■ 2002/07/13 (Sat)会社のHPの管理人室の文章から
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今回の台風によって
当社の、社長の実家の近くも、被害があったそうだ。
台風。子どもの頃の家の直ぐ傍に気象台があった。
学生時代、真夜中に、風や雨の音を聞くと
一晩中、対処に当たっている職員のことが
うっすらと脳裏を掠めた。
昭和30年代の横浜は、よく停電になった。
昼でも夜でも、お構い無しに停電になり
大人達は、諦めたように
今日は電力会社は日曜日だね、と言ったりした。
それ以前には
実際、電休日というものがあったと聞いたことがある。
台風となれば当然のように停電になる。
そんなとき、妹と私は父や母の傍らによって、お話を聞く。
妹は、すっぽりと父の胡坐の中に入り込んでいる。
お話は続く。
昔、お父さんがある旅館に泊まった時。。
何度も聞いている出だしなのに、既に、怖い。
旅館のおばさんに
(今流にいえば)マッサージをしてもらっていると
そのおばさんが問わず語りに話し出した。
この町にね、貧しい母子がいたんです。
ある時、母親の方が病気になり
子供は、母親を病院に入れるために一所懸命働いて
ようやくお金が出来たので
喜んで家に帰ったんです。
すると、途中で追剥にあって
お金を釣られてしまったんです。
そして、とうとう、お母さんは死んでしまって。
それを悲しんだ息子は泣き泣き死んでしまったんですよ。
世の中には本当に悪い人がいるもんですよ。。
そしてね
それはひどいことを
そして犯人はわかったのですか、って聞くとね、
そのおばさんの手の力がだんだん強くなって来るんだよ。
それでね、お父さんが振り向くとね。。
それは、お前だ!って、、。
この
お前だ!
って言葉を聞きたくなくて、娘達は急いで布団を被る。
お話の内容は、最後の、振り向くと
それはお前だ!のところだけ一緒で
後の部分はその都度に変わる。
風は狂ったように鳴り響き
雨は窓ガラスを震わして叩きつける。
子供がそれに怯えないように
怖さを他に向けてくれたのだろう。
今は、そんなお話には怯えないが
台風の怖さは拭いきれない。
犠牲になって亡くなられた方の冥福を祈る。
が、台風の日に
河川や海の近くに近寄って亡くなられた方のことは
如何とも言いがたい。
今日は生命尊重の日だそうだ。
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このブログを書いた数年前、丹沢の玄倉川で
痛ましい事故が有った
そのもう少し前に
近隣の人が畑の様子を見に行き
帰宅せず
翌朝水の溢れた用水路で発見された
玄倉川の犠牲者は皆さん同じ会社の人だったそうで
突然多くの従業員を失くした会社は廃業して
同様に行きつけだったお店も閉店したと聞いた
用水路を見に行った方は、突然父親を亡くしたことで
息子さんは希望していた大学への進学を諦め、農業を継いだと聞いた
危険予知を怠ったために
自分の大切な人まで不幸にしてしまう
なんとも悲しい話だ
父の創り出した話は
姉達が幼い頃、ラジオの落語で覚えた母が
父に教えた話だったそうだが
いつもはニコリともしない父が鹿児島弁で語るその話は
私の中に一層の恐怖心を煽った
なのに、その後、中学一年の時に
私は何を思ったか、一人で留守番をしているという
同級生に電話でその話をしたことが有った
振り向くと。。おまえだ!
という言葉に、同級生が泣き出して
それを知った母から叱られ
私は夕方の雨の中彼女の家まで謝りに行った
その後彼女とはそれが理由ではなく
転居ということで疎遠になり
ある時、テレビのアナウンサーの名前に
同姓同名、同年齢の人がいて
何となく顔も似ていて
しかし確認出来ずにいる
たぶん、心の中で彼女を泣くほど怖がらせたという
自責の念が消えていないのだと思う
台風の過ぎた翌日は
台風の明日のバカッパレ
と相場が決まっていたのだが
最近の台風はそんなに簡単には通り過ぎてはくれず
本日、太平洋上に発生した台風五号が
関東方面に向かっているそうで
天変地異の時もそうだが
街なかや駅などで騒ぎが有った時も
臆病と思われるほど一刻も早く
安全な場所に避難して欲しいと思う
最終的に我が身を守るのは自分自身であり
自分を守るから明日の風景を見ることも出来
人を助けることも出来ると
そう思う