徒然なるままに⑨閑話versus創価学会3/3 | 武田亨(たけだとおる)のブログⅡ

武田亨(たけだとおる)のブログⅡ

多発性骨髄腫で倒れても、24時間オムツをはいていても、正しい政治は語れる。ジャーナリストとしてやり遂げなければならないこと、それは真実を語り、政治の実態を正すことである。

冒頭から余談になるが、投薬の節目である5月9日は「偶然」が続いた一日でもあった。社会福祉協議会から市川市役所へ転職して一生懸命頑張っている嶋添さんと会えたおかげで気力が増したし、浦安市で活躍している税理士の岡部茂さんのブログも見つけた。多発性骨髄腫のことを理解している方なのでびっくりした。


岡部茂さんに託したいことは、「Versus創価学会」の次に予定しているブログテーマ「松崎秀樹浦安市長の真実」<松崎秀樹浦安市長vs順天堂医学部浦安病院②~⑤>でふれたいと思う。


さて、本題へ。


入会するまで、私の創価学会嫌いはかなりのものだった。


岩波書店から発行した対談集『伊従寛編 著作物再販制と消費者』のゲストは、司会と編集委員を担当していた私が決めていたので、当時、日本レコード商業組合理事長の矢島靖夫氏を中心としたレコード業界の錚々たる面々から、特殊指定が認められている新聞業界の再販制度と切り離したうえで「レコード業界と出版業界の再販制度を語れる政治家」として公明党の冬柴鉄三氏(前衆議院議員・現公明党常任顧問)のゲスト参加を打診されていた。


だが、共産党の吉井英勝衆議院議員の秘書からたまたま反対意見がでたこともあり、ゲスト参加の件はレコード業界関係者へ断ることにした。当然のことながら、私は支持母体の創価学会が大嫌いだったので、最初から断るつもりだった。


これは本音だが、その後の共産党の姿勢をみれば、ゲストは冬柴氏のほうが正解だったと思う。最終原稿の確認は各党の議員、消費者団体指導者、法曹関係者、一律同じ日程だったが、吉井英勝事務所だけは当時国会を混乱させていた自民党のせいにして遅延しようとした。たしかニュース番組で海江田万里衆議院議員が議長席に詰め寄って机をひっくり返そうとしているシーンが流れていた頃だと思う。


最終的には秘書をとおさず、本人にクレームを入れて締め切りを遵守してもらったが、そのときに抱いた共産党に対する不信感はいまだに拭いきれていない。


ここ数日、文化放送の聖教新聞ライブラリー池田大作著「新人間革命」は、主人公の山本伸一がパナマの民主革命党オマル・トリホス氏(トリホス将軍)と行った会談にふれているが、私は1981年にトリホス氏が飛行機事故で死去して以降、後継者となったマヌエル・ノリエガ将軍と創価学会の一部の関係(週刊誌が意味深に報じていたノリエガ庭園等)のことしか知らなかった。


社会主義インターナショナルに加盟していたトリホス氏との会談からパナマの政策と学会の関係を知ることと、ノリエガ氏の政策からパナマの政策と学会の関係を知ることには大きな違いがある。


このことは、ジャーナリストやライターの取材方法から見ていくとよくわかる。たとえば、私が創価学会批判の記事ときわめて現実的な記事を週刊誌で書くとする。前者の取材期間は短期、後者の取材期間は長期を要する。


創価学会は、各地域の会館で毎月定期的に通称「本幹」と呼ばれている本部幹部会議の様子を会員向けに衛星放送で流しているが、前者の場合は池田大作名誉会長や幹部会員の発言をボイスコーダーに録音して、前後の話を交えて書かないと読者に誤解されるような発言をあえてアンチ学会の読者向けに重視する。


創価学会とはまったく関係ない一例であるが、以前、フリージャーナリストの上杉隆氏は、平沢勝栄氏が東京国際フォーラム会場で語った「曽我ひとみさんに関する発言の一部」を『週刊新潮』に掲載して平沢勝栄氏を故意に陥れるような記事を書いたが、これは典型的な例である。


この記事は裁判で争われ、前後の話を交えると誰が読んでもお粗末な記事だとわかるような内容であったので、平沢勝栄氏は勝訴するが、自身の著書でプロフィール(訴訟で明らかになったニューヨーク・タイムズの勤務に関連した記述)を歪曲していた上杉隆氏より平沢勝栄氏が受けたマイナス・イメージのほうがはるかに大きかった。


2005年7月10日に最高裁が上告を棄却し、300万円の支払いを命じて新潮社の敗訴が確定したが、政治家にとってその間に受けたはマイナス・イメージは計り知れないものである。


後者の場合は、会館に何度も足を運び、放送内容と後日機関紙である「聖教新聞」に掲載される内容を比較したりして、週刊誌と争っている裁判の結果等も含めて、読者により正確な情報を提供することを重視するが、訴訟結果のみならす池田大作名誉会長の素の性格を垣間見ることができる。


もちろん、人によっては好き嫌いはあると思うが、何度も足を運ばなければ松下幸之助氏と池田大作名誉会長の交流禄などは知ることはできないと思う。


松下グループの基幹企業で長らく社長を務めていた木庭氏という方が映像を使用しながら各会館で当時の思い出を話していたが、それまで池田大作名誉会長と松下幸之助氏の間に交流があったことは知らなかった。


私は入会後も、ジャーナリストの目線を中心に創価学会の会員の活動を見続けてきたが、創価学会にしても、アンチ創価学会にしても、さらに両者と全く関係ない宗教団体にしても、組織をまとめあげていくのは相当な労力を必要とするものだとつくづく思った。


上司とのコミュニケーションのとり方という意味では意見が分かれると思うが、ビジネスマンには馴染みの深い言葉で、報告・連絡・相談の頭をとって「ホウレンソウ」というものがある。


社員を一般会員に幹部を上司に置き換えてみればわかりやすいが、仕事を終えてプライヴェートの時間に一般会員向けに「ホウレンソウ」をやるのは相当な責任感と労力を必要とする。そういう意味では、創価学会の地区割りはよく考えられたものに感じるが、そこまで知りえるためには長期の取材期間を要する。


それと、書くために費やす労力の問題もある。


で「元々私の家は曹洞宗だったが、私自身日蓮宗の関係者(元衆議院議員三塚博氏の相談役でB級戦犯でもあった石巻市山水館の館長)と付き合いがあったのでイスラム経よりも日蓮仏法に興味が沸いてきた。」という記述を加筆しているが、黒字の箇所をもう少し時間をかけて書けば、以下になる。


「元衆議院議員三塚博氏の相談役でB級戦犯でもあった宮城県石巻市の山水館館長は、終戦後に一時大阪の吉本興業にかくまってもらい、身延山へ。そして修行を終えて下山後、山水館でお上人様と呼ばれるようになり、元衆議院議員の三塚博氏の相談役として議員会館に出入りするようになった。」となる。


要するに何でも正確に伝えるためには努力と労力が必要だということ。


ときにはジャーナリストの目線、ときには道州制協議会支部長の目線、ときには一有権者の目線、これらが頭のなかでそれぞれのVersusを彩っているが、ここまでがジャーナリストの目線。


一有権者の目線というよりは一個人の目線になるが、入会して教学に登場する様々な語彙を知りえたのは意義があった。それまでは「開目抄」のことは知らなかったが、それを知ることにより創価学会のHPで深く調べることができるようになったからだ。(ちなみに産経新聞の「産経抄」のほうが読みやすいので好きだが)


そして任用試験や初級試験の後も、池田大作著「人間革命」を学ぶための旭日校などで疑問点をその都度参加している担当幹部に聞いていたが、答えてくれる姿勢は尊敬に値するものであったといっても過言ではない。


当時私は池田県(現在は公明党市議の中で一番仲の良い宮本均市議の家族と同じ戸田県)という地区で参加していたが、どんなに忙しいときでも担当幹部は嫌な顔をせず、満足できる応対をしてくれた。特に多忙な仕事を抱えながら参加していた総県長の宮崎氏の姿勢は言葉で言い表せない程立派だった。


旭日校では毎回何人かが体験発表を行うが、私は紹介人の意向に反して、鎌ヶ谷市の東津曲さんの死亡事故以降、胸のうちで交差していたジャーナリストとしての葛藤とビジネスマンとしての葛藤について発表し、数年がかりでジャーナリストとして一つの区切りをつけることができた。


そういう意味では、入会後まもなく得た功徳、「妙法蓮華経」の五文字、自分自身との闘いでもある毎日の唱題修行は、私自身納得している。


このことについては、Versus公明党ではなくVersus山口組で詳細を書きたいと思う。(おわり)


一を聞き十を知る努力も大切だが、一を

理解するために十を知る努力も大切!


武田亨(たけだとおる)のブログⅡ