女郎花(おみなえし)
【大人の女性】
秋の七草のひとつです。
女郎は女性という意味なのですが、「えし」の解釈はいろいろです。
そばにいる女性を圧倒するほど美しいから女郎圧し、そばにいる女性の美しさを減らしてしまうから女郎減し、女性だと思われる花なので女郎べし(「べし」は推量の助動詞)、花が栗飯に似ていることから女郎飯(栗飯は女性の主食なので女飯と呼ばれ、白米は男飯と呼ばれていた?)といった説があります。
男郎花(おとこえし)という花もあります。女郎花の花は黄色ですが、男郎花は白。この男郎花を意識して、女郎飯説のような俗説があるのかもしれません。
謡曲「女郎花」によると、小野頼風の心変わりを嘆いて身投げをした女性の衣が朽ちて、そこに女郎花が咲いたとか。成熟した大人の女性を思わせる女郎花ですが、つらい思い出を心に秘めて美しく咲いているのですね。
秋の七草のひとつです。
女郎は女性という意味なのですが、「えし」の解釈はいろいろです。
そばにいる女性を圧倒するほど美しいから女郎圧し、そばにいる女性の美しさを減らしてしまうから女郎減し、女性だと思われる花なので女郎べし(「べし」は推量の助動詞)、花が栗飯に似ていることから女郎飯(栗飯は女性の主食なので女飯と呼ばれ、白米は男飯と呼ばれていた?)といった説があります。
男郎花(おとこえし)という花もあります。女郎花の花は黄色ですが、男郎花は白。この男郎花を意識して、女郎飯説のような俗説があるのかもしれません。
謡曲「女郎花」によると、小野頼風の心変わりを嘆いて身投げをした女性の衣が朽ちて、そこに女郎花が咲いたとか。成熟した大人の女性を思わせる女郎花ですが、つらい思い出を心に秘めて美しく咲いているのですね。
丹誠(たんせい)
【赤い心?】
丹誠の「丹」は赤い色のことです。
「赤」は「明るい」に通じ、「明らかな」とか「正真正銘の」という意味があります。赤の他人、真っ赤な噓、赤裸々などの「赤」がそうです。ですから、赤心と丹心は、どちらも噓偽りのない誠実な心のことで、同様に、赤誠、丹誠、丹念という言葉も生まれました。
「赤い心」とか「赤い誠」といわれても、真心というイメージがあまり湧かないかもしれませんが、「赤」の語源は「夜が明ける」意味の「あく」からきているそうです。夜が明けたばかりのような、まっさらな心という感じでしょうか。
心に夜明けの空を持って何かをする。それが丹誠をこめるということなのでしょうね。
丹誠の「丹」は赤い色のことです。
「赤」は「明るい」に通じ、「明らかな」とか「正真正銘の」という意味があります。赤の他人、真っ赤な噓、赤裸々などの「赤」がそうです。ですから、赤心と丹心は、どちらも噓偽りのない誠実な心のことで、同様に、赤誠、丹誠、丹念という言葉も生まれました。
「赤い心」とか「赤い誠」といわれても、真心というイメージがあまり湧かないかもしれませんが、「赤」の語源は「夜が明ける」意味の「あく」からきているそうです。夜が明けたばかりのような、まっさらな心という感じでしょうか。
心に夜明けの空を持って何かをする。それが丹誠をこめるということなのでしょうね。
有明の月(ありあけのつき)
【振り向けばそこに】
有明とは月がまだ残っているのに明けて行く空のことです。
そして有明の空に残っている月が有明の月。十六夜以降の月のことをさすそうです。
すっかり影が薄くなって、透けて見えそうなほど儚い有明の月は、切ない恋の思いをいっそうかき立てるものとして、よく和歌に詠まれています。
明け方の空は、ダイナミックなドラマが繰り広げられる時間です。
どうしても明るく染まりゆく空や昇る太陽の方に目がいきますが、そのような中で西の空を振り返り、消え行く月を見つめる瞳。。。なんてやさしい瞳でしょうか。
いつも前ばかり見ていないで、たまには後ろを振り返ってあげてください。
ずっと、あなたを見守っている眼差しに気づくはずです。
有明とは月がまだ残っているのに明けて行く空のことです。
そして有明の空に残っている月が有明の月。十六夜以降の月のことをさすそうです。
すっかり影が薄くなって、透けて見えそうなほど儚い有明の月は、切ない恋の思いをいっそうかき立てるものとして、よく和歌に詠まれています。
明け方の空は、ダイナミックなドラマが繰り広げられる時間です。
どうしても明るく染まりゆく空や昇る太陽の方に目がいきますが、そのような中で西の空を振り返り、消え行く月を見つめる瞳。。。なんてやさしい瞳でしょうか。
いつも前ばかり見ていないで、たまには後ろを振り返ってあげてください。
ずっと、あなたを見守っている眼差しに気づくはずです。