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ミナミのブログ

のんびり、、まったり

■ 2002/07/14 (Sun) 会社のHPの管理人室の文章から 

 

三十年ほど前

磯子の検疫所から河馬が逃げたことがあった。

悠長に掘割を泳いでいたそうだ。

昔々、私のおじ達は港の仕事をしていた。

ある時、珈琲豆を入荷し

それを、所謂抜け荷したことがあるそうだ。

まあ、当人は既に,去年の人なので

罪の云々を語る必要もないかと思うのですが。

山下橋の袂の、ふ頭の入り口に

かつては税関があったそうだ。

そこを荷馬車で通るとき

荷物の検査をした職員は、そのコーヒー豆を見つけて、、

それは何か、と訪ねた。

すると、件のおじは

大豆が腐ったんですよ。これから処分に行くんです。

職員は、そうか、ご苦労、と言ったとか。

そんな、腐った豆の方が危険でしょう、

とは、今の時代のこと。

その頃は、時計の針の進みも、

違っていたのかも知れない。



ゆっくり歩けば遠くまで行ける

これはかつて露西亜と呼ばれた国の諺だそうだ。

同じ国の中に亜細亜と欧羅巴の分岐点を持つ国らしい言葉だ。

と言って、責任ある立場の者が暢気になりすぎて

重大なミスを犯すのだけは、困る。

 

=============================河馬がのんきに泳いでいた根岸の海は

中村川に入り込む湾で

1970年代にはそこから

地蛸や蝦蛄の低引き漁の船が出ていた

 

蝦蛄は五月から七月の今頃までが

一番美味しい時期でもあり

 

夫は会社で船を仕立てて

たくさんの蝦蛄を持って帰り

ついでに従業員や監督さん達も連れて帰り

 

みんなで賑やかに大鍋で茹でた蝦蛄を食べて

 

何年もの間我が家の夏の風物詩になっていた」

 

蛸と言えば、同じ中村川の

元町商店街近くの駅の前には

ポンポン船で漁に出る人がいて

新山下の、貯木場が有ったあたりで蛸漁をして

その凧を駅の傍でドラム缶に入れて茹でて売るのだが

そのぬめりを取るために洗濯機に入れて回していて

 

何を思ったか、私はそれを真似て

我が家の全自動洗濯機に入れて回して

轟音を立てさせて

ご近所まで驚かせたことが有った

 

思い起こすと、昭和の時代は雑駁だったなあと

しみじみと思う

 

その昭和の時代に決められた防疫記念日は

1879年(明治12年)のこの日に日本で初めての

防疫法

その名も海港虎列刺病伝染予防の規約が定められた日

なのだそうだ

 

腐った大豆然り、危ないものは港からやって来る

 

最近は避ヒアリという小さな蟻が船荷と共に入って来て

先月横浜の埠頭でも

2000匹以上のヒアリが見つかったそうで

 

この蟻に咬まれると赤く腫れて

幹部を冷やしたりして治まるそうだが

時には緊急を要する場合もあるそうなので

悩ましいときは

♯7119

 

公衆電話などでは

045-232ー7119

045-523ー7119

神奈川救急相談センターに

問い合わせくださいとのこと

 

予防に勝る治療なしというのは

1955年に生まれたオランダの司祭

デジデリウス・エラスムスの言葉だそうだ

 

虎列刺とはコレラのこと

■ 2002/07/13 (Sat)会社のHPの管理人室の文章から

  

今回の台風によって

当社の、社長の実家の近くも、被害があったそうだ。

台風。子どもの頃の家の直ぐ傍に気象台があった。

学生時代、真夜中に、風や雨の音を聞くと

一晩中、対処に当たっている職員のことが

うっすらと脳裏を掠めた。

昭和30年代の横浜は、よく停電になった。

昼でも夜でも、お構い無しに停電になり

大人達は、諦めたように

今日は電力会社は日曜日だね、と言ったりした。

それ以前には

実際、電休日というものがあったと聞いたことがある。

台風となれば当然のように停電になる。

そんなとき、妹と私は父や母の傍らによって、お話を聞く。

妹は、すっぽりと父の胡坐の中に入り込んでいる。

お話は続く。

昔、お父さんがある旅館に泊まった時。。

何度も聞いている出だしなのに、既に、怖い。

旅館のおばさんに

(今流にいえば)マッサージをしてもらっていると

そのおばさんが問わず語りに話し出した。

この町にね、貧しい母子がいたんです。

ある時、母親の方が病気になり

子供は、母親を病院に入れるために一所懸命働いて

ようやくお金が出来たので

喜んで家に帰ったんです。

すると、途中で追剥にあって

お金を釣られてしまったんです。


そして、とうとう、お母さんは死んでしまって。

それを悲しんだ息子は泣き泣き死んでしまったんですよ。

世の中には本当に悪い人がいるもんですよ。。

そしてね

それはひどいことを

そして犯人はわかったのですか、って聞くとね、

そのおばさんの手の力がだんだん強くなって来るんだよ。

それでね、お父さんが振り向くとね。。

それは、お前だ!って、、。

この

お前だ!

って言葉を聞きたくなくて、娘達は急いで布団を被る。

お話の内容は、最後の、振り向くと

それはお前だ!のところだけ一緒で

後の部分はその都度に変わる。

風は狂ったように鳴り響き

雨は窓ガラスを震わして叩きつける。

子供がそれに怯えないように

怖さを他に向けてくれたのだろう。

今は、そんなお話には怯えないが

台風の怖さは拭いきれない。

犠牲になって亡くなられた方の冥福を祈る。

 

が、台風の日に

河川や海の近くに近寄って亡くなられた方のことは

如何とも言いがたい。

今日は生命尊重の日だそうだ。

 

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このブログを書いた数年前、丹沢の玄倉川で

痛ましい事故が有った

 

そのもう少し前に

近隣の人が畑の様子を見に行き

帰宅せず

翌朝水の溢れた用水路で発見された

 

玄倉川の犠牲者は皆さん同じ会社の人だったそうで

突然多くの従業員を失くした会社は廃業して

同様に行きつけだったお店も閉店したと聞いた

 

用水路を見に行った方は、突然父親を亡くしたことで

息子さんは希望していた大学への進学を諦め、農業を継いだと聞いた

 

危険予知を怠ったために

自分の大切な人まで不幸にしてしまう

 

なんとも悲しい話だ

 

父の創り出した話は

姉達が幼い頃、ラジオの落語で覚えた母が

父に教えた話だったそうだが

 

いつもはニコリともしない父が鹿児島弁で語るその話は

私の中に一層の恐怖心を煽った

 

なのに、その後、中学一年の時に

私は何を思ったか、一人で留守番をしているという

同級生に電話でその話をしたことが有った

 

振り向くと。。おまえだ!

という言葉に、同級生が泣き出して

それを知った母から叱られ

私は夕方の雨の中彼女の家まで謝りに行った

 

その後彼女とはそれが理由ではなく

転居ということで疎遠になり

 

ある時、テレビのアナウンサーの名前に

同姓同名、同年齢の人がいて

 

何となく顔も似ていて

 

しかし確認出来ずにいる

 

たぶん、心の中で彼女を泣くほど怖がらせたという

自責の念が消えていないのだと思う

 

台風の過ぎた翌日は

台風の明日のバカッパレ

と相場が決まっていたのだが

最近の台風はそんなに簡単には通り過ぎてはくれず

 

本日、太平洋上に発生した台風五号が

関東方面に向かっているそうで

 

天変地異の時もそうだが

街なかや駅などで騒ぎが有った時も

 

臆病と思われるほど一刻も早く

安全な場所に避難して欲しいと思う

 

最終的に我が身を守るのは自分自身であり

自分を守るから明日の風景を見ることも出来

人を助けることも出来ると

そう思う

 

 

 

 

■ 2002/07/12 (Fri) YAHOOブログから 

 

 

名犬ラッシー。

ララミー牧場。

ローハイド。

そしてルーシーショーに、奥様は魔女。。。。

そこから伝わるアメリカの文化は

その時代の若者を虜にした。

ご近所のお姉さんもご多分に漏れず

ペティコートのついたスカートとコンビの靴を履いていた。

もちろん髪はポニーテール。

愉快なフレディ一家

ファミリータイズ

ペイトンプレイス物語。
私もこの中にアメリカを感じた。

馬がしゃべる
そんなバカな
ホント、だけど相手は一人ホントに好きな人にだけ
アイ・アム・ミスター・エド

家族中が愉しんで見た。

そして、ビル・コスビーが主役のコスビーショー。

…彼は、有名なコメディアン故に、一人息子を殺された。

そういえば、日本のコメディアン、トニー谷も

子供を誘拐された。

人に笑いを与える者にとって

身内の不幸はこの上なく悲しいものでありながら

その悲しみを前面に出すことの出来ない

もう一つの悲しみを当然のように強いられる。

コスビーは言う。

Every closed eye is not sleeping, 

and every open eye is not seeing.

真実を見つめる目。

 

コメディアンは、偉大なる哲学者かもしれない。

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娘の一番最初の推しは

彼女が中学生の頃

夫の実家で見つけた葉書とカセットテープの主である

伊奈かっぺいさん

 

暫くすると、最近解散したお笑い芸人になり

そこで知り合った人に頼まれて

ダウンタウンの赤いホストの番組で

忙しい二人の代役で

リハーサルのカメラ合わせを勤めて来たり

 なんの伝かは分からないが

軍団というグループのライブを観に行ったり

 

少し変わった趣味らしく

同行してくれれ人がいないようで

私は幾たびも同行を求められた

 

旅に出たり、街に出るときには

友達が優先で誘ってももらえないので

恩に着せながらも楽しみに同行して

 

その軍団の人のオフ会で

五反田に行くことになったのだけど

 

軍団の皆さんと

若いファンの方の少し後ろを歩いていたら

突然軍団の一人が私に話しかけてきた

 

誰のファンですか?

 

それまで引率者の気分でいたので少し驚いたが

言って来た当人だというと

嬉しそうに握手をしてきて

 

その後行ったボーリング場では

何故か芸人さんや

ファンの皆さんの荷物の番人をすることになり

 

その前の葉桜の頃

葉桜を観る会という

不思議なお花見に娘に誘われ

 

現地に着くと

入り口で娘から火急の用事でと

その場で待たされたのだが

そこに、私に握手をしてこられた相方がいて

 

彼は私の隣でお寿司の桶を持ったまま

前方を凝視して

隣に立つ私に一瞥もくれず

 

誠に申し訳ないが

とても会話で仕事をしている人とは

思えなかったから

ボーリング場でのその距離感がとても面白く

私も大いに楽しんだ

 

残念なことに

私に握手を求めてくれた芸人さんは

三十代前半にして早世されてしまったのだが

 

彼らは

根本的にシャイな人達ということを悟った

 

娘が彼らに惹かれるのは

この純粋さがあるからなのかもしれないとも思えた

 

実際の話は、娘がどんな気持ちで

放送作家やお笑いの世界を好んでいるかなど

たとえ親子でもその根本が分かるわけでは無く

 

Every closed eye is not sleeping, 

and every open eye is not seeing.

 

閉じている目がみんな

眠っているわけではありません。

そして

開いているすべての目が

見ているわけではありません。

 

人の生き様は、たとえ肉親であっても

その人以外が決めて良いものでは無いとそう思う

 

自分以外の人を理解出来る道理など

はなっから無い訳で

その生き様に共鳴出来るか否かで

人と人との距離感は変わっていくのだと思う

 

だから人の世は楽しくもあり

また哀しくもある

 

そんな繰り返しで

 

その真髄を見極める目を磨いていって初めて

世の中の言う

大人の領域に到達するものなのかもしれない