ミナミのブログ -23ページ目

ミナミのブログ

のんびり、、まったり

■ 2002/07/11 (Thu)YAHOOのブログから 

 

Shall we dance

 

When I am dead and buried, on my tombstone I would like to have it written, "I have arrived." Because when you feel that you have arrived, you are dead.

シャムの国の王様と、イギリスからやってきた家庭教師の物語。

封建的な王様の考えを、進歩的な家庭教師が変えて行く。

題名は「アンナとシャム王」

1944年のこと。

これは、実際に存在したイギリス人女性

アンナ・リオノウェンズの記録をもとに作られた

著書だそうだ。

やがてそれは映画化され

その映画をもとにして出来たのが

ミュージカル「王様と私」

スキンヘッドの王様を演じたのは

1920年の今日

サハリンで生まれた男、ユル・ブリンナー。

それはやがて映画になり、

“Shall we dance”という名曲を作った。

冒頭はその彼の言葉

やっと辿り着いた。。

 

友人の墓にそう言って行かないようにしようと思う。

Shall we dance、は

踊りませんか、ではなく

踊りましょう、なのだ。

常に前向きに。

 

============================

 

冒頭の英語を直訳すると

 

私が死んで埋められたとき

私の墓石には「私は到達した」と書かれていたい。

なぜなら、あなたが到達した

と感じるときあなたは死んでいるからです。

 

となる

 

人生に満足したとき

そこで終わり

ということなのだと私は解釈した

 

読み返して改めて気が付いたのだが

サハリンは日本とロシアの境にあり

国際法上で行けば

明治以降日本の領土ということになる

 

ということは、適正な形であれば

彼は日本国で生まれた人ということになるのだと

 

尚且つ、日本の年号でいえば大正九年

 

奇しくもというほどのこともないが

母と同じ年の生まれ

 

それを知って

不思議な親しみが湧いて来た

 

そしてまた、大陸においての祖国というものの

危うさを垣間見たようにも思えた

 

しかし島国単体民族の日本でも

 

室生犀星の抒情小曲集の

小景異常情その二に

 

ふるさとは遠方にありて思ふもの

そして悲しくうたふもの

よしやうらぶれて異土のかたいとなるとても

かえるところにあるまじや

 

という詩が有り

 

江戸時代の僧は

 

人間到処有青山

 

と遺している

 

国境とか、支配とか、そんなものだけではなく

人や動物との愛別離苦、天変地異も含めて

地球の上で生きていること自体が

長い旅なのだろうと思う

 

何処で死ぬか、ではなく、どう生きるか

 

確かに生きているものは全て

百%の確率で死ねるのだから

そんなことを考えて生きることは

時間の無駄なのだろう

 

小学一年で死亡宣告されて

小学四年で二十歳迄生きればいいと思えと言われ

再発したらそこで終わりと言われ

 

その二十歳など、とおに通り越しているのだから

医者の言うこともそれ程あてにはならない

 

人生は

踊りませんか、より、踊りましょう、の方が

ずっと楽しくもある

 

 

 

 

 

■ 2002/07/10 (Wed)YAHOOブログから  

 

 

いつも同じ時間に自転車でそのおじさんはやってくる。

茶色いジャンパーを着たおじさんは、納豆、と一言

 

無愛想な顔をして、自転車を引いて歩いていく。

売っているのは

白い経木に、赤い鶏の絵が書かれている、三角の納豆。

こげ茶色の木の台の抽斗には

それぞれ、刻まれた葱と、辛子と、青海苔が入っている。

引き売り。

そういえば、籠に花を入れて売り歩くおばさんもいた。

それから、金魚を入れた盥を天秤棒で担いでくるおじさん。

天秤棒には風鈴もぶら下がっていた。

鐘を鳴らしてやってくるくずやさんの秤で、いろいろなものを測らせてもらったこともあった。

トラックいっぱい、積みきれないほどの日用雑貨を積んでくる人。

リヤカーで野菜を積んでくる人。

お豆腐やさんも暢気に笛を吹きながらやって来た。

あの人たちは一体何処から来ていたのだろうか。そして何処に行ってしまったのだろうか。

昭和の時代と一緒に消えてしまったのかな。

 

関西納豆工業組合では1992年に

なながつとおか、の今日を納豆の日と定めたそうだ

 

==========================

昔、宇宙人のイラストは

頭と目が大きく、耳が無く

細い顎に小さな口

 

そんな形だった

 

知識が豊富で、多くのモノを見て

しかし誰かの言葉を聞くこともなく

誰かと会話することもない

それが宇宙人の顔

 

嘗ては人と人とが対面して、言葉を交わして

食べ物の売り買いをしていたが

今はスーパーやコンビニで棚から選んでカゴに入れ

レジに行き、計算して貰ってお金を払い

 

時にはセルフレジで

一言も会話せずに店を出ることもあり

 

いらっしゃいませも、ありがとうこざいますも

こちそうさまも、不要 中には強制されたくない

そんな人もいて

 

嘗てはなるべく長持ちする固いお菓子を食べていたが

今は殆ど力の要らない食べ物で、顎もシャープになり

 

過去の宇宙人は

ある意味日本人の未来予想図だったのだろうか

そんなふうに思うことが有り

 

そう言えば最近、相手が一体何を言いたいのか

分からないことが多くあって

 

完全に先方の問題なのに、何故かその解決策を

利用者側に求めて来る

そんな問題に直面している

 

問題は簡単な話で

自社の社員の意見を大切にしたい

それだけなのに

とても大きな問題を創り出して

その解決策を丸投げしてくるという

 

起きてもいない問題を解決出来る人間など、、

 

宇宙人であれば出来るのだろうか

 

謎だ

 

そう言えば一月十日は い、と、ということで

糸引き納豆の日というらしいが

甘納豆とか乾燥納豆でない

単なる納豆は

どれも糸を引くと思うのだが

 

昭和の時代に成長した人間にはいろいろと

分からないことの多い時代になったみたいだ

 

■ 2002/07/09 (Tue)会社のHPの管理人室の文章から  

 

町内会のバス旅行で向かったのは

出来たばかりの遊園地

何もかも新しくて

観覧車は青い空の中で、きらきらと周って
 

入り口では

イギリスの兵隊さんの格好をしたパレードが出迎えてくれた

ジャングル探検の船に乗ると

鰐が現われて

生まれてはじめて見る光景は、驚きの連続だった

そこに

日本一のジェットコースターが設置されるということで

我が社もタイル工事を行った。

工事が始まり、試運転が始まったとき

担当の者は嫌な予感がしたという。

最初は

砂袋を乗せたコースターが、ゆっくりとホームを出発した。。。

と、回転した辺りから

その砂袋が、鈍い音を立てて地上に落ちて来たのだそうだ。

やがて、ゆっくりホームに入ってきたコースター。

やっぱり人間じゃないとダメでしょう。

と、設計者の言葉。

では、皆さん乗ってください。


まさか逃げ出すわけには行かないでしょ。
乗りましたよ。

でも、もう、前なんか見えなかったよ。

目、ぎゅって瞑って。

それで、監督の顔、ちらっと見たら、真っ青になってた。

それ見たら、生きて還れないかと。。

…ということだったそうだ。

そんな彼らの捨て身の協力を得て動き出した

シャトルルーフも

今年二月、その、ドリームランドの閉園で

永遠の眠りについてしまった。

今日は1955(昭和30)年のこの日開園した

後楽園遊園地に

日本初の本格的なジェットコースターが設置された日で

ジェットコースターの日なのだそうだ。

夢というものは儚く消えてしまうものだが。。

====================================

ドリームランドという名の遊園地は

今は大学のキャンパスになり

高層マンションの街にもなっている

 

唯一当時の面影が有るのは

大学の敷地内になる、横浜市で一番高かった

ホテルエンパイヤ

 

大学の施設になっているそうだが

高い場所にある高い建物として

状況が合えばかなり遠くからも望めたりする

 

当時、遊園地と言えば野毛山動物園の隣に

大きなプールと

映画、第三の男に出て来るような観覧車と

ポールに繋がってクルクル回る飛行機とがあり

プールが貯水地になり

辛うじて飛行機だけが印象に有る

そんな遊園地で

 

町内会の会長さんの提案で

町内から母と妹と町内会の人達と

観光バスで行ったときの驚きと感動は

たぶん、大人になって

ディズニーランドを始めてみた時よりも

ずっと大きと思う

 

自分自身の子ども時代の風景

夫と二人で観た外苑の映画館での寅さん

鄙びた感じの土産店街

子どもの成長に合わせて乗ったアトラクション

少し洒落たスーパー

 

今でも鮮やかに思い出せる

 

夢は儚いものだけど

心に残る思い出の色が褪せることは無い

 

子どもの頃、若い頃覚えた感動

 

生きていく中で

それは大きな原動力になっているのかもしれない