたら坊さんの集団だった。


事実と真実の違いは自分の目で確かめる!

武田亨(たけだとおる)のブログⅡ

同時期、お世話になっていた著名な漫画家の母上が新しい仏壇を買い替える際に、それまで使っていた仏壇を形見だと思ってもらってくれと言われたのでもらった。というか貰わざるを得ない状況でもあった。その後、錦糸町の寺に連れていかれ、さらにその後、御受戒を受けたが、センスかなんかで頭をペコンと叩かれたので京都の飲み屋さんの件を思い出し、しばらく気分が悪かった。


はじめて任天堂に関する拙著を手がけたとき自分へのご褒美で地元の飲み屋さんで飲んでいたが、荒修行前の下総中山の法華経寺の坊さんたちと遭遇。やはり、貸切じゃなくて同じ料金を払っているだけなのにホステスをほぼ独占して、スケベ心丸出しで踏ん反りかえっている人が多かったので嫌悪感が増加。


2002年、知的財産権の法改正に冠する調査でオーストリアに行く直前、地元の飲み屋さんで飲んでいたが、荒修行前の下総中山の法華経寺の坊さんたちと再び遭遇。③の嫌悪感がさらに増加。


デルマール(株)船橋工場で鎌ヶ谷市から来ていた東津曲さんが死亡した数後日、馬込(東武野田線)で行われた火葬に出席せざるを得ない立場だったが、そのときお経をあげにきた坊さんのリーゼント姿をみて、完璧に「坊主嫌い」に陥った。


その後、日雇い派遣の派遣先の労災状況を調べながら、イスラム経を学ぶか仏教を学ぶかしばらく悩む日々が続いた。


元々私の家は曹洞宗だったが、私自身日蓮宗の関係者(元衆議院議員三塚博氏の相談役でB級戦犯でもあった石巻市山水館の館長)と付き合いがあったのでイスラム経よりも日蓮仏法に興味が沸いてきた。


それからは、多種多様な感性を持っているいろいろな人たちから人伝に話を聞く前に、あちらこちらの地域で「ご自由に御取りください」のポストから機関紙「聖教新聞」をご自由にいただき(日雇い派遣のときは、家賃以外はその仕事のギャランティだけで暮らしていたのでお金があまりなかった)、最終的に日蓮仏法の「妙法蓮華経」の五文字を深く知り得えたくなった。


そして紹介人を通してだが、2007年5月3日に自分の意思で入会した。