世界一わかりやすいスピリチュアル 100問100答 -10ページ目

世界一わかりやすいスピリチュアル 100問100答

興味を持てば持つほどにモヤモヤと立ちのぼる「?」に直面するスピ女子・まぁちゃんが、
蛇の道はヘビに聞け──スピリチュアル専門家マナブー先生と人気セラピストもっさんに、にあらゆる角度から100問100答、疑問をぶつけていきます。毎週土曜更新中。


問17 ひとは死んだらどうなるのでしょう? 
  「死後の世界」はあるのでしょうか?
答17 再生のための道を進みはじめます。
   part1:肉体とエーテル体の分解とアストラル体の感情的な精算。




   本日の問答記録 (2015年 6月 ヨヨギ某所)



 
まーちゃん
さて、 問10(http://ameblo.jp/spibi/entry-12024412244.html)でも少し触れた死者に関して、死後について考えていきたいと思います。

ひとは死んだらどうなっていくのでしょうか? 


もっさん
たとえば
キリスト教では最後の審判で天国へいくか地獄へいくか、、、
仏教なら宗派によりますが、極楽浄土へいく、地獄へいく、輪廻する、輪廻の輪から出て解脱して如来や仏になる、、、
ヒンドゥー教などインドの諸宗教では、ひとは無限に輪廻し生まれ変わる、解脱により解放される、、、
などなど、それぞれの理論モデルでもあるので検証や実証のしようが無い部分がありますが、死後の世界のお話はたくさんあります。

そんな、長きにわたってひとびとが考えてきた死への答え。
「エソテリック・ヒーリング 下巻」ではおおきく3つわけて書いてありますのでちょっとご紹介しますね。

①物質主義的な完全な死。死後のわたしの永続性を視覚的に見ることができず、具体的に立証することはできないので、つまりそれは存在しない。という考え方。
②条件つきの不死。特別に霊的に目覚めたひとのみ不死の贈り物を受ける。という考え方。
③再たび生まれる。転生という考え方。

死の問題をほとんど何も考えていない人、物質的な科学が絶対的真理と思っているひと達はたぶん①に入るでしょう。
そして今日、死やスピリチュアルなことをきちんと考えている人に、いちばん妥当性が高いとされているのが③、再生誕と言われています。


まーちゃん
前世、現世、来世がある、、、死んだら、わたしはわたしのまま、別の生へと生まれ変わると言うことですね?
だとすると、どうやってひとは生まれ変わるのでしょうか?

死んだ後から生まれるまでの「死後の世界」ってどうなっているんでしょう?



マナブー先生
死後の世界は誰しもが興味を持つところですよね。
今回は、私が専門にしている神智学~秘教/著者アリス・ベイリーの情報に基づいて、そこで伝えられているプロセスをご紹介します。

なかでも、一般の方々、つまり霊的な道のりを相当先まで進んでいる人ではないひとびとが、どのように死後の世界を進むか説明していってみましょう。(注:霊的進化をかなり遂げている人は、これとは違った道のりを歩む、とされていますが、煩雑になるので、今回は省略します。)

人間は、生きているときに「肉体・エーテル体」と「アストラル体」と「メンタル体」という3つ界層にまたがるからだ=「パーソナリティーの器」をもっています。ただし、それらは人間の本質ではなく、本当の自分は「魂」であって、それらの体は、一回の生で魂が活動するための道具だとされています。

死後も半ば永続して、輪廻し転生するのは「魂」であり、「パーソナリティーの器」たちは、転生ごとに新たに作られる──というのが、まず前提としてあります。

では、肉体が死んだときには、どういった現象が起きるのでしょうか? 
 
まず最初に、「肉体」が「魂」と切り離されます。
その後は、火葬によって肉体とともに物質界層のからだである「エーテル体」も分解されていきます。


まーちゃん
死者の旅路のスタートは、まず「物質界に属するからだ」が無くなっていくわけですね。

最初から質問でなんなのですが、、、
「火葬」で肉体が消失し、ついで肉体に近い層であるエーテル体が、、、、とのお話がちょっと気になりました。
これは埋葬方法に関係なく、たとえば、土葬や水葬でも同じことが起こるのですか?


マナブー先生
行程は基本的に同じです。ただ埋葬の仕方は、一般のひとの場合、絶対的に火葬が勧められています。エーテル体が問題を起こさず、速やかに分解されることと、死者が病気を持っていた場合、肉体に含まれている病気の波動が火葬だと分解されますが、土葬などでは土壌に吸収されそのまま引き継がれて、後の世代に病気の因子を残してしまうから、、、と言われています。

まーちゃん
なるほど。。。火で焼くということの重要性があるということかな。
日本では一般的に火葬ですね。

マナブー先生
はい。ただ、条例で制限がある大阪府や東京都など都市の一部地域以外では、意外と近いところでも、まだ土葬をしているところもあると思います。
20年前の話になるので、今はどうかは分かりませんが、無着成恭さんという教育関係でも有名だった成田の方のお寺で住職をされているお坊さんが、その当時まだ、「うちの方では土葬です」と語られていて、びっくりしました。


話を戻し、次に進みましょう

「肉体・エーテル体」が分解されて無くなるとどうなるか? というと
つぎには「アストラル界」に入ってそこで生活を始めます。

それまでいちばん「粗雑なからだ」であった「肉体・エーテル体」が無くなると、代って「アストラル体」がいちばん「粗雑なからだ」となり、このからだのある「アストラル界」が2番目に通過する界層になります。

ここは、時間の流れが物質界とは異なり、過去と現在が一緒になった世界です。(注:3+1=4次元時空間である物質界より一つ次元が高くて5次元時空間といわれています)

この死後のアストラル界での生活というのは「直前まで続いていた人生」の感情的な精算=アストラル的精算をする期間です。
その人の人生の中の感情的な部分で、解消しきれていないものを処理するわけです。

具体的には、家族への思いとかですが、まだ地上の生活に未練が残っている場合には「霊(幽霊)」として地上付近に留まってしまいます。動物とか霊感のあるひとには、それが見えたり感じたりなんてことも。。。。


まーちゃん
幽霊って(見たことはないけど、、、)アストラル界にいる死者なんですね!?


もっさん
エーテル体の殻という場合もあるようですが、身近な例として、結構ありますよ。
死後~その数日後といったわりと日が経たない頃には、亡くなった方が親族や親しかったひとに語りかけたり、姿を見せるというのはよく聞く話なんですよ。
そんな話が多く聞かれるのも、死者がアストラル体/霊の状態でしばらくこの世の人たちと関わりのある領域に留まる──と考えれば、納得いくところですねえ。

あと、残された側の影響で、亡くなった方が次のステージにいかない、いけないというケースも存在すると言います。
残された方が故人に執着しすぎると、その想いに引き止められて故人の霊がそのまま現世に残ってしまうことがある。。。。
これは、避けなければいけないことです。
安心して次の世界へ行ってもらえるように、寂しいですがあえてコンタクトの取れない領域へ手放すのも見送る側の心構えとして必要なことなんですよね。。。そうやって、初めて成仏できるんです。


マナブー先生
では、この「アストラル界」での生活期間が終わるとどうなるでしょう?

2度目の死、つまり「アストラル界」での死が起こり「アストラル体」が外れることで、代っていちばん「粗雑なからだ」は「メンタル体」ということになります。
死者は次の界層である「メンタル界」に移行して、そこでの生活が始まるのです。

その先も面白いのですが、長くなるので、今回はここまでとしましょうか。

まーちゃん
そうですね!

今回は人間の本質である「魂」が活動するために必要な器として、「肉体・エーテル体」と「アストラル体」と「メンタル体」という3つ界層にまたがる体があること。

死んだ者は一般的にはその3つの界層を、肉体・エーテル体(肉体の分解)→アストラル体(感情的な精算)→メンタル体 というように順番に進んでいく、、、。

次回は引き続き「死後の世界」メンタル体からのお話をおうかがいしたいと思います。

それでは、ありがとうございました(^-^)ノ


マナブー先生もっさん 

今日はありがとうございました(^-^)ノ~~(^-^)ノ~~





Photo credit: Foter / CC BY-SA
問16「魂」はどこにあるのでしょう?  
答16 わたしたちと共にあるけれど、わたしたちの生きている3次元の空間に収まりきらない存在



   本日の問答記録 (2015年 6月 ヨヨギ某所)




まーちゃん
とても馴染みがあるけど、実際見たことも触れたこともない、
それでもやはり「在る」と感じて生きている──
多くのひとにとって「魂」とはそんな存在ではないでしょうか。
そのものについては、あまり語られることが少ない気もします。

謎めいた存在である
「魂」はいったいわたしたちのどこにあるのでしょう? 


マナブー先生
魂がどこにあると考えられてきたのか、昔の哲学者や思想家、医学博士はどう捉えていたのか──

A・ベイリーの著作「魂とそのメカニズム」という彼女自身の言葉で書かれた本(注1)に、かれらの推測が列挙されているので参考にしてみましょう。(注1:通常のベイリーの著作はジュワルクール大師が伝えたものですが、こちらに関しては一般の研究と照らし合わせて本編の内容を補足している注釈本になります)

P.109~から抜粋要約

プラトン(古代ギリシアの哲学者)→生命原理は脳の中にある。
ヒポクラテス(古代ギリシアの医者)→意識あるいは魂は脳の中
ガレノス(ギリシャの医学者)→第4脳室
聖アウグスティヌス(キリスト教神学者)→中央脳室
デカルト→松果腺
W.B.カーペンター(イギリスの医者)→視床
ハーバード・スペンサー(イギリスの哲学者、社会学者、倫理学者)→脳橋
ロジャー・ベーコン(イギリスの哲学者)→脳の中心
シャルル・ボネ(スイスの博物学者、哲学者)→脳

etc...

というように、西洋の哲学者や医者たちの多くが魂は「意識」であり、「脳」にあると述べています。
つまり一般的には「脳にある」とする見解が多いようです。
諸説あって、結構面白いですね。


まーちゃん
意識が魂、、
魂が意識、、、
脳のなかにある、、、、!

個人的に根拠無く、胸あたりにあるのかと思っていたので、わりとビックリしてます。(汗

確かに人間が生き、意識が働く重要な部分が、魂の場所。イコール脳と推測されるのにも納得。
解剖学的というか科学的な見解が、いかにも西洋的な感じもしますが、、、。


マナブー先生
ちなみに、エソテリック・ヒーリングでは、魂の本拠地は、魂自身の界層、つまりメンタル界の高位亜層にあって、魂の蓮華=コーザル体の中にある、と言われています。
つまりは「肉体とは違う層」にあるわけです。
そして、その魂から伸びてきている「意識の糸」がヘッドセンター(頭)に、「生命の糸」はハート(胸)に達している──ということなので、ヘッド・センター(頭)やハート・センター(胸)に魂が宿っている、と言えなくもないとは思います。

自身が魂と結びつくことで、そのひとのハートのチャクラが開かれるとも言われており、インドの本などに、ハートに魂があるように描かれているのを見たことはあります。


もっさん
言うなら、、、日本人だと腹や丹田に特別な神聖さを感じている部分もあるんじゃないかと。
腹が立つ、腹の底から──ハラ(肚)に関する感情を現す言葉の多さからもその重要性がうかがえます。
切腹でも、まず腹を切り、その後頭をはね身体を死滅させる。
そして、頭と腹を往復する中心は胸になりますから、胸のチャクラに強調される感覚があるのかもですね。

(追記:wiki「切腹」より引用→切腹が習俗として定着した理由には、新渡戸稲造が『武士道』(Bushido: The Soul of Japan、1900年刊)の中で「腹部には、人間の霊魂と愛情が宿っているという古代の解剖学的信仰」から、勇壮に腹を切ることが武士道を貫く自死方法として適切とされた」との説が唱えられている。)


マナブー先生
たとえばハートの重要性では、脳に重きをおいてきた西洋でも
アメリカの「ハートマス研究所」というところで、あらゆる情報はまず脳でなく心臓が処理している、という興味深い研究結果が発表されました。
科学的にも心臓の重要性が研究されていますよ。


今度、7月26日に予定している「エネルギー医学シンポジウム」というイベントが都内であるのですが、その中で午前中に上映する『ザ・リヴィング・マトリックス』という映画の中にも出てきますので、ご興味ある方は是非、ご覧下さい。
http://holiken.net/?pid=89934195


まーちゃん
魂がどこにあるか──を話し合っていくと、感覚的に西欧、東洋、日本、、、民族性で違いが微妙に出て来ますね。


マナブー先生
あと、頭頂のちょっと上に、魂のエネルギー・ポイントを想定するヒーリングの流派もあります。

実際に、自分自身が瞑想するときには、そのあたりを意識すると、頭の中がスッキリしてクリアになった気がしてきますが、それが100%魂とつながった状態といえるのかは、いまのところ確認ができないので確信はもてていません。


もっさん
「魂」はほとんどのひとがはっきり見たり接したりしたことがないものなの。
確証を持って「場所」を言えるひとは元来、ほとんどいないのではないでしょうか?

それをふまえ推察するに「魂」は顕在意識のさらに奥。
瞑想をして達するような深~いところ、無意識や集合意識にあるんじゃないか──
こうなると抽象的になるので、現実的な人体の場所という場所ではなくなりますが、
個人を越えた共有意識のなかに魂は存在していて、そこではみんなと繋がっている。いわゆるワンネスの状態に在るのではないかと。。。


マナブー先生
場所についてわたしの考える結論を言えば、先ほど語ったように魂は「肉体とは違う層」にある、本来の「魂」は、このわたしたちの生きている「3次元空間に収まらない存在」
なので「ここ」と指し示せるような、目に見える場所には存在していないと考えた方が良いと思います。


まーちゃん
わたしたちの意識、実感としては脳や胸や腹といった場所に共にあるけれど、この3次元の空間に収まりきらない、なにかとても大きな存在が「魂」なのかな? 

ちょっとひととき静かに座り瞑想し、魂に会いにいけたら、、、(- -)

今日もありがとうございました。


マナブー先生もっさん 

ありがとうございました(- -) (- -)





Photo credit: khedmati / Foter / CC BY-NC-SA

問15 宗教とスピリチュアルの違いは何ですか?
答15 社会的立ち位置の違いはあれど、極めれば、本質的なスピリチュアリティ(霊性)を高めるのは共通




   本日の問答記録 (2015年 6月 ヨヨギ某所)





まーちゃん
これは~~~、よくみなさんを悩ます疑問点ですよね。

宗教とスピリチュアルの違いは何ですか?


もっさん
これはさまざまな角度から見て行くのがいいかと思います。

まず、スピリチュアルと宗教の違いをみていくとき、
日本で一般的に語られるスピリチュアルがもつ性格も考える必要がありますよね。
「目にみえないもの」を扱えば「何でもスピリチュアル」とはいっても、内容としては以下のふたつにわけられると思うんです。
ざっくりとですが、

①エーテル体、オーラ、超能力などを扱うジャンル全般をさすスピリチュアル。

②本質的な高みを目指して自身の精神性、スピリチュアリティを高める方向をさすスピリチュアル

このふたパターンです。

この場合、2番目のほうがより宗教と近いと思います。また、②に進む過程で①を感知する感覚が高まる事が多くなる、と言われますね。
もちろん必ずしもそうではない場合もありますが、、、


マナブー先生
そうですね。
日本ではスピリチュアルという言葉が、誰にでも親しみやすい雰囲気で使われて、間口が広がっており、ちょっと混乱が生じている感じがします。

どちらも「スピリチュアリティを高める」という目的においては本来共通で、宗教もスピリチュアルも本質的に同じところへ向かっていると言ってものいいでしょうが、
きちんと精神修行をしている伝統的宗教の多くは②に属しているのに対し、逆にスピリチュアルと言われているものの多くは①の探求に属しているように感じます。


もっさん
スピリチュアルと宗教の違いを別の角度から説明するなら、
ぼくはアンドリュー・ワイル氏の言葉を例に挙げたいと思います。
ワイル氏曰く
「両者は重なりあっている部分も多いけれど、ある何者かに帰依したり、独断的な支持が要求されることが多いのが宗教であり、その信念同士の相違が、宗教対立の原因となっている。わたしが「スピリチュアリティ」という言葉を使うとき、神、なんらかの神格を信じるという意味でもなければ、合理性を犠牲にしてなにかを信じるという意味でもない。非物質・本質的な自己の存在を認め、それにこころを寄せるということにある。」と。

これは、とてもしっくりくる捉え方だな~とぼくは思っていて、この見解だと、宗教はあるゴールを設定していることが多く、②のスピリチュアルの追求は終わりなき本質的なものを求め続けていく姿勢という印象です。


マナブー先生
では、、、、
日本において宗教とスピリチュアルの違いは? 
と言うと

現実的には「社会的なあり方」が大きく違うように思います。
法律で定められた「宗教法人」とは別に、日本で「宗教」として一般に思い浮かべられるものは、この社会の中で認められるかたちで具体的な組織を伴っていると言えるのではないでしょうか。

信じるべき特定の神とか特定の教義、それを維持する社会的集団をもつものが「宗教」という感じですね。


それに対して、スピリチュアルの場合はどうかと言うと、個人的に活動している方とカリスマを中心に営利的な会社組織になっているパターンをよく見かけます。

特徴的なのは、そこに参加している方々で、宗教組織における信者のように強く組織に縛りつけられることないからか、移り気なところもありますし、ときとしてファンタジックな世界観を個人的に楽しんでいる──という印象がわたしにはありますね。
宗教の場合、これもケース・バイ・ケースで様々あり、一括には述べられませんが、それよりはハードに探求されている場合が多いかなと思います。

ただ、今まで続いている伝統的な大宗教も、最初は特別な個人の実践や存在からはじまっているのですから、今の分類から言えば、スピリチュアルからはじまっていると言えますよね。

インドの大聖者であったヴィヴェーカーナンダは、「本当の宗教が真実であるというのは、その創始者が実際神を体験したり実現したということ自体が唯一の証明であり保証であって、それは自分で追体験しなければ確認できない」と述べていたと思います。
つまり信者はそれをひとりひとりが追体験し、それを証明することが求められることになる。創始者のインパクトが大きければ大きいほど、たくさんの人が集まり、組織ができていくことになります。

そういう成立過程を考えると、いまから数百年後に大教団になる宗教が、いま興りつつあっても、現時点ではそれは宗教ではなく、スピリチュアルの方に分類されることになり、スピリチュアルと宗教の線引きがなかなか難しいところも出てきます。。。。

まーちゃん
両者を比較する前に、改めてスピリチュアルジャンルの内部での違いを踏まえると、いままでグレーゾーンだった宗教とスピリチュアルの「違い」や「共通点」、そして密接な「関係」があるところがわかりました~。

極めれば、本質的なスピリチュアリティ(霊性)を高めるのは共通ですね。


マナブー先生

はい、そうあるべきものだと思います。

宗教とスピリチュアルの関係について付け加えるなら、、、

いままで、宗教は主に教育や道徳、倫理観を培う役目が大きかった。社会の生産性が低く、みんなが生きていくにはお互いの協力は不可欠であったし、一般大衆の感情や知性のレベルもいまよりはるかに低かったので、宗教で定められた規範は社会を維持する上でおおいに役に立ってきました。

なので、歴史を見ても、宗教と政治は、不可分であることが多かったわけです。治世者によって改変・悪用されてきたケースも非常に多いですが、宗教が社会を維持するための教育や法律として機能することによって、人類は初めて存続・発展することが可能だったのだと思います。

それによって今日に至り、科学技術の発達とともに生産性が上がったことによって、かつてのように宗教でひとびとをコントロールする必要性が薄れてきました。

「科学」がひとびとに与えた「豊かさ」や「刺激」が、今やわたしたちの大きな関心を占め、「科学のちから=見えるちから」をより正しいと信じるようになりました。
まるで「科学」が歴史的に多くのひとびとが信じてきた「宗教」に取って代ってしまったように思えます。

しかしながら近年の、ますます広がるスピリチュアルムーブメントの勢いに目を向けると、そこには、やはり科学によって捨て去られ失われてしまったスピリチュアリティへの渇望や、科学だけでは解き明かせないものへの興味、既存の宗教的なものだけでは満たされない何か──が、自然とひとびとの心のなかに立ち上がってきているように思えてなりません。

揺り戻しのようなブームがおきているのかも知れませんね。
これもある意味、人類が潜在能力としてもっているバランスをとるちからの現われと言えますし、これぞ「神の導き」ともいえるものなのかもしれません。

まーちゃん
揺り戻し的な流れ、、、はほんとうにある気がします!
現に、わたし自身も「もっとしっかり理解したい。取り組みたい」と思うようになったくらいですから(笑

「宗教」や「スピリチュアル」「神」といった言葉にひとそれぞれ見方にバイヤスがかかっている、というところや、時代や社会とともに扱われ方や捉えられ方も流動的ですよね。

今回、両者の違いをいろんな角度から見るとこで、結果、共通している部分と深いつながりもだいぶ整理されたような気がします。

また10年後には少しづつ違った見解が出てくるかも? 

ありがとうございました(^-^)ノ


マナブー先生もっさん 

今日はありがとうございました(^-^)ノ~~(^-^)ノ~~


Photo credit: Jon Díez Supat / Foter / CC BY-SA
問14 [人生相談] 話が通じない上司、苦手な同僚、使えない後輩、仕事にストレスを感じ転職を考えています。こういうことが多いので転職先にも悩みます。

答14 周りのひとは「気づき」を与えてくれる存在。出会いを大事に「自分がどうあるべきか」にフォーカスしましょう。
ストレス開放には「ありがとう」の言葉と「ラフターヨガ」で大笑い、がおすすめです。




本日の問答記録 (2015年 6月 ヨヨギ某所)




まーちゃん
前回好評でした スピリチュアル人生相談 第2回 です~。

いつもと趣向を変え、質問内容をより具体的に、事前アンケートから抜粋した悩みを質問していきたいかと思います。相談者は30代会社員Kさまです。

「話のわからない上司、苦手な同僚、使えない後輩。。。。仕事もやりがい無いし、出社するたびにストレスを感じます。いま転職も考えているのですが、今までも転職するたびそういうことが結構あって、転職先をどう決めたらいいのでしょう」



もっさんからの回答
転職するたびにそういうことがあるということですが──
お話聞いたかぎり、それは確かにそうなるだろうなぁと思いました。

ひとことで言えば、あたな自身が周りのひとや周りの環境せいにして「変わろうとしていない」から同じ状況が繰りかえされているのです。

相談者さんのまわりにいるひとびとはどんな存在だと思いますか? いじわるなひとでしょうか? 悪者でしょうか? 
スピリチュアルな視点に立って考えたとき、
周りにいるひとはどんなひとでも、良い悪いの区別はなく、誰もが自分に「気づき」を与えてくれる貴重な存在と考えます。
ましてや上司や同僚、話す相手もあなたと同じ人生の「成長過程」です。
周りの成長を待つばかりではこの問題は解決しません。


視点を変え、周りは自分に必要な気づきをあたえてくれるものだと思い、謙虚に受けとめ、前に進むことをしないと状況は変わらないのでは。。

嫌な上司の話を聞くとき、あなた自身がしっかり話を聞けたのか、話を理解する努力したのか。。。
苦手な同僚が自身の痛いところをついてくるなら、それは改善すべき点なのかも。。。
使えない後輩はあなたの指導力をより高めるために、そばにいてくれる役。。。

今回こんなに厳しい言い方をするのは、それは、ぼく自身が過去に相談者さんと同じように考えていた時期があり、同じような日々を送っていたから、切実に分かるからなんです。

「自分に合わない」と周りを否定し、「自分に合うもの」を探しをし続けては周囲とぶつかって──そんなことを繰り返して、結局辿りついた答えは「自分がどうあるべきか」の大事さでした。「誰かのせい」ではありませんでした。
相談者さんにも、転職云々の前に、ぜひそこに気がついてほしいのです。


仏教の言葉で「対面同席五百生(たいめんせきごひゃくしょう)」というのがあるんです。
これは、いま出会うひとたちは、どんなささいな出会いでも、嬉しい出会いでも、気に喰わない出会いでも、会うまで過去性(前世)500回くらいは出会い関わりを持っている、、、という意味の言葉です。
そのご縁はすごいですよね。誰でもご縁あっての出会いなんです。
そう思うとどんなひとも大事に思えませんか?

がらりと考え方を変えるのは難しくても「新しい視点」を取り入れることは今日からできます。その試み自体が、自分のスピリチュアリティを高めてくれますし、自身のスピリチュアリティが高まるということは、いろんな苦しさから開放される第1歩です。
きっと、日々の「幸せ度」もぐぐっと高まります!!(笑顔


あと付け加えるなら、スピリチュアリティの世界でよく言われることに、苦手なものからただ逃げ続けていると、問題がより大きなかたちでやってくる、というのがあります。

問題が小波のとき、「いまのうち」に乗り越えておいたほうが実は「楽」だとぼくは思います。


マナブー先生からの回答
そうですね、嫌なことが一回きりなら相手の問題もある──と思います。
けれど何度も同じ状況が繰り返しおこるなら、それは「本人への課題」もつきつけられているんでしょう。

そうなったら、逃げ回ってもしょうがない。
状況を課題として受け入れる。
受け入れるために自分の意識を変える。
やはりもっさんの意見と同じく、なにか自分を変える必要があると思います。

では自分の意識を変える簡単な方法はあるでしょうか? 
現実的にはどうしたらいいでしょう?

たとえばピアノの演奏が素晴らしい方がいるとします。でもいざ人前でひくとなると、どうにも上がって緊張して練習通りにいかない。毎回この繰り返し。
この緊張癖の始まりは、実は過去に人前で演奏して一回失敗した苦い経験が、彼女の肉体に記憶として残ってしまっているからだったりするのです。「人前に出る」という同じ状況になると、失敗したときと同じく「ぎゅっと緊張した筋肉状態」が再現され、気がつかないうちに呼吸も上がり、緊張度も急上昇。結果リラックスできず、また失敗を繰り返すという習慣にはまっていきます。
 
これを今回の相談者さんのケースに当てはめてみると、以前にあった嫌な状況を身体が覚えていて、同じような状況になると毎回緊張→同じように周りに反応している可能性があります。そもそもの要因はわかりませんが、この習慣化した「繰り返す状況」は、転職したところで変わらないでしょう。
そんなときは、わたしは「外側からのアプローチ」ボディへのアプローチでそのストレスを開放し意識を変えることをおすすめします。


「キネシオロジー」と呼ばれるものを応用した専門的な方法もありますが、
わたしが気に入っていて、いつでも誰でも手軽にできるいい開放方法だな、と思っているものを2つご紹介しましょう。

ひとつめは、割りとよく知られていますが、「ありがとう」と言い続ける方法。
もうちょっと発展させたのがハワイから伝わった「ホ・オポノポノ」ですね。

もうひとつは、これも最近急激に広まっているのでご存知の方も多いと思いますが、
ラフターヨガ(笑いヨガ)http://laughteryoga.jp/」です。
(注釈:1995年にインドの医師マダン・カタリアと、ヨガの熟練者である奥様、マヂュリー・カタリアが公園で始めた運動で今日、世界73カ国以上に伝播し活動をおこなっているものです。)

これは「ワハハッ」とお腹の底からの笑いと呼吸法を組み合わせてエクササイズおこなっていく、ちょっと変わったヨガ。
でも、意外とヨガの本質を突いています。

グループで身体を軽く動かしながら、気は乗らなくても、ひきつりながらでも、まず外側から笑顔をつくる。そうすると、エクササイズの経過とともに気がつけばにこにこ、自然と笑顔がわき上がって、心が明るくなるのです。

これはわたしも実践して、効果的だ! と実感しました。
怒りや思い通りにならない辛さなどを抱えた状況、このままいったらネガティブな方向へ転がりそうになるときに、無理でも笑い飛ばせばストレスが軽減し、「意識のベクトル変換」が可能になる。

ラフターヨガをさらに日常レベルで実践するなら、
まずは「笑顔づくり」です。
苦手な相手にも無理矢理でも笑顔で接してみるのをおすすめします。

笑顔で話しをしてみたら、、、、なにか変わるかも知れません!


まーちゃん
ふむふむ~! どちらも先生方の実体験からの具体的な解決策。
程度の差はあれど、誰にでもある人間関係の苦手意識へのアプローチに
とっても役立ちそうです。

今日はありがとうございました。にっこり(‐^▽^‐)


マナブー先生もっさん 
ありがとうございました♪ にっこり(=⌒▽⌒=)(‐^▽^‐)


Photo credit: Leo Reynolds / Foter / CC BY-NC-SA

問13  一体なにが「ヒーリング」?
答13  エソテリック・ヒーリングから紐解きましょう!




本日の問答記録 (2015年 5月 ヨヨギ某所)





まーちゃん
前回ヒーリングという多岐にわたるテーマを、エソテリック・ヒーリング(秘教治療 ひきょうちりょう)と、エクソテリック・ヒーリング(顕教治療 けんぎょうちりょう)のふたつにわけ、
まずわたしたちが考えるいわゆる通常のヒーリング「エクソテリック・ヒーリング(顕教治療)」から解説していきました。

今回はいよいよエソテリック・ヒーリング(秘教治療)です。

これはマナブー先生が長年研究し解説されてきたヒーリングですね?


マナブー先生
はい、そうです。(笑顔

今、通年のエソテリック・ヒーリング連続講座(東京)も開催していて、読者の中には現在勉強をされている方や、なんとなくしか知らないけど興味ある、なんて方もいるかな? とも思うので、、、、
以前からエソテリック・ヒーリングの学びを深めている、ちょっと先輩でもあるもっさんから、
今回は、よりみなさんに身近なものとして「エソテリック・ヒーリング」がどんなヒーリングなのか説明してもらいましょう。

もっさん
マナブー先生を前に、ちょっと緊張しますが(汗
ではぼくなりの言葉で、紹介させていただきますね。

ぼくは、エソテリック・ヒーリングとはまず、ヒーラーとクライアントがともに自分の本質と繋がり「自分が何者か」を知るプロセスを大事にする治療と言えるんじゃないか、と思っています。

クライアントが本来の自分は「魂そのもの」であると気づけば、ご自身の心が浄化されてきれいになって、低級なストレス物質(ストレッサー)にも影響を受けにくくなります。


現実的にそりが合わない相手に対しても、あいつむかつく! なんてイライラすることが少なくなくなってくるでしょう。
日常のストレスが減る→免疫力の活性化→ご自身が抱える病いがよくなる という可能性はぐっと高まるはず。

つまり、どんな治療かといえば、本質的な人生の質を高めていくのが「エソテリック・ヒーリング」と言えます。

言い方を変えると「病気そのものの治癒には直接的にはこだわらない」という側面もあります。
それを聞くとびっくりされる方もいるかもしれませんが、ただ命を長らえるのではなく、そのひとの人生そのものの質、幸せ感、充実度を高めるヒーリングです。
魂と繋がり、心が清らかに浄化されていく「癒し」を目指していくので、その過程で、この人生の行く末に関わらずクライアントはとても「生きやすく」なっていきます。
ヒーラーとクライアントがお互いに人生の質を高め合えれば、それは真に幸せですよね。


まーちゃん
魂のヒーリング。とても深い内容ですね。

でも、ちょっとすぐにはピンとこないのですが、
実際、エソテリック・ヒーリングではどんな事が行われるのでしょうか?


もっさん
すごく身近な例だと、、、、
たとえばあるひとが、マザーテレサのお話やガンジーの話を聞いて心が洗われたと感じたり、人生を変えよう、いいことしよう! と思ったら、それこそエソテリック・ヒーリングとでも言えることが起こっていると思うんです。

聴き手はこのとき「エソテリック・ヒーリング」を受け取っている状態。受動的なエソテリック・ヒーリングです。
そしてそこで感じた気持ちを聴き手の方が、その後も維持していけたら、そのひとのスピリチュアリティは高くなるし、ひいては人生の質も変化すると思うんですよね。

より主体的な例というと「瞑想」です。瞑想をして自分の本質に気づき、魂と繋がっていくのは、まさに自分自身によるエソテリック・ヒーリングです。

つまり、エソテリック・ヒーリングには、クライアントが受動的に受け取る場合とクライアント自身がより主体的に取り組むものとがあると言えますね。


まーちゃん
なるほど。。。
どうもクライアント本人の「意識」もエソテリック・ヒーリングには大事な感じがします。
こういった場合もヒーラー側から、本人のもつ「自然治癒力」みたいなものが引き出されるのでしょうか?

マナブー先生
秘教の立場から言うと、自然治癒力というのは、すくなくとも2種類に分けて考えた方が良いとされています。

ひとつめはいわゆる「自然治癒力」とされているものの多く。文字通り「自然のもつ治癒力」と言ってよいものです。
これは、肉体自体を本来あるべき状態に近づけていく力で、自然界に存在するすべての生命に備わっている力です。
たとえば、普段はほとんど接触することのなくなった自然と触れ合ったり、人工的なストレスから解放さると、自然に発動してこころや身体を元気にします。

そしてもうひとつ──人間には動物や植物はもっていない、とても強力な自然治癒力がある、と秘教では語られています。
それは、魂のもつ霊的な癒しの力です。
後者のほうをもう少し詳しく説明しましょう。

あらゆる生命は、霊と物質という2つの要素が一体になった形で、存在しています。
先の自然治癒力が人間の物質的な層、つまり「肉体に直接働きかける自然治癒力」であるのに対して、後者は「霊的な自然治癒力」と言えるもので、それが結果として、時に肉体においても非常に強力な自然治癒力を引き起こします。

歴史の上では、イエスがなした「奇跡の癒し」などが、その治癒力を使ったものだと考えられますね。
あるプロセスを通じて患者に霊的なエネルギーが流れ、それによって本人の霊的な成長が進むのです。

肉体に奇跡的な治癒がおこり、なおかつ霊的な成長を助けることもできる・・・ヒーラーやセラピストの方でしたら、「そんなことができるように私もなりたい」と思われることでしょう。

この特別な癒しの業は、イエスのように自分自身が「本来の自分である霊的な源」としっかりとつながったときにだけにおこるヒーリングです。
そうありたいと思うのであれば、日常生活から自分自身の霊性を高める努力をする、その上で瞑想をする
──そうしていくことによって「魂」とのつながりを強めていくしかありません。

自分の執着をすて、低位の欲求や欲望を捨て去っていくことは、ときに苦痛を伴いますが、それらを手放したときの報酬は、はるかに大きいものだと言われています。

これは頭では理解する人が増えてきていると思いますが、実践を通してでしか、本当には理解できないものですよね。
ですから、エソテリック・ヒーリングの探求は、本格的なスピリチュアル探求の道と、同じものだとも言えると思います。



まーちゃん
2回にわたるヒーリングの世界。まだまだ知らないこと、知りたいことがたくさんありますね。

奇跡的治癒、魂とのつながり、、、、
「エソテリック・ヒーリング」(下記に追記あり)は学びがいがありそうです。

では今日はありがとうございました。
(^-^)


マナブー先生もっさん 
ありがとうございました♪ (^-^)~(^-^)~


追記:
6/21(日)7/11(土)7/18(土)に開催「エソテリック・ヒーリング」講座の情報がUPされました。↓

http://holiken.net/?mode=cate&cbid=1952629&csid=0&sort=n

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