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hair make SPOB

埼玉県鴻巣市にございます、Senakao Ponto Osu Biyoushituのブログです。

 

ちょっと前に、わたくしの机がやばくなっている

という内容のブログを書いたのですが、

気がついたらキレイになっていた。という報告。



べつに、誰が片付けたというわけではなく、

自分で片付けたんだけど、

その中で起こった自分の脳内の思考の過程がおもしろかったので、

書いておこうと思いました。




まず、最近アホみたいに本を読み漁っていたため、

(ここ2週間で、20冊は読んだ)

今朝、本を読んでいて、とつぜん、

『もう本読みたくないな。。』

ってふと思いました。

ふと、読書がつまらなくなりました。

とうぶん活字は見たくないと思い始め、

いきなり机の上の掃除を始めました。

そして現況が上の写真。

非常に気持ちが良い。。。




自分の中で、もう本を読みたくないと思う時期というのは、

インプットはもういらない。ということで、

つまりはお腹いっぱい状態。

すなわち脳ミソパンパン状態で、知識が入る隙間がない

ということを意味していると自分では解釈しております。

そしてその次に自分がとる行動は、

やたらとブログを更新したり、

読んだことを、全て表やノートにまとめたり、

周りの人に話しはじめたり、

アウトプットを重ねます。

こういう時、人と会いたくなったりするわけです。

で、時期が来るとまた人と会わなくなってひたすら読書。




このように、インプットの時期とアウトプットの時期を

交互に繰り返し、

まわりにいる人達を振り回しながら、

思う存分わが道を爆走するのが私の人生です。

良いか悪いのかはわかりません。

でも、超楽しいので、やめられません。。。





脳ミソに隙間がなくなったら、

知識を外に出すこと。

そうすると、知識が、意識の中に入ります。

勉強やスポーツ、美容師の技術もそう。

学んだり、教わったりしたことを後輩に伝えたり、

教えたりして、始めて自分の意識に落ちる。つまり、習得できる。

今の子は、インプットするだけして、アウトプットが超中途半端。

雑。

雑という意味は、

『責任をとらない』ということです。

投げっぱなしで、できるかできないかはあなた次第♪

と、ハローバイバイの都市伝説のように

アウトプットを投げっぱなす。

『熱く教える』 『語る』 『面倒をみる』

という行為は、上下関係を意味します。

みんな一緒で、並列接続、超ゆる関係、浅さ万歳主義などの

価値観が形成されつくしてるゆとり世代には、

上下関係の文化はどうしても苦手。

で、結局は21世紀型の組織はアメーバ型だ。

などと言ってムリヤリ議論をプラスに着地させているのが現状の世の中。





オイオイ。汗

アメーバ型の組織を成立させるためには、

圧倒的な『個』の力があっての話で、

圧倒的な個の力とは、

上記、インプットとアウトプットの質が高く、

当然、アウトプットに対して責任が取れる人のことをいう。

それではじめて、アメーバは成り立つ。




グーグルでお手軽に検索して、

一ページ目にきた情報をそのまま鵜呑みにし、

「おれは知ってるぜ」

と余裕な顔をして社会を上から見下ろす。

先輩から教わることはなにもない。

メーカー講習とグーグルで、僕は美容師になれます。

みたいなスタンスの若い美容師をたくさん見てきましたが、

はっきり言って、それは論点がズレているというより、

お話にならないレベル。

おとといきてね♪っていう話。




コンビ二で10円位で売っていそうなそのプロ意識を

大事に持っているその子たちは、

インプットとアウトプットの質を上げられないまま、

つまりは成長できないまま、

結局、たいした理論も技術も自信も確信もないままに、

¥1000~¥2000カットの安売り店で働く。

逆らえない世の中の流れではありますが、

業界の質を下げているのは、やはり、どう考えても教育。

このインプットとアウトプットの質を上げるサイクルの法則を

小中学校で学べなかったゆとり世代は、

残念でしかたがないというより、

はたしてどうやって生きていくのだろう?というレベル。




まずは俯瞰的に自分を見れるかどうか。

この文章を読んでムカついてる場合ではなく、

自分自身の価値観に疑問を抱ける素直な心があるかどうか。

自分に植えついたその価値観を疑い、剥ぎ取り、

新たな価値観を自らの手で形成できるかどうか。

そのプロセスが、最後の砦です。




グーグルで手に入る情報は、¥0です。

つまりは誰でも入手可能。

『プロ』と呼ばれる職業が、

¥0で形成されるわけがないでしょう。

汗と涙と努力と悔しさと苦悩と情熱と魂(全てゆとり世代の嫌いな言葉)が、

はさみに、仕事に、乗っかるから、

『プロの美容師』

が、形成されるわけです。

その理論が分からず、

¥1000でヘアスタイルらしきものをつくっている若い美容師さんが、

滑稽に思えてなりません。





ドロドロの沼に、キレイに咲く蓮の花のようなものなのです。

美容師という仕事は。

その本当の意味が分かる人こそ、

本質的に人を美しくすることができるのだと思います。

 

ことばだけ美しくて

実行の伴わないのは

色のあって香りのない

花のようなものである




花の香りは

風に逆らっては流れない

しかし善い人の香りは

風に逆らって世に流れる




眠られない人に夜は長く

疲れた者に道は遠い

正しい教えを知らない人に

その迷いは長い





この紙をいつも財布に入れて

たまに自戒の念をこめて、読み返すという

そういう一面があったりする自分。。。

財布に入れて、3年くらい経ちます。

捨てれないということは、

まだまだ邪念があるんだろうな。。。

 

寒い。。。

なに?この昨日との気温差。

戦略ミスだな。。。




というわけで、(どういうわけ?)

まずは差し入れのお礼から。

Sさんありがとうございます。ごちそうさまです。

最近、ドリンクもアイスが出てたけど、

今日はみなさんホットでした。




イベント告知です。

桜祭りはまだまだ開催中です♪

店内の桜は、まだまだ満開。

5月の終わりまで、引っ張ります。

5月末より、アジサイとヒマワリが店内に咲き乱れる予定です。

こちらも迫力満点のアート作品になる予定。

次回のイベントもぜひお楽しみください♪



それと、フラワーアレンジメント教室のイベントの件です。

4月中にやると以前このブログでお伝えしたのですが、

5月半ば以降に、変更いたします。

お花屋さんが母の日で忙しいのです。

こちらもまだまだ参加受け付けておりますので、

どしどしご参加ください♪

 


また、

各種イベント、レンタルスペースのご依頼なども

随時、受け付けておりますので、ご連絡ください。

どんな内容でもかまいません。

SPOBが背中を押せることであれば、ご協力いたします。





それでは、良い週末をお過ごしください♪

 

今現在の、わたくしの机でございます。

きたねえ。。。



読みたい本、昔に読んで2回目読もうとしている本、

最近読んでもう一度読もうと決めている本、

それらを欲張って同時に少しずつ読んだり、

また、自分は本を読むときは全てカバーをはずして読むため、

帯とか、カバーとか、読みかけの本が散乱している状態です。

生で見ると、もっと迫力あります。



これをだらしないとか、心の乱れとか、

うちの親とか、嫁さんとか、言うんだけど、

いいんです。これで。



脳ミソが激しくインプットを欲してる状態の証拠だし、

考えるコンテンツが、日によって、もしくは時間帯によって

コロコロ変わるのは当然だし、

その頭の考えていることによって、

読みたい本が、すかさず手に取れる場所にあるっていう

この合理的かつ効率のよさ。




きたない。

だらしない。

きもちわるい。

というより、

健全な脳ミソの成長の表れ。

なのである。




つまり、

常に手の届くところに、

読みたい本を置いておくからこそ、

本は意味を成すのであって、

キレイに本棚や押入れなどにしまっては、

いけないのです。

これでこそ、この状態でこそ、

本というものは、その力を充分に発揮できるのです。




ということを、

親や嫁さんに言うと、

屁理屈だと言う。。。




全く分かっていない。

『心の乱れ』というより、

『心の正常な成長欲のあらわれ』

なのであって、

これをマイナスの要因で捉えるそのロジックがわからない。

心が乱れると、机が乱れる?

自分の場合、

心は乱れて当然なのである。

まだ30年そこそこしか生きていないガキが、

心が落ち着いていててどうすんの?

って、僕は思う。

乱れてなんぼでしょ。

乱れるからこそ、落ち着かせる為にひたすら本を読む。

落ち着いてきたら、自然とこの机はきれいになるのです。

自分の心を俯瞰的に眺める意味でも、

自分の机の状態というものは、

自然体であるべきなのです。





まぁ、でも、

屁理屈だな。。。




今週はアーモンドボールクッキーをご用意しております。

コロコロしてて、見た目がかわいいので、

味と見た目を楽しんでいただければと思います。



店内のアロマの香りも今週よりチェンジいたしました。

レモン系から、オレンジ系へと。

さらに柑橘が香る甘い匂いになっております。

今までと違う季節のスポブをどうぞ♪

癒されると思います。



4月になって、

落ち着くかな。。。と、思っておりましたが、

思いのほか、お客様もご来店いただいております。

お店が落ち着いている時期は、

少し長めにマッサージをしたり、

忙しい日にはできない、気持ちを込めたサービスを

心がけております。

ヘッドスパや、トリートメントのみでご来店されるお客様も多く、

上質な空間、贅沢なお時間をご提供しながら、

このポカポカした陽気と共に、

みなさまを包み込んであげたいなぁと、

べつにイヤラシイ意味じゃなく、

思っております。




というわけで、

今月は、優しく皆様を包み込む。

という、コンセプトのもと、(べつにイヤラシイ意味じゃなく)

春の訪れと共に、

爽やかで、癒されて、それでいて戦闘モード全開の、

胸板厚めの美容室を目指してがんばります。




ゴールデンウィーク前半は混雑が予想されます。

早めのご予約をおすすめいたします。

 

言いたい事があるのでもういっこ。



『仕事』が好き。

ということを可能にするのは、

自分の『欲望』というものと、向かい合っているかどうか。

仕事も人生も、

ある『欲望』によって何かを『選択』するという

共通の構造によって成り立つ。

「こうやって生きたいから、~の仕事をする。」

「こういう自分でいたいから、~の仕事を、このようにやってみる。」

というように、

人は、欲望に基づいて様々な選択を積み重ね、

仕事を、人生を、形成する。

選択肢は無限。

僕が本を病的に読み漁るのは、

先輩達が、この無数にある選択肢をどのように選び、

重ねていったのか?

その人の人生をひもとくことで、

重要なヒントや答えを探せるから。





僕達は、とある欲望をそれぞれ持って生まれ、

それを抱えて生きている。

夢や意志になる前の、

もっと根源的な欲望。

そして、僕達は一瞬一瞬、

常に何かを選択して生きている。

主体性とか、積極性とか言うけれど、

すべては選択の連なり。

だから、『欲望』と、それに基づく『選択』が

生きることのすべてと言っていい。

それをどれだけ的確にやれるか、見事にやってのけるか、

いい結果に結びつけることができるか。

それが本質。





世の中には、

自らの『欲望』が分かっていないのに、

『選択』のメソッドを学んでいるだけの人、

ずっと自分の『欲望』を見つけられないでいる人、

もしくは、『欲望』に気づいても、『選択』をミスっている人、

『欲望』に蓋をしてしまっている人もいる。

こういう中で、すったもんだしているのが僕らの人生。

本質論で表すなら、たった6行。

いいんだろうか?こんなんで。。。





僕は他人から自分の『欲望』に蓋をされた経験が何度もある。

美容師になると決めた時も、

Puchを立ち上げる時も、

このSPOBを立ち上げる時もそう。

美容学校に行くときは、親や先生からは反対され、

Puchを立ち上げる時は先輩や親、

SPOBの立ち上げの時はお客様、親、友人、などなど、、、

やたら反対してくる。蓋をしようとしてくる。

少し時間が経てば、それは自分のロジックを強化するための、

あえての反対意見だったと思えるんだけど、

その真っ只中に自分がいる時は、

蓋をむりやりされているようで、すごく嫌。

自分が何かに挑戦する時、

周りにいる人達はわりと否定的なことを言う。

その奥に、愛が感じられるものもあれば、

そんなもの全然なくて、

ただ否定的な意見を言うだけの人もいる。





そんな中で、

自分の欲望に自分で蓋をしちゃってる人、いません?

人は反対しますよ。それは当然なんです。

自分の理論をより完成系にするために、

ま逆の理論は絶対に必要なんです。

だから、それは必然的な部分もあって、、、

だから、大事なのはその先なんです。

蓋をされた上で、その蓋をどうぶち破るのか?

それが一番重要なことで、しかもスタートで、

さらに言ってしまえばそれが全てなんです。

蓋のぶち破り方の時点で、成功か失敗かは決まる。





その理屈は次の機会に話すとして、

その蓋をぶちやぶれない人達にむかって、

最後にメッセージを送りたいと思う。





周りが蓋をしてくる、否定してくる、邪魔してくる、

そのときは、自分の『欲望』にもっと向き合うこと。

ただし、盲目にはならずに。

しっかりと目を見開き、自分の魂を目視すること。

その声を聞き、魂と会話を。

時代や文化や新しいものは、

いつの時代も常に異端者がつくってきた。

その人達の思考をたどれ。

世の中不況とか、外界のこととかそんな議論はどうだっていい。

そんなことは人生の本質とは全然関係ない。ご苦労さん。

僕らは常に全力で自分と向かい合っている。

それが全てだし、

その姿勢からくる結果に、可も不可もないのだ。

人生において、自分の全力はすべて、「可」である。

あたりまえじゃん。そんなこと。

そんなこともわからないで、ガタガタ言ってくるやつがいたら、

「うるせえ」って言ってやれ。

それでも、いろんな人がそばに来て、

一通り、蓋をしようとしてくるなら、

そんな時は、必死で自分の欲望を守れ。

押し負けそうな時ほど、魂の声を聞け、

そしてその声を叫べ、自分のロックとブルースを吠えろ。

始めて自分の『欲望』と、向かい合えた時の初期衝動を思い出せ。

そして少しでも何かを変える力を手にしたら、

どんどん、いろんな敵と仕事で戦え。

どうでもいいことに気を取られたり、流されてブレる必要もない。




問題は外界にはないのです。

全ては自分の中にある。

全てのエネルギーをもって、蓋をぶち破れ。

 

あっ。これで最後にします。

うざくてごめんなさい。




『何をやってもダメな僕だけど、

君を想う気持ちだけは負けない自信があるよ。』



みたいな歌が世間ではよく流れている。

ダメな自分をまず何とかすれば?

って、僕はすかさず思う。




言っていることは美しいのかもしれない。

ダーツで言えば、そこそこの点数に当たっているのでしょう。

でも、

そのダーツを投げているお前がおかしい。




わりと最近の世の中は、

こういうことで埋め尽くされている。

社会情勢や経済や音楽やアートや、

いろんなことについて、いろんな人が、いろんな場所で、

いろんなことを言っているけれど、

みんなが投げる正論が降り積もるばかり。

みんな、言葉をダーツのように投げて、その点数を競っておしまい。

本当の議論がないし、

気づいてみたら、実は正しい人がどこにもいない。




『何をやってもダメなこんな自分だけど』

というような人が、大衆に向けて平然と歌を歌っている。

そんなものに人が本当に心を動かされ、

世の中がいい方向に変わっていくわけがない。






昨日ふと感じた、モヤモヤとした苛立ち。。。







本題に入ります。



36歳になり、

ちょっと自分のことを受け入れられるようになりました。

この歳になってようやくですよ。。。

どう思います?

いい歳して、受け入れてなかったんですよ。

子供みたいに。

自分はこんなはずじゃないって。。。これではないっ!って。。。

イタイやつでしょ。



でもね、

自分のことが受け入れられる人、

つまり、俺は俺でいいのだと思える人は、

真剣に表現に向かうことはないんです。

自分に対して、

俺はこんなんじゃない、もっと違う自分があるはずだ。

っていうところから、人は表現に向かう。

そうありたい自分、そうなりたい自分、を表現するために。

そして、

表現すればするほど、

そうありたい自分、そうなりたい自分、は広がっていく。

それを追い求めながら、表現を続けていく。

でも、どこかの時点で、あまりにも理想を追い求めるがあまり、

自分自身を見失いそうになる。

あまりにも遠くへ行き過ぎて、

あるいは、あまりにも変形しすぎて、

そこで、そこから前に進めなくなる。





そこから前に進むためにはどうすればいいか?

いったん、自分と向きあい、自分を受け入れるしかないのです。

それはなかなかに困難なことでした。

それまで無限だったものが、有限になる。

どこまでも自由だったことに、制限が生まれる。

だけれども、

自分を受け入れた上での表現は非常に強いものになる。

タフなものになる。

なぜなら、自分を受け入れてもなお、

さらに、『こうありたい!』『こうなりたい!』と願う気持ちは、

確信に満ちているから。

無駄なものはなく、

自分が前に進むために本当に必要な願いだからです。







4回のブログに分けて、

36歳オヤジの、ムキムキ理論を述べてきたわけですが、

楽しんでいただけましたでしょうか?

ツボる人には、ツボるだろうし、

ツボらない人は、途中で読むのをやめていると思います。笑

だから最後にツボってる人達にだけ、

語らせてください。





36歳になり、答えを出しました。

たくさん迷い、悩み、考えた末、

結局、一番シンプルな答えにたどりつきました。

僕はこれから、

どうしてもやりたいことをやるし、

どうしてもつくりたいものをつくるし、

どうしても言いたいことを言うし、

どうしても書きたい事を書きます。

それが何よりも重要なことで、

それさえあればいいのだと思ったのです。

お店がはやる、はやらないはそれから後の話。

たとえお店がはやらなくても、

どうしてもやりたいことがあるという欲望、

こいつがまず先なのです。




まずやりたいこと、つくりたいもの、

こいつらを先にやって、

それがどこまで届くのか?

どれだけの支持と共感を得られるのか?

を試すためにさまざまな試行錯誤を重ねていくのが

僕の戦い方です。

つくりたいものや、言いたいことが、

ヤワでは話にならないけど、

かといって、それがいくらはっきりしていても

未知のお客様へどうにか届こうとする意志がなければ、

それはビジネスというより自己満足にすぎません。

売れるものがすべていいものではないけど、

いいものは売れなければならない。

僕はここで、これから、

本質的な仕事と、本質的な言葉を武器に、

これまで以上にしたたかに戦っていくつもりです。

いいたいことはいくらでもあるし、

やりたいこともいくらでもある。

次々と新しい美容室ができ、

どんどん戦いが激化したとしても、

そんな中でも突破する。

突き抜けてトップへ。

いろんなものを変えていける言葉と力を磨く。

もうこれ以上ブレる必要はない。

もう充分考えたろ?って

今、この歳になってようやく自分に微笑むことができました。





そうやってこれからも続けていきます。

 

引き続き、暑苦しくてごめんなさい。

前々回において書いた、

Puchを終わらせた件の話。続きです。





自分が積み上げてきたもの、

もしくは、自分の中に培ってきたもの、

それらをいったん捨て去り、

自分は今、新しいものを生み出そうと必死です。




あのまま続けていても、結構楽だったろうし、

そこそこの、なんちゃって経営者にはなれていたと思うけど、

でも、嫌でした。




理由は、楽しみたかったから。




『仕事』というものは、僕の中で、戦いであり苦しみです。

それは僕が、言われた事をするだけの仕事ではなくて、

新しいことや、他の人にはできないこと、新しい価値、

それらを生み出すことこそが、

自分がやりたい『仕事』だとおもっているから。

そういう仕事の仕方を追求しようとした時点で、

苦しみからはぬけられないのです。



っていうか、

美容師っていう仕事は根本的にはそういう仕事なんだけどな。。。

サラリーマン感覚で、入ってくる子が最近は本当に多い。





苦しみながら、自分との闘いに勝って、

そして、勝たなければ踏み込めない領域があって、

そこに踏み込まなければ、生み出せないものがあるのです。

そうやって生み出されてきたものが、

Puchであり、このSPOBでした。

っていうか、

ヘアデザインとかモノづくりの仕事って基本そうなんだけど。。。

そういう姿勢で、そういうメンタリティで、

美容業界に入ってくる子が、最近は本当に少なくなった。






一緒に働いてきた美容師を見てきて思ったことだけど、

その闘いから逃げた時、その苦しみから逃れようとした時、

その子は失速し、

仕事のアウトプットもつまらないものになる。

結果もついてこない。

美容師という仕事は、

特に僕の考える美容師という仕事は、

携わるその本人の裏切りを決して許さないのです。




でも、人間だからプレッシャーや苦しみに

押しつぶされてしまうことだってある。

仕事というものに、

真正面から常に闘い続けるのは至難の技です。

どうすればそんなことができるのか?





苦闘しながら、

妥協せずに進み続けている仕事人に共通していること。

彼らは、『楽しんでいる』ということです。

仕事以外に楽しみを見つけているわけではない。

苦しみを楽しみにすり替えているということでもない。

彼らは、苦しんで闘っている自分を、

まるで映画の主人公を見ているように楽しめる

もうひとつの大きな視点をもっているのです。

その視点をもっているからこそ、

彼らは恐れずに闘いや冒険を続けることができる。

その主人公をどんな悲劇が襲おうと、

どんな強敵が立ちはだかろうと、

その物語を進めていくことができるのです。





もちろん、言うほど簡単なことではありません。

彼らはその映画の脚本・監督であると同時に

主人公であり、

しかも、それは映画ではなく現実なのだから。





でもね、

仕事人がタフになっていくことと、

自分を物語の主人公として見つめる視点を持つことは

密接な関係があると僕は思います。

どう考えても手に負えない巨大な相手と向き合う方法だったり、

不可能を可能にする方法は、

それしかないんだもの。。。





『人間は生まれながらに死刑囚』

20代の頃、この意味を理解した時、僕はやりきれなくなりました。

どう生きればいいのよ!?って、

考えても全然答えが出せない問題に、考えて、考えて、

僕はどのくらい時間を割いたか分からない。

一時期、ロックに逃げてた時期があり、

それに救われてはいたものの、

ずっと答えは出せないままでした。。。



36歳になり、少しずつ答えが見えてきて、

だからこうやって暑苦しく語ってるんだけど、、、





ロック調に、まとめてみよう。




どうせ死んじゃう人生を、

何を四の五の言いながら、みんな生きてんの?

世の中はクソだし、

人生は退屈だし、所詮生きることは暇つぶしだし。。。

だったら、

おもしろい暇つぶしをしよう。

暇つぶしのゲームをやろう。

プレイヤーは自分で、

ワンゲームの時間はだいたい70年。

リセットはできないし、リスタートもできない。

だからこそ、おもいっきり、真剣にやろう。

明日の試験なんか犠牲にしてでも、とことんやろう。




相手が強敵でも、苦戦しても、それは楽しい。

満身創痍でも、危機一髪でも、精一杯戦い抜く。

それが楽しい。




今すぐ終わろうがかまわないこのクソで退屈な世界で、

自分が始めた暇つぶしのゲームで、

そのプレイヤーは自分で、

主人公も自分だから。

だから楽しい。

だからのりきれる。

だから理想を追い求め、戦いながら、仕事を追及する。



男ができることなんて、

それくらいしかないでしょ?





ていうか、

所詮、人生はそんなもんで、

だから最高なのです。笑





引き続き、語ります。


戦う美容師でありたいし、戦う美容室でありたい。

ということを、毎日想っているし、

このブログでも、戦うことの、HOWの部分を何度か書いてきました。 

そう想うのはなぜなのか?

私の根源的な部分をご説明いたします。




戦っていれば、

自分を犠牲にすることはいつだってあります。

仕事でも、遊びでも、政治でも、恋愛でも。

自分を犠牲にして戦わなければならないことはいつだってある。

みんなのために自分が犠牲になること、

プロジェクトを成功させるために自分が犠牲になること、

美容師でいえば、休まないこと、

朝から晩までサロンに立つこと、

遊ぶ時間、休む時間を削って、勉強や練習をすること、

遊びやスポーツでも、ゲームに勝つ為に自分が犠牲になること、

恋人の幸せのために自分が犠牲になること、、、などなど。



戦っていれば、そういうことはいつだってあります。



その延長線上に、

戦争で自分の命を犠牲にして戦って死んでいくということもある。

それは、映画「永遠の0」を観て思ったことだけど。。。




話はズレるけど、

その映画の登場人物は、誰も戦争を肯定してはいません。

でも、命をかけて戦います。

なんでか?

戦争を肯定する事と、戦争を戦うことは違うからです。

すべての戦争は悪だけど、

大切なものを守るために命をかけて戦うことには意味がある。

戦争は絶対に肯定してはならない。

でも、命をかけても何かを守りたい、貫きたい、という気持ちは

肯定されるべきものです。




話を戻します。

自分が戦いたいと想う意味。

上の戦争の話を自分の仕事に置き換えてみます。

僕らはヘアスタイルを創る上で、命はかけない。

でも、

政治に命をかけた人達は数多くいます。

命がけで自分の文学を守り通した人も数多くいます。

ビジネスのために自分の命を投げ出した人も数多くいる。

しかし、美容師やデザイナーなどに、

命をかけた人は誰もいない。。。

なぜか?

それは、そうしてしまうと楽しくなくなるからです。

ファッションというものは、

最終的に楽しいものでなくてはならない。

どんなに強い主張をもつデザイナーでも、

どんなに困難な戦いを強いられているアーティストであっても、

その表現の根本には、「楽しさ」がなくてはならない。

ファッションとは、楽しいものだからです。




こうしたファッション業界の特性は、

表現の強度やメッセージの絶対性という意味では

限界をうみだしていると考える事もできます。

結局、ヘアスタイルなんて娯楽の一種に過ぎなくて、

命をもって世の中に何かを訴えるためのメディアにはなりえないのだと。




でも、自分はそうは思わない。

まさに、その娯楽性こそが、

人間の限界を突破するためのカギではないかとすら思うから。

なぜなら、

命をかけて守るべきもの。本当にそんなものはあるのか?と。

例えば自分の子供の命を救う為には、親は自分の命を投げ出す。

でも、それはなんでか?

自分の命の価値と、子供の命の価値を計って比べて、

子供の方が重かったとでもいうのか?

そんなわけない。

自分の子供が死ぬ事に、親は精神的に耐えられないからです。

それは、人間の心の美しさであり、

同時に限界であるとも考えられます。




ファッションというものが

楽しいものとして生き延び続けること。

そこに僕は命と引き換えに生まれた文学や政治運動よりも

ラジカルなものを感じます。

もっとも大切なものは何か???

それを考えていくうえで、

それを悲しみや痛みの物差しで計るのではなく、

喜びの物差しで計ろうとすること。

そして、悲しみに暮れる者にさえ、

喜びのありかを指し示そうとすること、

まさに僕がやってる、ヘアデザイナーという仕事は、

そういうことを、可能にする仕事です。



絶対に自らを犠牲にすることのない

ファッションというもの楽観性は、

勝ち負けや、変革でもなく、

超越を目指す。

その延長線上の戦いを、僕はしたい。

それが僕の想いです。

誇りをもって仕事をするために、

美容師という仕事から、

人間の限界を突破できるような価値を生み出す。

そのために、36歳になった自分は、

今日も明日もあさっても、

この場所で戦い、超越を目指します。

そのための戦いです。

医者や弁護士や政治家や文学者、

それらにはない、「楽観性」をもって、

この仕事を通じ、プラスの物差しで、

何のためにいきるのか?を手助けする。

そういう仕事を追及し、

超越を可能とするために、

自分は死ぬまで戦いたいのです。

だって、そういう風に、仕事がしたいし、

きっとそのほうが楽しいから。

 

想う事をまとめさせていただきます。

この場をお借りして。




自分は35歳で、

25歳の時から始めたPuchというお店を終わらせました。

ちょうど10年です。



幸か不幸か、この歳になるまで、

仕事において、何かを終わらせなくてはならなかったという経験は

あまりありませんでした。

自分の意志で何かを終わらせるという経験は今回が初めてかも。。。



という意味では、

少し自分はこれまで子供過ぎたのかもしれません。。。



子供は何も終わらせないでしょ?

何かを始めて、それをやりたいだけやり続ける。

そして終わりはいつも外からやってくる。

卒業があるから学生時代が終わる。

お母さんにご飯ができたと言われるから、遊びが終わる。

新学期が始まるから夏休みが終わる。

そうやって、誰かが終わらせてくれる。

自分で何かを終わらせるということを考えずに、

ゲームオーバーになるまで、ただひたすらやりたいだけやり続ける。






自分で何かを終わらせるというのは、

色に喩えると灰色です。

夢中でやっている時の真っ白な気持ちでもなければ、

誰かに終わらせられる時の真っ黒な気分でもなく、

なんとなくつかみどころのない、灰色の気分。

そして、ふと思うと、自分の同世代のお客様や友人は

すでに何年も前にそうした灰色の気分を味わっている。

みんな自分の中で終わらせるべきものをきちんと終わらせ、

新たに始めるべきことをしっかりと受け入れ、

ちゃんとそれを人生に刻みつけながら、

それぞれの今を迎えている。




僕は本来ならそうしたことを彼らよりも客観的に理解し、

話を聞いてあげたりするべき役目であるはずなのに、

正直、よく分からなかった。

成長とか、成熟とかいう言葉を使いながらも、

その感情そのものをリアルに実感できていなかったです。。。



つまり自分は35歳まで、

白と黒の二元論の人生観しか実感できない

未成熟な人間でした。

だから35歳でそれを経験して、

やっと大人になれた気分。





36歳の景色を見ながら思うことは、

自分の中の何かを、自分の手で終わらせること、

それは大人だからできることなのだと。

そして、それは挫折でも敗北でも逃避でもなく、

根源にあるポジティヴィティーと理想主義の

延長線上にある戦いなのだということです。




一つのことを続けていくと、わかってくることがあります。

それは、変化するということです。

ひとつのモノゴトが続いていくためには変化が必要だということ。

そして、その変化の一形態として、終わるということがある。

そのことを受け入れることができるかどうかが、

根源的な意味で続けていけるかどうかを決めます。

終わるということを、

続けるための変化として捉えられるかどうかが、

本質的な意味での成長を決定する。




よって、終わるということは失うことではない。

自分の手で何かを終わらせることによってのみ、

その何かを自分のものにして後にすることができるのです。