スペシャリスト

ロボットアーム操作で宇宙に行った若田宇宙飛行士のように、

ある分野に特化した者を指す


もしくは、純血のインファイター幕之内一歩のような。
もしくは、スッポンディフェンスの一之倉聡のような。


愚直とも思えるほどの反復練習のみが、優秀なスペシャリストを養成する。


彼らのような人々をかっこいいと思う。
それは、私がジェネラリストだということではない。

何でも器用にこなしてしまう人というのは、どこの世界にも必ずいるようで。
何でも出来たほうが得だし、楽しいだろう。

彼らのような人々を羨ましく思う。

だが、現在のキャリアプランニングという考え方では、

T字型人間が理想とされているようだ。

つまり、自分の専門を極めた上で関連分野に派生していくということである。

確かに、自分の専門もままならないままに様々な物事に手を出しても、

結局は中途半端になるのかもしれない。


だったら、今は自分の好きなことに邁進したい。
いろいろな物事に手を出すのは、それからでも遅くない。
ただ心のままに、1つのことだけを追い求めたい。

私のように不器用な人間は、なおさらそうすべきだと思える。


日本史の先生の言葉が胸に染みる・・・
道を極めることを『極道』というならば、私は『極道』になりたい。
チンピラは、そろそろ卒業したい。

たとえそれが、鬼畜道であろうとも。


[今回の参考文献]


はじめの一歩―The fighting! (74)/森川 ジョージ

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7つの大罪を知っているだろうか?

大食(Gluttony)・強欲(Greed)・怠惰(Sloth)肉欲(Lust)


高慢(Pride)・嫉妬(Envy)・憤怒(Wrath)  

の7つである。


冬は7つの大罪を犯してしまうのだ。

冬は美味いものが多い。ついつい食べ過ぎてしまう。
これは「大食」の罪に該当する。

1月4日は私の誕生日である。
この日は、私の物欲が最大限に発揮される日だ。
これは「強欲」の罪に該当する。

冬は、コタツでミカンを食べながらTVを見るのが最高だ。
これは「怠惰」の罪に該当する。

冬は女性の柔らかい肌に身を委ね、温もりを感じていたい。
そして風俗に行ってしまう。
これは「肉欲」の罪に該当する。

冬は地元の友達に会うことが多い。
私は友達に対し、ついつい見栄を張ってしまうことが多い。
そして、大成した友達を羨ましく思ってしまう。
これは「高慢」と「嫉妬」の罪に該当する。

そんな自分を腹立たしく思うことがある。
これは「憤怒」の罪に該当する。

しかし、こんな私は冬に自分の本能を解放し、最大限の自由を楽しんでいる。

冬という季節は、人間の希望や欲望が露になる季節なのかもしれない。


[今回の参考文献]


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学食をよく利用する。

学食は安くて栄養素のバランスがいいので、男性の一人暮らしには心強い味方となる。

うちの大学の学食メニューには、「
西郊の森(さいこうのもり)」というものがある。


西郊の森


ちなみに400円だ。

「西郊の森」の食券を購入し、カウンターに出すと、学食のおばちゃんが飯を出してくれる。

その際、おばちゃんの中に
西郊ですか?」とたまに聞いてくる人がいる。
食券を出しているのだから、わざわざ聞いてくる意味がわからないが西郊ですと答える。

この会話は、平仮名変換するとさいこうですか?さいこうですというものになる。

勘のいい人は、すでにお気づきかもしれない。

そう、イントネーションこそ違うが、この会話をはたから聞いていると、

最高ですか?」、「最高ですとなってしまう。


これでは、かつての某宗教集団の教祖と信者の会話に聞こえてしまうのだ。

学食で怪しい会話が行われているという事実・・・


意識しないで使う言葉には、いつも危険が付き纏う。

現在、私の大学では学生と教員の質的向上を目指しハッピーを共有しようという、

ふざけたプロジェクトが進行中である。

文部科学省の認証評価制度 というものが原因らしく、

このままでは、大学側が文部科学省の評価に耐えうるものにならない

と判断したための苦肉の策だと思われる。

これは、学生側の授業態度、教員側の教育方法、

そして設備などの環境改善を目指しているらしい。

どうやら、大学側は学生の学力低下を懸念しているらしいのだ。


まぁ、そんなことはどうでもいいのだ!



そもそも大学とは研究機関のはずで、教育機関ではない。
つまり、大学に教育を望むのは間違っているのではないか。

それに、もともと勉強が嫌いとか勉強に興味がない人に

「授業で眠るな!携帯電話を使うな!私語を慎め!」などと言っても無駄な話である。


人間、眠いときは眠るし、話したいときは話すものだ。


そして人間は、興味のあること好きなことには全精力を傾ける。

そういうことには熱心だし真剣でもある。
就職活動を見ていれば一目瞭然だろう。
自分の将来がかかっていることに真剣にならない者は、あまりいない。

授業環境を改善したいなどというのは、

学生の真剣さを生かせない大学側や教員の自分勝手な言い分なのではないか。


従来の注入主義では、限界に来ているのかもしれない。

だが、ゆとり教育とやらも頓挫している状況で、どうしたらいいのだろうか?


状況主義の徹底

メンター制度の導入

e-Lerningの効果的な使用

学習支援のための相談室の開設 


などを安易に企画し、大学改革を推し進めても失敗することは目に見えている。


なぜなら、費用・設備・人材・成績評価・権力争いなど、

大学には非常に多くのしがらみや制約があり、

改革をするにも膨大な労力と時間を要するからである。


多くの教育関係の研究者が声高に大学改革を叫ぶ一方で、

誰も具体的な策を提出しないのには、このような理由がある。


結局のところ、大学改革は難しいという結論に至る。

無力な私は、いつも途方に暮れるのである。



[今回の参考文献]

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「学び」を問いつづけて―授業改革の原点/佐伯 胖
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認知的道具のデザイン/加藤 浩
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バレーボール


それは、9m四方のコートにすべてをかけるスポーツ。
自陣のコートにいかにボールを落とさず、

敵陣のコートにいかにボールを落とすかを競うスポーツ。

質量のあるものには必ず重力が働くが、プレーヤーは重力に引っ張られるボールを拾い、

重力を振り切ってより高く飛ばなくてはならない。

つまり、いかに物理法則に逆らうかである。


ところで、バレーボールは身長が高い方が有利である。
じゃあ、なんで「身長別」がないのでしょうか?

格闘技には「体重別」ってあるじゃない。
体重が重い人が体重の軽い人を殴ったら不公平だからね。

ほとんどのスポーツには「男女別」ってあるじゃない。
男と女じゃ筋力や身体能力に差があるからね。

確かに、身長2mの選手が多いNBAの中で170cm台の人が活躍してたら盛り上がるよ。
確かに、「ドリブルこそチビの生きる道」かもしれないよ。

でも、だからといってバレーとかバスケで

身長190cmの人と160cmの人が同じコートに立つのは不公平じゃないのでしょうか?


簡単にブロックされちゃうよ!

むしろネットからあまり手が出ないよ!


見下されるよ!

2m40cmのネットは高すぎるよ!


ジェリコの壁だよ!またはATフィールドだよ!


などと、バレーを5年間もやってた私が言ってみたりして。


[今回の参考文献]


スラムダンク (29)/井上 雄彦

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