2008年7月アメバのブログから
雨の日、土曜日の放課後
2008年7月アメバのブログから
雨の日、土曜日の放課後
■ 2002/07/07 (Sun) 横濱俳句倶楽部ほのぼのとから
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宇宙関連機器メーカーのIHIエアロスペースというところが
宇宙開発事業団の協力を得て、
国際宇宙ステーションを利用した
衛星メール配信サービス「スターアニバーサリー」
「スターダイアリー」を開始するそうだ。
これ以上の詳しいことは何処かに聞いて下さい。
今日は七夕。
織姫と牽牛が天の川に橋をかけて再会する日。
天の川といって思い出すのは、川端康成の「雪国」
駒子の「天の川、きれいね」という言葉に
やがて訪れる不毛の愛の終局を感じさせる。
そして、松尾芭蕉は
「荒海や佐渡に横たふ天河」と書いている。
要するに、天の川が一番美しいのは
冬の厳しい空なのだ。
しかし、芭蕉の句は天河を主として
秋の句となっている。
秋に海は荒れるのだろうか。
一説には横たわっているのは
佐渡を表すと取る者もあるそうだ。
全ては、句を詠んだ本人にしか解らないことだ。
今の空の様子からだと
もしかすると天の川が望めるかもしれない。
星は多くの伝説と、ロマンを伝えてくれる。
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中国の文化では7月7日は牽牛と織女の出会いから
恋人の日になるそうだ
7月7日に恋人同士がものを送り合う日だそうで
香港のInstagramも贈り合うものの商戦が賑やかで
商戦と言えば、二年前の七月
当時はまだどこにも所属していなかったと思うが
今、Numberiとして活躍している
平野紫耀君の画像がその商戦の
品物のモデルとして
使われていて驚いたことを思い出した
ドラえもんでもちいかわでも、悟空でも
ピカチュウでも載せてしまうInstagramだから
当人の許可を得ているのかは謎だが
当時、彼については日本のメディアより
香港のInstagramの方が詳しく語り
多くのInstagramを読み解くと
どうも彼の訴求力とタレント性に対する期待感で
出来れば香港に来て活躍して欲しい、というのが
全てのサイトの同意見のようだった
中には公式の観光協会のInstagramまで
当時の彼に対する日本のネット上での
冷たい記事を読むたびに
彼は日本を厭にならないだろうかと思い
娘から見せられたバラエティの録画を観て
彼の身体能力を思うと
ジャッキーチェンのような
グローバルな世界に行くのも楽しみだと言って
娘に叱られたことも懐かしいが
実際の話、今でも私は
彼が香港で、そしてその先の
ハリウッドで活躍しないかな
と密かに思っている
当の彼があの頃
星にどんな願いをしていたのかは
分からないが
彼らの軌跡を見ていると
着実に自分自身の描いた道を歩いているようで
だがしかし、敵も然るもの、ではないが
香港のInstagramの運営の人達は
彼の動向を常に追いかけ
日本でのライブや海外での活躍の場から
生中継に近い状況で発信している訳で
その熱量は日本のメディアの比ではなく
願えば叶う、
ということもあるからなと思ったりして
また娘に叱られそうだ
そう言えば今年は平成7年
今日は7月7日
7の数字が3つ並ぶ年であり
乙(きのと)の巳の日であり
五星三心という占いでは
1953年、乙巳年生まれの人は
銀の羅針盤座という解放の年として
最高の運気を呼び寄せるそうなので
今日のブログを読んでくださった方にも
たぶん、おそらく
何かいいことがあると思います
というか
いいことが有るように祈ります
■ 2002/07/06 (Sat) 会社のHPの管理人室の文章から
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今日は
天明三年(1783年)7月、浅間山が大噴火をした日。
史実によると
同時期に起こった北欧ラキ山の噴火と相俟って
世界の気象に影響を及ぼし
天明の大飢饉はおろか
間接的にはフランス革命の原因にさえなった
と言われるほど大規模な噴火であったそうだ。
そのとき、鎌原村というところでは
生き残った者同士が集まり、一つの家族を構成したという。
夫を亡くした妻は生き残った男性を
子供を亡くした親は、親を亡くした子供を引き取って、と。
そして、そのことにより
立ち直る力も大変勝っていたそうだ。
家族を亡くしたものが、互いに寄り添いあう。
壷井栄の「母のない子と子のない母と」も
同様な、小豆島の小さな村を舞台に
戦争で一人息子をなくした母、おとら小母さんと
母を亡くした二人の兄弟のお話だ。
筋書きはさもないけれど、とても心の温まる小説だ。
人の心の痛みを知る。
言葉にすると安易に思えるが、やはり難しいものだと思う。
家族を失くしたものの悲しみは
同じように家族を亡くしたものでなければ解らないのだろう。
家族とは、そこに血縁が無くとも
心の痛みを持って寄り添えば成立するものなのかもしれない。
もしかすると、その繋がりの方が絆が強いのかも知れない。
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外国のInstagramに、
普通の生活をしている日本の様子を載せ
crazyとコメントしているものが有って
何事かと思ったら
過去のアニメの中での予知夢に由来して
昨日、日本に巨大な津波が襲うとされていたとか
海外のみならず、日本の、テレビに出ている
大人と言われる年代の人までそれに言及して
実に不躾な表現であることを承知で言えば
インターネットを駆使出来るほどの
大の大人が
何を考えているのだろうと思った
科学の進歩の最たる世界に居ながら
科学的根拠もない世界の話を
衆人環視というテレビの画面に向かい議論する
挙句新聞記者は
政府にまでその正誤について見解を求める
しかし一方で日本のアニメの普及率というものに
改めて感心した
日本のアニメの歴史は1917年に
三人の作者が同時に発表したものが始まりなのだとか
テレビアニメとしては1963年の鉄腕アトム
同時期にシャンプやマガジンという
アニメ雑誌が創刊され
ところが外国では
日本のアニメに対する保護の脆弱さに
著作権などを無視して
極似した内容のアニメ映画を作ったり
内容はそのままに
セリフだけ自国の言葉に替えた雑誌を発行したりと
まるで柵の無いため作物が取り放題にされている
そんな感じで有り
因みにここ数年
アジア圏の国々の人によって紹介される
1980年代の思い出の品物には
ほぼ100%近く日本のアニメのキャラクターや
アニメ自体が存在している
しかし、日本では
子どもの頃からアニメに親しんだ人が
大人になって電車の中や公共の場
でアニメ雑誌を読むようになり
テレビの中の知識人により
一億総白○化と揶揄されるようになったために
ある程度は訴えても
自分を大人と認識している人にとっては
アニメごときであり
それに価値を見出すということを
良しとしない風潮が有った
アニメの権利を主張するのか逆に恥ずかしいという
それを覆したのは
自身もゴルゴという雑誌を愛読する政治家
日本のアニメの著作権保護と宣伝を持って
バブル崩壊後の日本の経済立て直しを目指した
しかし、テレビの中の大人は挙って軽蔑し
結局最短に近い形でその活動の場は奪われた
それでもそれなりの成果は有ったようで
今、日本のアニメ産業は一つの分野を確立して
アニメから派生したコスプレ、アニメソングと
その市場は大きく膨らんでいる
ある意味一点集中型の
政治家で有ったのだろうと思うが
昨今の政治家を見ていると、
日本の経済をよくするために
これだけは譲れないという
その一点さえ持ち得ていないように思える
たぶん、こうしたいという信念などなく
こうありたいという思いで
それが適ってしまったので
何をしたらよいのか分からないのかもしれない
兎も角も
地震国日本で暮らす限りは、常日頃から
頭のどこかでそれを想定して生きていくことが
大事なのかもしれない
そして災害に遭ったら
まず近くにいる人たちと協力して
その災害を乗り越えていくことが必要なのだと思う
テレビやネットの中の大人は
他人の予知夢で不安を煽るよりも
起きた時にはどんな対処をするべきかを
論じ続けるべきだと思う
正に、備えあれば憂いなしであり
日本で生まれ、日本で暮らすという
そんな縁で繋がる人達が一緒に頑張れば
どんな困難も乗り越えられそうな気がする
一人だけど独りではない
は、日本のアニメ、ポケモンのセリフだったかな