@宮城 Ⅱ
以下、
東さんが話してくださったなかで
今後どのような活動が必要になるのか、
どう考えていくべきか、
自分自身が複雑に思った話です。
一言で「被災者」といっても、
被害に合われた方々には、
・仮設住宅にいる人
・直せば住める人
・全然被害のない人
がいます。
それぞれの状況下で、
思いや気持ちが違います。
東さんたちは『直せば住める』状況にあり、
現在自宅で生活しています。
そして、東さんたちは、
仮設生活ではないし、
仮設に行く機会もないので、
仮設に暮らす人たちが
どういうふうなのか、どういう気持ちなのか、
がわからないのだといいます。
「大変だったね、
お互い頑張ろうね」
と語りかけても、
「あなたたちは直せば住めるでしょ。
あなたたちは踏み出しているでしょ。
私たちにはなにもないのよ。」
という答えが返ってくるそうです。
実際それで喧嘩になった友人も
いるそうです。
仮設に暮らす人々は、
生活に必要なものがセットで
用意されているのに対し、
東さんたちは、
住む家があっても
物がなにもないのだといいます。
「いいわよね、家があって。」
「家があっても物資がないのよ。」
そういった対応や思考、
気持ちの違いが、
現地の人々の間に溝を生み出しているのです。
「命があって良かった」
と思えるのも最初だけ。
現実にひきもどされたときに
必要なものがなにもないと。
人間だから欲も生まれるのだと。
物資の面でも、
南郷地区の東さんたちは、
仮設ではなかったために
物資に並べなかったといいます。
被害が天井にいくか、いかないかで、
被害の大きさにも規定があり、
全壊か半壊かで義援金の額に
差があったそうです。
また、
お金のために
南郷地区の人間ではない人が
南郷地区への物資をもらいに来て、
それを売り歩くということもあったそうです。
物資の配布の際は
住民であるかどうかのチェックがないため、
そういった人がわからないのだそうです。
被害に合われた方々は、
3月11日に限らず、
毎月11日がつらい。と
言います。
彼らにとっては
普通の11日ではなくなっているのです。
あちこちで報道される
震災関係のテレビ番組は見ない、
見たくない。
どうしてそんなにやるのか、
と思ってしまう
と話してくださいました。
次へ続きます。