新年際です。ライブやります♪
1月11日(月曜日)、SPOBメンバーの方は無料ご招待!
今年もよろしくお願いします。
ぜひ遊びにいらしてください!!
今年も12月になりました。一年間ありがとうございました。
SPOBは11月で2周年を迎え、今月より3年目を迎えております。
今年も走り続けられたこと、楽しくお仕事させていただけたこと、
心よりお礼申し上げます。皆様のおかげです。
今年も色々なことがあった一年でしたが、
7月に子供が生まれました。女の子です。「志織」と言います。
どなたかの志を支える女性になっていただきたいという願いというか、
そういう思いを込めて名付けました。
皆様にいただきました数々のお祝いのお礼とともに、
親として、仕事人として、もっとしっかりせねばと背筋が伸びる思いです。
家族共々、これからもよろしくお願いいたします。
親になったことで、様々な経験をさせていただいております。
また、考えることなども変化してきて、
自分自身の価値観の変わりようにも驚いております。
月並みな表現ですけどね、「愛おしい」とか、
はたまた「責任」とか、「不安」とか、
いろんな感情が同時に入り乱れて、そういう中で親としての不完全さに憤ったり、
その不完全さの中に成長の伸びしろを見い出しながらニヤけたり、
すったもんだしながらも、なんだかんだ楽しみながら生きております。
屈託のない、100%ピュアな子供の笑顔を眺めながら、
この笑顔が、やがて傷つき、裏切られ、貶められ、、、
それでも前を向こうともがきながら、
ムリヤリ作り笑いを演出してきた自分のような笑顔になるのかと思うと、
なんとも言えない気持ちになります。
人生は泥沼の上に咲く蓮の花のようなものだと理解している自分には、
100%ポジティブなこういう笑顔を許容する隙間すらなく、
ただただ戸惑い、悲しくなりながらも、
この笑顔の存在時間の継続を願うとともに、
作り笑いの演出方法をいかに伝えるか?を一生懸命考えたりしています。
年々、歳を取るたびに考えることが増えていきます。
人間の人生とはこういうものなのか~。と、ため息も出てくるんだけど、
自分は潔癖症です。
嫌なものは徹底的に嫌う。(生き方の話ね。部屋は汚い・・・)
きっと好きなんです。考えることが。
自分が潔癖症なのは、嫌なモノが強烈にあるのではなく、
「これ」というモノが強烈にあるからなんだと思います。
「これ」というもの以外は徹底的にやらないはずなのに、
考えることを面倒くさがりながらもなんだかんだ考える。
それによって、歳を重ねるたびに、「これ」っていうのも増えてくる。
だから、ため息も出るんだけど、そういう人生も「悪くないな」と思っています。
みなさまの「これ」の中に、自分が存在できるよう僕も努力いたします。
来年もよろしくお願いいたします!

「もうロックは聞かない」と、思っていたのだけれど、
この子達はとても良くて。。。
ので、毎日聞いている。
大体、朝の掃除はこのCDを聞きながらノリノリでやる。
中年のオッサンが気持悪いわ~とか、思いながらも、
ノリノリで聞いてしまう。
いい歳したオッサンが、何をもって10代のガールズバンドを聞くのか?
以下、理由を述べる。
簡単に言うと、椎名林檎とaikoを足して2で割ったような音楽。
単純に、こういう音と才能を持ったタイプの女の子を
懐かしいな~なんて思いながら、
こいつら今の時代に、こんな音楽で、こんな歌詞書いてたら、
絶対モテないだろうな~と、確信してニヤニヤするのです。
なにしろ歌詞がいい。
情けない歌詞で、モテない側の人間の感情を見事に表す。
あ~わかるわ~、と歌詞カードを見ながらニヤニヤする毎日。
このあたりも、強烈に気持ちが悪い。
でも、繰り返すが、僕はこの、非常に情けない、モテない、
だらしない感じの音楽にめっぽう弱いのです。
それゆえに、ノリノリで聞いてしまう。しかも朝から。
6曲目、「量産型彼氏」と、
10曲目、「花」の歌詞などは、
情けなさ過ぎて、居ても立ってもいられなくなるほど。。。
圧巻は8曲目、「昼夜逆転」。
この手のラブソングを10代の女の子に歌われたら、
37歳の中年おやじだろうが、なんだろうが、
「キュン」としてしまう。
このあたりも、強烈に気色悪いと思うが。。。
まあ、でも、安っぽい予定調和の恋愛ドラマよりも、
こういう情けないラブソングの方が、僕のツボには深く入る。
ユーチューブで動画をご覧いただければ分かると思うが、
いわゆるこの子はブ○イクで、
でも、その反骨心がギターの音に表れていて、
とれもカッコよいのです。
なにしろ声がいい。
椎名林檎のような妖艶さを醸し出しながら、
偏愛と、それが同じレベルで享受されない日常や
異性に対する妬みそのものな曲からは、
aikoと同じレベルの強烈な執着を醸し出す。
しかも、時に妙な角度から飛び込んでくる巨大な母性は、
全く新しい女性シンガーの性を感じてしまう。
それらの強烈な個性と表現性をしれっと歌い、
後味を残さずにポイッと歌いきって次の曲へ向かう、
なんともいえない残酷なツンデレは、何よりも今の時代を表していると思う。
それがたまらなくツボで、
もう、とうぶんのあいだは、
おじさんはこの子達の曲を聞き続けると思います。
成績発表。どん。
見よ!どれもAプラスかA。
じゃっかん、Bもあるが。。。 ほとんどA以上。どうだ!
率直に、うれしい。。。涙
そのへんの専業学生には負けられない、実践で鍛えた経営力。
そのパンチ力で、そのへんのやつらを議論で投げ倒す。
そういう嫌な性格が滲み出た、ドロついた成績表です。笑
仕事をやりながらも、この成績を残せたことは自分にとっては大きな自信。
このまま大学院まで突き進む。
目指すはMBAホルダー。
それなのに美容師。
という、オチはさておき、
学ぶということは、何歳になっても重要なことなのだと、
実感しております。
今までの自分より、考え方や知識の次元が違うし、
大学で知り合える人脈にも刺激を受けられる。
純粋に人生が楽しくなりました。

「花燃ゆ」にハマっている。
毎週の楽しみになっている。
視聴率はさほど良くないらしいが、
あのドラマを観ずに、なんのドラマを観ようか?今の時代に?
と、思ってしまうほど、中毒性と本質性と必要性を兼ね揃えたドラマであると言える。
むしろ少し遅すぎたか。。。
録画して、なぜか2回観ている。
ここがミソだ。
なぜか2回観てしまう。。。
やめられないし、止まらない。
松蔭先生の言葉を心にメモるために、僕の脳ミソは2回観ろと命令を出す。
そして2回観た後に、やたらと仕事に対してやる気満々になって、
興奮して寝付けなくなる。というパターン。
このルーティーンを、無意味に毎週繰り返している。
時間の浪費かと思いかねないが、実は最高に満たされている時間だと、
このブログを書きながら、ふと思う。
松蔭先生は毎回ドラマの中で、
「YOUの志は何ですか!?」
と、やたらめったら問いただす。
高杉晋作は答える。
「ここで志を立てたく思います!」
と。
久坂玄瑞は言う。
「江戸で志を遂げてまいります!」
と。
主人公の文(ふみ)は言う。
「折れない志を見せてくだされ!」
と。
このドラマの中で、バズワードとなっている「志」という単語。
「志を立てるところから人生は始まる」
と言いきった吉田松陰。
どうやって志を打ち立てるのか?
そのヒントが第一話に隠されておりました。
1.叔父に叱られた文を諭す寅次郎
「俺もお前くらいの年の頃はいっつも独りじゃった。
5歳で吉田家の養子となった俺は、
兵学師範として一人前となるため厳しく教えられた。
叔父上は本当に怖かった。
本は文字ではない。
本は人じゃ。
開けば触れる事ができる。
ほかの人の考えに。
江戸におる人にも、
外国におる人にも、
とうの昔に亡うなった人にも出会う事ができる。
同じく悩んで、
同じく答えを見つけようとした誰かがおって教えてくれる。
その人の目で見た世の中の人生のあらゆる事を教えてくれる。
生きるに迷うとるんは自分一人じゃない事を。
おかげで兄は天命を受け入れる事ができた。
人と出会うて兄は変われたんじゃ。
のう、文。人が怖いか?
怖いんはお前がちゃんと自分の目で、
人を見ようとしとるからじゃ。
うまくしゃべれんのは、
お前が間違うた事が言えん正直者だからじゃ。
俺には分かるぞ。
お前はよう人を見とる。
本当は誰よりも強く人を知りたいと思っとる。
本当は誰よりも強く誰かと出会いたいと心の底から願うとる」
2.藩校・明倫館にて論ずる寅次郎
「例えよこしまな本を読んだとしても、
己の頭で考えれば何が佳く何が悪いか人は分かるはずです!
己の頭で考える事ができる者は、
かぶれも染まりもしません。
ただ覚えるだけではなく考える事!
それを教えてくれたんは叔父上です!
それにその本は、よこしまな本などではありません。
なぜ皆が禁じられた本を読もうとするんか。
知りたいからです。
学びたいからです。
変えたいからです。
今までの学問じゃもう日本国は守れん!
本当にこん国の事を思う者は知っとる。
死に物狂いで学ばんにゃ、
こん国は守れんと!
皆に問いたい。
人はなぜ学ぶのか?
私はこう考えます。
学ぶのは知識を得るためでも、
職を得るためでも出世のためでもない。
人にものを教えるためでも、
人から尊敬されるためでもない。
己のためじゃ。
己を磨くために人は学ぶんじゃ」
3.寅次郎に呼応する小田村伊之助
「この本は島国である日本国が、
何をなすべきか教えてくれています。
禁書だからという理由だけで中身も読まず、
葬ろうというのは学ぶべき者の正しい姿ではありません。
人はなぜ学ぶのか。
お役に就くためでも、
与えられた役割を果たすためでもない。
かりそめの安泰に満足し、
身の程をわきまえこの無知で世間知らずで、
何の役にも立たぬ己のまま生きるなどごめんです!
なぜ学ぶのか?
この世の中のために、
己がすべき事を知るために学ぶのです!
私は、この長州を日本国を守りたい。
己を磨きこの国の役に立ちたい。
そのために学びたい。
まだまだ学びたい!」
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以上、
志を立てられない人は、立てられるまで学ぶべきだと思った。
自分が生まれてきた意味を知らずして、
自分が成すべきことなど分かるはずがないし、
人生に意味がないのであれば、
意味をつける作業そのものが人生の意味であるわけです。
4月からまた大学の後期がスタート。
必死で学ぶ中で、少しでも高い志が持てたら。。。
と、思える勇気がいただける。そういうドラマです。
先日、結婚して辞めたスタッフから、離婚したという報告を受けた。
そのスピード感にも感服するが、
結婚を現実逃避としてとらえている、(本人はそう思っていないが、、)
ある種若い子のありがちなアウトプットだと思った。
今の若い子は結婚を「ディズニーランドのようなもの」と
勘違いしている節が大いにある。
「フラッシュモブ」ブームからみても分かるように、
サプライズとゴールインに絶対的な情熱を注ぎ、
根拠のない愛を大いに誓い合う。
結婚やプロポーズにおいて重要なのは、
今までその人がどう生きてきたか。これからどう生きていくのか。
であり、それに家族がのっかってどこに向かうのか?
である。これは持論です。
すなわち自分の魂の見える化。
見せられる魂がなければ始まらないし、
仕事で結果をだせていない人の語る愛の誓いとか、
僕はまず信用しない。
瞬間芸のサプライズなどでは断じてない、
たまらなく地味な作業を要した先にある
神聖な儀式のようなものなのだと僕は思ってます。
そこにサプライズなどいらない。
魂の一礼で充分なのです。
結婚についての話はさておき、
大学が春休みに入り、ようやく自分と向かい合える時間がつくれたので、
少し、考えていることを書き記しておこうと思いました。
「自分と向かい合う時間がなくなると不安になる」
「考えることがないと、考えることを常に探す」
この二つの特性を持つ、自分の癖について考えたので。
今日という日がなんとなく過ぎること、
神経を研ぎ澄ませていない日々を継続すること、
変化がなく、ものごとが維持されること、
これらのことを、僕はものすごく嫌う。
自分にとって、
「気が付いたら日々をなんとなく過ごしていた。」は、
ある種、恐怖である。
それは自分がそこに存在している意味をなさないというか、
死んでいる感覚に等しい。
だから自分と向き合っていないと落ち着かない。
いつからか自分は、自分という存在を気持ち悪いほど愛していて、
期待もしているんだと思う。
だから曖昧にしたくないし、適当にしたくない。
「生」とは、僕の中で、「何を選ぶか?」にあって、
その意思決定を、どんな小さなことでも魂を込めて行う。
そうすることで、何をしても実感が持てるし、前向きになれる。
そして、余計な罪悪感を排除できる。
それと、最も重要なのは、何かを決断しなくてはいけない時に
判断を間違えないということです。
自分が選ぶという感覚で決断したことは、
少なくとも自分にとっては間違いではない。
それがたとえ現実のいろいろな事情によって
やむを得ないような決断であったとしても、
それに押し切られたり、流されたりするのではなく、
「自ら進んでその決断を選んだ」
という感覚を持てるか持てないかは大きく違う。
彼女にふられた。彼氏にふられた。といった、
「自分ではどうしようもない」ことですら、
「私は大切な人を失った日々をこれから歩いていくんだ」
という自分の選択と意志の物語として捉えることで乗り越えていける。
もしも、現実を絶対的なものとして捉えてしまったら、
「もう彼女(彼)はいない。どうすればいいんだ」
というところから抜け出せなくなってしまう。そういうことです。
「ちゃんと自分で選ぶ」ということをサボると、
現実というのはどんどん巨大なモンスターになっていくので
そのへん気を付けて。と、
上記の離婚した後輩に最後に言ってあげたい。
でもまぁ、こういう決断力が欠如している
美容業界の若い子達が多いこと多いこと、、、
言っても伝わらないし、理解もされないので、
自分で体験してもらうしかないのかな。。。
っていうのが僕の最終結論で、でも、
そこから立ち上げれる気概が彼らにあるのか?
って考えると、???な感じなんですけど。
後輩を育てることを投げちゃった身の僕としては、
適度な距離感を保っている方が、生きやすいと感じております。
さてと、
37歳を迎えまして、
自分はさらに、物事を決めていきます。自分の意志で。
妥協点ではなく、絶対の魂の選択で。
ものすごく大変なことですが、実はこれはとても素敵なことです。
自分ですべてを決めていくと、
自分の力と無力さの両方に出会えます。
生きている感覚を取り戻せるし、
新しい自分の一面にも驚ける。
恋愛だろうが、仕事だろうが、勉強だろうが、旅だろうが、
そういう決断の中で、
最後に残ったのはいつだって自分という存在だけでした。
それは、チームで仕事をしていた時も、結婚した後でも変わらない。
結局は人間は一人。
ネガティブに聞こえるかもしれないけれど、
僕にとっては究極にポジティブ。
大金を持っていようが、愛する恋人がいようが、
前途洋々たる将来が約束されていようが、
築き上げた地位や名誉があろうが、
人は何も持ってなんかいないし、いつだって一人。
「魂の選択」は、いつだってそれに気づかせてくれる。
想像により創造されるこの世界。
自分と向かい合う時に見える、どんな光よりも明るく、
どんな熱よりも熱く、どんな空間よりも広く、
どんな時間よりも豊かな、そんな得体も知れないような何かとは、
自分自身と向き合った先にある創造力に他ならないと、
僕は常々思っている。
仕事で燃え尽き、大学の課題で燃え尽き、
もはや燃えカスしか残っていないようなポカンとした頭の中。
毎日毎日を駆け抜けながら、
あまりに早く過ぎる時間の流れに若干後ずさり。。。
もう2月の半ばだし。。。
自分と向かい合う暇さえない日常なのだけれど、
極限まで自分の時間を最適化させた先にある自分の姿が、
若干、かたち作られてきました。
テレビも観ず、友達にも会わず、どこにも出かけず、
その中で仕事と大学に打ち込み、苦しさの中から未来をまた見いだす。
そんな作業を、懲りずにやっております。
希望や理想ばかりを夢見て、
未熟さにへこんでいた20代の自分。
30代も後半になり、
ヒゲが濃くなったり、疲れが抜けにくかったり、すぐに眠くなったり、
老いも感じながら、変わらず前を向いて理想を持ち、
まっすぐ懸命に生きていたいと願う自分。
大変な毎日の中から、信念や突破力が磨かれ、
それによって理想を貫ける武器が手に入れる。
40代になっても、変わらぬ理想を持ち続けていられるよう、
必死に仕事をし、勉強します。
引き続き、自分の才能と命を使い切って死ぬことが目標です。
「生きること」に対し、とことんストイックに突き詰める。
それが「自分らしさ」を磨き上げる為の基本原則なのだと思います。
仕事で燃え尽きれていることは、
幸せなことなのだと、
仕事に燃え尽きることができない美容師の後輩達を見ることで
理解できるようになりました。
花は冬を耐え忍んだ先にやっと咲くものなのです。
どうせ咲くなら、とことん厳しい冬を乗り越えて咲きたい。
そう思う36歳の冬でございます。
ひとつの事に向き合って苦しんだり、悩んだり、笑うことは、
自分の心をすーっとクリアにしてくれる。
ような気がする。
そろそろ美容師を始めてまる20年。
続け、挑戦し、生体機能に組み込まれたこの仕事は、
もはや、自分の心の透明度を極限まで高めてくれます。
「仕事」というものの本質と苦しいほど向かい合ったこの20年間。
自分にしかたどり着けない領域まであと少し。
残りの10年で、必ずたどり着く。
そのゴールが楽しみでしかたがない。
「この選択をして良かった。」
いつでもそう思える毎日を過ごせること、それが僕の誇りです。
まっすぐであることや、全力であることを武器に、
自分はこれからも挑戦を重ねていきたいと考えています。
「これがしたい。」
「これが理想。」
「絶対にここまで行く。」
「ほら、楽しいだろ!?」
「挑んで良かった。最高!」
そんなことを、自分はこれから、
自分の人生において言い続けると思う。
そんな人生をまるごといとおしいと思える今の自分の仕事。
大澤正俊の人生で良かった。(ウザくてすまぬ)
そう思いながら、ライブを観ておりました。
またやりたいと思います。
毎年、正月になるとなんだか分からない妙なサッパリした気分になって、
正体不明のやる気みたいなものが湧き上がってくるという、
まぁ、ものすごいわかりやすいヤツなんですけど、
今年はいつにも増して凄いのがきた。
ビジョンとかイメージとか、そんな生やさしいものではなくて、
朝日が輝く大海原の上に半紙が広がり、
その上に毛筆で「やるぞ!」と大書きしてあるような、
すごくベタな、ミもフタもないガッツが涌いてきてしまった。
批評性ゼロというか、ただのバカというか、、、
こんなのは未だかつてなかった。
でも、気持ちがいいのでこれで行くことにした。
自分はもう、美容師という仕事が
生体機能に組み込まれてしまっている生き物なので、
この「毛筆・やるぞ!」は、世の中のなんだらかんだらを
リトマス試験紙的に表示しているのだとおこがましくも思う。
要するに、「やるぞ!」で、もう充分なのです。
「やるぞ!」と、言い切って走る事が今必要なのだと。
その走りっぷりをまず見せてなんぼだ。
走りっぷりが良ければOKだし、ダメならダメだし、
ダメっぷりもまた味があるなしでいろいろだし、
とにかく、
それだけです、今必要なのは。
何をどうやるのか?
それをどう見て、どう受け取るのか?
そういう手続き的な批評機能は、もうみんな体の中に備わっているとすべし。
その手続き的なところばっかり考えていると、
今の時代、ダイナミズムを完全に見失ってしまう。
「いい仕事するぞ!」
で、充分。
日本人独特の、批評性や美意識を大げさに論理化する以前に、
いつの間にか組み込まれた美容師としてのプロフェッショナルを
今年からめざましく発揮していこうと思えたのです。
覚悟と決意と情熱を持ちながらも、
自然体でもって、サロンに立っております。
今年もよろしくお願いいたします。
SPOB 代表 大澤正俊

